第18話

 それから、しばらく経ったある日。

 いつも通りに朝の業務をこなし、次の仕事へ向かおうとした時のこと。本館へ続く渡り廊下を歩いていると、前方で麻袋のような物がじりじりと這いずり回っているのが見えた。

 ……もとい。動いてるのは麻袋ではなく人間だ。正しくはひと抱えほどある袋をいくつも担ぎながら、えっちらおっちらとメイドさんが歩いてるのだ。


(確か、あの子は……)


 くせのあるブルネットの髪と、そばかすの浮いた純朴そうな顔立ちの少女。確か、名前はモニカといったか。あたしと同じくハウスメイドとして雇われており、半年前くらいからこの屋敷で働いているらしい。つまりは、あたしより少し先輩ってことになる。

 しかし、それにしたって危なっかしい足取りだ。使用人の中でも一際小柄な彼女は、お世辞にも荷運びに向いているとは思えなかった。あの調子では、いつ転んだっておかしくない。


「手伝うわ。どこまで運べばいい?」

「え? あ、えっと……レインちゃん、だったっけ?」


 驚かさないよう声をかけ、相手の返事を待つことなく荷物を取りあげる。

 肩にずしっとくる重さ、中身は燃料に使ってる石炭か。この量をここまで運んでくるのは、さぞかし骨が折れただろう。


「何だったら、そっちの荷物も持とうか?」

「い、いいよ! そこまでしてもらったら悪いし!!」

「そう? それじゃ、行きましょっか」


 彼女の負担が大きくなりすぎないよう、歩調を合わせてゆっくり歩くことにする。

 厨房の脇にある、食材やら日用品やらの保管された貯蔵庫が目的地らしい。そこへと向かう道すがら、モニカはしきりに恐縮しながら話しかけてきた。


「ごめんね、わざわざ手伝ってくれて」

「気にしないで。でも、こんな量の荷物を一人で運ぶってのは無茶じゃない? 他に誰かいなかった訳?」

「えっと……でも、これはわたしが頼まれた仕事だから……」


 歯切れが悪そうに口ごもり、気まずそうに視線を逸らす。これは何かありそうだと思った直後に、背後から鋭い声が飛んでくる。


「ちょっと、モニカ!!」

「あ……。フラン、さま……」

「他人に手伝ってもらっていいなんて、一言も言っていませんわよ。一体、どういうつもりですの?」


 まなじりを吊り上げ、食ってかかってきたのは派手な金髪を肩まで伸ばした少女だった。歳はあたし達より少し上だろうか。姿格好こそ同じメイド姿をしているが、使用人にしてはやけに態度がデカい。

 フランと呼ばれたメイドの後ろには、何人かの取り巻きらしき少女の姿もあった。一様に小馬鹿にしたような表情を浮かべており、いけすかないったらありゃしない。

 しゅんとした様子のモニカの前に立ちはだかると、あたしは腕組みをしてこちらを睨めつける金髪へきっぱりと言い放った。


「別に、モニカに頼まれたって訳じゃないわ。この子が困ってるようだったから、勝手に手伝ってただけ。何か文句でもあんの?」

「確か、あなたは新入りのメイドですわね。自分の仕事はどうしましたの?」

「あんたに言われるまでもなく、これが片付いたら戻るわよ。お供を連れて嫌味を言うような暇があったら、モニカの仕事を手伝ってあげたらどうなの?」

「まあ、何て口の利き方!?」

「ハウスキーパーに言いつけられたいの!?」


 あたしの言葉に色めきたって、口々に罵ってくる取り巻き連中。

 ちなみに、ハウスキーパーというのは屋敷のメイド達を統括している管理職のことだ。見下すようなフランの視線を軽くいなしていると、慌てた様子でモニカが袖を引っ張ってくる。


「だ、駄目だよレインちゃん!! この人たちは、貴族のご令嬢で……」

「ああ、だからそれで……」


 なるほど、道理でやたらと高圧的な訳だ。大方こいつらが、モニカに荷物を運ばせてた張本人ってところだろう。貴族だか何だか知らないが、女の子一人に力仕事を押しつけるとはいい性格をしてる。

 とはいえ、ここで揉めごとを起こしては潜入に支障をきたす。どうしたものかと思案してると、フランはこっちが黙ってるのをいいことにどんどん調子付いていく。


「どうやら、身の程というものを知らないようですわね。どこの田舎から流れてきたのか知りませんが、その人となりでは父親も母親もロクなものではなかったのでしょう」

「ンですって……?」

「ひッ……!?」


 思った以上に、ドスの利いた声が出てしまう。怒気を孕んだ視線をまともに受け、さしものお嬢様たちもすっかり怯えてしまっていた。いかんいかん、何を熱くなってるんだあたしは。

 緊迫した空気を破ったのは、不意に割り込んだ第三者の声だった。見ればそこに立っていたのは、騒ぎを聞きつけて駆けつけたであろうロミだ。


「何をしているの、レイン」

「ロ……レッタ、姉さん」


 ひと目で状況を飲み込んだのか、ロミはフラン達に向き直ると慇懃に頭を下げた。


「失礼をしました、フラン様。私の妹が大変な無礼を働いてしまったようで。後でしっかり言って聞かせますので、この場はどうか穏便に」

「ふ、ふん。姉の方は、まだ礼儀をわきまえていますのね。あなた方の首など、お父様に報告すればいつでも飛ばして差し上げられますのよ」

「肝に銘じておきましょう。ですが、お嬢様。権力には常に責任が付いて回ることもお忘れなきよう。このような些事に力を振りかざせば、そちらの家名に泥を塗る結果になりかねないかと」

「くっ……」


 口調こそ丁寧ではあったが、ロミの言葉には一切の反論を許さない迫力があった。結局、フラン達は悔しそうに唇を噛み締めたまま、すごすごと引き下がっていった。ふん、いい気味である。

 フラン達の姿が完全に見えなくなった後、ロミは小さく嘆息してこちらへと向き直った。そして、あたしの頬に手を伸ばすと、そのまま思いっきりつねりあげてくる。


「ひょ、ひょっほいひゃい!! いひゃいって、いっへるれひょ!?」

「あなたのことだから、何をしでかしてくれたかは想像がつくけれど。どうして、いつも、いつも、厄介ごとに首を突っ込みたがるのかしら?」

「や、やめてくださいお姉さん! レインちゃんは、わたしを助けようとしてくれただけなんです!!」


 見かねたモニカが仲裁に入ってくれたおかげで、あたしはようやく解放された。くっそー、まだ頬がじんじんするぞ。おろおろするモニカに対し、ロミは一転して穏やかな笑みを浮かべる。


「あなたもごめんなさいね。うちの妹ときたら、昔からおてんばで。使用人にでもなれば、少しは性根が丸くなると思ったのだけれど、あまり効果はないみたい」

「い、いえ、そんなことないです! おかげで助かりましたから!!」

「ところでモニカ、あいつらは一体何なの? 他にも何人か、ああいう手合いは見かけるけど」

「……あの方たちはみな、貴族のご息女なの。行儀見習いの一環として、そして何より伯爵家との繋がりを得るため、この屋敷へ奉公に来てるんだよ」


 もっとも、メイドといっても待遇には天と地ほどの差がある。キツい仕事は平民出身のメイドに押しつけ、自分たちはベッドメイクや刺繍などを申し訳程度にこなしてるというのが実態らしい。

 それすらお粗末な出来で、結局は他のメイドが後でやり直しているのだとか。


「腹の立つ話ねー。モニカも言われっぱなしじゃなく、嫌なことは嫌ってはっきり言わなきゃ駄目よ?」

「う、うん……」

「やめておきなさいな、レイン。誰もあなたのように、強気でいられる訳ではないのよ?」

「そりゃまあ、そうかもしれないけどさ……」

「考えてごらんなさい。あなたが貴族の子女と張りあって、実際に困るのはこの子なのよ? 彼女が仕事を辞めさせられて、その面倒まで見ることがあなたにできて?」


 そこまで言われてしまえば、それ以上は返す言葉もない。あたしが黙り込むのを見て、モニカがぶんぶんと大きくかぶりを振る。


「ううん、助けてもらえてわたしも嬉しかったよ!! レインちゃんみたいにはできないかもだけど、これからはもう少し頑張ってみるよ」

「そっか。なら、いいんだけどさ」


 健気にもそう言ってみせるモニカの頭を、あたしはぽんぽんと軽く叩いた。

 さて、そろそろ仕事に戻らないとマズいか。あたし達は貯蔵庫へ向かい、荷物を手分けして所定の場所へ収めていく。


「ふう、これでようやく終わりか。あいつらに何か言われたら、いつでも言って。またぎゃふんと言わせてやるからさ」

「本当に懲りないわね、あなたも」

「あはは……。あ、ありがとね」


 荷物をあらかた積み終えた頃、モニカはふと思いだしたかのように話しかけてきた。


「そういえば、レインちゃんは知ってるかな?」

「ん、何が?」

「伯爵のご子息にあたるオズワルト様が、ご婚約されたらしいの。それで今度、沢山の貴族の方々をお屋敷に招いて祝賀会を開くんだって。最近、お屋敷がばたばたしてるのは、それが原因らしいんだけど……って、どうしたの、レインちゃん?」

「……今の話なんだけど、もう少し詳しく聞かせてくれる?」

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