第十四楽章
全く危機感を感じていないダリアに呆れ、ほぼ勢いだけで街に飛び出した。
あれほど活気があるのだから、中心街に行けば、何かしら仕事があるはずだ……と思っていたの半日前の俺はとんだアマちゃんだった。
「どこも雇ってくれねえ……」
やはり簡単に働き口も見つからず、途方に暮れて独言を呟く。
加えて、半日仕事を求めて駆け回るうち、ダリアから聞いたギャングの暗い影が確かにこの街を覆っているということを感じ始めていた。
まず、やはり全く露天商がいない。さらに、スリや浮浪者も街にはおらず、この大陸中に散らばっている
これは明らかに異常である。異常なほどこの街は清浄なのである。
治安が良いというのは、“良いこと”である。しかし、人間だって生き物である。一つや二つ後ろ暗い感情や考えを持って当たり前だ。そして、これだけ大勢の人間がいるのだから一人や二人、“良くない人間”がいて然るべきだ。このナポレアーノの青く輝く海にだって、魚の排泄物や死骸が浮いているはずだ。
(まあ、ダリアの話が本当であれば人間の死体も浮いているのだろうけど)
では、真っ当に生きられない行き場のない“死骸たち“はどこへ消えたのか。きっと、
この街が美しければ美しいほど、その裏の影は濃く深くなっていく……それが、どれほど恐ろしいことか。たった一人の露天商の出現すら許さぬ恐怖がこの街を支配しているということなのだ。
とある商店の店先で、その店の女将さんに雇ってはくれないかと話しかけたとき、その恐怖をはっきりと感じた。
俺を最初客だと思って気さくに対応してくれていた彼女は、態度を急変させ「帰ってくれ」と冷たく言い放った。それでも引き下がると、小声で「従業員を増やしたらその分の金を払わなきゃならないんだよ」と呟く。その目は通りに向けられ、しきりに左右に動いていた。ギャングに見られていないか気にしているようだった。女将さんは、声を押し殺し「こんなところ奴らに見られでもしたら、難癖つけられてみかじめ料を上げられちまう。頼むから帰ってくれ」と言う。その目にははっきりと恐怖が浮かんでいた。
女将さんの発言から察するに、売上だけでなく従業員数も上納金額に関係しているようだ。推測だが、これはおそらくギャング達の税金対策への対策である。従業員を雇っていることにして、売上の一部を従業員への給料、つまり“経費”に計上する。そうやって見かけ上の利益を減らすことで店側は上納金を減らすことができる。これへの対策が従業員数に応じて上納金の割合を変えるという方式なのだ。当然、ギャングは厳しく従業員数を管理しているのだろう。そしてこのような制度があれば従業員を雇うことに慎重になるのは当然である。
目の前に広がる美しいナポレアーノの海が、今では淀んで見えた。
「どうすりゃ良いんだよ……」
「なんだい、お兄さん。働き口を探しているのかい?」
突然、背後から話しかけられる。声のする方を振り返ると、そこには年端も行かぬ少年が立っていた。
あまり良い生活を送っていないことは一目瞭然だった。薄汚れたシャツにオーバーオール。いかにも底辺の労働者といった出立である。
念のため警戒する。といっても、取られて困るような金は持ち合わせていなかったが……。
「君は?」
「僕はマリオ」
「そうか。マリオ、何か用かい? 見てわかるとおり、俺は素寒貧だぜ?」
自分のポケットを引っ張り出し、何も入ってないことを見せる。
「ははは! そんなことは知ってるよ。海を見ながら、暗い顔している人間は大体金がないんだ。でも、死んでも何も良いことないぜ? どうだい? 働き口がないなら紹介してやろうか?」
願ってもない申し出だったが、見ず知らずの人物にうまい話を持ってくるやつは詐欺師と相場が決まっている。
警戒心を強めたのがバレたのか、少年は「違う違う! 怪しいもんじゃないよ。お兄さん、リモンチェッロって知ってる?」と笑う。
もちろん知っている。悪名高いタリアータの毒薬だ。
「知ってはいるが……お酒だよな? 南タリアータの名物だ」
「そうそう。でさ、実はうちの店は今まさにリモンチェッロ造りの最盛期なんだ」
「リモンチェッロって、レモンの酒だよな? なのに初夏が最盛期なのか?」
レモンの旬は冬だ。今の時期はまだまだ青いはずだ。
「うちの店では、夏取りのレモンを使うんだよ。珍しいけど。でも、樽出しの時期がずれるから良く売れるんだってうちの女将さんが言ってた」
「なるほど、繁盛しているって訳だ」
「まあね。今年からはもっといっぱい作ることになってさ、てんてこまいなんだ。そんなに稼げないけれど、路銀の足しくらいにはなるよ。あんた、旅人だろ?」
素性を当てられどきりとする。
「なぜ、俺が旅人だと?」
「あんた、身なりは良いくせに素寒貧だからさ。そういう人間は大体、この街のカジノでスった奴さ」
「なるほど……」
そういう人間はこの街には大勢いるのだろうか? そして、多分そいつらはどこかで揉め事を起こしてギャングに始末されるか、どこかでひっそりと野垂れ死ぬのだろう。
自分の行く末が見えたようで身震いがした。
どうする? まだ、百パーセント信用できる訳ではないが、千載一遇のチャンスであることは確かだ。
「……分かった。紹介してくれ」
少年はにっこり笑って手を差し出した。
「交渉成立だ。改めてよろしく。僕はマリオ。マリオ=ヴァヴィロフだ」
「よろしく、マリオ。俺はアポロ。アポロ=アレグリアだ」
俺は、彼の手をとる。
そしてこの時、大きな運命の歯車が回り出した。
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