第20話

「その言葉を待ってたわ!!」


 ロミの合図を受け、あたしはメイド服を勢いよく脱ぎ捨てる。屋敷からの脱出に備え、下にあらかじめいつもの胴衣を身に着けていたのだ。おかげで相当に着ぶくれしてしまい、動きにくいったらなかった。

 一方のロミはというと、身に着けていた衣装が闇へ溶け落ちるように消え失せ、次の瞬間にはローブと尖り帽へ様変わりしている。ていうか、何なんだそれ。そんな真似ができるなら、あたしにもやってほしかったぞ。


「得物もなしで、俺たちに敵うとでも……ぐおぁっ!?」

「残念。一応は用意してきたのよね、これが」


 突きかかってくる槍の穂先を切り落としつつ、返す刀で相手の顎先をかち上げる。あたしの手に握られているのは、厨房からちょっぱってきた大振りの牛刀だ。ないよりマシといった代物だが、このぐらいの相手ならばどうってことはない。


「な、舐めやがってぇっ!!」

「クソッ!! たかが女二人に、何を手間取っているんだ!!」


 怒号と共に襲いかかってくる連中の攻撃を難なく躱し、ちぎっては投げ、ちぎっては投げを繰り返す。あいにくとこんな輩が束になってかかってこようと、まったくもって負ける気などしない。

 振りかぶった刃を弾き返し、すれ違いざまに峰打ちで打ち据える。背後を狙ってきた敵を回し蹴りで昏倒させ、飛びかかってきたもう一人の眉間に肘鉄をお見舞いしてやる。

 ロミはロミで持ち前の魔術を駆使し、次々に兵士たちを地面に沈めていた。あたし達が動くたびに、伯爵の手勢がみるみるうちに数を減らしていく。


「そこまでにしてもらおうか、お嬢さんがた」

「……へえ。奇遇じゃない、こんなところでまた会うなんて」


 あたし達の前に立ちはだかったのは、竜瞳の意匠が施された甲冑に身を包んだ壮年の男――街の詰め所で顔を合わせた衛兵たちの隊長、エイブラハムだった。


「我が部下ながら、情けない限りだよ。まさか、君らがここまでの手練れとは思わなかった。無理やり難癖を付けてでも、捕縛しておくべきだったと後悔しているよ」

「そっちこそ、まさか伯爵の護衛をやってるなんて思いもよらなかったわ。あの時は、まんまと食わされたって訳ね」

「好奇心が寿命を縮めたな。冒険者というのは、つくづく命知らずな連中が多いらしい。……ああ、あのガラントとかいう男も、元冒険者だったか」

「もしかして、ガラントを殺したのも……」

「奴は不遜なことに、脅迫まがいの交渉まで持ちかけてきたからな。当然の報いだよ。さて、無駄話はここまでだ。君たちにもご退場願うとしよう」


 長剣を抜き放って構えた瞬間、エイブラハムの帯びていた空気が一変する。この男、あたしが想像してた以上にできるようだ。


「剣を取りたまえ。そんなもので、私の相手が務まるとは思わないことだ」

「そう? んじゃ、お言葉に甘え……てッ!!」

「む……ッ!?」


 刃こぼれした牛刀を投げつけ、その隙に床に落ちていた衛兵の剣を拾いあげる。

 エイブラハムは投げつけられた牛刀を事もなげに払いのけ、あたしの打ち下ろしを正面から受け止めた。


「なるほど、いい踏み込みだ。こんな状況でもなかったら、うちの隊に勧誘したいところだよ」

「冗談、冒険者以上に願い下げよっ!!」


 二撃、三撃。慣れない長剣での立ち回りとはいえ、あたしの連撃をこうも完璧に捌いてくるとは。やっぱりこいつ、ただの衛兵なんかとは一線を画す実力だ。

 咬合する剣を巻き込むような動きで、巧みにこちらの体勢を崩そうとしてきた。咄嗟に身を引いたところへ、すかさず追撃が飛んでくる。

 フェイントを交えた鋭い斬り上げ、そこからの息もつかせぬ刺突攻撃をどうにか身を捻って回避するも、痛みと共に頬を生温かい感触が伝っていく。


「今ので仕留めるつもりだったのだがな。若いのに、なかなか大した腕をしている」

「……そりゃどうも」

「レイリっ!!」

「平気よ!! ロミは周りの雑魚どもの対処をお願い!!」


 そうは言ったものの、実際は楽観できるような状況ではなかった。

 この男の剣の腕前は本物だ。これまで様々な相手と剣を交えてきたが、その中でも間違いなく強敵と呼んで差し支えないだろう。

 これが騎士王国として名高い、この国の騎士の実力か。切望して止まなかった強敵との立ち合いが、こんな形で実現するとは。まったくもって、皮肉が効いている。


「戦いの最中に考えごととは、余裕だな!!」

「ぐッ……!?」


 繰りだされた前蹴りを、辛うじて剣の腹で受け止めた。甲冑の重量まで上乗せされた蹴りの衝撃力で、あたしの身体が後ろに弾き飛ばされる。

 あろうことかエイブラハムはそのまま床を蹴って、飛び退るあたしに追いすがってきた。

 迫る猛攻に対する迎撃を、自由の利かない空中で余儀なくされる。横薙ぎで放たれた剣閃を弾き返したところまではよかったが、次撃の叩きつけるような袈裟切りに反応が追いつかなかった。直撃こそどうにか免れたが、掠った胸当てが切り裂かれ、留め具もろともに宙を舞う。

 殺しきれない勢いのまま、あたしは背中から床に叩きつけられる。肺の空気が絞りだされ、一瞬だが意識が飛びかけた。


「かは……ッ!! げほッ、ごほッ……!!」

「ここで殺すには、いささか惜しい逸材だな。状況が許すなら、本気で勧誘したいが……これも仕事だ、悪く思うなよ」

「はぁ……はぁ……ッ。何度も、言わせんじゃないわよ。誰が、あんたらの仲間になんてなるかっての……」

「そうか。では、心置きなく始末できるというものだ」


 剣を支えにどうにか立ち上がるも、エイブラハムの優勢は覆らない。対するあたしはというと、深手はなくともあちこちに傷を負って満身創痍だ。これ以上戦いが長引けば、先に力尽きるのはあたしの方だろう。


「意地を張るのはよしなさい、レイリ!! このままでは、本当に死んでしまうわよ!?」

「手出しは、無用って言ってんでしょ……。これは、あたしの戦いよ……ッ!!」

「いい気迫だ。だが、それもいつまで保つかな?」


 悲痛なロミの声を突っぱね、あたしはエイブラハムへと向き直る。

 この男は間違いなく強い。洗練された立ち回りと、それを裏打ちする優れた身体能力。海を渡ってやって来てからというもの、ここまで苦戦した人間は初めてだ。……だが、こいつはまだまだ最強にはほど遠い。


 あたしの脳裏には、ある一人の少女の姿が浮かんでいた。

 ――リーシャ。あの地下遺跡で剣を並べて戦った、光王教会に所属するという修道女シスター。身の丈を超える大剣を自在に振り回し、並み居る妖魔や悪魔どもを容赦なく斬り伏せていた。

 彼女の持つ規格外の力と比べたら、エイブラハムの剣術など児戯にも等しい。あたしはまだ、リーシャと剣を交えてすらいない。あいつとの決着を付けるより前にくたばるなんて、そんなもったいないことがあってたまるか。


「いくわよ、エイブラハム!!」

「む……っ!?」


 虚を突かれたエイブラハムが声をあげる。

 何故ならば、あたしは自らの手にしていた長剣をその場に投げ捨てたからだ。徒手空拳となったあたしに向かって、躊躇することなく雷速の突きが放たれる。


「勝負を捨てたか、小娘!!」

「まだまだぁッッ!!」


 突き出された切っ先を、とんぼを切って後ろに躱す。転がった先に落ちているのは――あいつにあえなく弾き飛ばされてしまった牛刀だ。


「仕切り直しといこうじゃない。ここからが本番よ!!」

「何ッ……!?」


 牛刀を掴み取るや否や、あたしは床を蹴ってエイブラハムに肉薄する。まさか、再び突っ込んでくるとは思ってなかったのだろう。未だ同様を隠しきれないエイブラハムを、一気呵成に攻め立てる。


「うおぉぉぉおおおッッッ!!」

「く……ッ!!」


 矢継ぎ早に繰りだされる斬撃の嵐。ことごとくを捌かれてはいるものの、少しずつエイブラハムの顔に焦りが浮かんでいく。


(これならば……いけるッッ!!)


 最初に奴の誘いに乗って、長剣で打ち合うような真似をしたのがそもそもの間違いだったのだ。元よりあたしの剣術は、一撃の威力より速さと手数に重きを置いている。

 そこであたしが採った選択は、長剣を捨て去り自分の土俵へ相手を引きずり込むことだった。

 長剣から牛刀に持ち替えた結果、あたしの剣速は倍以上にまで加速していた。リーチや威力において大きく劣るが、その不利を補って余りあるアドバンテージでエイブラハムを圧倒する。

 それに加え、得物を変えたことで生じた間合いの変化が、奴のリズムを大幅に崩していた。ひとたび懐に潜り込んでしまえば、長剣では立ち回りが逆に窮屈になる。


「馬鹿な……そんな、鈍らナマクラ一本で……ッ!?」

「逃がすかぁッッ!!」

「う、おおぉ……ッッ!?」


 必死で距離を取ろうとするが、そうはいかない。牽制に放たれた斬撃や蹴りを紙一重で躱しながら、後ずさるエイブラハムに迫る。

 とはいえ、所詮は調理用の刃物に過ぎない。ひとたび奴の剣撃をまともに受ければ、あっという間に使い物にならなくなってしまうだろう。この勢いのまま、一気に畳みかけるしかない。


「な、何という剣さばきだ……この私が、ここまで圧倒される、とは……ッ!!」

「これで、とどめぇッッ!!」

「ぐぅっ……!!」


 エイブラハムを追い詰めるべく、あたしはさらに前へと踏み込んだ。無数の斬撃を縦横無尽に叩きつける乱舞技、嵐刹ランセツ。限界を遥かに超える負荷に、牛刀がぎしりと悲鳴をあげ始める。

 彼が長剣を手放すのと同時に、牛刀の刀身が粉々に砕け散った。残った柄の部分を、奴の顔面に思いっきり叩きつける。


「がッ……!!」

「はっ……はぁッ……」


 眉間に炸裂した強烈な一撃で、さしものエイブラハムも糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。肩で息をしながら周囲を見回すと、立っている衛兵の姿は一人もいない。


「どうにか、勝負あったみたいね……」

「駄目よレイリ、まだ終わってないわ!!」

「……え?」


 声をあげるのと、ほぼ同時に。熱くて冷たい、鉄の感触があたしを貫く。

 自分の胸元から突き出した片刃の切っ先――羅刹刀の刀身を見て、ようやくあたしは後ろから刺されたのだと理解した。

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