第4話

「はあ……」


 さっきから何度目になるか。数えるのも馬鹿馬鹿しくなるほどの大きなため息が漏れた。が、いくら落ち込んだところでなくなった物が出てくるはずもなく。

 宿代は前払い制だったおかげでどうにか踏み倒さずに済んだものの、これでは今日の寝床にすら事欠く始末だ。


 というか、あの業突ごうつく爺い、人が盗みに入られたってのに知らぬ存ぜぬの一点張りときた。爺いいわく、こんな安宿じゃ客の出入りなどいちいち把握してないとか何とか。

 それを承知で泊まっていたのだろう? などと言われてしまえば、こちらとしてもあまり強くは出られない。

 あたしが迂闊だったのは事実だし、こんな場所でゴネてたところで時間の無駄だ。


 金は日雇いの仕事でも探せばどうにかなるとして、問題は得物の方だった。

 代わりの武器を探すにしたところで、刀という物自体がこの国には存在しないのだ。

 試しに手近な鍛冶屋で特徴を伝えてみたところ、特注品として目の玉が飛び出るような大金を吹っかけられてしまった。そんな金額が払えるまで待っていたら、あたしはあっという間にお婆ちゃんになってしまう。


 まさか、こんな形で出鼻をくじかれることになるとは思ってもみなかった。剣を持たない剣士――ましてや、自身の得物を盗まれてしまうなど、末代までの恥晒しもいいところである。

 あたしの愛剣を盗みだした不逞の輩はいつか絶対にしばくとして、当面の食い扶持を確保しなければ話にもならない。


「……仕方がないか」


 前言をいきなり覆すようで気が進まないけど、背に腹は代えられない。

 あれこれ考えた結果、あたしはロミに教わった冒険者ギルドを訪ねてみることにした。冒険者なら荷下ろしや土木作業よりは実入りがいいはずだし、上手くすれば失せ物探しの手がかりを掴めるかもしれない。


 月桂樹に盾と双剣をあしらった意匠の看板を掲げた建物は、南街区の大通り沿いにその居を構えていた。

 入口の扉を押し開けると、まだ朝も早くだというのに酒場にも似た独特の喧騒に包まれている。もっとも、そこにたむろしているのはいずれも武装した人たちばかりだったけど。

 冒険者と思しき彼らの風貌には、まるで統一感というものが感じられなかった。屈強な男もいれば、本当にそんな仕事が務まるのかと疑いたくなる線の細い女性もいる。

 歳についても実に多種多様で、上はお爺ちゃんから下はあたしと大差ない年頃の姿も見受けられた。


 壁に貼りだされた紙切れを眺める連中の後ろをすり抜けつつ、受付のカウンターへと向かう。どことなく狐っぽい印象の女性が、手元の書類から顔をあげてこっちに話しかけてきた。


「ようこそ、冒険者ギルドへ。本日はどういったご用向きで?」

「冒険者になりに来たんだけど、どうすればなれる?」

「新規のご登録ですか。それでは、まずこちらの用紙に必要事項をお願いします」


 あたしみたいな手合いは珍しくもないのだろう。お姉さんは事務的な口調で応えると、慣れた様子で紙とペンを差し出してくる。

 空欄を埋めつつ紙面にざっと目を通していき――ある文面で、あたしの手がぴたりと止まった。


「えっと……この、登録料500レムっていうのは?」

「冒険者というのは、一種の身分証明も兼ねますので。入団審査を行う関係上、流石にタダという訳には。……何か問題が?」


 レムというのはこの辺りの通貨で、500レムは銀貨にして五枚に相当する。外で飲み食いするのに銀貨一枚かかるかどうかってとこなので、相場としては決して高くない。高くはない……のだが。


「いやー……実はあたし、持ち合わせが全然なくって。その登録料って奴、まけてもらったりすることは……」

「ビタ一文まかりません。規則ですので」


 ですよねー。受付のお姉さん、あたしが文無しとわかった途端、露骨に嫌そうな顔するんだもん。


「そこを何とかならない? 昨日の晩に盗みに入られて、全財産持ってかれちゃったのよ。お願いだから、この通り!」

「知りません。あとあなた、お金どころか武器すら持ってないじゃないですか。そんなことで、本当に冒険者が務まるとでも?」

「ゔっ……」


 けんもほろろとはまさにこのこと。糸目を見開いて、ジトっと睨む視線が痛い。むしろ怖い。

 まあ、今のはただの悪あがきだったので、最初からさほど期待はしていない。しかし、そうするとこれからどうしたものか。

 羅刹刀と財布以外の荷物は無事だったので、それらを手放せば登録料を用立てること自体は可能だろう。しかし、それはあくまで一時しのぎにしかならないし、手放した物を再び買い戻すことも難しい。


 ここは大人しく引き下がって、日雇いの仕事でも探すしかないか……。

 そう思って、踵を返そうとした時である。


「どうしたの。何の騒ぎ?」

「あら、ロミじゃない。この子がね……」


 そこに立っていたのは、大きな尖り帽を被った妙齢の女性。ロミはあたしの顔を見ると、「あなたは確か、昨日の……」と呟きながら目を丸くしている。

 これこそまさに、地獄に仏。あたしは彼女に駆け寄り、その手をがしっと握り締めた。野次馬たちの好奇の視線が一斉に向けられたが、むしろここは好都合。

 状況を掴めず困惑しているロミに、あたしはずいっと詰め寄って頼み込んだ。


「お願い、ロミ! 今すぐお金貸して!!」

「……はい?」


  ◆


「つまり……。あなたは宿屋で路銀の入った財布を盗まれ、あまつさえ愛用の刀まで盗まれてしまったと。そう言いたいのかしら、レイリ」

「ま、まぁ……。平たく言えば、そうなるかな」


 ロミはひとまずその場をとりなすと、あたしを伴ってギルド内の酒場へと場所を移してくれた。

 そして、事情を聞き終えると額に手を当て、深い、とても深いため息をつく。心なしか、彼女の視線が冷たく見えるのは気のせいではないだろう。


「呆れたわ。あなたはもう少し、しっかりしているとばかり思っていたのだけど。いつか再び会う機会があるかもというのは、そういう意味で言ったつもりではなくてよ?」

「そ、それについては返す言葉もないわ。ところでその、登録料については……」

「いいけど、わよ?」

「うぐっ……」

「冗談よ。銀貨五枚なんて、トイチで貸しても儲けになりはしないもの」


 そう言って肩を竦めると、ロミは懐から小さな巾着袋を取りだした。休憩がてら、あたし達のやり取りを見守っていた受付嬢のお姉さん――ルイゼさんが銀貨を受け取ると、呆れ顔を浮かべて口を挟んでくる。


「ねえ、ロミがそこまでする義理はないんじゃない? 言っちゃなんだけど、冒険者なんていくらでもなり手がいるわ。入団審査には実技だってあるし、自分の武器も持ってないような子じゃ、どちらにせよ……」

「残念だけど、レイリの実力については私が保証するわ。何せあのガラントを、たった一人で返り討ちにしたくらいなのだから」

「あの“黒鉄くろがね砕き”を、この子が!? ……なるほど、ロミが肩入れする理由がわかった気がするわ」


 大袈裟に驚いてみせるルイゼさん。あのチンピラの親分、そんな大層な二つ名で呼ばれていたのか。

 「マスターに話を通してくる」と言い残すと、彼女はいそいそと奥の部屋へ引っ込んでいった。事情が上手く飲み込めずにいるあたしに、ロミは苦笑混じりで説明をしてくれる。


「ガラントは元々、このギルドに所属していた冒険者なの。腕はうちでも屈指と呼べる実力者だったのだけど、とにかく素行が悪くてね。暴力沙汰や犯罪の手引きを幾度となく繰り返して、とうとうギルドから追放処分を受けたのよ。今ではとある犯罪組織の一員に収まって、裏社会で幅を利かせていると聞くわ」

「そんな奴だったら、きっちり衛兵に突き出しとけばよかった。賞金とかはかかってたりしてないの?」

「ガラントはああ見えて狡猾だから、表立って捕まえられるような罪状を持っていないはずよ。それに、この国の有力者には犯罪組織と通じてるような連中もいる。組織の傘下に収まっている以上、捕まえたところで釈放されるのが関の山でしょうね」


 なるほど。その手の輩というのはどこでも後を絶たないって訳だ。

 そして、ロミとの会話に出てきた犯罪組織という単語に引っかかりを覚える。これは、もしかしなくても――。


「それじゃ、あたしの刀を盗んだのって……」

「十中八九、ガラントの差し金でしょうね」

「あんの、■■■■野郎……ッ!!」


 あたしの口から、とても他人ひと様に聞かせられないような悪罵が飛びだす。こうなったら、何が何でもあいつを見つけだし、落とし前をきっちり付けさせてやらないと気が済まない。


「落ち着きなさいな、レイリ。ガラントの行方を追うにしても、現状ではあまりに手がかりが少なすぎるわ。それに、差し向けられたのが物盗り程度でよかったと思わないと。もし相手が暗殺専門の刺客だったりすれば、今頃は墓の下で眠っていたのかもしれないのだから」

「そ、それは確かに……」


 あたしの首筋を、冷たいものが伝っていく。部屋に侵入されても気が付かなかったくらいだ。寝込みを襲われでもしてたら、それこそひとたまりもなかっただろう。


「所詮、ガラントは直接的な暴力に訴えることくらいしかできないから、そこまでの影響力は持っていないと思うけどね。でも、下手に動いて組織そのものを敵に回せば、命がいくつあっても足りなくてよ」

「……肝に銘じておくわ」

「ギルドとしても、ガラントをこのまま野放しにするつもりはないわ。身内から犯罪者を出したとあれば、あまりに体面が悪すぎるもの。必ず尻尾を掴んでみせるから、今は機を窺うことにしましょう」


 正直、釈然としない部分もあったけど、その手の組織を丸ごと相手にするほどあたしも無鉄砲ではない。渋々ながら首を縦に振ると、ロミは満足げに微笑んで「よろしい」と頷いた。


「お待たせ。そっちの話は終わったかしら?」


 程なくして戻ってきたルイゼさんが差し出したのは、手のひらに乗る程度の小さな金属板だ。楕円形をしたそれにはチェーンが通されており、首飾りのようにぶら下げられるようになっていた。


「これが冒険者の証となるタグとなります。紛失した場合の再発行は有料となり、故意や過失の場合は降格もあり得ます。くれぐれもなくしたりしないようにしてください」


 咳払いをひとつ、改まった口調のルイゼさんからタグを受け取る。どうやら彼女、素の状態と仕事で言葉遣いを切り替えているらしい。

 真鍮のような光沢を放つプレートの表側にはあたしの名前が刻まれており、裏にはギルドの紋章――入口に掲げられていた看板と同じものだ――が刻印されていた。よその街のギルドへ行った際の身分証代わりに使ったり、店によっては優遇措置を受けられることすらあるらしい。


「入団試験とやらは、受けなくてよかったの?」

「今回は、特例という形を採らせて頂きました。あのガラントを圧倒できる実力とのことですし、他ならぬロミの推薦であれば間違いないでしょう」


 特例でそんなことが許されるということは、ロミの信用はそれなりに高いようだ。あたしに一礼すると、ルイゼさんは受付のカウンターに戻っていく。


「あなたの剣の行方については、何かわかれば知らせるようにします」

「助かるわ。ありがと、ルイゼさん」

「どういたしまして。ロミが見込んだあなたの腕、期待していますよ」


  ◆


 かくして、あたしの冒険者としての日々が幕を開けた。


 とはいえ、丸腰のままでは受けられる依頼などたかが知れている。

 手紙の配達や犬猫探し、果ては下水道のどぶさらいなど、せいぜいが体のいい小間使いといったところ。

 当然、貰える報酬額も微々たるもので、結局は日雇いの土木作業までこなす羽目になった。これじゃ、どっちが副業だかわかったもんじゃない。


 そうやって、やっとの思いで貯め込んだお金をはたいて、あたしはようやく念願の武器を手にすることができた。

 もっとも、そんな経済状況で買えるような代物なので、品質については推して知るべしである。武器屋の片隅で埃を被っていた中古品の片刃剣シミター――それでも、あたしの一月分の食費くらいにはなる――が、当面の新しい相棒だ。

 本来、両手で構える刀と片手持ちのシミターでは間合いから重心までまるで違うのだが、こんな状況では贅沢を言っていられない。


 武器さえ手に入れてしまえば、依頼の幅をぐんと広げることができる。野山での薬草採取や近隣の害獣駆除が、あたしの主な仕事になっていった。

 そこらの魔物や野盗ごときなら、今のあたしが後れを取ることなどあり得ない。実戦経験を積み重ねていくうちに、新しい剣を使った戦い方も徐々に手に馴染んでいく。


 思わぬ成り行きから始まった冒険者稼業がようやく板につき、早二ヶ月が経とうとしていたある日のこと。あたしに転機が訪れた。

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