第4話 慣れ

 螺旋階段の踊り場まで登って、ようやく私は今まで居た場所のフロアを知ることができた。

 下層。それが先程まで私とエドワードが居たフロアの名前であり、そしてこの上は中層であるらしい。だとすればその上が上層──地上なのだと思う。

「⋯⋯何か変な臭いしません?」

 階段を上りきって、直後に鼻を腐臭が襲った。これは一度嗅いだことがある臭い──死臭だと、私は一瞬で理解できた。

「⋯⋯死体でもあるのかな。」

 その時、私の背後で悲鳴が聞こえた。まだ変声期を終えていない、というか始まってすらいない少年の声──エドワードのものだった。

「し、死体っ!?」

 彼は尻餅をつき、そしてその動きづらそうな体制で急いでその場から離れた。そんなことをすれば、お尻に床の汚れが付着しそうだ。

「そんなに驚かないの。まだ断定されたわけじゃないでしょ?」

「で、でも⋯⋯。」

 彼の怯え方は、正直言ってオーバーリアクションの類に入るものだった。確かにこんな臭いがすれば怯えるのも分かるのだけど、ここまで怯えるのはいくらなんでも臆病者だと思う。

 それとも私が可笑しいの? ⋯⋯そんな気がしてきた。私は子供だ。いや大人であっても、死体には怯える必要がある。私だって死体には、そのものには怖がった。でも、多分、エドワードなら今もあの場から動いていないだろうと思う。私はアレを見たとき、泣きもしなかった。ただ恐怖しただけ。映画とかで人が死んだ、それぐらいのホラーだった。あるいは──。

「⋯⋯今はそんなこと考えているような時じゃないね。」

 私は気分転換も兼ねて、近くの扉を開いた。その扉の名前は見なかった。

「そのはずだったんだけどね。」

 エドワードが絶句し、扉に背中を押し付けて、一切動こうとしない。死臭であれだけ驚いていた。⋯⋯であれば、実物を見ればそうなるのも無理はない。

「日記⋯⋯それにアレとは違っていて、自殺?」

 自分の今の心情についてはもう考えないようにした。実際にもう一度見るまでは怖かったのに、見てしまえば慣れていたと気づいた、ということに。

 死体は綺麗だった。外傷の一つもない。もしも胸部に傷一つつけず、心臓を刳り抜ける化物がいるのなら話は別だけど、近くにある薬物からも、その女性の職員の死体が自殺した結果だと予測できる。薬品のラベルには『Opioid』とある。詳しくは分からないけど、その薬品の蓋が開かれていて、そして内部には何もなく、乱雑にいくつも転がっている。

 薬とは毒の別名称でしかない。過剰摂取は、本来想定されていた効果とは違う効果を齎す。場合によっては死ぬことも珍しくない。勿論、Opioidが薬にもならない毒物である可能性もあるけど、どちらにせよ結果は同じ。目の前の死体となる。

「⋯⋯え。何これ。」

 そこに書かれていたものは、私にはすぐに理解できなかった。日記というよりも、ただの殴り書き。その時思ったことを走り書いただけのものだ。

『私は死ぬ。私たちは死ぬ。皆死ぬ。数年前から起こっている異常現象。分かった。理由は私たちのすぐそこにあったんだ。あれが、彼女が原因だった。だから、今日、今さっきから、突然皆破裂し、砕け、溶けて、肉塊になったりして、残酷に死んだんだ。ゲームのバクみたいに、欠陥している死のデータを押し付けられたみたいだった。怖い。怖いよ。怖くてたまらない。嫌だ嫌だ。中には死んでいるのに生きているのも居た。ああはなりたくない。バグみたいな死に方をしているのが理由なら、私はせめて普通に死にたい。どうせ死ぬから、私はバグじゃない死に方をする。もしバグに殺されていない人がこれを見たなら、私の両親に伝えて欲しい。ごめんなさい、お母さんお父さん。もう二度と会えなくなる。愛してる。ミア・パルミエーリー』

 内容はおそらく自殺する前に書いたもの。所々に涙の跡があった。そして気になることが二つ書いてあった。

 まず一つ目、『皆死ぬ』だ。文を見れば、どうやら何かしらの死因があると分かる。それが、例えば化物によって齎されるものなのか、はたまた現象なのかは分からない。どちらにせよそれが避けることのできない確定的な死であるということには変わらないのだと思う。でなければこうも怯えない。

 また、死に方も普通ではないみたい。バグみたいな死に方⋯⋯見たくないような、見たいような。いや、やっぱり見たくない。

 そして二つ目、『死んでいるのに生きている』である。まさかアンデッドのことを言っているわけではないだろうけど⋯⋯そんなことありえるの? いやいや、そもそも私がここで研究対象になっていたこともあるし、その理由が私に何かあったから。もしも、そう、もし、この世界に超能力の類があったなら? 化物だっているはず⋯⋯私は遂にどうかしてしまったの? 

「⋯⋯分からない。分からないよ。」

 柔らかい頭は発想力に優れているけど、知識のないそれには優れた点を活かしきれる能力がないようだった。

 うん。分からないことは考えないようにしよう。時間だけを浪費することになりそうだし。そうしよう。

「あと⋯⋯エドワード、もうそろそろ落ち着いた?」

「う、うん。まだちょっぴり怖いですけど、少しは。」

「じゃ、行こう。」

 なんだかここには長居すべきではない気がしてきた。元よりそのつもりだけど、急いで脱出しないといけない。

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