第3話

 あたしにとっての家族というのは、常に競い合うための相手に過ぎなかった。


 母さんはあたしを産んですぐに亡くなってしまったそうだから、顔さえもろくに覚えちゃいない。

 物心が付いた頃にはすでに師範代の域に達していた兄貴たちと、総師範として門下生を率いる立場にあった父親は、例え家の中にあっても師弟としての態度を崩そうとはしなかった。


 みそっかすのあたしは、他の門下生に混じってそれこそ死に物狂いで剣を振るい続けた。だけど、先を行く兄貴たちの背中はあまりにも遠く、父親もそんなあたしのことを決して認めてはくれなかった。


「何故なのですか、父上!!」


 静謐な道場に、あたしの声が響く。

 晩婚だった父親はすでに老境に差しかかっていたものの、それでもなお往年の気迫を失っていない。長く伸ばした髭と、皺の刻まれた相貌に浮かべるしかつめらしい表情が、あたしはいつも苦手で仕方がなかった。


「どうして、彼らだけが錬士れんし号を授けられるんです!? あたしだって、あんな奴らには決して負けてない。そりゃ、兄貴たちから一本も取ることができてないのは確かだけど……それは、彼らにしたって同じはず。あたしだけ門下生のままなんて、そんなの納得できません!!」

「落ち着けよ、レイリ。それがわからないってことは、今のお前はその域に達してないってことだ」

「キョウヤにいは黙ってて!! ……ねえ、どうして父さんはあたしのことを認めてくれないの? あたしが、あいつらより年下だから? それとも、あたしが女だから? どうして、いっつもそうやって何も言ってくれないの? あたしのことを、認めてくれないのよ……っ!?」


 敬語はいつの間にかすっぱり抜け落ちてしまっていて、感情の赴くままに声を張りあげていた。

 そんなことをすれば、後でこっぴどく叱られることがわかりきっているのに、この時ばかりはどうしても自分を抑えることができなかった。


「……お前は、何もわかっておらぬ」

「ッ……」


 長い沈黙を破り、ようやっと口を開く。雷光のように鋭い視線に射抜かれ、思わず言葉を失ってしまった。いつもと同じ父の眼差し。厳格で、冷徹で、あたしのことなど気にもかけてくれない、そんな目だ。


「確かに、お前は強くなった。同い年でお前に敵う者など、我が流派はおろか、この国にはほとんどおるまいよ。だが、それだけだ。今のお前の剣は、飢えかつえる獣の牙に過ぎぬ」

「わかんない……そんなこと言ったって、あたしにはわかんないよ。あたしは、他の誰より努力を重ねてきたって自負がある。そう言えるだけの結果を残し、周りにだってそれを認めさせてきた。なのに、それでも足りないものって一体何なの? どうすれば、父さんはあたしのことを認めてくれるっていうの!?」

「……話は終わりだ。より一層の精進に励むがいい」

「待ってよ、父さん! まだ、あたしは、何も……!!」


 行ってしまう。父さんが、遠ざかっていってしまう。


「お願いだから……話を、聞いてよぉっ!!」


 傍らに置かれた木剣をひっ掴み、去りゆく背中に向けて全力で打ち込む。だけど、そんなあたしの剣は父さんにいとも易々と受け止められてしまった。

 これでも、まだ届かないというのか。振り向いた父さんの目が、失望にも似た色であたしを捉える。


おのが未熟を知れ。今のお前では、儂の足元にも及ばぬ」

「がッ――!!」


 手首を返しざまに打ち据えられた一撃で、全身の骨という骨がバラバラに砕けるような衝撃が奔った。あまりの痛みに悲鳴をあげることさえできず、あたしは無様に板張りの床を這いつくばることしかできない。


「か、は……っ」

「行くぞ」

「…………」


 踵を返して道場を後にする父と、一顧だにすることなくそれに続く兄貴たち。無人となった道場に、あたしだけが取り残される。

 どれだけ剣を磨いても、どれだけ血の滲むような鍛錬を重ねたとしても、決して彼らの背中に追いつくことはできない。決して、あたしを認めてはくれない。

 そのことを嫌というほど思い知らされた瞬間、あたしの中でふつりと何かが切れてしまった。


「……ああ、そう。わかったわ。よく、わかった」


 ゆらりと立ち上がったあたしの昏い呟きが、誰もいない道場の空気を震わせる。

 悔しさと、怒りと、やるせない気持ちがごちゃ混ぜになり、どす黒い炎となってあたしの胸を焼き焦がした。


「だったら、あたしはあたしのやり方でどこまでも強くなってやる。強くなって、強くなって、いつか兄貴たちも、父さんのことだって超えてみせる。絶対に、あいつらのことを見返してやるんだ……ッ!!」


  ◆


「ん……」


 最悪の気分だ。うっすら瞼を開くと、見慣れない粗末な天井が視界に飛び込んできた。目尻の辺りが引きつっているのは、きっと眠りながら泣いていたからに違いない。

 気だるさを振り払うようにベッドから起き上がり、枕元にあった水差しから水を呷って喉を潤す。締め切られた窓板を開け放つと、鮮やかな朝陽に照らされた遠い異国の街並みが眼下に広がっていた。


(嫌な夢を見ちゃったな)


 故郷を飛びだしてきた時の記憶が、脳裏にまざまざと蘇ってくる。

 あの日を境に、あたしは道場へ通うことをやめた。家出して独力で鍛錬に打ち込む傍らで、屈強な男たちに混じって人夫仕事をこなして必死で資金を稼いだ。

 荷下ろし場で知り合った水夫の伝手つてで外洋船に乗り込む手筈を整えたあたしは、二度と故郷へ戻らぬ覚悟をもって港を発った。文字通りに命がけの航海を経て、やっとの思いでこの大陸に着いたのが、おおよそ半月前。

 港町から出ていた乗合馬車を乗り継いで、この副都オストラントへ到着したのがつい昨日のことだ。


 あれからもう二年近い月日が流れているけど、あの日に感じた屈辱と激情は未だ熾火おきびのように胸の内で燻り続けている。少なくとも彼らを超えたと確信できるまで、セルベリアに戻るつもりは毛頭なかった。


 旅立ちの日に道場から家宝の刀を持ちだしたのは、あいつらに対するささやかな意趣返しのつもりだった。

 開祖から代々受け継がれてきたという羅刹刀はその名に恥じぬ業物で、今ではすっかりあたしの愛刀と化している。袂を分かたったとはいえ、これ以上に自らの力を引き出してくれる得物は他にないと断言することができた。


「……よしっ!」


 いつまでも、感傷に浸ってばかりいられない。あたしは気合いを入れ直すべく、両手で自分の頬をぱんと張った。今日はこれから、街の道場の品定めなのだ。こんなところで油を売ってる暇はない。

 傍らに立てかけてある羅刹刀に手を伸ばし――その手があっさりと空を掴む。


「……あれ?」


 いつもならそこにあるはずのものが見当たらないことに気付き、あたしは首を傾げた。小さな違和感が徐々に大きくなっていき、どこか惚けてた頭に冷水を浴びせられたような心地になる。


「……ない。あたしの刀が……ないっ!?」


 慌てて室内を探し回る。落ち着け、落ち着けあたし。鍵や小物じゃあるまいし、あんなものがそうそう簡単になくなってたまるか。

 椅子の陰やクローゼット。ベッドの下から果ては屋根裏部屋に至るまで。半ばパニックになりながら、部屋の隅々まで徹底的にひっくり返していく。


「おい、朝っぱらから何だってんだ!! うるさくって眠れや……」

「やっかましいわね!! 今、それどころじゃないってんのよ!!」

「ひっ!?」


 こちらの剣幕に恐れをなし、怒鳴り込んできた隣室の客はすごすごと退散した。

 あんな奴に構ってる場合じゃない。どこだ。どこにいっちゃったの、あたしの羅刹刀は!?


 しかし、現実とは非情なもので。いくら血眼になって探し回っても、あたしの相棒は影も形も見当たらなかった。そして、さらに悪いことに、荷物の中から財布まで消えてしまっている。

 ここまでくれば、否が応でも認めざるを得ないだろう。あたしが呑気にぐーすかと寝こけてるうちに、何者かが部屋に侵入して盗んでいったのだ。当座の全財産が入った財布と、武芸者の魂ともいえる唯一無二の愛刀を。


「う、嘘でしょーーーーっ!?」


 白々と明けたばかりの街に、絶叫が虚しく響き渡る。

 こうしてあたしの武者修行の旅は開始早々、暗礁へと乗り上げてしまったのだった。

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