第23話

 あたしは勢いよく啖呵を切ると、抜き身の刃を正眼に構えてリーシャと対峙した。


 圧倒的な力を秘めた聖剣を前に、これまでであれば後れをとっていただろうが、今は違う。

 あたしが手にする羅刹刀は、我が家に代々伝わる大業物。知り得る中で最上と自負するこのひと振りならば、例え相手が誰だろうと不足はない。


「行くわよ、リーシャ!!」


 先手必勝。かけ声と共に地面を蹴り、一気に間合いを詰めて横薙ぎの一閃を放つ。しかし、リーシャはその一撃を涼しげな顔のまま受け止め、すかさず反撃を仕掛けてきた。


「く、この……っ!?」


 反応こそ辛うじて間に合ったものの、凄まじい衝撃で刀を取り落としそうになってしまう。どうにかその場で踏み堪えたところに、リーシャの容赦ない次撃が襲いかかった。

 華奢な体躯の、どこからそんな力を出しているのか。鉄塊さながらの大剣を小枝のように軽々と振るい、間断なく斬撃を浴びせかけてくる。


 地下遺跡での共闘で、彼女の力量は十分に把握してるつもりだった。だが、実際に戦ってみればその認識の甘さを痛感せざるを得ない。

 彼女は強い。今まで剣を交わしてきた中でも、間違いなく五指に入るだろう。これが本気になった、リーシャの実力だというのか。


「ッ、舐めるなぁッッ!!」


 防戦から攻勢に転じようと、切り返した一太刀を冷静に弾かれ、受け流されてしまう。返礼とばかりに繰り出される、嵐のような乱撃。そのいずれもが一撃必倒の破壊力を秘めており、あたしは後退を余儀なくされる。


「もういいわ、剣を引きなさいレイリ!!」

「っ……ふざっけんじゃないわよ!! あんた、自分が殺されかけてるって自覚あんの!?」

「けど、このままではあなたまで……!!」

「あーもう、うっさい!! そこで黙って見てなさい!!」


 ロミの制止を振り切って、再びリーシャへ挑みかかる。気遣わしげにこちらを見つめる視線が苛立たしかった。

 突然聞かされたロミの秘密、それを追って現れたリーシャの襲撃、そして今、反撃すらままならずに翻弄される自分自身。色んなものが頭の中でごちゃ混ぜになり、口から怒号として迸る。


「こン、のぉおおぉおおおおッッッ!!」

「…………」


 激したあたしと対照的に、リーシャの反応はどこまでも冷ややかだった。思いつく限りのあらゆる剣技を駆使してすら、彼女の鉄壁を崩すには至らない。

 どうして、どうしてこうも届かない。あたしの腕では、彼女に敵わないというのか。


「……これで、終わりにする」

「な……っ!?」


 重心を低く落としながら、リーシャが一足飛びに距離を詰めてくる。攻城弩もかくやという凄まじい圧と速度を乗せた突撃が、あたしにめがけて猛然と迫ってきた。

 すくい上げるような切り上げ、横薙ぎの一撃。まともに躱せたのはそこまでだった。ゴウ、と唸りをあげて迫る蒼い剣閃を、咄嗟の判断で受け太刀に切り替え迎え打った瞬間、きんと硬く澄んだ悲鳴が、手元から響いた。


「――え?」


 何が起きたかすら、理解できなかった。

 どんな強敵と相対しても、決して負けるはずなどないと確信していたあたしの羅刹刀。その刀身が半ばから折れ飛び、くるくると宙を舞って石畳に突き立った。


 茫然自失となったあたしの身体は、続くリーシャの追撃に反応すらできなかった。刀と一緒に、心まで折られてしまったかのよう。

 ……ああ。あいつガラントも剣を折られた時、こんな気分だったのかもしれないな。棒立ちで立ち尽くすあたしに、リーシャの回し蹴りが容赦なく炸裂する。


「ぐっ、がっ……!! か、はっ……」


 受け身を取ることさえままならず、地面の上を何度も転がった。戦意が完全に挫かれたあたしを一瞥すると、リーシャは大剣を手にゆっくり歩きだす。


「ロミ……逃げ、て……」


 あたしの呼びかけに、ロミは応えなかった。ただ、静かに目を伏せてかぶりを振るのみ。やがて、リーシャが目前にまで迫ると、杖を捨てて両手を大きく広げる。


「やめ、て……ロミを、殺さ……ないで……」

「……それは、できない」


 抑揚のない声で告げ、リーシャが聖剣をロミの胸元に突きつける。「ごめんなさい」という小さな呟きは、果たして誰が誰に向けたものだったのか。夜闇に燐光を放つ切っ先が、音もなくロミを刺し貫く。


「あ……あ、あぁ……っ!!」


 呪縛が解けたかのように、身体が動いた。折れた愛刀を杖代わりに立ち上がり、ロミの元へと駆け寄っていく。


「冗談でしょ、ねえ……!! 目を開けなさいよ、ロミ……っ!!」

「レイ、リ……」


 傍らで剣を下ろすリーシャには目もくれず、あたしはロミを抱きあげて必死で呼びかけた。驚くほど出血は少なかったが、確実に熱と生気が失われていくのがはっきりとわかってしまう。

 精彩を欠いた蒼い瞳で、ロミがあたしをぼんやりと見つめていた。こんな時だというのに、唇を振るわせながら不器用に笑みを作ってみせる。


「いい、のよ……これで、よかったの……」

「何がいいっていうのよ!? あんたなら、あいつから逃げることだって、戦うことだってできたはずでしょ!? なんで、なんで抵抗しないの!! なんで、そんな風に受け入れようとしてんのよ!?」

「リーシャのこと……恨まないで、あげてね。この子はただ、教会の命で動いたに過ぎない。これは人の理の、外で行われた所業……なのだから……」

「訳わかんないこと、言ってんじゃないわよ!! ねえ、リーシャ!! 今からでもこいつに、治癒術かけてよ!! あんただったら、このくらいの傷だって治せるはずでしょ!?」


 我ながら無茶を口走ってる自覚はあったけど、言わずにはいられなかった。リーシャは黙したまま何も語らず、ロミはそんなあたしを宥めるように頭を撫でてくる。


「あまり……リーシャのことを、困らせては駄目よ……」

「子供扱い、するんじゃないわよ……っ!! いっつもいっつも、あんたはそうやって、年上ぶって……!!」

「長い生の果てで、あなたという友人に出会い、助けられて……本当に、よかった。レイリの旅に、いつか答えが見つかることを……願って……」


 最後まで言い終わることなく、ロミの瞼が静かに閉ざされた。残された熱が急速に失われ、彼女の命が完全に消えゆくことを実感させられる。

 どんなに乱暴に揺さぶっても、ロミはもう応えてくれない。もう二度とお小言を垂れることもなければ、呆れたような苦笑いを浮かべることもない。


「起きなさいよ、ロミ!! 勝手に満足して、勝手に死んで……あたしは認めない、絶対に許さないわよ!!」


 愛刀を折られ、無様に負けを晒し。その挙句に、大切な相棒まで死なせて。

 何ひとつとして成し遂げることもできないまま、あたしはみじめに泣きじゃくることしか、できないというのか。


「……まだよ」


 ふつふつと湧きあがる感情の中に、僅かな熱が燻っているのを感じた。それが何かもわからないまま、藁をも掴む想いで必死に手を伸ばす。


「……何を、するつもり?」

「知れたことよ。あたしは、こんな結末なんて絶対に認めない。だから、力づくでも覆してやる!!」


 今にも消えかかる火種に、ありったけの力を注ぎ込む。火の粉は火勢を増し、小火から大炎、そして猛々しく燃え盛る劫火へと変わっていく。


「夜景の魔女の名において、今ここにひとたびの秘跡を!! は旧き理の伝道者。我が身に宿りし月神の叡智よ。夜天を渡る、無窮の翼を、彼の者へッッ!!」

「その呪文は、まさか……!?」


 詠唱は、驚くほど滑らかに口を突いて出てくれた。あの時、あたしの命を救ったロミの禁術。身の内に残された彼女の力の残滓を糧に、その再現を試みる。


「う、あ、あぁあ゙あぁあぁあ゙ぁあ゙ぁああ゙ッッッ!!」

「馬鹿な……そんなこと、できるはずがない」


 常軌を逸した魔力の奔流に、身体中の組織という組織が軋みをあげた。あたしの意識が、理性が、自らの発する灼熱によって、みるみるうちに焼き尽くされていく。


「今すぐにやめて、レイリ」

「だ、れが……やめるかぁああッッ!!」

「……正気じゃない。魔女の禁術は、決して人の身に扱えるものなんかじゃない。レイリがしてることは、いたずらに魔力を暴走させているだけ。確実に、その身を滅ぼすことになる」

「知った、ことかぁああぁアアァッッ!!」


 眼球が沸騰し、文字通り視界が真っ赤に染まる。荒れ狂う魔力の暴風に阻まれ、さしものリーシャも手が出せずにいるのは僥倖だった。彼女が本気で止めに入る前に、なんとしても術を完成させてやる!!

 おぼろげな記憶だけを頼りに、ロミが施した術式をなぞっていく。理解を超越した部分は直感で、御しきれない部分は力技でねじ伏せながら、強引に術を押し進めていく。

 イメージするのは、月夜を飛翔する白銀の鴉。今まさに失われつつあるロミの魂を乗せ、あらゆる条理を超えた空の彼方へと。


「翔べぇえぇええッッ!!」


 その絶叫を合図に、世界は白く染まった。

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