第5話沢庵漬け

 山盛り福神漬けカレーを食べてから、一か月ほどは、何事もなく過ぎた。


 バイトが休みのその日、勇一は、大学の講義を終えた後、久しぶりに学食で昼食を食べていた。


 生姜焼き定食。

厚めにスライスした豚肉を、生姜醤油のタレで焼いて、大根おろしが添えてあった。

野菜サラダとお代わり自由のご飯に、ワカメの味噌汁、沢庵漬けが二切れ。

 学生用なので、ボリュームのある盛り付けが嬉しいメニューだ。 


 勇一はカウンターで料理をうけ取り、ワンコイン、五百円を支払って、テーブルの一つに座った。


「学食にいるなんて珍しいな」

友人の良行よしゆきが声をかけて来た。


「おう、久しぶり。今日はバイト休みだ」

勇一が言うと、良行は大盛りカツ丼が乗ったトレーを置いて、向かい側に座った。


「おい」

良行が入口の方に視線を移して。あごをしゃくった。

「なんだ?」


「あれ、見て見ろよ、いい女」

勇一が振り向くと、スレンダーな美女が、入口に立ってまわりを見渡していた。

淡いブルーのブラウスに濃い茶色のパンツというラフな格好だったが、腰まであるストレートの黒髪が印象的だった。

普通の学生とはどこか雰囲気が違っていて、目をひいた。


「確かに、見ない顔だな」

勇一は言って、興味なさそうに肉を咀嚼そしゃくした。


「なんだよ。気にならないのか」

良行は、カツ丼を食べるのも忘れて、美女に見入っていた。


「俺らには縁がないよ」

勇一はお茶を一口飲んでから、沢庵漬けをパリパリ噛んだ。


「冷めてんな」

「そんなこと言ったって、モブ属性の俺らには高嶺の花ってヤツだ」

「そんなんだから、彼女の一人もできないんだぞ」

良行はカツ丼を掻き込んだ。


籐賀勇一とうがゆういちさん、籐賀さんて方いますか?」

自分の名が呼ばれたのに気づいて、勇一は顔を上げた。


「籐賀 勇一だけど、何?」

勇一が手を上げて振り返ると、声の主は例の美女だった。


「おいおい」

良行が目を見張る。


「何か用?」

勇一が聞くと、女性は手に持っていた白いビニール袋を差し出した。


「これ、学食前で頼まれたの」

「頼まれた?」


「ええ、お婆さんに、学食にいる籐賀勇一に渡してくれって。で、二百円立て替えてるから下さい」


 なんと、あの老婆め、勇一は肩を落とした。どこまで、まとわり付いてくるのか。

「ありがとう、これお金」


とりあえず、立て替えてもらってるのは悪い。勇一がお金を渡すと、女性は上品に微笑んで、受け取った。


「確かに。それじゃ、頑張ってね」

「え?」

女性は意味ありげに、笑って背を向けた。


勇一が良行を見ると、彼はあんぐり口を開けたまま、固まっていた。

「おい、大丈夫か」

勇一が良行の目の前のテーブルを指でトントン叩くと、ハッと我に返った。


「知り合いか?」

「いや、全然。頼まれた婆さんとやらは、心あたりはある」


「なんだよ、知り合いは婆さんかよ」

良行は派手にのけぞり、持っていた箸をトレーに投げ出した。


 脱力している良行を放って、勇一は食堂を出た。

あの女性に渡されたビニール袋を下げて、大学の門を出ようとしたところで、突然、まわりの景色が変わったのだ。


 いつもなら車が行き交う、アスファルトの大通りがあるはずだった。それなのに、目の前には、黄色いレンガの道があった。


 道はゆるく蛇行して、くねくねと地平の向こうへ続いていた。


「ここは、どこなんだ」


見回しても、高いビルなんかない。あたり一面に、平坦な畑があるだけだった。


 あっけに取られて立っていると、道の向こうから、何かが動いてくるのが見えた。


 それがやがて、確認できるほどに近づいてくると、巨大な木の樽だった。


 樽は、ゴゴゴゴゴォォ……と、やかましい音を立てて、レンガの道の上を滑って、勇一の目の前に止まった。


「な、なんなんだ」


 戸惑う勇一の目の前で、大樽の木組みの一枚が持ち上がり、どうぞお入りくださいとでも言うように、体が通れるくらいの隙間ができた。

 勇一は嫌な予感がして、二、三歩後へ下がったが、手に持っていたビニール袋が勝手に樽の中へ引き込まれ、勇一もまた、強引な力で樽に転がり込んだ。


「うわ!」


 あわてる勇一が、体を起こすのも待たずに、持ち上がっていた組み板は元に戻って、勇一を閉じ込めたまま動き出した。

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