2023.2.10

 冬道を歩いて買い出しに出かける。

 長靴を履いて、着用する衣類は防寒対策に余念がない。

 長靴は夏用であり、凍結した路面ではやはり滑る。けれど、夏冬で靴を履き分けるという行為が好きではないので夏用だ。寒いのは動けば何とかなっても、暑いのはどうしようもない。動かずとも暑く、動けば致命傷となる。確かに滑るが、そこは身体能力でカバーする。

 小さな鞄には小さく折り畳んだ買い物用の鞄と、財布が入っている。

 鍵はかけない。

 部屋の中に守るものがないからだ。

 外はしっかりと氷点下で、空は白銀に染まっている。

 降雪の恐れはなく、ほぼ無風であることに満足を覚える。

 スーパーまでは往復三十分の道のりだ。

 日が暮れるまでには帰って来れるだろう。

 道は複数考えられるが、その時々の気分と信号の機嫌によって自ずと決まる。

 建前のようにつけているマスクだが、これは冬季はなかなか都合がいい。外に出た直後に訪れる鼻の奥がツンと痛む絶望に対策が講じられるからだ。それに自らの吐息によって、口の周りが温かい。

 今日の歩道の状況は悪くない。道の中心が踏み固められた雪で盛り上がっているが、凍結してはいない。長靴の下でギュッと小気味よい音が聴こえる。

 そのままスーパーへ向けて歩く。

 スーパーにつくと、固定されたルートでカートの中に固定された商品を放り込んでいく。まとめて購入するので、それなりの量になる。

 普段は買わないが、豚肉が安かったので追加で購入することにした。

 無人レジで会計を済ませて、はち切れそうになっている買い物籠を持ち、家路を歩く。

 交番の前を通ると中で強面の中年男性が怒鳴っていた。

 興味を覚えたけれど、巻き込まれたら悲惨なので、チラチラと視線を向けるに留めておく。

 道はないが長靴であることをいいことに、通り抜けようとした夕方の公園で、橇に乗った男の子に轢かれてしまった。

 夕陽の刺す真っ白な世界で、真っ赤な橇が印象的だ。

 雪の上に散らばった食品を見て、うんざりする。

「ごめんなさい」

 と男の子が謝り、焦った様子で駆け寄ってきた女の子も一緒になって謝ってくる。

「いいや、ぼくのほうこそ橇の行く手を遮ってしまって申し訳ない」

 と言うと、

「その言葉が聞けて、ぼくは嬉しく思います」

 と男の子が言った。

 どうやら何か橇を使った挑戦をしている最中だったのかもしれない。

 女の子は男の子の頭をぽかっと殴った。

「大人は何するか分からないんだから、そんなことを言っちゃダメだよ」

 と女の子は男の子を諭している。

 すると男の子は合点のいった顔つきで、再度ぼくに頭を下げた。

「どうもごめんなさい。どうすれば何もせずに赦してくれますか」

 どうにもぼくが何か——彼らにとって不都合な何かをする前提らしい。

 正直ぼくはそれほど不愉快な思いはしていないし、不愉快だったとしてもそれを自分の中で処理するだけの修練を積んできた。社会人としての必須技術である。彼らには分かるまい。

 だから彼らに対してどうこうしたいという欲望はなかった。

 けれどせっかくの申し出だから有効活用することにする。

「なら、橇を一度使わせてくれたら赦してあげましょう」

 すると男の子は露骨に厭な顔をして、

「卑劣ですね」

 と言った。

「こっちが条件を呑まざるを得ないことをいいことに、好き勝手に要求して。恥知らずですよ」

 すると、女の子がポカっと頭を殴った。

「バカ、そんなこと言っちゃダメじゃない。この条件を呑まないと、もっと酷いことを要求してくるに決まっているじゃん、大人なんだもの」

 男の子は合点のいった顔つきで、

「それしきのことでお赦し頂けるのなら僥倖です」

 と頭を下げた。

 何と言うか複雑な気分で、ぼくは橇を引いて公園の小さな丘に登った。その間、男の子と女の子は憎々し気な目つきをツラツラとこちらに向けながら、雪の上に散らばった食材を集めていた。

 ぼくは丘に三度上り、三度滑った。

 とても素敵な気分で彼らのところへ戻ると、食材でギッシギシになった買い物籠を手渡された。ぼくは橇を渡した。

「ひとでなし」

 と男の子が言って、女の子がポカっとやった。

「ダメじゃない、そんな当たり前のこと言っちゃ、大人なんだから」

 アパートの部屋に帰る頃には、すっかり日が暮れていた。ドアを開けるとなぜか部屋の中がポカポカと温かかった。

 ぼくは暖房を滅多につけないので、これは不可解だった。

 けれど何てことはない。

 部屋の中にいた二十代後半くらいの女性がガスストーブをつけていた。もっとも近頃の人類の見た目から、その年齢を予想することはぼくの能力に余る。

 彼女は部屋に入ってきたぼくに気づいて振り返った。

「私、レイって名前」

「ぼくはハラミタ」

 レイさんは頷いて、ヒーターに向き直り、両手をかざした。

「豚肉が安かったから、夕食は茄子の豚みそ炒めにしようと思うけど」

「食べる」

「そう」

 買ってきた食材を冷蔵庫に格納し、必要なものを取り出した。

 シンクと調理場を消毒し、食材と調理器具を並べる。キッチンパックを一枚広げて、ゴミを始末する準備を整える。

 茄子のヘタを除いて、網目に皮をむき、乱切りにする。

 なぜだか知らないが、物を切断するのは気持ちのいいことだ。

 フライパンに茄子と油を入れ混ぜる。パチパチと油の跳ねる音が聴こえる。油と茄子がからんだら水を入れて蓋をし、中火で四分程度おいておく。

 しょうがと味噌、砂糖に水に日本酒、片栗粉と水を混ぜ合わせて、四分経ったので、フライパンから茄子を取り出し、豚肉を炒める。

 豚肉から油が出てきたので、先ほど混ぜ合わせたものを入れてからませ、茄子を戻す。

 蒸気とともに美味しい香りが顔を撫でて換気扇へ吸い込まれて行く。

 皿を二つ出して均等に盛り付け、ネギを刻んで適量ふりかける。

 茶碗を二つ出して、予約炊飯しておいた白米を盛り、箸を二膳用意する。

「出来たから、運ぶの手伝ってくれる?」

 レイさんは「ん」と言って立ち上がった。

 ぼくらは小さな机を挟んで食べた。

「美味しい」

 レイが言った。

「それは良かった」

「あ、ビールあるよ」

 そう言ってレイさんは冷蔵庫へ向かい、缶ビールを二缶出してきた。先ほどぼくが買ってきたものだ。

「気が利くね」

 と言うと、

「伊達に歳を取っていないってこと」

 とレイさんは言った。

「何歳なの?」

 と訊くと、レイさんは無言でぼくの皿から豚肉をかっさらって行った。

 食べ終わると、レイさんが片付けを申し出てきたけれど、自分でしないと気が済まないので丁重にお断りした。

「そう? なら風呂に入るよ」

「でも、お湯をためていないよ」

「だいじょうぶ。さっきためておいたから」

 どうりで給湯器がずっとうるさかったわけだ。

 彼女が入浴している間に、食器洗いを済ませて、シンクをピカピカに磨き上げた。

 それから入れ替わりにぼくも入浴して、上がると彼女はいなかった。テーブルの上に飲み干した缶ビールが置いてあった。

 ぼくはしばらくの間、空き缶を見ながらレイさんに想いを馳せ、それから暖房を消してしばらく読書した。それから布団に包まり寝た。

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