第4章 夜景の魔女
第22話
「ロミ、ロミってば」
「レ、イリ……」
あたしの呼びかけに、ロミがゆっくりと目を開けて身体を起こす。いきなり倒れた時には肝を冷やしたものの、彼女が意識を失っていたのはほんの僅かの間だった。顔色が少し青ざめていたが、呼吸や脈拍に異状は見られない。
「何事かと思ったじゃない。びっくりさせないでよ……」
「……
「ロミ……?」
細かな言葉のニュアンスに違和感を覚える。こちらを見つめるロミの瞳には、先ほどまでにない思惑が宿っていた。
「ひょっとして、思い出したの? それじゃ、あたしはやっぱり……」
「ええ。あなたはあの時、ヘルマン伯爵に後ろから刺され、死の淵に立たされていた」
あれは白昼夢などではなく、紛れもない現実だったということ。しかし、だとすると自分が助かった理屈がわからない。
これまで
「……聞きたいことが、山ほどあるって顔をしてるわね。とにかく、まずは屋敷から離れましょう。ここにもじきに、衛兵が駆けつけてくるわ。……く、うっ」
「ロミっ!?」
再びよろめいたロミの身体を、慌てて受け止める。まだ本調子にはほど遠いようで、額にはじっとりと冷や汗を浮かべていた。
「本当に大丈夫? もう少し休んだ方が……」
「心配は、いらないわ。これは、一時的な記憶の混乱によるものだから……」
差し伸べた手をやんわりと押しのけると、ロミは覚束ない足取りのままで立ち上がった。
あたしはロミに肩を貸してやりながら、あらかじめ決めておいた脱出路を使って屋敷を後にした。
幸いにもあたし達は、道中で追っ手に出くわすことなく脱出に成功した。時間はすでに夜半を過ぎているらしく、月明かりの差す街並みはしんと静まり返っている。
「……それで、ロミはあたしに何をしたの? 気が付いた時、あたしは地下室へ潜入する前の状態に戻っていた。これって、ロミがあそこで起きた出来事をなかったことにしたのよね?」
「厳密に言えば少し違うのだけど、起きた事象としては同じね。私は死に瀕したレイリの意識を、直前の夜へと送ったのよ。結果として時間軸は再構築され、あなたが命を落とすという結末は回避された」
「時間軸の……再構成」
ロミが口にした説明を、きちんと理解できたかというと疑わしい。しかし、彼女の行った芸当がどれだけ常識の埒外にあるのかということだけは、何となく想像がついた。
あたしに魔術の素養はまったくないが、実は武術と根底に流れるものに違いはないと密かに思っている。
自らの中に流れる力を、内に向けて身体に作用させるのが武術、外に向けて具体的な現象を引き起こすのが魔術といった具合に。つまるところ、闘気も魔力も本質の部分では同じなのだ。
ひいてそれは、どれだけ荒唐無稽に見えたとしてもできることに限度があるという意味でもある。
あたし達は人間である以上、人としての限界を超えられない。一度起きた出来事を覆すなんて、もはや神さまの領域と言ったって過言ではないだろう。
「ただ者じゃないとは思ってたけど、そんな真似ができるなんてね。それって、いくらでもやり直しが効くってことじゃない」
「残念ながら、そうもいかないわ。これは私の『夜』という属性を応用することで成立する、ある種の禁術。仮にもう一度行使しようとすれば、百年以上は先になるでしょうね」
「ひゃ、百年っ!?」
途方もない数字に、思わず声が裏返ってしまう。ロミがあたしに使った術は、彼女にとって最後の切り札だったということなのだろう。
しかし、聞けば聞くほどに疑問ばかりが募っていく。そもそも、ロミはどうしてそんなとんでもない力を使うことができるのか。それに加え、彼女の口ぶりはまるで数百年もの長い年月を生き続けてきたかのようだ。
世の中にはあたしの何倍も長生きする亜人種が存在すると聞いたことはあるが、それら特有の身体的な特徴がロミには表れていない。延命の魔術で伸ばせる寿命にだって、限度がある。ロミは一体――。
「……どうやら、ここまでのようね」
あたしの思考を遮るかのように、ロミがぽつりと呟いた。
どうして、今まで気が付くことができなかったのか。ここへ来てようやく、自分たちが置かれた異状を認識する。
屋敷を後にしてからというものの、あたし達は誰にも見咎められることなくここまでやってきた。
……そう、あまりに静かすぎたのだ。屋敷での祝宴にあてられた酔漢も、ヘルマン伯を捕らえようと急行する対立勢力の兵士たちにすら、一切すれ違わないなどということは流石にあり得ない。
書き割りのように虚ろな真夜中の大路に、ただ一人の人影が佇んでいるのが見えた。
黒を基調としたくるぶし丈の
おかっぱに切り揃えた栗色の髪を風になびかせ、アイスブルーの瞳が無表情にこちらを見据えていた。
「やはり、見逃してはくれないのね」
「あらかじめ、警告はしていたはず。あなたが力を振るうようなことがあれば、その時はわたしが始末をつけると」
そこに立っていたのは、オストラントで別れたはずのリーシャだった。
伯爵領に位置するこの小都市は、オストラントから徒歩でざっと十日以上はかかる距離に位置している。こんな場所に、彼女がいるはずがないのだ。……前もって、あたし達を尾けてきたのでない限り。
「世界の調和を乱すものは、
「リーシャっ!!」
紡がれた聖句と共に、蒼い玻璃で象られた剣が現出する。あたしとロミが、リーシャと一緒に地下遺跡で見つけだした聖遺物。
「ちょっと、待ちなさいよ!! そりゃ、あんたとロミが険悪なのは知ってるけど……いきなり現れて、襲ってくることはないでしょうが!!」
「違うのよ、レイリ」
「何が違うっていうのよ!? 大体、あんたもあんたよ、ロミ!! どうして、そんなに落ち着き払ってんの!? それじゃ、まるで……」
最初から、こうなることがわかってたみたいじゃないか。
「リーシャの真の目的は、ロミ・シ
「執行者……それじゃ、あんたは」
「聖遺物探索の依頼は、あくまで接触を図るための口実。わたしに課せられた本来の任務は、ロミ・シルヴァリアの捜索と監視だった」
淡々とした口調で告げながら、リーシャは一歩ずつこちらへ近付いてくる。彼女の発する殺意は紛れもなく本物で、とても冗談を言ってるようには聞こえなかった。
急転する事態を受け入れる余裕さえ与えられぬまま、あたしは二人の間に割って入る。
「やめなさいよ、リーシャ!!」
「そこを退いて、レイリ。あなたは抹殺対象に含まれていない。大人しくしていれば、危害を加えるつもりはない」
「ふざけんじゃないわよ!! そんなこと言われて、はいそうですかって引き下がると思ってんの!?」
「レイリはどうして、彼女を庇おうとする?」
「目の前で人が殺されようとしてるのに、黙って見過ごせる訳がないでしょうが!!」
「本当は彼女が、人間でなかったとしても?」
「っ……どういう意味よ!!」
その言葉に一瞬だけ詰まってしまったのは、あたしの疑念をある意味で裏付けるものであったからか。
「彼女は、人を模して造られた仮初めの生命。人心を
「魔女……それじゃ、ロミは」
「ええ、人間ではないわ。夜景の魔女――かつて、
「そっか……。そう、なんだ」
二人から告げられた事実は、衝撃であると同時に合点のいくものでもあった。
人並外れた魔術に対する造詣と、底知れない技量。そして、どこか浮世離れした雰囲気。どれを取ったところで、ロミがただの人間というよりよほどしっくりくる。
「あたしの
鯉口を切り、刀身を抜き放つ。数ヶ月ぶりに手にする羅刹刀は、あたしの杞憂などつゆ知らずと言わんばかりに手に馴染んでくれた。
「どうあっても、邪魔立てするつもり?」
「ロミが魔女だから、何だっていうの。あたしにとってロミは、この国で初めてできた友達で、今や大事な
「レイリ……」
「教会の手前勝手な都合なんて、知ったこっちゃないわ。尻尾巻いて逃げるのはあんたの方よ、リーシャ!!」
「ならば、あなたも障害として排除するまでのこと」
「上等よ!! やれるもんならやってみなさい!!」
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