第10話「昨日はようやく悟りを得たと思ったのに、今日はまた、あれこれと迷っている。」
昨日はようやく悟りを得たと思ったのに、今日はまた、あれこれと迷っている。頼りにならないものは自分の心である。こんなことでいいのか? そう自分に問いかけてみるが、答えはない。しかし迷いがあるからこそ人は生きているとも言えるだろう。だから迷ってばかりいてはだめだ、と思いながらまた考え込んでいるのだった。
「さっきも言ったけれど、僕にとって君は、一番大事な人なんだよ」
先ほどの言葉がまだ耳に残っている。それはどういう意味か。彼のことが好きだからこそ、その言葉に惑うのだ、とは思うのだが……。
(私にとっても……彼が特別な存在なのは確かなんだけど)
そう思う気持ちを確かめたくて彼を呼び出したが、いざ二人きりになると、どう話してよいかわからず黙り込んでしまう。そんな自分が情けないと思う。
(私は、彼と付き合いたいと思っているんだろうか?)
改めて考えてみたが、よくわからない。ただ彼と一緒にいると楽しいし、心地よい。一緒にいたいとも思う。でもそれが恋愛感情かどうかとなると、自分でもよくわからないのだ。
(それにしても、この人ったら、なんでいつもニコニコしているんだろう)
彼は自分と話している時でさえ、笑顔を絶やさない。まるで何か楽しいことが待っているかのように楽しげなのだ。その屈託のない表情を見ていると、何だかこちらまで明るい気分になる。
(この人が笑っていないところを見たことがないような気がするけど……気のせいかなあ)
「君って、いつも楽しそうだよね」
思わずそう言ってしまった。
「うん。だって人生なんて、今が一番楽しくないとね」
そう言って笑う。
「どうして?」
「だって、毎日が同じ繰り返しじゃないか。同じ日々を生きてるだけじゃつまらないよ」
確かにそうかもしれない。だが自分は毎日、朝起きて仕事に行って帰って寝るという繰り返しの毎日を送っている。そこに変化を求めるなら、もっと違うことをすればいいのではないかと思う。
「でもさあ、例えば今ここで交通事故に遭ったとして、それで命を落とすとしても、僕はやっぱり、今の生活を悔いたりしないよ」
「どうして?」
「だって、毎日が同じような繰り返しだっていうことは、それだけ幸せなことだからだよ。それって、すごく恵まれていることだと思うんだ。だってさ、毎日が同じなら、明日もまた同じように生きられるわけじゃない? 明日も明後日も同じ生活が続くっていう保証があれば、安心して生きていけると思わないかい?」
「そうかな……」
確かにそういう考え方もあるかもしれない。でも自分は不安でたまらない。そして怖いのだ。
(もしこのまま事故に遭って死んだりしたら、きっと後悔するに違いない)
毎日が幸せであればいいということには賛成できないが、それでももう少し充実した人生を歩みたいとは思う。
(私は、彼に釣り合っているのだろうか?)
ふと、そんなことを考えてしまう。こんな自分を好きになってくれたことはとても嬉しいのだが、果たして本当に彼のことを好きなのかと問われると自信がない。付き合うということは、お互いのことを好きだと思ってこそ成り立つものだろう。それなのに自分は、まだ彼のことを何も知らない。
(私なんかより、ずっと素敵な女の子はたくさんいるのに……)
ついそんな風に思って落ち込んでしまうのだった。
「ねえ、今度の日曜日、どこかへ遊びに行かない?」
「えっ!?」
突然の提案に驚いた。
「いや、別に嫌なら無理強いするつもりはないんだけど、たまには二人で出かけようかなって思っただけで……。まあ、忙しいならいいんだけれど」
「い、いえ、行きます! ぜひ!」
彼女は慌てて答える。今までデートに誘われたことなどなかったから、驚いてしまっただけだ。断わる理由は何もない。それにせっかく誘ってくれたのだから、断る理由もない。
「じゃあさ、待ち合わせ場所とか時間とか決めちゃおうか」
「はい」
こうして二人は初めてのデートに行くことになった。行き先は映画館である。
『東京アワエア』という映画を見る予定になっていた。これは恋愛ものの映画である。
ある日のこと、主人公の女子高生が偶然出会った年上の男と恋に落ちるが、相手は同じ学校の先輩であり、しかも実は妻子持ちであったことがわかる。そんな二人の恋の行方を描いた物語である。
「なんだかドキドキしますね」
「そうだね」
二人は並んで歩きながら映画館に向かう。
「あのさ、今日はいつもと違う感じにしてみない?」
「いつもと違うって?」
「うん。ほら、髪を下ろしてみたらどうかな?」
彼は彼女の髪に触れて言う。
「そ、そんなこと急に言われても困るわ。だって私、長い髪の毛ってあまり似合わないし……」
「大丈夫。絶対可愛いと思うよ。試すだけでもやってみてよ。ね?」
彼は強引に勧めてくる。そこまで言われると断りきれない。
「う、うん。わかった。ちょっと待ってて」
彼女はそう言って近くの店に入った。そしてすぐに戻ってくると、恥ずかしそうな顔で言った。
「ど、どう?」
「おお、なかなかいいじゃないか。その髪型も。凄くよく似合ってるよ。まるでお人形さんみたいだ」
彼は大袈裟なくらい誉めてくれた。そんなに喜んでくれるとは思わなかったから、少し照れ臭い。
「それじゃあ、行こうか」
「はい」
二人は映画館へと歩いていった。
「面白かったですね、この映画」
「そうだね」
「ヒロインの女の子が、すごく可愛くて綺麗でしたよね。それに、男の子のほうもいい味出してましたし……。私もあんなふうになれたらいいんですけど」
「君は十分魅力的だと思うけど」
「そうですか?」
「うん。君はすごく美人だし、スタイルも抜群だしさあ」
「そんなことありませんよ」
「そんなことあるよ。もっと自分に自信を持ってもいいと思うよ」
「はぁ」
「僕としては、君みたいな子とお付き合いしたいと思うんだけれどね」
「そう言ってもらえるのは嬉しいですけど……でも私、彼氏いたことないし、男の人とどうやって接していいのかよくわからないんですよ」
「そうなのか? 意外だなあ」
「どうしてですか?」
「いや、何ていうか、君ってすごくモテそうだからさあ」
「それは買い被りですよ。今まで一度も告白されたことなんてないんですから」
「嘘だろ? 信じられない」
「本当ですよ。現に今だって、全然声をかけられませんし……」
「そんなはずはないと思うんだけど……」
「でも本当にないんですよ」
「そうか……。まあいいや。それならこれから頑張ればいいだけのことだもんね」
「そうでしょうか……」
「そうだよ。でもさ、もし本当に誰にも相手にされなかったら、その時は僕のところに来てくれないかな。僕はいつでも君の味方になるから」
「ありがとうございます。でもきっと、そんな日は来ないとは思いますが、もしそんな時が来た時はよろしくお願いしますね」
彼女は笑顔で言う。だが内心では、本当にそんなことがあるのだろうかと思っていた。
(もしもそんなことがあったとしたら……)
ふと、そんな考えが頭に浮かぶ。
(そんなの嫌!)
そんなことは絶対にありえないと思いたい。
(でも、本当に私なんかを好きになってくれる人がいるのかしら?)
そう思うと、急に不安になってくるのだった。
「じゃあ、また明日」
「ええ」
今日もまた一日が終わった。いつものように仕事に行って、いつもと同じよう業務内容で、いつもと同じように帰る。そして明日もまた同じ生活が始まるのだ。
「それじゃあ」
「ええ、気をつけて帰ってくださいね」
そう言い残して彼女は職場を出て行く。彼のことなど眼中にないかのように。
「ああ、そうか……。彼女はもうすぐ転勤してしまうんだった」
彼がこの職場に来た時から、ずっと彼女に惹かれていた。そして彼女と仲良くなりたいと願っていた。しかし彼女は、自分とはまったく違うタイプであった。だから彼女に近付くこともできなかった。遠くから眺めているだけだった。そんなある日のことである。彼女が突然転勤することになった。最初は驚いたが、チャンスだとも思った。これを機に親しくなってみようと決心したのである。ところが、いざ彼女を目の前にすると、なかなか話しかけることができない。結局何もできずに終わってしまった。
「はあーっ」
彼女は大きなため息をつくと、そのまま机に突っ伏してしまった。
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