第21話

「なるほど、これは凄まじい切れ味だ。人の身体を、まるで抵抗なく貫くことができるとは」

「へ、ルマ……」


 こいつ……いつの間に、背後を。戦いに集中していたとはいえ、あたしに気配を一切悟らせないなんて。刀を引き抜かれ、支えを失くした身体がぐらりと崩れ落ちる。耐えがたい吐き気にたまらず嘔吐すると、口からあふれたのはおびただしい量の鮮血だった。


「あ……ゲボッ、ガ……ぇほっ……」

「ふふ……私が剣を扱えぬとでも思ったかね? これでも若かりし頃は、親衛隊の隊長を務めていたこともあってね」

「レイリーーーーッッ!!」

「さて、少しばかりあっけないがここで幕切れだ。後は、そこの魔術師を片付けさえすれば……む?」

「よくも、レイリを……ッッ!!」


 激情に駆られたロミが発動させた氷嵐の魔術が、ヘルマン伯の身体を瞬時に包み込む。苦悶の声をあげる間もなく、氷像と化した伯爵の身体が粉々に砕け散った。


「レイリ!! レイリ、しっかりなさい!!」

「ぁ……ロ、ロミ……。ご、め……ドジ、ったわ……」

「喋らないで!! ああ、私がついていながら……何て、こと……」


 全身にまるで力が入らない。心臓をやられると、こんな風になってしまうのか。傷の痛みでさえ他人事のようにしか感じられず、刻一刻と流れ出る血と共に体温が急速に奪われていく。

 ああ、これは駄目だ。助からない。直感的に、それがはっきりと理解できてしまう。


 ふわりと柔らかな感触。駆けつけたロミが、血みどろになるのもお構いなしで抱きかかえてくれたらしい。ぼんやり見上げた顔はすっかり取り乱し、涙でぼろぼろになっていた。


「はは……あんたのからだ、あった、かいわね……。ねえ、ちょっとだけ、そのままでいて、くんない……?」

「何を馬鹿なことを言ってるの!! 気をしっかりと持ちなさい!!」


 必死の形相で呼びかけてくれてはいるが、恐らく彼女自身にもわかっているのだろう。秘薬の調合に長けてはいるものの、ロミは治癒術の類いの一切を使うことができない。迅速な処置が必要とされる重傷に対し、彼女はあまりにも無力なのだ。

 この場にリーシャがいてくれたなら、もう少し話が変わってくるのかもしれないが……まあ、ない物ねだりをしても仕方がないか。

 ……マズい、何だか無性に眠たくなってきた。このまま目を閉じてしまえば、二度と目が覚めることがない確信があった。

 まさか、こんな形で最期を迎えることになるなんて。まったく、締まらないったらない。


「ねえ、ロミ……。羅刹刀、なんだけどさ。これ、あんたが預かっといて、くれる……?」

「何を、言って」

「もし、あたしの国から……そいつを、探しにき……人が、きたら、返し……、ごめ……」

「やめなさい!! そんな、遺言みたいな真似……っ!!」

「けど、さ……こんな、こと……あんた、にしか……頼め、ないしさ……。犬にでも、かまれた……って思って……おね、が……」

「レイリぃっ!!」


 腕に抱かれたまま、急速に意識が遠のいていく。もう、目を開けていることすら億劫だ。

 瞼の裏に浮かんできたのは、何故だかあの、しかめっ面をした親父の顔。今際の際に出てくるのが、よりにもよってあいつだなんて。

 親父の傍に寄り添うように立つ、年若い女性の姿があった。紫紺の髪を長く伸ばしたその人は、おぼろげにしか記憶のない母親だろうか。こんなものが見えるなんて、いよいよもってあたしは……。


「……させないわ」

「ぇ、ぁ……」

「死なせない。こんなところで、死なせたりするものですか。あなたのことは私が助ける。例え、この私のすべてを、懸けたとしても……!!」


 うっすらと目を開ける。すでに視界はぼやけて用をなさなかったけど、思わずそうさせてしまう程の決意が声音には込められていた。見上げたロミの手に、まばゆい魔力の光が灯る。


「――夜景の魔女の名において、今ここにひとたびの秘跡を。我は旧きことわりの伝道者。我が身に宿りし月神の叡智よ。夜天を渡る無窮の翼を彼の者へ」

「ロ、ミ……?」


 彼女が紡ぐ耳覚えのない詠唱と共に、膨大な魔力が流れ込んできた。魔術とも治癒術とも、法術とも異なる未知の力が、あたしの中を静かに満たしていく。

 その時、奇妙な浮遊感があたしの身体を包み込んだ。月の光を思わせる蒼銀の輝きが、閉ざした目蓋の内側までをもまばゆく照らしだす。

 どこからともなく、風鳴りのような音がした。凪は徐々に激しさを増し、嵐となってあたしを何処かへと運び去っていく。絶望的だった死の気配さえ、遠く彼方へと引き離し――。


  ◆


「ようやく来たわね。準備はいい?」

「……へ?」


 涼やかな声としんと冷えた夜空が、あたしの意識を覚醒させた。メイド服に身を包んだロミが、怪訝そうにあたしの顔を覗き込んでいる。


(……メイド服?)


 ちょっと待て。どうしてロミは、またそんな格好をしてるんだ?

 と、そこで自分の服装の違和感にも気付く。胴衣の上から無理やり着込んだメイド服が、今にもはちきれんばかりにぱっつぱつになっていた。


 さっきまで感じてた痛みは、綺麗さっぱり消え失せている。貫かれた心臓どころか、エイブラハムにやられた手傷まで、まるで何もなかったかのようだ。


「レイリ?」

「ねえ、あいつは……ヘルマン伯は、一体どうなったの?」

「あなた、本当に大丈夫なの? これから、その伯爵の保管庫へ忍び込むところでしょう?」

「は……はぁあぁぁっ!?」

「この馬鹿、声が大きいわよ!! 見張りの衛兵に、見つかりでもしたらどうするの!?」

「いや……だって、あんた……」

「さっきから、何を訳のわからないことを言っているの。寝ぼけるにしても、時と場合というものがあるでしょう」


 ロミは嘘をついたり、すっとぼけてる雰囲気じゃなかった。

 改めて、周囲を見回してみる。ここは保管庫に忍び込む前にロミと待ち合わせをしてた裏庭か。まったくもって話が見えない。あたしは白昼夢でも見ていたというのだろうか?

 ……いや、そんなはずがない。背後から刃を突き立てられた時の、あの冷たい感触。流れる鮮血と這い寄る死の感覚は、今でもまざまざと脳裏に焼き付いている。あの生々しい体験が、ただの夢などということは断じてあり得ない。


「あんたがやったの、ロミ……?」

「どういうこと? 私は別に、何も……」


 だったら、あの時の決意に満ちた言葉は何だったというのか。ロミ自身が覚えてないというのでは、地下で起きた出来事が現実であったかを確かめる術もない。

 その時、ふと身体を温かいものが包み込んだ。混乱するあたしを見かねたロミが、抱きしめてくれたと理解するまで少しかかった。


「ロ、ロミ……?」

「レイリの身に何があったのか、今の私に知る術はないわ。でも、もしあなたが何かを見たというのなら、決してそのことを忘れては駄目。それはきっと、無駄にしてはいけないことだから」

「……うん」


 やはり、ロミは何か知っているのだろうか。依然として、あたしの疑問は解消されないままだ。

 だけど、今ので不思議と気持ちが落ち着いてきたような気がする。こうして抱かれているのは、少しばかり照れ臭くはあったけど。


「さあ、行きましょうレイリ。あなたが探し求めていたものは、すぐそこにあるのだから」

「そう、だったわね。行きましょう。今度こそ、羅刹刀を取り返しに」

「ええ」


  ◆


 そこから先は、まるで舞台の再演を見ているかのように事が進んでいった。ロミによって無効化された防犯機構をかいくぐり、寝室前の兵士を魔術で眠らせ、地下室を降りたところでヘルマン伯と再び対峙する。

 やはり、あたしが体験したことは夢などではなかったと改めて確信した。ロミが集めてきた手がかりによって追い詰められた伯爵は、あたし達を葬り去ろうと手勢を差し向けてくる。


 変化が生じたのは、衛兵を蹴散らした後に現れたエイブラハムとの再戦だった。苦戦を強いられた相手とはいえ、すでに手の内を知り尽くしているのだ。向こうのペースに乗せられることなく、持ち前の機動性を活かして相手を追い詰めていく。


「……何故だ。何故、こちらの太刀筋をこうも容易く読みきれる。君と剣を交えたことなど、私は一度たりともないはずなのだがな」

「さあね。そんなの、こっちが聞きたいくらいだわ」

「世の中というのは広いものだ。君のような若輩に、ここまでいいようにされるとは。私もまだまだ、未熟だったということか……」


 その後も危なげなく戦いは進み、あたしは優位を崩すことなくエイブラハムを打ち倒した。少しばかり汚い手を使ってしまった気がするが、おかげでかなりの余力を残して彼を制することができた。

 さて、ここからが本題だ。崩れ落ちたエイブラハムを見下ろしたまま、全神経を集中して不意打ちに備える。


「駄目よレイリ、まだ終わってないわ!!」

(――そこか!!)


 ほんの僅かに発せられた殺気に反応し、背後から迫る刺突を牛刀で迎撃した。甲高い金属音と共に、伯爵の手にした羅刹刀が弾き飛ばされる。


「何とぉッッ!?」

「二度も同じ手を、喰らってたまるかってのよ!!」


 驚愕に目を見開く伯爵めがけ、全力で疾走する。あたしを相手に気配を悟らせず、背後をとる実力は間違いなく本物だ。

 しかし、その心根ゆえか攻め手にここ一番の気迫というものがない。初撃さえ凌いでしまえば、エイブラハムより与しやすい相手といえた。


「終わりよ、ヘルマン伯!!」

「ぬうぅっ!!」


 すくい上げるような一撃で、羅刹刀が宙高く舞いあがる。空中でそれを掴み取ったあたしは、奴の脳天に勢いよく峰打ちをお見舞いしてやった。


「ぐ、おおっ……」


 一度は殺された相手に情けをかけるべきか躊躇したが、気絶させるだけに留めておく。不殺を心がけてる訳でもないが、こんな奴は殺すほどの価値もない。後のことは、じきに駆けつける対立勢力とやらが何とかしてくれるだろう。


「……ふう」


 ヘルマン伯の手から朱塗りの鞘を奪い、刀を収める。引きちぎられた下緒の他、目立った損傷は見当たらない。ひとまずはこれで、一件落着というところか。


「やったわよ!! あんたのおかげで、ようやく……」

「う……くっ……あ、ああっ……!!」

「ロミっ!?」


 喜び勇んで振り返った先で、ロミが苦しみ悶えていた。

 彼女は頭を抱えてうずくまったかと思うと、力なくその場に倒れ伏したのだった。

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