ドフィーネの女王

愛LOVEルピア☆ミ

第1話 ナキ・アイゼンシアの意志

「貴様等、ここがグロッカス王国ヴァランスと知ってのことか、何者だ!」


 騎乗した青い軍装の騎士がたったの一人で進み出る。兜の庇をあげると大声で名乗りを上げた。


「我が名はヴァランスの騎士ルシファー・ド・ダグラス! 我が主、ナキ・アイゼンシア様の命によりこれよりヴァランスを奪還する。いざ勝負!」


 馬上大剣を構えると一騎で駆ける「ええい奴を止めろ!」グロッカス将校が命令をするが、兵らがざわざわして一向に動こうとしない。仕方なく自ら剣を抜いて打ち合わせようとするが、たったの一合も交わさずに首が宙を舞った。


「正義はナキ様と共に在る、ヴァランスを取り戻せ!」


 大剣を天に向かい掲げるとヴァランスの警備兵らがグロッカスの将校を我先にと襲い始めた。あっという間に全てが討ち取られると、青い軍服のアーティファがやって来て兵らの統率を明らかにする。


 ヴァランス伯爵旗を掲げて後方からナキがやって来ると、在地の警備兵がその姿を一目見ようと殺到した。


「皆さん、来るのが遅くなってしまい申し訳ありませんでした。でもこれからは誰にも勝手な真似はさせません、また一緒に歩んでくれますか?」


 ナキの呼びかけに、警備兵だけでなく、市民も一緒になりヴァランスコールが繰り返される。


 物語はこれよりやや遡って始まる。

https://kakuyomu.jp/works/16817139554918461815(このお話の前の作品)


 砂漠が広がる景色の中、直ぐ傍にはオアシスと呼ばれる水場がある。命の水とは言ったもので、この地では小さな街が集まって国を形作っていた。コルス島には幾つかの小さな国があり、ここサハラー王国もその一つ。ナキは今この国に亡命してきている。


「どうしたのよナキ、遠くなんて見詰めて」


「ユーナ……その、ううん、何でもないの」


 離宮の一つを与えられているのはナキ・アイゼンシア、ヴァランス伯爵令嬢だ。といっても、ヴァランス伯爵は取り潰されてしまい、いまは単にヴァランス地方と言われているのを知っている。政争で逃げ出してきてしまったのだ、多くの者を置き去りにして。

https://kakuyomu.jp/users/miraukakka/news/16817139554709657354(ナキ)


 共に来てくれた親友であるユーナだけが心の落ち着く相手で、専ら二人でいることが多い。生活に困らないのも彼女のお陰だと断言しても良い、何せ北方のソーコル王国に属する大貴族の嫡子だから。

https://kakuyomu.jp/users/miraukakka/news/16817139555476204581(ユーナ)


「ドフィーネのことよね。あの馬鹿王子が無茶苦茶してるって」


 昨年まで暮らしていたドフィーネ王国、山がちではあるけれども緑豊かで素敵な国。育ったヴァランスは河沿いの綺麗な街だったのをいつでも思い出せる。


 パージェス王が病で臥せってしまってからは、王太子が気ままに政治を行い急速に国土が荒れてしまっていると耳にした。その時はショックで暫く言葉が出なかったほどだ。


「皆が不安がってるって。役人も不正をしても誰も指摘しないからって、随分と酷いことをしてるみたい」


 ナキは王国で王太子の婚約者ということで、執政官代理の役目を果たしていた。そのお陰で国内の事情には恐らく当時国で一番詳しかった。一年経った今、変わってしまっているのは間違いないが、それでも事情に通じていると評しても良いだろうか。


 両方の肘を抱えるようにして、ユーナは長い髪を揺らしてナキを真っすぐに見る。


「ナキはどうしたいの?」


「え、それは……」


 窓の手すりに乗っているその小さな手で枠を強く握る。やりたいことはあった、けれどもその手段がない、経験がない。言うだけならどうとでも出来る、けれども何一つ実行できないならば黙っていろということだ。


「私はナキの味方だって言ったでしょ、覚えてる?」


「もちろんよ、忘れるはずないじゃない」


「なら! あなたがやりたいことを支えるわ、それが私の喜びでもあるのよ」


 真剣な眼差し、ユーナは決して自身の言葉を裏切らない。それを知っているからこそ、負担をかけたくないという思いもあった。けれども、ナキは自分の心が揺れてしまっていることに気づいている。


「私は! ……ヴァランスを、ドフィーネを助けたい! 皆が笑って暮らせる世界を取り戻したい!」


 取り潰されたヴァランスから、時折少数の者がコルス島にやって来た。ナキが亡命していると知り、そこへ集ったというのが正しい。かつてアイゼンシア家に仕えていた者が中心で、みな精気を失い疲れ果てた顔で絶望して頼ってくることが辛くてかなわなかった。


「それがナキの望みならば、私は支えるわ。行きましょう」


「行くってどこへ?」


「イーリヤ将軍のところへよ」


 力強く断言するとナキの手を引く。少し驚いたけれども、彼女も手を握り返す。その瞳には強い何かが宿っているように思えた。



 離宮から出て馬に乗る。近いとはいえ歩くとそこそこ時間がかかるからだ。出かけようとすると声をかけられてしまった。


「どちらへおいでで」


「ルシファー、これからイーリヤ将軍のところへ行ってきます。ついてきてくれますか?」


 ルシファー・ド・ダグラス。コルス上陸時に大怪我をしながらもナキを守り抜いたヴァランスの騎士。二人の様子がいつもとは違うことを感じ、即座に「承知しました」自身の馬に乗って戻って来る。


 馬で少し行った砂漠の中にある岩場、その上に石造りの建物があり黒い旗が翻っていた。要塞との響きが恐らくは一番近い、彼女らの目的の人物が居る場所、砂丘を越えたところで全容が見えた。


 ゆっくりと近づくと門前の兵士に「アイゼンシアがイーリヤ将軍に面会を求めているとお伝えしていただけるでしょうか?」ゆっくりとはっきりと告げる。


「お待ちください!」


 黒服の兵が一人駆け足で報せる、直ぐに戻って来て警備を続けた。少しすると門が開いて若い男が出迎えに来る。サイードと名乗っているギプト出身の青年で、ナキをコルスまで護衛してきてくれた人物。


「お久しぶりです、みなさま」


「サイードさん、ご無沙汰していました。お元気そうでなによりです」


 微笑むと馬を降りる。サハラー王国にやってくる前から信頼出来る人物だと解っていたので、こうやって顔をみると安心してしまうのだ。


「それだけが取り柄でして。ボスにご用事だとか、どうぞこちらです」


 サイードがボスと呼んでいるのが、この黒服の筆頭であるイーリヤ将軍だ。無頼を引き連れ、南の大陸からこの砂漠の王国へと居場所を移している。堂々と要塞を構えているというのに、彼らはこの国の軍兵ではない、私兵集団。本来ならば危険視されて討伐、或いは追放を言い渡されるのが常ではあるが、サハラー国王はそれと知りつつ何も言わない。


 門の内側は飾り気がない通路、生活空間としては息が詰まる残念仕様ではあるが、戦闘用のものとだけ見れば上等なものに仕上がっているとルシファーは感心している。見る者が違えば、といったところ。


 執務室の扉が開かれている、サイードはわざと足音を響かせて近づくと、扉をノックした。


「ボス、アイゼンシア氏をお連れしました」


「ご苦労。どうぞ中へ、お掛けください。サルミエ、何か飲み物を」


「ウィ」


 黒い制服に黒い外套、半面は赤。見たところは三十代半ばあたり、柔和な表情を浮かべた黒髪の男。このあたりの血ではないことは分かるが、どこかと問われても答えられない見た目。三人がソファに座るのを見てから、自身も反対側に座る。その後ろには黒い肌の男が立っている、こちらはあきらかに南方大陸の出身者だと解った。

https://kakuyomu.jp/users/miraukakka/news/16817139555476271817(イーリヤ)


「突然申し訳ありません」


「なに、私は暇をしているんでね、いつでも大歓迎ですよ」


 笑みを浮かべるとご機嫌で気にするなと言う。気さくな人物が、兵団の司令官だというのが未だにしっくりと来ていない。飲み物に口をつけてから、どう切り出したら良いか逡巡しているナキを見て、ユーナが背を押す。


「ほら、ナキの想いをぶつけるのよ」


「そ、そうよね、その為に来たんだから」

 

 事情を知らなければ恋の告白にでも来たのではないかと錯覚させるようなやり取り。実際は何の色気も無い内容ではあるのだが。一度目を閉じて心の中で整理をする。こんなことを言ったところで笑われるだけかもしれない、無理だとたしなめられるかもしれない、やるだけやってみたらと放り出されるかもしれない。


 ナキの中で不安や疑念が渦巻いた、けれども目を開くとイーリヤ将軍を真っすぐに見詰める。


「ドフィーネでは無茶な政令が出し続けられ、役人は不正を平気で働くようになり、住民は怯えて暮らしています」


 イーリヤ将軍がすっと表情を無くして目を細める、遊びに来たわけではないと知ってはいたが、何を抱えて来たかを知った。


「パージェス王の体調も悪く、恐らくは長くは持たないとも聞いています。シャルル王太子がこの先も人々を苦しめると思うと、胸が締め付けられる想いになります」


 事実。イーリヤ将軍も現状がどうなっているかの報告は受けていた、ここで語られるものに数字や資料をつけられて。言っていることは理解しているし、それが責められる行為というのにも同意するだろう。


「それで、あなたはどうしたいと?」


「私は……ドフィーネを愛する人々を見捨てることをしたくない! 逃げて来た身で何を言っているのかと誹りを受けても、それでも皆の笑顔を取り戻したい!」


 這う這うの体でやって来た者達を思い出し、つい目に涙をためてしまう。感情的になっても得るものはないというのに。


「何故ここにやって来たか、教えていただけますか」


 彼は笑わなかった、かといって共に怒りもしなかった。無感情でただ、何しにきたかと告げるだけ。ユーナが目を細めている、何かしらの言葉を飲み込んだのが解った。


「どうすれば良いかなんて解りません、上手く出来るなんて考えていません、求められているとも思っていません、それでも! ドフィーネを元のように平和で素敵な国に戻す為に、私に力を貸してください!」


 言うべきことを吐き出して、ナキはじっとイーリヤ将軍を見詰める。


「私は遥か遠くの大陸で理想の国を探しました。山で、海で、森で、荒れ地で、そして砂漠で。ですがどこにもそんなものはなかった。だからと諦めることはしたくなく、さりとてどうにもならず。けれども、もしかしたらと希望を見ることが出来ました」


「どういう意味ですか?」


 ナキはよく解らずに首を傾げてしまう。それと同時に、彼もまた苦悩していると知る。


「なければ作れば良い、そんな簡単なことに気づかされたんです。ドフィーネを取り戻すのに私が力を貸しましょう」


 聞き間違いではないのかと自分を疑った。ナキは何一つ差し出していないのに、快諾を得られてしまったことが逆に不安になった。


「ですが前にも言いましたが、私には何一つ与えられるものがありません」


 こんな身で良ければ等と思いはしたが、口には出さずに目を覗き込む。


「ならば理想の国を作って下さい。努力は報われ、悪は正され、当たり前を当たり前と公言出来、希望を抱ける日々を過ごせる、そんな国を作って欲しい。それが私への報酬です」

 

 信じられない言葉を聞いた。あれば良いなと心のどこかで思っていた何かが、こうやって形にされたから。いいしれない高揚感のような気持ちが湧いて出てくる、不思議と心がだんだんと落ち着くのが反していた。


「怖い位の後払いですね。そんなので本当に?」


「すべて終えて、何も得られないならば、きっとこの世にはなかったんだと今度こそ諦めるだけです」


 二人はどちらからというでなく立ち上がると、右手を差し出し握った。


「ようこそ私の同盟者。今日は記念すべき日だよ」


「ふふ、こちらこそ。以後はナキって呼んでください!」


 大きな、極めて大きな方針というのは意外と拍子抜けする形で決まってしまう。現世の者が聞けば、半数が呆れてしまうくらいに。だとしても、この場の者は皆が真剣だった。

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