第2話 ヴァランス再上陸計画


 大きな木製テーブルの真ん中には地図が広げられている。西はピロット山脈から東はヴォアロン伯爵領の横幅で、北はヴィエンヌ伯爵領南はヴァランス地方のもの。大まかに百キロメートル四方がドフィーネ王国と称している国の大きさ。


 大会議室にはそこそこの数が集まっていた。ナキを始めとして五人がヴァランスから、黒服も同数で地図を囲んでいた。真っ先にナキが「これは随分と詳しいものですね」眉をひそめてしまうほどの出来映えに唸る。


 地図とは国の力を明らかにする道具で、地図を渡すのは国を渡すのと同義と思われていた時代すらあったから。そこには都市や地形だけでなく、シャトーと呼ばれる城館まで記されていたので、どこが要かが分かるようになっていた。


「見るのは初めてではないが、詳細はグロックに聞いてくれ」


 イーリヤ将軍のすぐ右手に陣取っている中年の銀髪男。いかつい表情に短い髪、険しい目つきが軍人を体現している。参謀長だと紹介されていた、即ちこの黒服集団クァトロの頭脳ということだ。


「最終目的はここ、王都サンヌの陥落による女王宣言と考えて良いでしょうか?」


 口ひげを蓄えた中年が、十代の少女に丁寧に訊ねる。彼にとってイーリヤ将軍の同盟者は、自身よりも格上だと判断したうえでのこと。女王を宣言する、そこには様々な意味が含まれていた。何せ王位継承者は複数いて、ナキはそれらのうちでも下位だから。


「はい、それで良いです」


 今までと違い言いよどむことなくナキは即答する。意を唱えるものはすべて排除する、そんな方針を呑んだというあらわれ。王太子を筆頭にして、王族、ヴィエンヌ伯爵とヴォアロン伯爵が請求権を持っている。性別は関係ない、嫡子、先王との血縁的距離による優劣無し。


 即ち、王族がその地位を請求しないならば、伯爵家の間に上下が無いことを意味している。世代と言う意味で年配者が優先される部分があったにしても、並列しすぎている部分はあった。


「ではそこから逆算していくことにしましょう。ここサンヌをただ力押しするのは愚か者がすること。周囲の三都市を切り崩し、ローヌ河に追い落とすのが得策でしょう」


 王都サンヌの都市圏には、三つの都市が隣接している。ドフィーネを南北に走るローヌ河の東平野にそれぞれの街が広がっていた、何せ河の西にはピロット山脈が走っていて開拓には向かなかったから。アーティファが挙手して意見を述べる。


「ここに籠城されると厄介でしょうな、何せローヌ河から補給を受けられる。北のヴィエンヌはその先の大都市リヨンと繋がっていて、物流を制限することが出来ない」


 皆が地図上で確認をすると、納得いく発言だったと頷く。包囲するにしても水の上までとはいかない。


「かといって、河の西にあるアノネー要塞都市を抜いてサンヌに向かうのは更に厳しいだけ」


 弱点になりそうな場所には都市があって、更には要塞化されているというおまけつき。なるほどドフィーネが王国になれていたにはしっかりと理由があった。


「アイゼンシア殿、ヴォアロンについての情報を提供願いたい」


「はい。ヴォアロン伯爵マルク・ペタンは、四代前に王家から独立しました。ヴァランスもヴィエンヌも同じ時期です。ペタン家には男子二人が居て、それぞれが子を持っています。ヴィエンヌとヴァランスの確執には関わらず、アルペン王国への備えとして北東の守りに徹している姿勢がありました。一方で山がちな場所なので農業が振るわず、大きな産業もないため、経済面では劣っています。一年前の詳細で良ければ文字起こしをしますけど」


「では後程お願いします」


 肌で感じた情報とその詳細、執政官代理で得た様々なことが今になって生きて来る。この時点では間違いなくナキが一番詳しい。


「ヴォアロンは味方につけるか中立にするかさせましょう。話に応じなければ力づくでそうさせるだけのこと」


 自信満々でそんなことを言うグロック参謀長、どうしてそこまで言えるのかはわからないけれども、かなりの確信を抱いているように感じられた。


「ヴォアロンへの道は山道が狭く、イーゼル河を使うか、北側の街道を通るくらいしかできませんけど」


 北のヴィエンヌと東のヴォアロン、間にピネという街があるだけで、山に囲まれた地形だった。お陰で背にしているドフィーネ中央平野を守れている。


「どうとでもします。そこに姿があるならば倒せないものなどありませんので」


 夢幻の類でなければ何でも。自信の裏付けが武力ということならば、コルス上陸戦の時を思い出せば納得もいく。私兵、あのときは傭兵団と思っていたクァトロが、まるで騎士団かのような戦闘力、統制力を発揮したのをこの場の皆が目にしていたから。


「ですが遠く軍だけを切り離して行動するわけにも行きますまい」


 ヴァランスの筆頭であるアーティファが現実的な部分を指摘する。もしそんな動きをするならば、少し膠着してしまっただけで離散することになってしまうのが常だ。


「そこで、我等の拠点を据える意味からここを初期目標に据えます」


 グロック参謀長が指し示した場所は、イーゼル河に沿ったところだった。一カ所ではなく三か所、といってもさほど距離は無い。シャトー=イーゼル、サンジュー=イーゼル、ロマン=イーゼルだ。地図の下側を左から右へと流れるイーゼル河、それが中央あたりで山岳にぶつかり右上にそれていっている、その先にヴォアロンがある。


 サンジュー=イーゼルが河の南、他は河の北側にあった。ヴァランスから東二十キロ程度の国の南端、辺境といっても良いかもしれない。


 そこから暫しそれぞれが考える時間を持つことになる。思考の入り口が同じであっても出口は決して同じではない、知っている部分、見えてしまっている何かに左右される。まずグロック参謀長はクァトロのマリー司令に視線をやった。


 彼はクァトロ私兵団、戦闘部隊の司令で、司令官代理でもある。三十歳ほどで未だ体力がピーク、次の時代の指導者として見られている。少し前まで長期休暇をとっていて、戻って来たと思うとコルス島の西部にある風の国、トルナードから風の聖女を連れて来たから驚きだった。

https://kakuyomu.jp/works/16817139554886541188


 サハラー王国東海岸で、凪ぐことなく航路が安定しているのはこの聖女のお陰であると専らの評判だ。


「いずれ河を使って補給を回すにしても、初期はそのあたりが防衛も薄いでしょう。足がかりにするなら妥当なところでは?」


 ぼやっとした情報を持っていて、戦闘部隊ならばそう考える。では現地を知る者ならばどうだろうか。ナキの騎士であるルシファーに視線を移す。


「サンジュー=イーゼルを得たならば、以南の穀倉地帯への連絡が保てます。ここでなければヴァランスを経由するしかありませんので」


 地図のすぐ外側にある平野部を知っていればこうもなる。なるほどねとマリー司令が頷いていた。テストの範囲外からの出題とは意地が悪いが、そこで世界が崖になっているわけではないとの訓示でもある。


 では軍事以外の目線をというつもりでユーナを見る。彼女はナキの親友、ソーコル王国の大貴族に連なる人物、自身がアンデバラ子爵でもあった。


「ヴァランスとサンジュー=イーゼルの線で勢力を保てば、オランジュ側と結ぶという結末だって見えるわ。ステア王国に宗旨替えするのは目的じゃないけれど、カードとしては使えるわね」


 戦うだけが戦争ではない、どうやって戦いをやめるかを考えるかまでが戦争だ。一本道を進むだけでは指導者として褒められてモノではない、やはり視野は広くたもつべきだろう。


「なぁに、向かって来る奴を全て殴り倒せばいずれ解決するさ」


 あの巨漢の副司令官ロマノフスキーがこともなげに言って笑う。姿があればの延長の考えだが、難しくし過ぎない方が良いとの意味合いでもある。ここまででイーリヤ将軍は何一つ言葉を挟んで来ない、自由に討議できる場を作っているのが伺えた。


 大なり小なり意見が出たところでいよいよ将軍へ視線を送った。


「うむ。皆の意見は解った。だがここで一つのスパイスを加えてみたい、わかるかグロック」


 その挑戦的な目、グロック参謀長は今まで出てきていなかった何かを示す為に思考を加速させた。ここで明かす意図がある、ならば知らぬと流すよりも受け止めた方が良い。


「外国の干渉、ということでしょうか」


「そういうわけだ。どう動くか不明な勢力をこちらに引き込むことで安定性を持たせる」


 南西にステア王国、北東にアルペン王国があり、東西は山脈に遮られているドフィーネ、どちらを引き込むのかを考え、ヴァランスの地理的にステア王国だと考えた者が多かった。これまでの流れからはそうなる、が。


「ドフィーネを火薬庫にでもするおつもりで?」


「大前提がある、住民が結束し、自国を唯一だと信じることが出来れば危険は回避される。凡その目安は一年、ナキどうだ」


 突然話を振られてしまい動揺するが、ここに今後の大きな分岐点がるならば、引き下がってなどいられなかった。


「荒れ地を元に戻すには時間がかかりますが、心を寄せ合うということならば、私は挑戦します」


 その顔は本気だった。出来るかできないかではない、やるとの意思が伝わって来る。


「良い返事だ。何も一人でやれってわけじゃない、俺だって手伝うし、アンデバラ子爵だってそういうだろ」


 将軍は微笑すると隣に立っているユーナを見る。ナキが振り向くと「当然よ、ナキは必ず私が支えるわ」胸を張って断言した。やれやれといった感じのグロック参謀長が数秒目を閉じて作戦を練り直す。


「ステア王国を引き込むのは国をくれてやるようなもの、よってこれと不仲なフレイム王国に誘いをかけてみましょう」


 コルス島の西にある大きな島、そこにあるフレイム王国は虎視眈々と大陸への足掛かりを探している。近いのがステア王国ということで、水面下での動きは時折察知されていた。


 仲が良い隣国などありえない、過渡期ならば別として、それだけ言われるならば同じ国になっていておかしくないのだから。隣国というのは常に仮想敵としてみなさねば国防が成り立たない。


「フレイム王国になら私も伝手があるわ」


「アンデバラ子爵には後程ご相談に参ります」


 こうなって来ると根っからの武官らは声が出なくなる。得手不得手はあって当然、様々からみあって今が成り立っている典型的な光景だった。こうして静かに、戦争への幕は切って落とされようとしていた。



 翌日、大会議室には昨日と別の面々が集められていた。ヴァランスの者は除かれクァトロのみが集められている。クァトロとはこの私兵集団の呼称であり、司令官自身のナンバーでもある。その殆どが職業軍人ではあるが、数名は違った。共通しているのはたった一つ、司令官であるイーリヤと心を通わせているかどうか、それだけ。


「砂漠で暮らすのはそろそろ飽きていたからこれからが楽しみだ」


 マリー司令が軽口を叩く。そう言えるような雰囲気を作るのが上官の役目だと、イーリヤ将軍に示されてからはずっとこんな感じを貫いていた。それぞれが思い思いに壁に背を預けたり、椅子に座ったりしてリラックスしている。


「ドフィーネという国を奪うわけか。まあそういうのも初めてじゃない、丁度良い目標だな」


 机に拡げられている地図を覗き込んでそういうのはブッフバルト副司令官副官、マリー司令の親友だ。北方バーデン王国出身で冷静沈着、真面目一徹が売り。そんな彼でも戦場では目を血走らせて前に出てしまうのが玉に瑕。


「ローヌ河並びにイーゼル河が鍵ですか。河船の用意に力を入れる必要がある」


 この中では年長者に属するバスターは、潜水部隊の指揮官。ステア王国出身で元はと言えばかの国の軍人だった。体力の低下に伴い軍を弾かれ惨めな生活を送り、家族にも煙たがられていた時に、イーリヤ将軍と出会った。使いどころが非常に狭い中年の退役者を「貴官が必要だ、力を貸して貰えるだろうか?」と求められ、感動して従っている。


「水夫を雇うことになるな、ストーンならどうする?」


 椅子に座って足を机の上に投げ出しているマリー司令が、若手の筆頭にサラッと質問する。イーリヤ将軍に、マリーの次の世代の中心人物と言われている青年で、同格の指揮官の中では能力がずぬけていた。


「ドフィーネ王国内から雇用する、それも特定地域から」


 個性を大切にしている。クァトロではガチガチの規則は下士官以下にしか適用していなかった。将校士官は己の考えで全てを決めるべきだとしている。無論戦闘中は上下の別をつけ、命令は絶対だが。


「ほう、ではどこから」


 ストーンもバーデン王国の出身ではあるが、髪が黒かった。瞳も黒が強く、肌は白いが日焼けしているのかやや茶色。戦闘指揮官なので体格は良く、筋肉が程よくついていてしなるような身体つきをしている。

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