眩しい瞬間を

 二


 放課後になるなり、遠野さんが俺の脇に滑り込んできた。思わぬスライドインに俺は少しぎょっとする。

越渡こえど君、今日から部活来られるかい?」

「はい。行けますよ」

「よし。それじゃあ、一緒に行こうぜ」

 文化部の部室として、特別棟と光葉寮みつばりょうの教室が割り当てられている。前者は南校舎とも呼ばれ、一階に職員室、四階に物理室といった特別教室が並んでいる。主に、科学部や調理部といった専用教室をもつ一部の部活動が特別棟に部室を構えている。空き教室も部室として割り当てられているけれど、三ツ谷高校の部活動は種類が多く、特別棟だけでは部室が不足する。よって、既に学生寮としての機能を失った光葉寮を改装し、文化部の部室として再利用しているというわけだ。

 社会奉仕部の部室は光葉寮にあった。一般棟と呼ばれる北校舎の一階西側から光葉寮への渡り廊下が延び、年季の入った木造建築が堂々と構えている。体育館の半分ほどの広さだろうか。両開きの扉の上部には達筆な文字で『光葉寮』と書かれ、歴史の重みが感じられる。

 外観に反して、光葉寮の内装は綺麗だった。アイボリーの床は貼り替えられたものだろう。ウレタンで塗装され、天井の照明を反射している。一般棟と見紛うほどだ。

 入って正面には廊下が奥まで延びている。左右に教室が五つずつ並び、『囲碁将棋部』『写真部』といった部活動の教室札が連なっている。一般教室の半分ほどの間隔だろうか。少人数の部活動が多いのだろう。

 社会奉仕部の部室は階段を上った先にあった。三階建ての光葉寮。その最上階の一番奥に陣取っている。シリンダー錠をガチャリと開け、中に踏み入ると、室内は真っ暗だった。まだ午後五時前。日が落ちるには早過ぎる。

「窓を開けよう」

 遠野さんは部室中央の長机にかばんを置き、正面のカーテンを勢いよく開いた。窓ガラスから夕陽が差し込み、俺は思わず手庇てびさしをつくる。遠野さんがガラガラと窓を開けると、遠くから野球部の掛け声が聞こえた。ようやく放課後の学校にいるという実感がいてくる。

「思いのほか綺麗ですね」

 室内はほこりっぽくなかった。昨年度の卒業生が引退してからも、定期的に掃除する者がいたのだろう。

 俺が声をかけても、しかし遠野さんは反応を示さなかった。こちらに背を向け、じっと窓の外を眺めている。空を眺めているのかと思ったけれど、隣に並んでようやく、屋外プールを見下ろしていることに気が付いた。光葉寮は屋外プールに隣接している。フェンスの外側をアルミサッシで囲われているけれど、三階からであればプールサイドまでのぞき込める。

 遠野さんは小学校、中学校と水泳を続けていた。もう飽きたと口では言っていたけれど、未練が残っているのかもしれない。俺がうかがうような眼差しを向けると、遠野さんは悪戯いたずらっぽく笑った。

「水泳部があれば、女子の水着も見放題だったな」

 三ツ谷高校の水泳部は既に廃部となっている。復活には五人以上の部員が必要だけれど、今年もその兆しはないようだ。

 遠野さんをいやらしいとは思わなかった。俺に気を遣わせないように軽口を叩いていることは、火を見るよりも明らかだったからだ。それなら、俺も軽口で応じるしかない。

「中学の時に見飽きたでしょう」

「残念。男女別だから大会でしか見たことがないんだ」

 遠野さんは肩をすくめた。ジェスチャーに相反して、残念がっているようには見えない。俺は愛想笑いを浮かべた。


 遠野さんが室内をぐるりと見渡す。部室の中央には、ロの字型に長机が設置されている。壁際には背の丈ほどの棚が並び、活動日誌と思しきファイルが詰め込まれている。部屋の隅にはパソコン用のデスクが置かれ、薄型のモニターとデスクトップパソコンが鎮座している。

「さて、まずは何をしようか」

「先生に相談するのはどうでしょうか」

はじめ先生か。そうだな。後で顔を出すと言っていたから、それまで諸先輩方の活動でも振り返ってみるか」

「賛成です。そうしましょう」

 俺はパソコンデスクに着き、パソコンの電源を入れた。キーボードの手前には、ラミネート加工されたユーザー名とパスワードのメモが貼られている。

「不用心ですね」

 俺がメモを指差すと、遠野さんは眉をひそめた。

「何だそれ?」

「パソコンのアカウント情報ですよ。パスワードまで書いてあります」

「パソコンってのは、合言葉が必要なのかい?」

 俺が目を丸くすると、遠野さんはガリガリと頭をいた。こんな風に参った様子を見るのは初めてかもしれない。

「メカは苦手なんだ。それじゃあ、そっちは越渡君に任せて、俺は棚の方を見てみるかな」

 遠野さんは棚の中からファイルを一つ取り出し、パラパラとめくった。一方の俺はパソコンにログインし、フォルダごとにまとめられた活動写真を開いてゆく。最新の日付は昨年の六月。マラソン大会のボランティアが最後の活動だったようだ。五月には地域のスポーツ大会の運営手伝い、四月には学童施設への訪問も行っている。かなり精力的に活動していたことがうかがえる。基先生が生半可な気持ちじゃ許さない、みたいなことを言っていた気持ちがわかる。諸先輩方が築き上げてきた名誉ある社会奉仕部の顔に、泥を塗るような真似はできない。

「先生の写真もありますね」

 どのボランティア活動の写真にもはじめ先生が写っていた。日差しが眩しいのか、野外活動の写真では眉間に深くしわを刻んでいる。屋内の写真では、険しい表情をしていなかったけれど、いかめしい顔立ちであることに変わりはなかった。

「先生も積極的に参加しているんだな」

 遠野さんは感心しているふうだった。意外には思わない。基先生が社会奉仕部を大切にしていることは、言動の節々から感じられるからだ。

「引退後の写真もありますね」

 分類されていない写真が保存されたフォルダの中には、六月以降の写真もあった。部活動とは無関係のものだろうか。部員と思しき四人の女子が仲睦なかむつまじく集合している。

「いい笑顔だ」

 遠野さんがモニター画面をのぞき込み、うんうんとうなずいた。遠野さんもまたこういった空気感を望んでいるのだとすれば、それは夢物語だ。『人付き合いは、広く、浅く、ほどほどに』。それが俺の信条だ。社会奉仕部の活動で苦楽を共にすることはあれど、部活動の外で集まるような関係性を築くつもりはない。

「そうですね。受験前の息抜きに集まったのかもしれません」

 俺はそう言って、写真を閉じた。

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