第16話「恋の賞味期限」

努力のかいがあって、全国大会へ駒を進めることができた。これで、全国制覇の夢に一歩近づいたのだ。

大会初日の前日は休日で、僕は家で一人、練習していた。

「えっと……ここが、この公式を使うんだよな?」

「うーん、ちょっと自信ないけど、合ってるはず」

ノートを見ながら、ひたすら問題を解いていく。問題集を1ページ終わらせた時だった。ピンポーンとインターホンが鳴る。時計を見ると、夜の9時過ぎだった。こんな時間に誰か来るなんて、誰だろう?と思いながら玄関に向かい、扉を開ける。そこには一人の女性が立っていた。彼女は僕の顔を見るなり笑顔になる。そして口を開いた。

「やっほ~、元気してるぅ?」

彼女の名前は神崎彩夏という。僕より3つ年上の高校2年生だ。小さい頃からよく遊んでいて、いわゆる幼なじみってやつである。彼女に会うたびに胸の鼓動が激しくなる。昔から変わらない無邪気な笑顔にドキドキしてしまうのだ。僕は動揺しながらも答える。

「か、神崎さん!?どうしたんですか、こんな時間に?」

「ちょっとお邪魔しまぁす!」

そう言って彼女は僕の返事も聞かず家の中に入ってきた。相変わらずマイペースな性格である。いつものことなのでもう慣れたが。すると彼女が唐突に言った。

「ねぇねぇ知ってる?『恋の賞味期限』って言葉があるんだってぇ」

「そうなんですか?知りませんでした」

突然何の話だろうか。そんなこと今まで一度も聞いたことがない。だが話を聞く限りあまり良い意味ではなさそうだ。神崎さんが真剣な顔つきで言う。

「うん!私思うんだけどね、恋愛っていうものはいつの間にか冷めちゃうものだと思うんだよねぇ」

僕は首を傾げる。一体どうして急にそんなことを言い出したのか全く理解できなかったからだ。しかしそんなことはお構いなしに彼女は続ける。

「それでね、そういうのを防止してくれるものがあるらしいのよぉ!」

なんだそれ?そんなのあるわけないだろう……と言いかけて口をつぐむ。なぜかというと以前神崎さんが、「ある人によるとさ、人は恋に落ちたらその相手以外見えなくなっちゃうんだってぇ!」と言っていたことがあったからである。あの時は特に気にしていなかったのだが今となってみればなんと恐ろしい発言であろうか。そんなことがあるわけないと否定したいところではあるが、今のこの状況ではそれが事実だと認めざるを得ないかもしれない。つまり神崎さんの言っていることをまとめるならばこういうことになる。

(もし本当にそんなものがあったとしたら、それは恋愛における最大の敵と言えるだろう)

……まさか、ありえない。きっとただのおふざけだろうし深く考えなくてもいいはずだ。僕は自分に言い聞かせて心を落ち着かせる。

「そ、それで、そのなんとかっていう薬はどこにあるんですか?」

僕は平静を装いながら言う。すると神崎さんは待ってましたと言わんばかりに鞄の中から小さな瓶を取り出した。中にはピンク色をした液体が入っている。それをテーブルの上に置くと蓋を取り中身を見せるように差し出してきた。

「これだよぉ!これが恋の賞味期限を延ばすための秘訣なのぉ!!」

「これは……香水ですか?」

「違うわよぉ!もっと凄いものなのぉ!」

「でもこれを飲めば恋が続くってことですよね?」

「まあ簡単に言えばそうなるかなぁ」

「へえ……」

僕は感心しながらまじまじと見つめた。神崎さんは得意げに語る。

「これを飲むとね、飲んでから24時間の間だけ好きな人とずっと一緒にいることができるんだってぇ!」

「すごいですね……じゃあこの薬があれば、どんなに喧嘩しても仲直りできますね!」

僕は笑顔で言った。

「確かにそうかもねぇ!でもそれだけじゃないんだよぉ!」

「他にも何かあるんですか?」

「そうそう!例えばねぇ……」

神崎さんはそこで一呼吸置くと再び話し出す。

「相手のことが好きすぎておかしくなりそうになるとかぁ、自分以外の人に笑いかけられただけで嫉妬するなんてこともなくなるんだってぇ!」

「なるほど……ん?」

おかしいな。なんか変なことを聞いた気がするが……。僕が疑問に思っていると、神崎さんがニコニコと微笑みながら近づいてきた。そして僕の耳元で囁く。

「ねえねえ……もしかして私に惚れちゃったぁ?」

ゾクッと背筋が凍るような感覚に襲われる。思わず彼女の顔を見るとそこには妖艶な笑みを浮かべている神崎さんがいた。

「な、なに言ってるんですか!?そ、そんなことあるわけないですよ!!」

「ふぅーん?本当かしらぁ?」

彼女は僕の反応を楽しむかのように僕の顔を覗き込んでくる。僕は慌てて視線を逸らすと話題を変えた。

「それより神崎さん、今日は何の用事で来たんですか!?」

すると彼女は僕から離れると答える。

「明日試合だから応援に来たんだよぉ!」

そういえば大会初日だったなと思い出し時計を見る。時刻はすでに10時を過ぎていた。

「わざわざありがとうございます!」

「ううん!全然大丈夫だよぉ!」

「ところで、これからどうします?まだ夜も遅いですし泊まっていきますか?」

「うん!お願いしようかなぁ!」

「わかりました。ちょっと準備するので少し待っていてください」

僕は一旦部屋に戻り着替えを持ってきて玄関に戻る。そして神崎さんと一緒にリビングへと向かった。

「ごめんねぇ、急に押し掛けちゃって」

「いえ、別に構いませんよ」

「じゃあお言葉に甘えてゆっくりさせてもらうねぇ」

神崎さんはそう言ってソファーに座る。そしてテレビをつけるとチャンネルを変え始めた。だがどの番組もあまり面白くなかったようですぐに電源を切る。それからしばらく沈黙が続いた。僕は何を話せばいいかわからず黙っていた。すると彼女が唐突に口を開く。

「ねぇねぇ、この前借りた漫画読んだんだけどさ、あれ続きはいつ出るのぉ?」

「ああ……あの漫画ならもうすぐ発売されると思いますよ。確か来月くらいになるはずです」

「そうなんだぁ!早く読みたいよぉ~」

神崎さんは頬を膨らませる。

「まあまあ、もう少し待っててください」

「はぁい……そうだ!あともう一つ聞きたかったことがあるんだけどぉ」

「なんですか?」

「最近なんか面白いこととかあったぁ?」

「うーん……」

僕は腕を組んで考える。最近は特に変わったことはない。強いて言うならば学校で神崎さんに告白されたぐらいだ。その話を彼女にするのは躊躇われたため別のことを話すことにする。

「そうですね……実は神崎さんに渡したいものがありまして」

「えっ、何々ぃ?」

「はい、これです。お誕生日おめでとうございます!」

そう言いながらプレゼントを差し出した。すると神崎さんは目を輝かせながらそれを受け取る。

「わあ!私にくれるのぉ?」

「もちろんです。開けてみて下さい」

「わかったわぁ!」

彼女は丁寧に包装紙を剥がすと箱を開ける。

「あっ!可愛い!これって前に私が欲しいって言っていたやつじゃない!覚えていてくれたのぉ?」

「はい。せっかくの誕生日なので、神崎さんの好きなものをあげたいなと思って……喜んでもらえましたか?」

「うん!とっても嬉しいわぁ!ありがとね、真広くん!」

神崎さんは満面の笑みで言う。

「良かった……」

僕はホッとして胸を撫で下ろした。

「ねえねえ見てぇ!」

神崎さんは小瓶を手に取ると嬉しそうにそれを眺める。

「やっぱり綺麗だよねぇ……」

「気に入ってくれてよかったです」

「本当にありがとうねぇ!」

彼女はそう言うと僕に抱きついてきた。柔らかい感触が全身に広がる。突然の出来事に心臓が激しく鼓動した。

「ちょ、ちょっと神崎さん!?」

「ん?どうかしたぁ?」

神崎さんは無邪気に首を傾げる。僕は慌てて彼女から離れた。

「ど、どうもしないですよ!いきなりだったのでびっくりしたというか……」

「えへへ、ごめんねぇ。なんだか急にしたくなったからぁ」

「はあ……そうですか……」

僕は溜息をつく。神崎さんは不思議そうな表情をしていた。

「それにしても神崎さん、香水の匂いがしますね。いつもとは違った香りがするんですけど何かつけているんですか?」

「うん!この前新しく買ったんだよぉ!」

「そうなんですか。ちなみにどんな感じの香りなんですか?」

僕が尋ねると彼女は自分の腕に鼻を当てた。

「んー?どうだろう?結構強めの香りだから自分ではよくわからないかもぉ。でも爽やかな良い香りだと思うよぉ!ほら嗅いでみてぇ」

そう言って僕の方に手を伸ばす。僕は少し迷ったが彼女の手を取った。そしてゆっくりと顔を近づけると、確かに柑橘系のいい香りが漂ってきた。

「うん、これは凄く良い香りですね!」

「でしょぉ!他にも色々と種類があったんだけどこれが一番気に入ったからこれにしたんだよねぇ」

「な、なるほど……」

(まさか、この前のデートの時に選んだのか?)

だとしたらかなり恥ずかしい。そんなことを考えながら苦笑いを浮かべていると神崎さんが口を開いた。

「ところでさっきから気になっていたんだけどぉ、真広くんの部屋って女の子っぽいものが多いよね?」

「えっ、そうですか?」

「うん。だってぬいぐるみとかいっぱいあるしぃ。あっ、もしかして好きなの?」

「べ、別にそういうわけじゃありませんよ!」

僕は慌てて否定すると話題を変える。

「そろそろ寝ましょうか。明日も早いですし」

「そうだねぇ。じゃあ今日はここで失礼しようかなぁ」

神崎さんはソファーから立ち上がる。そして玄関まで見送ることにした。

「それではまた明日」

「うん!お休みなさい」

神崎さんを見送ってリビングに戻る。すると、テーブルの上にスマホが置かれていることに気づいた。

「あれ……神崎さん忘れていったのか?」

僕はリビングに戻るとそれを手に取った。そして画面に映るロック画面を見て驚く。そこには彼女と僕が一緒に写っている写真が表示されていた。

「こ、これって……あの時のやつか?」

二人で水族館に行った時に撮った写真を待ち受けにしているようだ。僕は思わず頬を緩めると、急いで部屋に戻りベッドに入った。

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