第2章 星を射貫く閃光の剣

第5話

「そっちに行ったわ、魔狼ワーグが二体!!」

「わかってるっ!!」


 こちらの死角を突くように、背後から襲いかかる影。灰色の毛皮に覆われた魔獣の体躯は、大型の肉食獣にも匹敵する。俊敏かつ狡猾な連携攻撃で獲物を追い詰めていく様は、冒険者たちから強敵として恐れられているらしい。

 だが、所詮は獣の群れ。殺気を振り撒きながら突っ込んでくる相手の動きなど、わざわざ目で追うまでもない。


 左後方から迫る爪牙を後の先を取って斬り伏せ、もう一方は身を沈めることでやり過ごす。頭上を掠めて、前のめりになったところをすかさず一閃。耳障りな断末魔と共に、二匹の魔獣が鮮血の中へ崩れ落ちた。

 横目で視線を送ると、ロミもまた魔狼を一匹仕留めたところだった。玄室の奥には狼どもを使役していた呪い豚鬼オーク・シャーマンと、ひと際大きく屈強な食人鬼オーガーの姿がある。恐らくは、あいつがこの迷宮の首魁だろう。


「小さい奴は任せた! あたしはあの、デカいのをやってくる!!」

「ちょっと、待ちなさいレイリ!!」


 制止の声を聞き流すと、放たれた黒炎を躱しながら一直線にオーガーとの距離を詰める。追撃を仕掛けようとするオーク・シャーマンの詠唱を、青白い尾を曳く氷の魔弾が妨害した。

 あたしの身の丈を優に超え、重厚な甲冑に身を包んだあの個体は、亜人どもの中でも特別な王統ロード種と呼ばれる存在らしい。事前にロミから聞かされた情報が、駆け抜けるあたしの脳裏をよぎった。


「オ゙オ゙オオォォッッ!!」


 大気を震わす雄叫びと共に、巨大な戦斧が振り下ろされた。けたたましい破砕音をたてながら、迷宮の石畳に大穴が穿たれる。だがしかし、そこにあたしの姿はもうない。

 相手の懐に潜り込んだあたしの剣が、装甲の隙間を深々と切り裂いていた。脚の腱を断ち切ってやったというのに、オーガーの巨体は小揺るぎもしない。それどころか、傷口が泡立ち始めたかと思うと、みるみるうちに肉が盛り上がり塞がってしまったではないか。


 再生能力――それも、かなり強力な部類だ。流石に王統種の名は伊達ではないということらしい。

 長期戦に持ち込まれた日には、不利を強いられるのは火を見るよりも明らか。それならば、再生の暇など与えず一気に屠るのみ。


「行くわよ、このデカブツ野郎っ!!」


 景気付けに気を吐きながら、目標へ向かって疾駆する。

 見た目と裏腹に機敏な動作と、無限とも思える体力から繰りだされる連撃は、ひと掠りしただけで骨までごっそり持っていかれそうだ。

 だが、機動力では確実にこちらが上回っている。息もつかせぬ猛攻を捌き、あるいは回避しながら、相手を着実に切り刻んでいく。


 度重なる出血が、次第にオーガーの動きを鈍らせていった。さしもの体力馬鹿も、ここらが限界といったところだろう。


「こいつで……とどめぇッ!!」

「――グググ」


 オーガー・ロードの双眸が、ニタリと醜悪な笑みに細められた。

 ぞくりと背筋を這う悪寒に飛び退くも、予見していた斬撃は飛んでこない。


「レイリ!!」

「しまっ……ッ!?」


 かざされた奴の手から迸る赤雷が、咄嗟に身を捻ったあたしの脇を通り過ぎていく。

 王統種には魔術を操る手合いもいるというロミの忠告がなかったら、今頃は消し炭にされていたかもしれない。


 次撃に備えて身構えようとした刹那、あたしの身体を澱のような疲労感が襲った。マズい。何とか避けられたと思ったが、さっきのは呪術の類いだったか……!?

 まるで熱病にでも冒されたように、四肢の力が抜けている。いくら相手が手負いとはいえ、この隙は致命的と言わざるを得ない。

 勝ち誇った哄笑を響かせながら、ゆっくりと怪物がこちらに近付いてくる。振り上げられた戦斧が、今度こそあたしめがけて振り下ろされようとした、その時。


隕鉄の大楯エスクード!!」


 澄んだ声音と同時に展開されたのは、魔術によって編まれた鋼色の障壁。

 間髪入れずに繰りだされた次の呪文は、重圧の檻を形成してオーガーの巨体をその場に縫い留めた。


「グオオォオオォッッ!?」

「いったん退きなさい、レイリ!!」

「くっ……!!」


 萎えた両脚を叱咤し、転がるようにその場を離脱した。無言のうちに渡されたガラス瓶を受け取ると、躊躇することなく中身を飲み干す。

 例えるならそれは、煙たい泥と甘苦い薬草の混淆こんこう物。あまりにもひどすぎて、筆舌に尽くしがたい不味さではあったが、効き目については折り紙付き。あれほど全身を支配していた倦怠感が、嘘みたいに消失した。


「ありがとロミ、助かるわ」

「礼なら後になさい。今度こそ、いけるわよね?」

「当然。あたしを誰だと思ってんの」

「その言葉が減らず口でないことを願っているわ。それじゃ、遅れないでね」


 歌うような詠唱と共にロミが長杖を振るうと、その軌跡に無数の氷弾が生じた。呪縛から逃れたオーガー・ロードの外傷は、すでにその大半が再生を終えている。ここでいったん、仕切り直しといったところか。

 駆けるあたしの背中を、ロミの放った魔弾の群れが追い越していく。進路を阻まれた亜人の王は、苛立たしげに吠え猛りながら戦斧でそれらを薙ぎ払った。


 ここまでの戦闘で、奴の戦法は概ね把握することができた。呪術による不意打ちも脅威ではあったが、最も厄介なのはあの極めて強靭な肉体と再生力だろう。

 手数と速度が信条であるあたしの剣技では、あと一歩のところで決定打に欠けてしまう。仕方がない。ならばこちらも、切り札を一つ切らせてもらおうじゃないか。


「グルァアアァッッッッ!!」


 で使うのは初めてのことだったが、ぶっつけ本番でやるしかない。

 怒りに任せて突進してくるオーガーの猛攻を、紙一重の距離で躱し続ける。その幾つかは髪や肌を掠めたが、いずれも致命傷にはほど遠い。


 周囲の雑音が次第に遠ざかり、鋭利に感覚が研ぎ澄まされていくのがわかる。まだだ。焦るな。弓弦ゆづるを引き絞るかのように、気を張り詰めたままその時を待つ。

 そして、とうとう好機が訪れた。勝負に出たオーガーが戦斧を振りかぶる。極限にまで集中したあたしの目には、数秒先に起こる未来までもが幻視めいて映っていた。


「――ここ、だぁッ!!」


 奴からすれば、こちらの行動は不可解だったことだろう。

 相手の攻撃に先んじて、あたしはその身を大きく翻した。無防備な背中を晒しながら、懐に向けて跳躍。

 動きの起こりを寸分違えず捉えた一撃が、オーガー・ロードの巨体へ吸い込まれるように炸裂する。


凶槌マガヅチ!!」


 独特の体捌きによる重心移動と、刀身に乗せた闘気が合わさることで生みだされる超重。元来は武器破壊を目的として用いられるそれを、あたしはカウンターとして叩き込んだのだ。

 技の破壊力に奴自身の膂力と質量が上乗せされた結果、耳をつんざく轟音と共に甲冑の胸部が大きくひしゃげた。いかに王統種といえど、これだけの衝撃を受ければひとたまりもないだろう。


 もっとも、こちらも無事では済まなかった。骨や筋は逝ってないものの、両手が痺れて使い物にならない。一番心配だったシミターの方は、意外なことに刃こぼれ一つ起こしてなかった。安物のくせして、なかなかに頑丈な奴だ。

 だが、次の布石はすでに打たれている。あたしが動く少し前から、ロミの援護の手はぱったりと止まっていたのだ。それが意味するところとは、つまり。


「其は深き大海より生まれいずる始源の力。冷厳たる凍気をもって万物を凍てつかせよ。――絶対零度アブソリュート・ゼロ!!」


 八節にも渡る大詠唱によって紡ぎだされたのは、水と氷を司る魔術の中で最高位に位置するものの一つ。オーガー・ロードの足元から白く輝く極低温の奔流が噴きあがり、瞬く間にその巨体を包み込んだ。


「グ……ォオォォッッ!!」


 全身を霜に覆われた怪物の膝が、がくりとその場に崩れ落ちる。

 ようやく感覚が戻り始めた腕でシミターを握り締めつつ、あたしはオーガー・ロードめがけて全力疾走した。


「終わり、だあぁああッッ!!」


 渾身の力で突き立てた曲剣の切っ先が、脆くなった甲冑を突き破って心臓を深々と貫いた。怪物の身体がびくんと大きく痙攣し、目から光が失われていく。

 引き抜いた剣をひと振りして血糊を払うと、絶命した亜人の王はとうとう地面に倒れ伏した。


 こうしてあたしとロミは、迷宮の最奥に潜む王統種の討伐に成功したのだった。

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