第一章「旅立ちの朝」
Ⅰ 「出発」
Ⅰ - Ⅰ アイリー
アイリー・シュトライヒ一家の朝は早い。
6時に起床し朝食を済ませ、市場に売り出す包丁や刀を、荷車に乗せる。
彼女の家は鍛冶屋で、代々受け継がれた伝統的な刀剣を作っている。彼女の父親が5代目で、現在は刀剣よりも包丁が主流である。
アイリーは今年13歳になるが、鍛冶屋を継ぐ予定はない。近いうちに弟ができるため、父親が弟に継がせたいと言ったからだ。
正直なところ、彼女は安堵した。
小さい頃から、父親のお手伝いをしていたが、当時それを周りの友人に言うと
「女の子なのに、刀なんて作るのは変だよ。」
と言われてしまったのだ。それ以来「女の子なのに鍛冶屋で働いている」と言うことを周りに言うのが恥ずかしくなってしまった。
(お姉さんになるって、どういう感じなのだろう。もっとしっかりしなきゃダメよね。これからは中学生になるのだし、勉強とか教えてあげられるように、しっかりやっていかなきゃ!)
そう思いながら荷車の準備をし終えると、ちょうど父親が家から出てきた。
「アイリー、行こうか。」
荷車を前から父親が引っ張り、後ろからアイリーが押す。商品が鉄でできているため、割と重たいが、小さい頃から鍛冶屋のお手伝いをしてきた彼女には、すでにそれに見合う体力と力がついていた。
市場に着くと、早速販売開始の鐘がなった。
食料と違って、頻繁に客が来ることはないが、何個か売れれば家計が安定する。今日も何人かの客が来た。
「包丁の切れ味が良くないから、買い替えたいんだけどねぇ。」
しわがれた声の老婆がそう言った。彼女は常連であり、アイリーもよく知っている顔だ。
父親は、手慣れた動きで一本の包丁を手にした。
「よく使ってくださる包丁はこれでしたね。また同じものでよろしいですか?」
「さすがご主人!よくわかっているね、ありがとう。」
そういうと老婆はお金を支払い、満足そうに去っていった。
「アイリーもすぐわかっただろう?あの人のよく使っている包丁がどれなのか。」
「うん。」
誰がどの包丁を好むのか、普段何を使っているのか、アイリーは既に把握済みだった。
(女の子なのに包丁を作るのは変でも、売るのは変じゃないわ!)
大きな声で言えないが、実のところ、彼女は父親の鍛冶屋という仕事が好きなのである。そのため、このような屁理屈を心の中で何度も唱えている。
販売がひと段落ついた頃、2人の少女が声をかけてきた。
「アイリー。一緒にお散歩しない?」
彼女らは友達の、ベスとケリーである。
父親に許可をもらうと、3人は広場のベンチまで歩いた。
広場まではおよそ500メートルあり、向かう通りにはあらゆる出店が連なっている。そこで、ベスはソフトクリームを購入して、舐め始めた。その横で、ケリーが喋り始めた。
「私たちも、もうすぐ中学生になるじゃない?そしたら彼氏とかできるのかなー。」
読み回した雑誌に掲載されている恋愛小説にハマっている彼女は、口を開けば恋愛話をする。
「好きな人ができたら、絶対報告するのよ!特にベス、あなたはすぐとぼけて話を逸らすけど、今回ばかりはそうはいかないからね!」
ベスはソフトクリームを食べながら「はいはい。」と頷いた。
「そういえば、隣に住むベンが、最近ずっとケリーのことチラチラ見ているのよ。」
アイリーが冷やかすようにいうと、ケリーがムッとして
「彼は確かに良い人だけれど、私の好みではないの。もっと背が高くて、喉仏がはっきりしているハンサムな人がいいわ。」
と返した。
「私たちまだ13よ。彼も同い年、すぐハンサムになるって。」
恋愛話に夢中になって歩き続けると、広場に着いた。3人はベンチに座り、将来について話した。
「私は、ハンサムな人が現れて、恋に落ちる。でもそこには、恋のライバルがいて、色々争いながらも、最終的にはゴールインって感じかな。」
“お喋りケニー”が相変わらず、恋愛一直線で夢を語る。
その隣でベスは頬杖をつきながら話す。
「私は勉強を頑張って、奨学金をもらって大学に行く。そして最先端の国に行って、医療とか勉強したい。」
「あら、ずいぶんとご立派なこと。もっと大胆なこと言うかと思ったのに。」
ケニーとベスが討論しあっていると、アイリーが「私は…」と口を開いたので、2人はお互い黙り、彼女の方を見る。
「私は好きな人と結婚して、子どもができて、温かい家庭を築きたい。」
あわよくば、今の鍛冶屋の仕事も続けていきたいと思っていたが、それは口には出さなかった。
「素敵じゃない。きっと、あなたなら叶えられるわ。」
そう言って、3人は肩を抱き合った。
市場は終わり、アイリーは父親と家に戻った。すると騒がしく彼女の母親が、家を飛び出してきた。
「妊娠中なのだから安静にしていろと言っただろう。」
「ごめんなさい。でも、これが騒がずにいられますか!」
そう言って後ろを向いた。彼女と父親は視線を合わせたあと、母親と同じ方向を見た。するとこの辺りでは、決して見かけることのない、豪奢な黒い馬車が止まっていたのだ。
ただ正確には馬車というのは異なる。なぜならその馬車には、それを引く馬が見当たらなかったからだ。
そして御者台からひとりの男が現れた。背は高く、全身黒いスーツを纏っている。白髪だらけの頭には、黒いシルクハットがよく映えて見えた。
男は、落ち着いた茶色の瞳でこちらを見ると、シルクハットを軽くあげ、会釈をした。
「突然、ご訪問に参りましたこと誠に申し訳ありません。私は境界先の者です。実は、アイリー殿に御用があり、参上致しました。」
境界先とは、アイリーたちが暮らす国の三分の一を占める領域のことである。
人々は、その先に入ることが許されず、その領域について知る者は、ほとんどいなかった。
唯一聞いたことある(ほぼ噂に近いが)ことは、見た目は人間であるが、どこかこちらとは違う何かであるということくらいだった。
こうして稀にこちらの領域に訪れる人はいるようだが、まさかこの家を訪れようとは誰が知り得ようか!
「一体うちの娘に何の用ですか?」
アイリーの父親は、怪しい何かを見るような瞳で、その男を睨む。
「実はアイリー殿を、こちらの領域に連れて行かなくてはいけないのです。」
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