第2話

 蚕がやって来て二日目の朝。

 今日も夏期課外があるので制服に着替えて、ダイニングに向かえば、蚕はリビングで飼うことにしたらしく、夜通しクーラーが付いたままの室内は涼しかった。

 母が用意した朝食を食べつつ、昨日、紗也佳の餌取りに付き合って蚊に刺された腕を掻く。やっぱり手伝いなんて引き受けなければ良かったと思っても、もう遅い。

 朝課外の時間から授業があるため、6時過ぎの電車に乗らなければならない私と違って、紗也佳はラジオ体操の時間ギリギリまで眠っている。

 寝汚いぎたなし、と今日の古文単語の小テストの範囲の言葉がぴったりだと思いながら、トーストと目玉焼きを平らげて、家を出た。

 学校へ着くと、副委員長の仕事の一環で、職員室に寄って夏期補習用の出席簿を取ってくる。廊下側に並んだ各クラスの棚から、自分のクラスのバインダーを探して取りだした。

「おはよう、桑原くわばらさん」

 後ろから名前を呼ばれて振り返れば、クラスの担任である森屋先生が立っていた。

「あ、おはようございます」

 何事だろうと思いつつ、挨拶を返す。

 森屋先生は、ふわりとしたパーマの長い髪で、いつもシックなロングスカートを着た、上品なおばあちゃんといった印象の国語の先生だ。眼鏡の奥のたれ目はいつも笑みを湛えている。穏やかだし分かりやすい授業をするのだけれど、あまり人の話を聞かない先生だ。

「桑原さん、また模試の志望校調査、早稲田が第一志望で九大を第二志望にして出していたけど?」

 優雅な微笑みとともに聞かれて、ええまあ、と苦笑を浮かべて濁す。

 昨日出した志望理由書を見てのことだろう。先生がこれをわざわざ聞いてくるのには訳がある。

 一年生の時の担任は、私が早稲田に行きたいと言ったのを応援してくれていたのだけれど、その先生がその年、転勤になってしまい、二年生になって担任がこの森屋先生が担任になってからは、早稲田より九大――九州内ではトップの、国立の九州大学を勧められているのだ。

 この森屋先生、一学期の最初にあった二者面談では、志望校と私の今までの成績を見ながら『第一志望が早稲田なのは、入試に数学がないから?』と聞いてきた。

 成績上、数学が壊滅的なのは事実なのであまり強くも反論出来ず、将来的に出版関係の仕事に就きたいこと、そのため東京の大学の方がいいこと、学力的なことも考えてそれで早稲田にしたいこと、親もお金の事は心配しなくていいから好きな大学に行けと言ってくれていことなどを説明したのだが。

 先生は一言そうねえ、と呟いた後、『国英だけ見たら九大を狙える範囲にいるし、数学だって今からでも十分間に合うし、九大からだって出版関係に就けない訳じゃないし、女の子なんだから親御さんだって近場のほうが安心でしょうし』というようなことをつらつらとあげつらい始めた。

 要は『第一志望を九大に変えろ』ということだ。どうしても国立大に行かせたいらしい。田舎の高校の悲しい性だ。

 その時はひとまず、考えておきますと答えて乗り切り、その後も何かにつけて『九大にしたら?』とほのめかしてくる先生をのらりくらりとかわしていたのだけれど、一対一の状況でこうも直接聞かれると困ってしまう。最近では先生から話を聞かされるうちに、やっぱり第一志望を九大にした方がいいのではないかとも思えて来ているのだから尚更だ。

「やっぱり、九大は嫌?」

 森屋先生はなんとも答えにくい聞き方をしてきた。

「いえ、嫌というわけではありませんが。とりあえず、第一志望をどうするかは今度の模試の結果を見て、色々考えます」

 どういう結果だったらどうするか、というのを明確にせずに曖昧に答える。このくらいは許容範囲だろう。

「そう、じゃあ模試の結果を楽しみにしてるわ。頑張ってね」

 何をどう解釈したのか、森屋先生は納得した様子でそう言うと、自分の机の方に行ってしまった。この場をしのげたのはいいけれど、結果が返って来た後どうするか、というのはあまり考えたくない事項だった。


 その後、授業が開始してからも、あんな答え方をしてしまったのを後悔して気が重かった。結果が返ってきたら、はっきりと自分の答えを決めなければならない。

 あれほど九州大学を勧められて、それでも早稲田がいいと貫き通せるほど、私の決意は固くないのだ。先生があれほど勧めるからには、私にはそっちの方が合っているのかもしれないと思えてくる。それに、私には妹がいる。お金の事は心配するなと言われてはいるけれども、やっぱり妹の事も考えると私立に行くのは申し訳ない気がするのだ。

 だいたい、東京の数ある大学の中から早稲田を選んだのは、出版関係の仕事に就きたいというようなことを母に話したら『じゃあ早稲田がいいんじゃない?』と言われたのがきっかけだ。

 本当にどうしようかと考えながら授業を受けるうちに、朝課外を含む五コマがあっという間に過ぎ、帰りのホームルームになった。

 結論は出ないままだ。気の重さが増す。

 先生から一通り明日の模試についての連絡や注意があって、いつも通り挨拶してから解散となった。

 電車の時間が近いため急いで帰る人、昼からの部活のために教室でお弁当を広げる人、教室模様は様々だ。ちらほらと明日の模試についての話題も聞こえる。

 そんな中で私は出席簿に今日の授業科目や欠席者を書き入れると、それを返却するために職員室に向かった。どうあがいても一番時間が近い電車には間に合いそうにない。その次の電車は一時前だから四十分程待つことになる。

 とりあえず、この待ち時間は明日の模試の勉強を兼ねて夏休みの課題でもすることにしよう。

「まゆちゃん」

 そんなことを考えながら階段を下りていたら、後ろから不意に柔らかな女子の声であだ名を呼ばれた。振り向くと、同じバインダーを手にしたポニーテールの女子が手を振りながら階段を下りて来ていた。

「ああ、吉乃ちゃん。出席簿?」

「うん、今から持っていくところ。まゆちゃんも? 電車、間に合わないね」

 パッチリ二重の目をきゅっと細めて苦笑いしながら声をかけてきたのは、幼馴染の福永吉乃ふくながよしのちゃんだった。吉乃ちゃんの家が道路を挟んでうちの家の斜め向かいというご近所さんで、二人とも帰宅部なのでよく一緒に帰っている。彼女は理系の特進クラスにいて、私と同様に副委員長をしているのだ。

「そうだねえ。吉乃ちゃんは電車までの間どうするの?」

「明日の模試に備えて勉強しようかと思って」

 模試前日となると考えることは大体同じらしい。

「もし迷惑じゃなかったら、数学、教えてもらえない? 課題を解いてたら、分からないところが沢山あって」

「いいよ。じゃあ、後でうちのクラスにおいでよ」

 出来の悪い生徒を優しく見守る先生のような苦笑を浮かべながら引き受けてくれた。

「ありがとう、ほんと助かる」

 こういう時に理系の友人というのはありがたい。しかも彼女は理系特進クラスでも上位常連と来たものだ。

「いえいえ。そうと決まったら早く返して来よう、出席簿」

「そうだね」

 生真面目な吉乃ちゃんの言葉に私も足を早めた。



 そして、吉乃ちゃんの特別授業に至る。

 図形と方程式の単元で、動く点Pの最大面積の問題に四苦八苦していることを伝えれば、吉乃ちゃんは求めるものを明確にしてから、そのためには何が必要か、それを求めるためには条件の何を使えばよいか、というのを私に質問したりヒントを出したりしながら段階を踏んで考えさせてくれた。だから、とても分かりやすいし、解いた時に分かった実感がある。

 私が教えてもらった問題の類題の計算をしている間、吉乃ちゃんは自分の勉強をしていた。今は構文集を見ながら英語の宿題をしている。数学の課題はとっくに終わっているらしい。

「ねえ吉乃ちゃん、結局、模試の志望校は第一志望をどこで出した?」

「私? 九大の薬学部だよ」

 ふと気になって、計算をしながら聞くと、吉乃ちゃんは怪訝そうにしながらもすぐ答えてくれた。

「ああ、そう言えば前から言ってたね。九大で薬学部とか、すごいね」

「そう? まゆちゃんは第一志望を早稲田って前に言ってたし、そっちの方がすごくない?」

 吉乃ちゃんは少し照れたようにしてから聞いてくる。

「それが、今どうしようか迷ってて」

 吉乃ちゃんの問いかけに、思わず愚痴がこぼれた。

「迷ってるって?」

 吉乃ちゃんは英語の宿題に向かったまま聞き返す。

「森屋先生が、すごく九大の文学部を推してくるの。それ聞いてるうちに九大にした方がいいような気がしてきて。それに、うち、妹もいるでしょう。それを考えたら私立行くのも申し訳なく思えてきて」

「そっか、でも確か、お金の心配はしなくていいって言われてるんでしょ? なら心配しなくてもいいんじゃない?」

 あっさりした答えが返ってくる。なぜ私が悩んでいるのか不思議そうだ。

「それはそうなんだけど。やっぱり、あんまり負担を掛けたくないかなって。あ、ねえ、ここがさっきの問題と違うんだけど、どうすればいいかな」

「ああ、まゆちゃんらしいね。うん、じゃあ、Pまでの高さ求めようか。Pの式にtを代入して点Pの座標出したら分かるよね?」

 苦笑付きで返された。説明が続けられたせいで、何がどう私らしいのか聞きそびれてしまった。

「ああ、点と直線の距離使うのか」

 なんとなく思い出して、計算に取りかかる。

「そう。それで、森屋先生から九大勧められてること、親御さんには話したの?」

 吉乃ちゃんは、自分の課題に戻りながら尋ねてきた。

「ううん、まだ。三者面談があるから、どうせその時言われるだろうと思って」

 二年生は夏休みの課外期間に三者面談がある。母の仕事との兼ね合いで私の三者面談の順番は後半の方なので、まだやっていなかった。

「一度、まゆちゃんの口からそのことを言ってみるといいんじゃない」

「ああ、それもそうだね。一度相談してみようかな。早稲田を勧めたのだってお母さんだし」

 確かに一人でお金の事やら適正やらについて心配するより、聞いてみた方がいいかもしれない。

「吉乃ちゃんは三者面談終わったの?」

「うん、一昨日あったよ。先生から志望校とか今の成績とかの報告があって、このまま順調に行けば問題ないでしょう、みたいなこと言われて、お母さんも安心したみたい」

 うらやましい限りの答えが返ってきた。

「うちはまだなんだよねえ、どうなるかな。よし、解けた。これで大丈夫かな?」

 苦笑で返して、ようやく解けた問題を見せる。

「うん、そう、だね……見た限り大丈夫だと思うよ。よくできました」

 英語の宿題から顔を上げ、吉乃ちゃんは私の解答に目を通してから笑顔で言った。

「ありがとう」

「いえいえ。どういたしまして。じゃあそろそろ電車の時間だし、もう帰る?」

 一つ伸びをして、黒板の上の時計を見た吉乃ちゃんが言った。

「え、もうそんな時間?」

 私も慌てて自分の腕時計を確認すると、確かにそろそろ学校を出なければ電車に間に合わない時間だった。

「ほんとだ、早く出よう。この次って確か二時前だよね?」

「うん、一時四十八分の。それはさすがにね」

「勘弁してほしいよね」

 見解が一致したところで、机の上のものを片づけて、二人して教室を出た。



 この時期の一時から二時頃にかけての下校は地獄だ。嫌味なくらい青い空は見た目だけは爽やかなのに、照りつける日差しは半袖からむき出しになった肌を容赦なくじりじりと焦がす。

  日差しは痛いくらい。漢字を充てるなら「暑さ」というより「熱さ」に近い。魚焼きグリルに入れられた魚はきっとこんな気分に違いない。

 日影に入ろうにも高い建物があるわけでもなく、ただの民家じゃこの時間はどこもかしこも影が短くて入りようがない。

 この日差しに加えて、湿気を多くはらんだ夏の空気が身体にまとわりついて来て、自転車をこいでいても一つも爽やかさというものがなかった。

 もくもくと立体的な入道雲がひと雨降らすか、せめて太陽を遮ってくれれば少しは涼しくなるのに。

 無事に一時前の電車に乗れた私達は、自転車で駅から家へ向かう。

 アスファルトの照り返しのムッとする熱気を全身で受けながら、たわいない話をしながら自転車をこぐ。

 この町もそこそこ栄えている方だとはいえ、大きな道路から一本細い筋に入れば水を湛えた青々とした田んぼが広がっていたり、道端で野菜の無人販売が行われていたりする。

 そういうものを見ながら、きっと用水路に入ったら冷たくて気持ちいいだろうねとか、トマトもこの暑さで傷まないかしらとか言ううちに、家のすぐ近くの川に差し掛かった。

 この川は天降川あもりがわという名前なのだけれど、その綺麗な名前に対し、県下でもワーストに入る方の汚れた川だ。

 ほぼ河口な上、生活排水も流れてきているせいだ。

 それでも雨が降らなければ川底に沈むゴミがある程度見えるくらいには澄んでいる。いくら暑くてもここで泳ぎたいとは思わないが。

 少し風があるせいか、川面に当たる陽が乱反射して眩しい。

「ねえ、まゆちゃん」

 その川に架かる橋を渡りながら、前を走る吉乃ちゃんが私に呼びかけた。

「ん、何?」

「さっき進路の話、してたじゃない?」

「うん、したね」

 吉乃ちゃんの澄んだ声に答える。

「九大にするか早稲田にするか迷ってるのを、お母さんに相談してみるって言ってたでしょう?」

「言ったけど、それがどうかした?」

 今になって何なのだろう。

「もしさあ、お母さんからも九大を勧められたら、九大に第一志望を変えるの?」

 思わずハンドルの操作がぶれる。

 一瞬心臓が止まったような気がした。

 口調から吉乃ちゃんの意図は汲み取れない。単に疑問に思っただけかもしれないし、何かを諭そうとしたのかもしれない。それは分からない。ただ、その質問は私に強い衝撃をもたらした。

 返答に詰まる。確かに母に相談するつもりでいた。でも、その後どうするかなんて全然考えていなかったのだ。心のどこかで、早稲田を勧めた張本人である母が九大を勧めるはずがないと思っていたのだ。

 とっさに答えが浮かばない。迷っているとはいえ、早稲田に行きたい気持ちの方がどちらかというと強いのは確かだ。だからこそ、今まで森屋先生に勧められても懲りずに早稲田を第一希望にして出していたのだ。

 でも、母に勧められたら? それでも私は早稲田に行きたいと言えるだろうか?

 その状況を想像しただけで、暑さで火照った顔から、さっと血の気が引いていく。自信はなかった。嫌だと思いながらも九大に変更するかもしれない。

「まゆちゃん?」

 長く答えなかったのを不思議に思ったらしい吉乃ちゃんが、振り向いて尋ねて来た。

「あ、えっと、どうしようかな」

 答えない訳にもいかないので、思った事をそのまま口にした。

「まあ、相談するだけして、そこからまた考えてみる」

 とっさに続けた答えは、またしても後回しという選択。受験戦争はすぐそこだというのに。こんなことじゃいけないのに。

「そっか。まあ、私大だし東京だし、色々考えなきゃいけないもんね。話し合わないと、まだ何とも言えないか」

「あ、うん、まあ」

 吉乃ちゃんはちょっと違った風に解釈したように答えた。

 とりあえず、それに頷く。血の気は引いたまま、まだ戻らない。母親に逆らう、という事を想像しただけで言い知れない不安と緊張が心を締め付けた。

 自分の中に巣食う過剰なまでの母親の存在の大きさに今更気付く。ハンドルを握る手がじっとりと汗ばむのは暑さのせいだけではないだろう。

 橋を渡り終えて右折する。すぐ次の角で左折すれば、もう吉乃ちゃんの家はすぐそこだった。

「じゃあまたね、まゆちゃん」

「あ、うん、またね」

 家の前で自転車を降りる吉乃ちゃんを追い越しながら挨拶して、すぐそこの我が家の駐車スペースに自転車を停める。自転車から降りてスタンドを立てると、教科書や参考書や問題集がぎっしり詰まった鞄を荷台から下ろした。

 ずしりと取っ手が手に食い込むその鞄より、進路と母親の問題を自覚した心の方が遥かに重かった。



 そんな気の重さを紛らわすように一通り勉強をして、夕方、自室からリビングに下りてくると、そこは朝と変わらずひやりと涼しかった。テーブルでは紗也佳と、仕事を終えて帰ってきた母が並んで座って何やら箱を覗いていた。

「自由研究?」

 もう大分気持ちも落ち着いていたので、いつも通りに母へ問いかけて箱を覗きこむ。箱の中では、底に敷かれた葉っぱの上を白くて細い蚕が無数にうぞうぞと動き回っていた。

「うん、今から色々測ろうと思って」

 デジカメと電子秤と定規を箱の脇に準備し、昨日蚕を拾い集めたのと同じピンセットを手に持った母が答えた。

「へえ、ちゃんとやってるんだ。昨日も測ったの?」

 隣の紗也佳が広げているノートに、数字とちょっとした備考が書き記されているのを見て尋ねる。

「うん、姉ちゃんがお風呂入ってる時に」

「ふうん。でも、こんなにたくさんいるけど、昨日測ったやつがどれか分かる?」

 ノートを見る限り、一匹分しか書かれていないようだったので、疑問に思って聞いた。

「それが分かったら苦労しないわ。あ、これもダメ」

 桑を敷いた秤の上に乗せた蚕を、また箱に戻しながら母が答えた。どうやら昨日測ったものより小さかったらしい。

「え、じゃあどうするの」

「適当に、昨日測ったのより大きいのを記録しようかと思って」

 なんともアバウトな答えが返って来た。

「それじゃ正確な記録にならなくない?」

「いいのいいの、どうせ分からないでしょう」

 私が呆れて聞き返しても、返って来るのは相変わらずの身も蓋もない返事。

「まあ、それでいいって言うならいいんだけど」

 結局は紗也佳の宿題だ。その紗也佳が母に任せきりなのだから、母がそれでいいと言うなら、私が文句を付ける筋合いはない。

「あ、これ大丈夫だ。紗也佳、記録して。お母さん写真撮るから」

 どうやら重さも長さも昨日を超えるものがいたらしい。

「はあい」

 デジカメを構えながら言う母の横で、紗也佳は秤の数値を見ながら値を記録した。こういうのを見ていると、方法が適当とはいえ自由研究らしい感じはする。

「こうやって単品で見ると少しは可愛い気がするねえ。ほら」

 デジカメで撮った写真の写りを確認してそう言うと、母はそれを私達に見せて来た。

「ええ? 全然可愛くないよ」

「うん、それはちょっと理解出来ないかなあ」

 デジカメで見ても蚕は蚕だ。蛾の幼虫で白い芋虫だ。可愛いとは思えない。

 紗也佳と私から全否定されて、母は子供のように唇を尖らせて拗ねた顔をした。

「そうは言うけど、あんた達もそのうち愛着が湧いて可愛く思えて来るんだからね」

 負け惜しみのように言って、母はデジカメをケースにしまう。

「そんなもんかなあ」

「それは絶対ないよ」

 母の言葉に首を傾げる私と、笑って答える紗也佳。母の言葉をそのまま受容する私に対し、紗也佳はそれを簡単に突っぱねた。

 いつもなら何とも思わないだろうこの返答の差が、さっくりと胸に刺さる。私はこんな些細なことでさえ、母に二度も言われると反対出来ないのか。

 気付いて、愕然とした。こんなことで、本当に母から九大を勧められた時に早稲田に行きたいと言えるのだろうか。ますます無理そうな気がしてきた。でもこれがもし紗也佳なら、きっとためらいなく言えるのだろう。そう思うと、妙な劣等感が心に生まれた。

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