第4話 諜報員の帰還


 あれからもう四か月、サハラー国内で訓練する船や兵士を良く見掛けはしたけれども、それ以外の動きは感じられなかった。決意をしてじっと待ってはいるものの、何か自分に出来ることは無いかと思い悩むこともしばしば。


 毎日飽きずに外を走っている兵士、体力作りに最適なのはわかるけれども本当に毎日走ってばかりいるのが不思議だった。


「どうしたのよナキ、元気ないわね」


「ええ。やるって誓ったのに、私はこうやって外を眺めてるしかないのかなって」


 勉学に励むとか、運動をするとか、そういうのはしてるけど、何と言うか違うのよね。


「……純軍事的な部分に直結するからって黙っていたけれど、動くのは恐らく二カ月後よ」


「いつのまに決まってたのかしら」


 自分のことなのに知らされていないショックがあって、何だか落ち着かなくなるナキ。それと知っていて話したユーナ。お互いの事情というのがあるのはわかるが、やはり腑に落ちない部分が大きいだろう。


「決まってはいないわ。これは私独自の情報よ」


 ユーナはデンベルク家の諜報網を持っているので、大陸のことが幅広く伝えられてくる。同じ場所に居ても全く違う存在、それでも二人は親友。


「聞かせて貰える?」


「未確定なのを念頭に置いて聞いて。イーリヤ将軍もグロック参謀長もきっとこのことがあって時間をとって行動していると思うの」


 窓を閉めてから一旦扉を開けて外をみて、誰も傍にいないのを確認してすぐ傍まで寄って来て囁く。


「ドフィーネは戦場になるわ、グロッカス王国が攻めてきてね」


「え!」


 攻めて来るならステア王国だと信じていた、何せ平地で領土を接しているから。グロッカス王国とはピロット山脈を挟んでいるので進軍は用意ではないはず。



「一度に全てを動かす必要はないの。小分けにして街に送り込んで、蜂起を一斉にすればね。補給が厳しくなるけど、それさえ解決するなら無理なことじゃないわ」


「でもどうやって解決を? あの山道を延々と運ぶなんてほとんど出来ないわよ」


 個人が山を越えるならば出来る、自分の分と少々を余計に持ち込むくらいは。けれども十人分を十日分運ぼうと思うと、物理的な問題が発生してしまう。それが千人、一万人ともなれば最早不可能になる。


「短期戦で終わるなら補給は一度で済むわ、ならリヨンからでも買い付けて来ればいいの。なんならドフィーネ内で買っておいたっていいのよ」


 不審な人口増加、それに輸送物資があれば検問の報告書から誰かが気づく。ナキならば毎日確認していたので変化を察知できるだろう、しかし、シャルル王太子がそこまでするかと言われると疑問だった。


 国内が疲弊して、全てが緩んでしまっている、それは軍とて同じこと。解決すべき最大の部分は戦う期間、これが短ければそれこそ武器等以外の物は要らなくなってしまう。


「……それっていつから知っていたの?」


「グロッカスの動向自体は一年前からよ。ステア王国とでも始めるのかなって思っていたけれど、どうも矛先が違うって思えてきたのは最近よ」


 そうなると話が矛盾して来る。ナキが提言したのは四か月前なので、それより先に確信していたのかどうかで。


「私、イーリヤ将軍のところへ行ってきます」


「そう。私も一緒に行くわ」


 こうなると解っていてナキに情報を漏らした。ユーナも確かめておかなければならないことがあったから。外に出ても今日はルシファーもアーティファも居ない、合同訓練の最中だから。要塞に赴くと、門衛が敬礼で迎えて来た。ナキが外部のものではなく、今や主の同盟者だと知られているから。


 内部へ入ると偶然サルミエ副官が廊下を歩いていたので呼び止める。


「サルミエさん、イーリヤ将軍とお話があってきました。取次をお願いします」


 司令官副官のサルミエ、彼は常に将軍と居場所を共にしている。彼が居るならば将軍も要塞に滞在していると判断出来た。


「承知しました。応接室でお待ちください」


 軽く敬礼すると奥へと向かって行く。信頼を得ているのが肌で感じられた、ナキが害意を持っていないとの前提なのだから。十数分だろうか、何の予定も聞かずにいきなりやってきたのに将軍は面会に応じてくれた。


「お待たせしました」


「いえ、こちらが勝手にやって来たので。急に申し訳ありません」


「お気になさらずに。いかがされましたか」


 相変わらず柔和な態度、それが商売相手だからとか、何かしらの間柄だとかではなく、他者に対しては常にこんな感じだと知っている。丁寧というか、礼節を重んじているというか。


「ドフィーネのことについてです。噂でしかないのですけれど、グロッカス王国が攻めてくるのではと聞きました」


 ド直球、これ以上ない位に真っすぐな言葉。将軍はコーヒーを傾けて言葉を反芻する。驚きはしない、表情が変わらないだけではないはずだ。


「どうしてそう思ったのか聞いても?」


 また聞きの話でしかないのにせっつきすぎたと、今になって少し恥ずかしくなる。どうしようかとユーナを見た。彼女は少しだけ微笑んでいる、こういうナキの性格が好きなのだ。嘘偽りなく、自分の言葉を大前提に動いてしまうようなナキが。


「私の諜報よ。去る一年前からグロッカス王国に軍事的な動きがみられていたの。ステア王国でも少し動きがあったからそっち方面かと思っていたけれども、どうもドフィーネを攻めるんじゃないかなって思えたのよ」


「なるほど」


 大枠の経緯を検証する。となりあった国だ、いつどこで戦争が始まるかは当事者にも解っていない、だからこそ優位に立てるように軍備を増強し、諜報を行う。そうやって軍備をすればするほどまた相手も同じ動きをする、そのせいで戦争なってしまうことなど日常茶飯事と言えるほど事例が転がっていた。


「可能性は半々の状態だと私は考えている。どちらでも実行可能だと」


 本音。恐らく将軍はありのままを話している、ナキにはそう感じられた。理由まではわからないが。


「どちらって? 対ステア王国ってことかしら」


 どうにも曖昧な表現、それが狙いならば誤魔化されてしまうこともあるが、現状でそんなことをしても将軍にはなんの利益もない。


「そう表すことも出来るが、きっと思っているのとは違うだろうね」


 馬鹿にされているわけではない、そんな雰囲気は微塵も無かった。それどころか微かな共感のようなものすらあった気がする。


「迂遠な言い回しね」


「なにせ私も最初そう感じたものでね。ところが我等が参謀長の言葉は違ったってわけさ」


 グロック参謀長、底が知れないひげ親父だ。北、ソーコル王国とは国境を接しているにはいるが、ヨンヌ伯爵領を抜けて王領を抜けて、遥か北へ行かねば王都トロヌスに辿り着けない。無謀を絵にかいたような行動にしか思えない。じっとその先を待っている、小さく頷くと将軍は続きを語り始めた。


「ステア王国とピレネー王国が戦争を始めたら、グロッカス王国はステア王国を支援するという筋書きだよ」


 想定外の場所にまで話が飛んでしまう。どうなるのかを暫し思案して、状況を整理する。


「ステア王国は全力で防衛するわよね、グロッカス王国が後援してくれるなら助かるけど、敵対しているんじゃなかったかしら」


 だからこそそこで戦争が起こり得ると思っていた、正反対の行動があるのは解せない。


「グロッカス王国も攻め込んだら、死に物狂いで防衛をするだろうね。もしだ、それでピレネー王国が急に停戦でもしたらどうなる?」


「それは……きっとステア王国はグロッカス王国に対抗して、戦力を振り向けるでしょうね」


 そう言ってから初めて戦略の枠組みを知った。敵を助けた方が疲弊せずにすむ、結果として都合がよくなれば攻めれば良い余裕が生まれる。こういうのを悪魔の計算とでもいうのだろうか。


「グロッカスがステアを擁護するならばドフィーネには同時に手を出すことはない。逆にドフィーネに手出しをするならばステアが動けないように牽制をするだろうね」


 先の軍議でグロック参謀長がユーナにフレイム王国への伝手を尋ねた部分に繋がった。てっきり増援でも頼むのかと思っていたが、目先が随分と違ったようだ。


「はぁ、私なんかが出来るんでしょうか……」


 ナキがため息をついた。謀略についていけなかったから。勢い込んで女王を宣言するなどと言っておきながら、この位のことも想定外では国は簡単に滅んでしまう。


「ナキ……」


 心配そうにそう呟くユーナ。いつまでもそばに居たいけれども、そういうわけにも行かないと知っているから。


「指導者とは、他者の信頼を集めることが出来るもののことだと考えている。ナキにしか出来ないことがある、何を下を向くことがあるだろうか」


 将軍は真っすぐナキを見詰める、そこには驕りもなければ憂いもなかった。ただ一個の存在を肯定するだけの眼差し。


「私は故郷を、皆の笑顔を必ず取り戻します!」


 突然何の前触れもなく応接室のドアが開く。ボロボロのコートを着た浮浪者ぜんとした男が勝手に入って来た。ユーナはあからさまに不審な人物を警戒した、ナキは困惑している。誤って入ることが出来る場所ではないとわかっているというのに。


「へへへ、ボス、ホットなニュースでさぁ」


「おうご苦労、まあここに座れ」


「へい」


 埃だらけで虫でも飛び出しそうな男が、まっさらなカバーがかけられている椅子、それもイーリヤ将軍の隣に座った。サルミエ副官がやはり嫌そうな顔をしているのをユーナは見ていた。


「ほら飲め、南方大陸からの品だ、キレがある苦みがいいんだ」


 手ずからコーヒーをカップに注いでやる、一体この浮浪者は何者なんだろうかとの疑念が渦巻く。


「グロッカスが動きますぜ」


「そうか」


 笑顔を浮かべたまま浮浪者の言葉を大人しく聞いている。動くとは一体なんだろうか。


「ピレネーとフレイムが怪しい動きをしているんで、ステアが不戦条約をグロッカスに取りにいって成立してまさぁ」


「ちょっと、そんな情報入ってないわよ。あんた何者よ。私の諜報網では会談した事実すらないんだけど」


 ユーナが口を挟む、ここで誤った情報を差し込まれては今後に影響が大きすぎる。


「ああそうかい、だからなんなんだ」


 鼻で笑って取り合おうとしない、失礼にも程がある。


「私はアンデバラ子爵よ、その態度を改めなさい!」


「知るか。俺はやりたいようにやるだけだ」


 薄ら笑いを浮かべて嘲りともとれる視線でユーナを流し見る。隣に座っているナキはチラッとみただけで終わる。


「私はナキ・アイゼンシアです。そのお話に興味があります、詳しく教えてはいただけないでしょうか?」


「あん? なんでお前に教えなきゃいけねぇんだよ、ガキは帰って寝てろ」


 罵詈雑言、暴言を向けられてもナキは表情を変えることは無かった。ユーナは怒りで頬を紅潮させていたが。やりとりを将軍はじっと見守っている。

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