第19話
モニカから聞いた話によれば、祝賀会は一週間後に行われる予定なのだという。王国の内外から名だたる貴族が招かれ、屋敷の人間が総出で来賓をもてなすらしい。
つまり、当日は屋敷内の注意が少なからず散漫になるということ。羅刹刀を奪い返すには、またとない好機といえる。
あたしはロミと打ち合わせた結果、祝賀会の夜を決行日と定めた。屋敷の構造や警備体制を改めて徹底的に調べあげ、当日に向け綿密に計画を組み立てていく。
無論、失敗など許されない。これを逃がせば、刀を取り戻す機会からは大きく遠ざかってしまうだろう。
長いような、短いような一週間が過ぎ去り、いよいよ運命の夜がやってきた。
戦場さながらの様相を呈するキッチンから、あたしは人知れず抜け出していた。後で問題になるだろうが、どの道この屋敷からもこれでおさらばだ。ロミも同じように仕事を抜け、合流地点で落ち合う手筈になっている。
屋敷から死角となる裏庭の一角に、ロミの姿はすでにあった。夜空に浮かぶ月は真円を描いており、青白い月光が周囲を冴え冴えと照らしだしている。
「お待たせ、ロミ」
「ようやく来たわね。準備はいい?」
「当然」
お互いに軽く頷きあい、あたし達は行動を開始した。見張りに当たっている衛兵の巡回ルートは、あらかじめ頭に叩き込んである。足音を殺しながら歩を進め、屋敷の主であるヘルマン伯の寝室を目指す。
屋敷内には魔術の枠を結集して作られた防犯機構が幾重にも張り巡らされていたが、そのことごとくをロミが無力化していった。盤石を誇る守りの主だった部分を魔術に依存していることが、結果的に仇となったのだ。
もっとも、並みの魔術師では理解さえおぼつかない複雑怪奇な術式を解析し、装置その物を損なわず欺瞞することなど想定されているはずもない。恐るべきはそんな芸当を、顔色ひとつ変えずにやってのけるロミの圧倒的な手腕だった。
程なくしてあたし達は、目的の部屋の前まで辿り着いた。扉の前には完全武装に身を包んだ衛兵が二人立っている。宴席の浮ついた空気にあてられてなのか、彼らの表情には緊張感の欠片もない。
(どうする? 大した相手じゃなさそうだけど、あれじゃ気付かれずに突破するのは難しそう)
(そうね……。彼らには少しの間、眠っていてもらいましょうか)
愛用の長杖ではなく、小ぶりな
単純な
寝室内に鎮座する、大きな天蓋付きベッドに人影はない。部屋の主である伯爵は、大広間で賓客の相手をしているはずだ。収集品の収められているであろう保管庫へと通じる入口は、強固な魔術による封鍵が施されていた。
本来は伯爵本人が持つ鍵でのみ開かれるであろう扉の前に立つと、ロミは厳かな声で
「鉄鍵、銅鍵、金鍵、銀鍵――七つの鍵の力を以て、あまねく扉をここに開かん」
やがてカチリという小さな音と共に、開かずの扉はひとりでにゆっくり開いていく。扉の奥は地下室へ降りる螺旋階段に続いており、その先には豪奢な屋敷の玄関ホールにも匹敵する広大な空間が広がっていた。
無数の収集品の数々は、ガラス製のショーケースにそれぞれ安置されていた。周囲から感じる得体の知れない圧迫感は、それらの内に秘められた凄みによるものだろうか。
恐らく、売りに出せば法外な値で取引されること請け合いの代物揃いなのだろう。しかし、あいにくとそんなものに興味はなかった。あたしが求めるのはただ一つ、自らの愛剣である羅刹刀のみ。
ガラスケースに収められたひと振りひと振りを丹念に吟味していくが、肝心の羅刹刀が見当たらなかった。
まさかここへ来て、空振りなどということもあるまい。困惑を覚え始めたその時、背後から唐突に声をかけられる。
「お探しの品は、もしやこれかね?」
「ッ!?」
咄嗟に振り返ると同時に、落とされていた照明が一斉に灯された。
声の主の正体はすぐに知れた。仕立ての良いスーツに身を包み、口元に髭を蓄えた壮年の男性。この屋敷の主人である、蒐剣伯ことヘルマン伯爵に他ならない。
ヘルマン伯の背後には、彼の手勢と思しき兵士がずらりと控えている。そして、彼が手に携えているのは、朱塗りの鞘に納められたひと振りの刀――言うまでもなく、あたしの羅刹刀に他ならなかった。
「ネズミがこそこそと嗅ぎ回っているとの報告を受けていたが、君らがそうだったか。まったく、雇い入れる使用人の素性くらい、きちんと調査してもらいたいものだ」
「……どういうこと? 今は、祝賀会の真っ最中じゃなかったの?」
「会場でお喋りに興じているのは、
祝賀会が開かれれば、あたし達が動くと踏んでのことか。あまりにも上手くいきすぎていると思ってはいたが、どうやら罠にかけられたらしい。
「それにしても、実に見事な手際だ。侵入者を泳がせて捕らえるつもりだったが、よもや屋敷中に設置された機構を、すべて無効化されるとは思いもよらなかった。今後は魔術を用いた侵入への対策も、検討せねばならんな」
「羅刹刀は元々、あたしの家に伝わる物。あんたがガラントを殺してそいつを奪ったことは、とっくに調べがついてんのよ!!」
「なるほど、この剣の銘は羅刹刀というのか。しかし、随分と人聞きの悪いことを言ってくれる。君は自分がこの剣の持ち主だと言い張りたいようだが、その証拠はあるのかね?」
「っ、それは……」
痛いところを突いてくる。今まで集めてきた手がかりは、どれもが状況証拠に過ぎない。
決定的な物証がない以上、この場でヘルマン伯を追求することは難しいと言わざるを得なかった。こちらに分がないと見たのか、伯爵が愉快そうに口元を歪める。
「それとも、あるのかね? この剣が間違いなく君の物であるという、確たる証拠が」
「証拠ならありますわよ、ヘルマン伯爵」
「ほう……?」
口を開いたのは、それまで隣で事の成り行きを静観していたロミだった。
「面白い。ならば、その証拠とやらを見せてもらおうではないか」
「ええ。伯爵はこれが何であるかご存知かしら?」
そう言って懐から取りだしたのは、すり切れてボロボロになった紐状の残骸だった。
赤黒い血にまみれており、一見しただけで判断できなかったが、見間違えようはずがない。あれは間違いなく――あたしの目が、伯爵の手元へ吸い寄せられていく。
「何かね、その薄汚れた紐は。それがこの剣を関係があるとでも?」
「レイリ、あなたならこれが何かわかるでしょう?」
「当たり前でしょ。それはあたしが、刀の鞘に括りつけてた
「ガラントが殺害されていた、裏路地の廃屋に打ち捨てられていたわ。恐らくは、争っている間に千切れてしまったのでしょうね。装飾の一部を損ねたことが発覚すれば、叱責を受けると判断したのでしょう」
伯爵の持つ刀の鞘には、本来あるべきはずの物がなかった。それどころか、下緒の括りつけられていた部分に日焼けの跡がくっきり残っている。それまで余裕を保っていた伯爵の顔に、僅かばかりの動揺が走った。
「馬鹿馬鹿しい。そんな物が、本当に証拠になるとでも思っているのかね?」
「無論、これだけでは不十分でしょう。ですが、これならばどうです?」
「なっ……。そ、それは……」
続いてロミが取りだしたのは、封蝋が施された一通の書簡だった。伯爵直々のサインが記されたそれは、ガラント殺害に対する捜査の一切を打ち切る旨が記されたものだ。
「他にもまだありますわよ。あなたがこれまでに犯してきた悪行の数々、とりわけ犯罪組織と通じて行なっていた不正に関する記録も」
「すごいじゃない、ロミ!! よくそんなものまで用意できたわね!!」
「……あのね、レイリ。私が何の策も講じず、こんな無謀な作戦に付き合うと思って? あなたに表立って動いてもらっている間、私は裏で証拠集めを進めていたのよ」
しれっと言ってのけるロミを目の前にして、あたしはもはや返す言葉もなかった。
こうなれば、一気に形成逆転だ。伯爵は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、忌々しげにこちらを睨みつけてくる。
「……それだけではあるまい。お前たちが入手した情報、裏で誰が糸を引いている?」
「流石に察しがいいですわね、伯爵。端的に言ってしまえば、あなたは少しやりすぎた。ヘルマン伯を疎ましく思う勢力の一派が、私たちに便宜を図ってくれたのです。あなたの失脚を、手引きすることを条件にね」
「ク、ククク……なるほどな、罠にかけられたのはこちらという訳か」
いまいち話が見えてこないが、ロミやルイゼが潜入前に手回しをしてくれていたらしい。
何がおかしいのか、伯爵は肩を震わせ喉奥でくぐもった笑いを漏らした。ひとしきり笑い終えた後、彼は衛兵たちに目配せを送る。伯爵の合図を受けた衛兵たちが、あたし達を逃がすまいとにじり寄ってきた。
「じきにこの屋敷には、あなたを拘束するため騎士団が乗り込んできますわ。大人しく投降されることをお勧めしますが?」
「私の収集品を、こんなところでむざむざ奪われてなるものか。騎士団の到着より先に、お前たちを始末すればいいだけの話だ」
「往生際が悪いわよ、伯爵!!」
「丸腰の小娘二人に、何ができるというのだ。お前たち、やってしまえ!!」
油断なく武器を構える衛兵たちを前に、ロミが不敵な笑みを浮かべる。
「待たせたわね、レイリ。思いっきり暴れてらっしゃい!!」
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