木とそれ以外、あるいは機械工学 19

 真っ黒な曇り空の下、雨はまだ降らないが、あと三十二分五十秒後には雷が鳴り出す。統合人工知能「P.Z.」のシミュレーション能力は全宇宙の挙動をシミュレートできるほど高い。一つの星の天候状況を予測することなどは、物体の重心の位置を求めるよりも簡単なのだ。

 私と少女は事前の雨宿りをするために、小さな喫茶店に入った。古いジャズのかかった落ち着いた雰囲気の喫茶店だった。マスターは驚くことに旧人類だった。まだこの辺りに旧人類がいるとは思わず、私は驚きの声をあげそうになった。しかし、今はもうどうでもいいことだ。

 私は熱いコーヒーを、少女はオレンジジュースを注文した。熱いコーヒーは言わずもがなエネルギーを保持している。私は熱エネルギーの補給に余念がなく、少女はまだそこまで気構えができていない。キンキンに冷えたオレンジジュースは私たちに何をもたらすのだろうか。

 少女はストローでオレンジジュースを吸い取りながら、言った。

「この世界が有限だとしたら、この世界に永遠がないとしたら、天国も地獄も存在しないのかしら? 死んで生まれ変わることはあり得ないのかしら? 最近はそんなことばかり考えているの。私たちは死んだらどうなるの?」

 私は熱いコーヒーを一口飲んでから答えた。

「世界の有限性は必ずしも死後の世界や生まれ変わりを否定しないよ。世界が存在する限り、死後の世界も存在するかもしれない。もしくは、この世界とは完全に切り離された永遠の世界があるのかもしれない。私たちにはいまだに理解できないことがある」

 刹那的なセスナ、瞬間的に飛び上がり、迂回し、目的地まで光速を維持する。世界の切り取りは写真か、映像か、はたまた音楽か。私たちの運動は物理法則に従っているが、心理運動はどうか。私たちの精神は何に従っているのか。私たちの精神はこの世界によって規定されているのか。

 相関関係は因果関係を意味するとは限らないとは昔からの定説ではあるが、たとえば、私の行動と少女の行動の関係はどうか。私の発する言葉は少女を規定するか。あるいは逆に、少女の言動は私の行動を縛る鎖になるだろうか。無限に長い鎖を用意して、私は私を規定する。

「そろそろ帰ろうか。もうじき雨も止むから」

 私は窓の外を見ながら雲の動きを目で追った。「P.Z.」のシミュレーション結果によると、二分三十秒後に、この雨は止む。そして、この未来予測は百パーセント正しい。私たちは偶然性に従っているのか、それとも、全ての行動は決定されているのか。決定されているのは行動だけか、精神の動きも決定されているのか。私たちには理解できていないことが多い。世界は終わりかけているのに、世界の広さに絶望を感じるのはなぜか。

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