罪の清算

 リジーはしばらく黙ってハルバートを見つめた。ハルバートの頬はこけて、目の下にはクマが浮かんでいる。誰に支えられるでもなく、誰からも裏切られた王子の果ての姿だ。


 ハルバートが悪いのではない。

 始まりは、王妃だったかもしれない。

 それから王だったかもしれない。

 帝国の王だったかもしれない。

 ずっとずっと昔の、建国の王だったのかもしれない。


 でもリジーが。エリザベスが、運命の輪を回し始めた。帝国など行かなければよかったと、何度も思った。ハルバートの婚約者になっていなければとすら、思ったこともある。それでも、リジーは、エリザベスは常に自分が正しい、こうあるべきだと思う道を選んできた。たとえそれが、悲しみや苦しみをもたらすものと分かっていたとしても。自己犠牲で全てが収まると本当に思っていたのだ。


「ハルバート様。もう、苦しまないでください。わたくしは、貴方を許します。ご自身を自由にしてくださいませ。そしてわたくしを自由にしてくださいませ」

「エリザ、ベス。エリ…本当に?本当に許して、くれるのか?」

「ええ。ええ、ハルバート様。わたくしは貴方を許します。どうぞ、自由に生きてくださいまし。そして、ご自身が正しいと思う道を、歩んでくださいまし」


 ハルバートは、エリザベスの言葉を噛み締め、涙を流し膝をついた。おうおうと泣き、頭を下げた。


 この人はきっと、ずっと張り詰めて、ずっと王であろうとしてきた。理想を掲げ、頑張ってきたのに。


「わたくしが、突き離してしまったのですね。自己犠牲で自己満足をし、あなたに全てを押し付けた。わたくしに罪があるのです。申し訳ございませんでした」

「違う…、違うんだ。でも、でも、私には、耐えられなかった。君が隣にいないことを。支えを無くして、立てなくなってしまった…それは私の弱さだ、君の、せいじゃない」


 それでも。


 ハルバートがいくら泣こうとも、膝を折ろうとも。二人の道はすでにわかれ、別々の方向へ向かっていく。子供のように駄々をこねても、ハルバートにはエリザベスが醜い老婆に映り、嫌悪感が拭えない。そしてエリザベスは「リジー」の人生を歩み始め、これもまた手放せなくなっていたのだ。


「お別れです。ハルバート様。わたくしは、罪状の通り七年と七ヶ月をこの山で過ごし罪を償います。貴方様は、この山を降りて、新しい道を探して下さいませ。それが、貴方様の罪を償う道になるからです。苦しくても、生きて、逞しく、生き延びて下さいませ」


 しばらく経って、顔をあげたハルバートはすでに吹っ切れた顔をしていた。まだ目は赤いが、もう涙は溢れていない。


「分かった。ありがとう、エリザベス。君も逞しく生きてくれ」

「もちろんですわ」


 ふふっと笑い、スッと道を指し示す。


「このまま、この方向に下山して下さい。木苺の茂みを左手に、真っ直ぐ行くと大岩があり、そこから2時の方向へ。右手に彼岸花の群生が見えたら麓はすぐそこです。時間にして2時間ほどでしょうか。もし、途中で狩人ハンターに会うことがありましたら、わたくしはここにいるとお伝えいただけますか?」


 ハルバートはぶつぶつと道順を確認すると、しっかり頷いた。


「元気で」

「貴方様も」


 ハルバートが踵を返すと、その視線の先に、狩人らしき男とその後ろに疲れ切った夫妻がこちらを見て佇んでいた。


「リジー!」


 狩人の男が大声でエリザベスを愛称呼びしたのを聞いて驚いて振り返ると、かけ駆け寄ってくる男を見て、まるで花が咲くような笑顔でリジーが笑った。


「……!?」


 その顔を見てハルバートは息を呑む。一瞬だけ、エリザベスの顔が元に戻ったような気がした。


「ハンターさん」


 恥じらうような、甘い乙女の声がハルバートの耳に届く。


 ああ、そうか。君はすでに、別の人生を歩み始めていたのか。


 グッと、拳を握るとハルバートは夫妻に向かって歩き出す。


「クゥエイド夫妻。この度は誠に申し訳ありませんでした」

「殿下…」

「エリザベス、いえ、リジー嬢の幸せを心よりお祈りいたします」

「……ありがとうございます、殿下もお元気で」


 ハルバートはにこりと笑い、頷いた。


「逞しく生きろと、言われましたからね。頑張ります」


 そう言ってもう一度だけエリザベスを見てから、ハルバートは、ゆっくり下山していった。

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