第15話「年をとる」

前に危険があると見たらば、行くことを思いとどまる。その態度が人間の知というべきである。だが、危険がないと見るやいなや――たとえ危険であってもそれを見過ごすような態度は知性の恥であると、彼はいうのだった。

「だからといって、あんたを責めているわけじゃないよ」彼はなだめるようにいうのだった。

「ぼくだってそう思うだろうしね……だが、このつぎになにか危険なことがあるとすれば、あんたには気をつけてもらいたいんだ。いいかい? つまりね、そういうときはよく注意しておいてもらいたいということさ」

わたしはもう若くはないから、いまではこんなふうにして年をとってゆくのだろうかとふと思うことがときどきある。そして、それがあまりいやなのでないことに気づいて、自分でもおどろくことがある。けれども同時にまた――こういうことを考えるのは馬鹿げてはいるが――やはり年をとるというのはよいものだと思うことも事実である。それはちょうど、春になってはじめて雪解けの季節を迎えるように、わたしの心のなかに芽生えてくる感情なのだ。それに、若い人たちのあいだにいるよりも、老人たちのあいだでいるほうが、はるかに落ちつくことができる。若い人たちはみんな――なんというか、ひどくあわただしくて、ひとりひとりがてんてこ舞いをしているように見えるからだ。しかし、老人たちはみな同じだ。彼らのうちのひとりとして、ほかのだれにもまして自分を大切に思っている人間はいないようだ。彼らはみな、自分の身の上ばかりを案じている。彼らはまるで、この世で生きているのは自分の身ひとつだけと思っているみたいだ。彼らのなかには、他人のためになにかをしようなどとは夢にも考えない連中もいるのだ。ところが、若い人のなかには、いつも他人のことを考える人間がたくさんいて、しかもそうした人間はけっこう幸福らしいのである。たとえば、ここにひとりの女がいるとするね。彼女は男を愛しているが、彼のほうでは彼女を愛していないかもしれない。あるいは彼女の夫にしてもそうだ。彼が彼女を愛する理由はただひとつ、彼女が金持ちだというだけでしかないのかもしれない。こうした可能性については、だれでも考えることはできるし、だれもあえて否定することはできないだろう。

だが、もしそうであるとしても、それでもなお、女にとっては男が大切な存在であることにかわりはない。これは、女が男を必要としているというだけのことで、ほかの意味ではないのだ。この意味でなら、男は女にとってかけがえのない存在といえるだろう。なぜなら、女の目には、男ほどすばらしいものはほかにないからである。

わたしは、自分がどんな種類の人間なのかまだ知らない。けれども、もしもわたしが自分の性質についてなんらかの結論を出すとしたら、おそらく次のような答えになるにちがいない。つまり、わたしはどうやら、自分というものをよくわきまえていて、それにもとづいて行動しているらしいということだ。だから、自分の属する社会のなかでいちばん賢明な人々と同じように、わたしもまた、自分の生き方をきわめて慎重に選んでいるのである。そして、自分自身の生きかたをきめるにあたって、わたしはつねに「自己保存の法則」に従っているつもりだ。これに反して、むかしからずっとつづけられてきた習慣に従ったりすると、ひどいめにあうことになるのである。(もっとも、わたしの場合は、この法則に従うことさえできれば、あとのことは大して問題にはならないのだが)

ところで、この「自己保存の法則」というやつはなかなか強情もので、わたしの頭のなかにあるだけでなく、じつは心の奥底にもあるような気がする。というのは、この法則のおかげで、わたしの理性的な判断力が保たれているといっても過言ではないからである。したがって、わたしの心のどこかには、「もっと楽をして生きる方法はないものか?」とか、「自分はいったいなぜこんなことをしなければならないのか?」といった疑問がわいたときには、いつでもただちにその解答が出てくるようになっているのだ。たとえば、わたしが道端でばったりと人に会ったとする。相手がわたしより十歳くらい年上の女性だとわかったとき、わたしはまずこう思うのである。「あの人はいま、きっと化粧をしている最中なんだな」と。そして、つぎにこう思うのである。「じゃあ、いまのうちにできるだけ長く顔を見ておこうか」と。それからまたつぎのように思うのである。「ああ、なんというきれいな顔をしていることか!」と。

わたしの考えかたは、ふつうの人のそれとはかなりちがうらしい。というのも、わたしはほかの人たちのような生活の仕方ができないからだ。つまり、わたしの頭のなかには、自分の意志でコントロールできないものがいろいろとあるということなのだ。それは、わたしが世間一般の人よりも多くの経験をもっているからでもあるし、また、わたしの頭が、わたしの体を動かすためのエネルギーの大部分を、べつのところに割いているせいでもある。わたしの頭のなかには、さまざまな考えや思いつきがつぎつぎに浮かんでくる。そして、わたしの心に映る光景のひとつひとつが、わたしの心をとらえてしまうのである。そして、わたしの注意力はそれだけ分散されてしまい、ほかのことを考える余裕がなくなってしまうのである。

だから、わたしがいつも気をつけていることといえば、なによりもまず、わたしの頭に浮かぶものごとをなんでもいいから書き留めておくことである。わたしはノートブックをもち歩いていて、そこに思いついたことを書きつけるのである。そして、それがすんだら、それをすべて忘れることにしているのだ。そうすれば、頭の中が整理されて、ほかのことを考えられるようになるからである。ノートブックを見返して彼との話のネタにすることもある。

わたしはふだん、あまり日記をつけるほうではないが、きょうのできごとについては例外である。というのは、あれはわたしの人生で、だれにとっても一生一度しか起こりえない出来事だったのだから……。そしてもちろん、これからさき二度とふたたび起こるはずのない事件でもあったのだ。だがしかし、もし万一また起こったとしたら、わたしはそれをけっして見のがさないことだろうと思う。

その出来事とは、彼がわたしの家へ訪ねてきて、ふたりきりで話をしたということである。しかも、彼はわたしにプロポーズしたのである。そのとき、わたしは彼を自分の部屋に入れた。そして、彼の前にコーヒーカップを置き、彼のために椅子を用意した。わたしは彼が来るまで、ひとりでソファに腰かけていた。やがて、彼がやってきた。わたしたちは握手をした。彼が着ていたコートを脱ぐと、わたしは彼の胸のあたりを見た――そこには大きな吹き出物がひとつあった。わたしは彼に訊ねた。

「あなたは、どこが悪いんですか?」

すると彼は答えて言った。「悪いところだらけですよ。心臓や肺は言うに及ばず、それに肝臓だってよくありませんし、腎臓にも欠陥があるようです。それに目と耳もちょっとおかしいんですよ」

「でも、そんな病気なのに、どうして医者には診てもらわないんですか?」

「わたしはもう、ずいぶん長いあいだ、医者なんかにはかかりませんよ。わたしは自分で治せるものは、なんでも自分でやるようにしています。それに、わたしの体の悪いところをぜんぶ知っていればこそ、わたしは健康になれるわけなのです」

わたしは言った。「それなら、あなたはきっとお元気でしょうね。わたしなんかよりずっと長生きなさりますわ」

「さあ、どうでしょうか? でもまあ、あなたのほうが長生きすることはまちがいありますまい」

「あら、わたし、それほど長生きするつもりはございませんけど……」

わたしはそう言って首を横にふり、それからまたつづけた。「ただ、どんなに年をとってからも、できるだけたくさん楽しいことがしたいと思っていますだけなの。わたしは若いころ、いつもそのことを思って暮らしていました。でも、このごろでは、ときどき自分が年寄りになったような気がすることがございますの」

「その気持ちはよくわかります。わたしも以前は、年をとるのが楽しみでしたが、最近は、年をとることが不安になってきました。しかし、年をとったおかげで、新しい考え方を身につけることができましてね」

「新しい考えかた……?」

わたしは興味をひかれて、そう聞きかえした。

「ええ、そうなんです。わたしは年をとって、いろんなことを学ばせてもらいました。年をとるというのは、いいことです」

「そうかもしれませんわねえ」と、わたしは答えた。

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