第15話 身勝手
切符を自動改札機に入れた。問題なく改札は開いて、僕はプラットホームから外に出る。初めて来る駅だったけれど、そこまで大きな駅ではない。だから、なんとなく、どこに降りればいいのかが分かった。駅は高架になっているから、ホームは高い位置にある。駅から出るには階段かエレベーターを使う必要があった。
僕は長いトンネルのような階段を降りて、地上に向かった。一歩ずつ自分の体重が足の裏にかかっているのが感じられる。日の光がこのトンネルの出口から差していた。階段を踏み締めるたびに光がどんどん近づいているのが分かった。
階段を降りたら、そこは広場だった。休日の少しだけ騒がしい、明るい広場。
降りた先には、カルが立っていた。
彼女は花束のような何かを持っていて、それは、僕にお祝いをしてくれているようだった。だけれど、花束に見えたのは、剣の形をしたバルーンアートだった。
彼女は真っ赤な風船を両手で抱えて、階段上にいる僕を真っ直ぐ見つめた。そのように見られても困る理由などない。それでも僕は困惑した。多分、僕はこの歳になるまで、後ろめたさを募らせたんだろう。
そして、それはきっと、カルも同じだと思う。彼女も僕と同じく、歳の分だけ後ろめたさを募らせた。
それでも彼女は僕を真っ直ぐ見つめていた。
◯
「どうしたの、それ?」
僕の口から真っ先に出た言葉はそれだった。カルは困ったように笑いながら、赤いバルーンアートを見ながら言った。
「よく分からないのよね。君から連絡が来たから、ここで待っていたのだけれど、そうしたら小さな女の子がやってきてね」
「女の子?」
「これあげるって。それで、その子はどこかに行っちゃった。変だよね」
カルは実にあっさりしたしゃべり方をした。
「ねえ、少し行きたいところあるんだ」
そして、僕の手を引いた。
僕はカルに手を引かれるままに歩いていた。木々の中を歩いていく。僕らは公園の中に入っていた。もう二十分くらいは歩いただろうか?カルと僕はしばらく黙っていた。カルがどこへ向かっているか、見当がつかなかった。
広い公園の中心に差し掛かった所で、ついに僕は口を開いた。
「どこにいくの?」
カルは僕の方を振り向いた。僕の手を握ったままだった。
「私、君のせいにしてないよ」
「え?」
「クラタ アイリさんのこと。私、君に巻き込まれたって思ってないよ」
手を強く握る感触が伝わる。彼女の目は真っ直ぐ僕を見据えていた。
「アイリさんは身勝手で弱い人間だった。でも、自分を理解してもらいたいと言う気持ちは私にもよくわかるよ」
「……」
「そこまで理解できたはずだと思ってたのに、彼女の助けになれなかった。それは私の責任だよ。だから、君のせいにしてないよ」
もしかすると、僕はふと思った、これは僕が一番望まないことだったのかも知れない。僕が彼女に何を言うかも曖昧なまま、自分の気持ちを整理できないまま、彼女に許されるということは果たしていいことなのだろうか?いや、そうじゃないはずだ。
今日、僕は、彼女と向き合うために来た。ならば、何か言わなければ。
「僕は…」
カルが僕の目を覗き込むようにして訊いた。
「なに?」
「アイリの件を君に任せて、君が失敗したと言ったとき」
「うん」
「きっと僕も混乱したんだ」
「うん」
「失敗したと言ったけど、それは僕らにコントロールできないことだと思ってた。だから君の責任じゃないって」
「……」
カルに何もかも見透かされているような気がして、自分が何を言おうとしているのか分からなくなってきた。そうやって口をついた言葉は、自分でも間抜けだと思えるものだった。
「君が泣いていることが、卑怯に思えた。僕は昔の君を知っている。昔のカルなら、泣かずに、起こった出来事を見直して、冷静になるように努力すると思った。そうやって、もっと善い人間になるように努力するのがカルだって」
もう少し工夫できないものだろうか?あまりに直接的すぎた。でも、それでもここで言うべきことなのだ。ここで言わなければ、一生すれ違うかもしれないから。
「僕は、カルみたいになりたかった。君に憧れてたよ」
カルは握っていた手を離した。そして、やっぱり困ったような笑顔でこう聞いた。
「そして、だから、泣いてる私に失望した?」
僕は深呼吸した。
「……そうだよ。でも」
「でも?」
「でも、それ以上に、君をそんな状況に追い込んだ自分が許せないんだ」
僕のその言葉を聞いて、カルの目の色が変わったように思えた。いつも温厚だったカルが見せたことのない感情。
「ねえ、なんでそんな事になるの?」
彼女ははっきりと怒っていた。彼女は離していた僕の手を再び掴んだ。痛いくらい強い力だった。
「ちゃんと見てよ。私は私の失敗を君のせいになんてしてない。私が背負うべき失敗だってちゃんとわかってる。君は勝手に自分のせいにして、私から遠ざかってるよ」
僕はカルのこんな様子を見たことがなかった。気圧されながら僕は言った。
「あの事件で、君が君じゃなくなった気がしたんだ。あの頃の君じゃなくなった、いや、あの頃の君を取り戻せなくなったと思ったんだ」
彼女は変わった。どこにも帰属せず、誰にも公平で、そして誰にでも優しかった、あの彼女ではなくなった。
ずっとそう思っていた。だけれどそれは、悪いことなのだろうか?僕は未だに答えを出せずにいた。
カルは僕の疑問に応えるように言った。
「変わったっていいはずでしょう、私は今の自分がいいんだ」
「君は、自分のことを決めつけているよ」
「そうだよ、私は私のことを決めつけているよ、それのどこがいけないの?」
カルの声が段々大きくなっていった。
「私は自分に同情して泣いてる卑怯な人間だよ。それでも、泣いたのは、自分への同情だけじゃない。自分の無力も、彼女を助けられなかったこともそうだよ。なんで分かってくれないの?」
そうだ、彼女の涙が自己憐憫だけのものではないということ、僕は心のどこかで気がついていたはずだ。人間の心はそんな単純なロジックでできていない。
「私、弱いよ。でも、弱い私でもいいんだよ。そんな自分を認めてるよ。私、君のことが好きだよ。君やアキのことが好き。昔私が立派だって言ってくれたこと、嬉しかった。でも、私が弱いってことも、ちゃんと知ってよ」
アキやカルに昔から言われてた。僕はずっと見るべきものを見ないふりする。僕は彼女の弱さを見なかったことにしたのだ。僕の憧れと寸分違わぬ姿だと思いたかったのだ。
でも、本当のカルは自分の弱さを知って、その弱さに向き合っていた。それすら知らず、僕は彼女に勝手に憧れ、勝手に失望した。
彼女は僕の肩をつかんだ。僕の目を覗き込んだ。
「ちゃんと私のこと見なさい!」
彼女は僕を見据えていた。長い黒髪にピンクのイヤリングが揺れていた。
彼女の目には勇気があるような気がした。弱い自分に向き合い、そして、その弱さも含めて、ちゃんと理解し合おうとする勇気だった。
こんな風に彼女と向き合うのは初めてだった。でも、こんな風に向き合うだけの資格が僕にはあるのだろうか?見ないふりを続けてしまった僕に、そんな資格が。
日はまだ高く、はっきりした青空には公園の樹木の緑色がかかっている。あたりは明るくて、僕ら以外には誰もいなかった。
いつのまにか、彼女の手の中にあった風船は消えていた。
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