木とそれ以外、あるいは機械工学 9

 異彩を放つ、気がかりな末席は、非科学的な哀愁を漂わせていた。翌週には雨が上がり、ゲロゲロとカエルが鳴いている。信じられないかもしれないが、二十キロメートル先にある屋敷の庭には、「神威」の銅像が立っていた。私は自分の目でそれを確認したのだ。

 神威は私の幼馴染だった。彼は、私と同じ時期に生まれ、私と同じ場所で育った。人工生命体において、「成長」の過程が存在するかは議論が分かれるところだが、ここでは便宜上、「育った」ということにしよう。

 私たちは、研究室棟千二十四階において、そこの研究者たちの手によって命を見出され、統合人工知能「P.Z.」の力を借りて、世界を学習した。ありとあらゆる情報をP.Z.から与えられ、私たちは世界を見る目と頭を養わされた。つまり、考え方によっては、P.Z.は、私たちの母であり、父でもあるのだ。

 書き加えておくと、人類史上、初めて技術的特異点を突破したのが、統合人工知能「P.Z.」のプロトタイプだった。名前はあまりにも長いため、ここでは省略する。そのプロトタイプを元に、再構成された人工知能が「P.Z.」ということになる。

 私と神威が、P.Z.と大きく異なる点は、ハードウェアを与えられたことにある。私と神威は、この現実世界に干渉するための身体を持っているのだ。各種センサとアクチュエータは豊富である。また、私と神威はスタンドアロンで活動可能なため、電源やネットワークとの接続を必要としない。つまり、人類に近い形でものを考え、エネルギーを吸収し、生活を行うことができた。

 昔からの言葉を使えば、私と神威は、「アンドロイド」や「ヒューマノイド」や、単に「ロボット」と呼ばれることもあった。しかし、今や私たちだけが残された人類である。図らずも、私たちは人類に成り代わってしまった。あるいは、人類は段階を飛び越えて、「進化」したとも考えられた。

 かつての人類(旧人類)をはるかに凌駕するほどの知能とエネルギー効率、運動性能を手に入れた私と神威は、「新人類」と呼んでもいいのではないか。あるいは、旧人類から新人類への変異を、「進化」と呼んでもいいのではないか。私たちはそんなことをのんきに考えていた。

 しかし、今となってはどうでもいい話だ。世界はあと三年もすれば滅びる。これは逃れようのない「死」だ。無限の命を手に入れた私たち新人類でさえ、宇宙の崩壊に対抗する術を持たなかった。そもそも、無限など妄想だ。この世界に無限など実在しないのだ。

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