第17話 チーズケーキ
頬杖をつきながら、窓の外を見る。そこには秋の陽気に包まれた、にぎやかな街があった。
いつもの喫茶店。カルに会いに行こうとする度に引き返して、ここでコーヒーを飲んでいた。
僕は席についてから、ずっと窓の外を見つめていた。窓の外にはこの喫茶店が入っているビルの入口が見えた。僕はそこを見るともなく見ていた。
多分、他の人からは、僕が虚空を眺めているように思われるだろう。窓の外の虚空には僕にしか見えない何かがあるというかの様に。
急に僕の頭の上に何かがのった。
びっくりして見上げると、そこには勝ち誇ったようなアキがいた。彼女は僕の頭に手をのせて、髪の毛をぐしゃぐしゃ撫でた。
「なにするんだよ」
「あらあら、いつぞやのことを忘れたんですか?」
以前、僕がこの喫茶店で座っているアキの髪をくしゃくしゃに撫でたことを言っているらしい。確かあの時は、半時間かけてセットしている髪型なのに、と文句を言っていたっけ。
その時の恨みか、アキは執拗に僕の髪をぐしゃぐしゃにした後、正面の席についた。僕はまた窓の外を見た。
やはり、窓の外には日常があふれている。人々が幸せそうに見える。誰だって、屈託なく、さらりと生きているわけではない。それなのに、窓の外の人々は誰も苦しみなんてないように見えた。
アキは先ほどより少しトーンダウンした声で話しかけた。
「先輩」
「何?」
「今日もこうしてますね」
「……」
「…まだ、前に進めませんか?」
僕はアキの方を向いた。
「……アキ」
「はい」
「僕は、カルのこと、見れてなかったかな」
「……私、なんとなくわかりますよ」
彼女は目を伏せた。
「カル先輩が考えてたこと。多分、私たちの憧れがきつかったんですよ。そうやって他人の憧れに自分を合わせていくのが、辛かったんです」
「……うん」
「本当は、カル先輩だって、先輩から憧れられてるの、嬉しかったんだと思いますよ。大切な人から、そんな風に思ってもらえるなんて、そんな幸せないですもん」
彼女の姿がふと目に浮かんだ。短かった髪。男の子の制服みたいな服装。中性的な雰囲気。淡々とした口調。公平な考え方。優しい声音。金木犀の香りにほころんだ顔。
「でも、人の憧れからずれないように生きることなんて、できませんよ。きっと、カル先輩は振り切ろうとしたんです。先輩の憧れと、それを幸せだと思う自分のこと。誰かの期待を満たすために生きてちゃいけないって思ったんです。だって、そんな関係はいつか破綻するから。それが例えどんなに大切な人でも、そんな関係は振り切らなきゃいけないって。だから、変わろうとしたんですよ」
だからこそ、僕が一番にそんな彼女を理解しなければならなかった。僕には義務があったんだ。それなのに、なんで彼女を見ようとしなかったんだろう。
アキは僕の方を向いて、少しだけ口の端を上げて見せた。
「でも、誰だって、そんなに完璧にはいかないのにね。先輩だって、カル先輩だって……私だって」
子供を諭すような声で笑顔を見せた。ナチュラルに敬語が外れている。アキの笑顔は寂しそうに見えた。きっと、アキも、歳の分だけ後めたさを募らせてる。
僕らは皆、そう簡単に生きてないんだな。僕はそう思った。悩みなんてないように見えたって、苦しみなんてないように見えたって、僕らはそう完璧にはいかない。時には、一人じゃ立ち上がれない時だってある。
問題は、そんな時にどういう風に向き合っていけばいいのか。
アキが、ねえ、と口を開いた。
「もう会わないんですか?」
アキは不安そうな顔をしていたが、僕はアキの問いかけに答えなかった。どう答えてよいのか、わからなかったからだ。
これからどう関わるべきか。あるいは関わらないべきか。簡単に答えが出る問題ではなかった。
それでも、僕は思う、それでも、やはり向き合う努力はするべきなのだ。
黒いエプロンをした喫茶店の店員が僕らのテーブルにケーキがのった皿を置いた。
「チーズケーキです」
僕らのテーブルには既に、僕のモンブランとアキのショートケーキが乗っていた。この席の人数にしては、少しケーキの数が多い。
アキがそれを見て、嬉しそうに言う。
「食欲の先輩、という訳では無さそうですねえ」
僕はまた視線を外に向けた。この喫茶店が入っているビルの入り口をずっと見ていた。
長い黒髪と、ピンク色のイヤリングの彼女の姿を思い浮かべて。
黒い服の魔女
-了-
黒い服の魔女 早雲 @takenaka-souun
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