第5話 小さな化物

 脱出経路、つまるところ上層への階段を探していると、それは案外すぐに見つかった。これで地上に出られる。そう思ったのだけど⋯⋯階段は使えるとは限らないようだった。

 階段は数段しか上がれなかった。そこから先は砕けていて、ジャンプしても絶対に届かない高さだった。地震でも起きたのかな? よく見れば床に亀裂もあった。

 すぐ横にはエレベーターがあったけど、それが動かせるなら下層のPCも電源がついていたはずだ。

「どうしましょう⋯⋯このままだと僕達、ここで死んじゃいますよ⋯⋯。」

「おんぶして⋯⋯も無理かな。エレベーターも電源を点けないと。」

 ならばすべき事は分かりきっている。この階層に電力源がないかを探す。そして探し始めること数分で、目的のものは見つかった。

「これ何が原因なのかな?」

 生憎、私の知識には目の前のよく分からない機械の何がいけないのか分からない。

「えっと、これは⋯⋯あ、ブレーカー落ちてるだけです! これならすぐ復旧できますよ!」

「え、本当?」

 と、言うことでブレーカーを直そうと、エドワードは少し走って近づく。そして次の瞬間、彼は私から少し離れた闇の中で動かなくなった──文字通りに。

「──は?」

 分からなかった。一瞬、何が起こったのか。なぜ、私は血を見たのか。その原因が何なのか。血の持ち主は誰だったのか。しかし、すぐにそれら全ての原因は判明した。

 『死んでいるのに生きている』という殴り書きの内容をその時思い出した。ああ、あれは、奴のことを言っていたのね、と。

「────。」

 それはゾンビというものだった。でも、映画で見たゾンビとは少し異なっていた。あちらはまだ、人の形を保っていたけど、私の目の前に居るのは、人を粘土みたいにこねくり回したものだった。

 骨がなくなったように動く長い首の先には、元の顔の判別が何とかつく程度に崩壊した顔面がついていた。胴体は骨と皮からできていて、不健康そのものだ。そして手足の他に、脇の下あたりから腕が生えていた。合計四対の、その怪物の全長ほどある長細い腕と足で俊敏に動く様は、私に不快感を抱かせるに余りあるほど、気色悪かった。

 そして、この化物は容易くエドワードを殺害して、私がいると言うのに彼の死体を捕食し始めた。それとも私には気づいていないのだろうか。

 ──ああ、なぜ、私はこうも冷静なんだろう?

 確かにエドワードとはつい先程出会ったばかりの関係。でも声を知っているし、性格も知っている。普通ならもっと悲しむべきはずなのに、どうして私はそこまで悲しんでいないのだろう? 

「⋯⋯どうでも良い。もう、どうでも。だけど、私が成すべきことは未だ変わらないままでしょ。」

 頭痛がする。頭の中に直接刃物を突っ込まれて、大事な部位を切除されたみたいな⋯⋯いやそれならもっと痛いか。もしくは気絶しているかな。

「こんな化物から逃げることなんてできない。だったら。」

 おそらく、この化物は元人間。今は人間じゃない。だって、私の知っている殆どの人は人を食べないし、何よりこんな異形ではないのだから。

 私は食事中の化物にゆっくり、音を立てずに近寄った。そうしても気づかれないと、そう確証したから。化物は私の予想通り、食事に夢中なのか私の方に振り向きもしなかった。走って近寄っても気づかれなかったとさえ思った。

 右手に持つ拳銃の照準を、化物の後頭部に合わせ、そして引き金を引く。

 なんだ、思ったより軽い。引き金も、反動も。

 一発目で化物の体は止まった。倒れるまでに二発目を撃ち込み、倒れてからも三発目、四発目を撃ち込んだ。

 一発で十分だっただろうけど、念には念を入れた結果、私は何回も引き金を引いた。

 マズルフラッシュが闇の中を刹那照らし、硝煙の香りが仄かに漂う。真っ赤な鮮血が床に広がり、私の瞳には、外気に暴露した脳髄と、血肉が反射した。

 吐きそうなくらいの血の匂い、不愉快な死体。でも私は泣かなかった。怯えなかった。ただ、気色悪いと思うだけ。殺すことにも、死体を見ることにも慣れた気がした。それとも私は元からそうなの? 

 果たして私の失った記憶は、取り返すべき記憶なのか、疑問が浮かんだ。

「⋯⋯今は先に進むしかない。」

 再び私は独りになった。

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