第1話 『 風歌夜凪の進路は『異世界回帰』である 』


 ――八年後。


 夕日が染める教室には、様々な音が木霊する。

 下校中の生徒の談笑。

 グランドで汗を流す運動部の掛け声。

 吹奏楽部の楽器の音色。

 こつこつと、不機嫌を露わにする、机を叩く指の音。


「それで、これは何かしら夜凪くん?」


 威圧的な声音で問い掛けれているにも関わらず、黒髪の少年――風歌夜凪は何食わぬ顔で返答した。


「何って……俺の進路希望ですけど」

「ふざけてるの?」

「俺は真面目に解答しました! 誰よりも真面目に!」

「嘘をつけぇぇぇ――――――――――ッ⁉」


 真っ直ぐな瞳で答えれば、眼前の女教師――御子は堪忍袋の緒が切れたように発狂した。

 それから御子はバシバシと紙を叩きながら夜凪に向かって叫ぶ。


「なにこの進路⁉ いつもいつもふざけてるの⁉」

「失礼な! 真面目に解答してしますって!」

「嘘をつくな嘘を! こんな進路あるわけないでしょ⁉」

「そんな⁉ 生徒を信用するのが先生の役目じゃないですか!」

「生徒に全幅の信頼を先生なんていないわよ! しかもあなたは問題児じゃない!」

「俺は成績優秀だし内申点もいいじゃないですか。それのどこが問題児なんですか⁉」

「これだこれ!」


 ガシッ、と進路希望調査の紙を乱暴に掴めば、夜凪に見せつけながら告げた。


「何よこの『異世界回帰』って⁉」

「俺の進路です!」

「んが――――――――――――ッ⁉」


 真剣な瞳で答えたが、それが気に入らないらしく御子が壊れた。


「先生、そんなに乱暴に髪を掻くと綺麗な髪が台無しですよ」

「じゃかあしいわ! 誰のせいで癇癪起こしてると思ってるのよ!」

「誰のせいですか?」

「アンタのせいよ⁉」


 大仰に驚いてみせると、御子は重い溜息を吐いた。


「ほんと、なんであなたは普段は成績優秀なのに、進路に関しては不真面目になるのよ」

「俺としては真面目に解答してるんですけどね」


 御子の砕けた雰囲気を合図に、夜凪もわずかに頬を弛緩させる。

 ゆらゆらと体を揺らしていると、御子が机に顔を埋めて呟いた。


「ホント嫌になる。アナタの担任になって二年になるけど、この時間は苦痛で仕方がないわ」

「なんでですか?」

「不真面目なあなたにいつも付き合わされるからよ⁉」


 いつも私を馬鹿にして! と髪を掻きむしる御子に夜凪はいやいやと手を振った。


「先生のことは尊敬してますよ」

「なら何よこの中二病全開の回答は⁉」

「高校二年生が将来をちゃんと見据えた上で出した進路です」

「将来を見据えるなら尚更ちゃんと答えなさいよ! ありえないのよ『異世界回帰』なんて⁉」

「それがありえるんですよ」

「んな訳あるか⁉」


 どれだけ真摯に訴えても御子は一貫して否定し続けてくる。不服だが、仕方がない事だと理解もしているのであまり落ち込んではない。

 しかしそれは夜凪だけであり、御子は対照的だ。

 御子ははぁ、と長く重い息を吐くと、


「ヤナギくん。私の教師としてのメンタルを折にくるの止めてくれる?」

「別にへし折りにいってる訳ではないんですけどね」

「来てるわよ。無神経に。無遠慮に」

「遠慮してたら俺の気持ち伝わらないじゃないですか」

「そんな不真面目な気持ちお断りよ。先生を馬鹿にするのやめなさい」

「馬鹿にしてないですし、尊敬してますよ」


 夜凪の荒唐無稽な話に、呆れつつも毎度対応してくれているのだから当然敬服している。が、それも御子には伝わっていないようである。


「アナタが生徒になってから苦労の連続だわ」

「俺は担任がみこちゃんで良かったよ」


 みこちゃん、とは御子先生が生徒から呼ばれている愛称だ。ただ本人は新米教師だからと生徒から小馬鹿にされているようで気に入っていないらしい。現に夜凪をじろりと睨んできた。


「その呼び方やめなさい。私は年上だし先生よ」

「でも先生てわりには威厳ないですよね……あだだ⁉」


 けらけらと笑っていると耳を引っ張られて、夜凪は「降参⁉」と慌てて白旗を挙げた。


「いてて、俺が他の先生にチクったら先生、教師人生終わりですよ」

「問題児に軽くお経を据えただけですぅ」


 ふんっ、とそっぽをむく御子。


「ま、俺は先生の事好きなんでそんなことしませんけど」

「だから大人を揶揄うんじゃありませんっ」

「おっとあぶない」

「ちっ、反射神経もいいのか」

「運動神経も高いですよー」


 不意打ちのデコピンを避ければ、御子がくそがき、と頬を引き攣らせ二撃目を食らわせてこようとしたので、夜凪は御子の腕が伸びきる前に椅子を引いて距離を取る。


「まだまだですね、先生」

「あ~~~~~~~~~むかつくぅ⁉」


 癇癪を起す御子を見ながら、夜凪は可笑しそうに笑った。

 そんな夜凪を睨んで、御子はビシッ、と指さすと、


「これ以上先生を馬鹿にするなら保護者を呼ぶわよ!」

「呼んでもいいですけど、保護者は俺の進路認めてますよ」


 最終手段であろう保護者の呼び出しも看破すれば、万策尽きたように御子が机に顔を埋めた。


「なんでアナタの保護者もこんな馬鹿げた進路認めてるのよ⁉ 普通に考えたらおかしいでしょ⁉」

「俺に常識は通用しませんよッ」

「じゃかあしいわ⁉」


 決め台詞風に言えば、御子が乱暴にツッコミを入れた。

 疲弊しきった御子を楽しそうに眺めていると、教室に午後五時を伝える鐘の音が響いた。

 その音に耳が反応が反応すれば、


「あ、そろそろ自主練の時間なんで帰りますね。この続きはまた明日で!」

「あっこら待ちなさい! ヤナギくん! おい本当に帰るな⁉」


 御子の制止も振り切って、夜凪はそそくさと帰り支度を終えて教室から出て行く。


「廊下は走るなぁぁぁ――――――――――――――ッ⁉」


 御子の絶叫が反響する廊下を、夜凪は愉快そうに駆けていくのだった。


 ―― Fin ――


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