第9話

 鑑識の作業が終わった。証拠が書斎から沢山出てきた。

 先ず、書斎の前の廊下を真っ直ぐ行くと、夫の部屋と妻の部屋の前を通り突き当たって裏玄関に繋がっている。何故か鑑識の調べでそこが開いていて、指紋を綺麗に拭き取ってあった。外部から侵入した可能性が出てきた。

 被害者は睡眠薬を飲んでいたことがわかった。完全に書き終えていないのに何故飲んだのか不明。薬は書斎に残されていて、眠れない時に飲んでいたらしい。いつもは寝室に置いていたが、たまに書斎で飲むこともあったらしい。

 出版社の3人はサウナに入ることは従来より認められている。着替えも夫々持ち歩いている。

今回は橘さんだけがポロシャツに着替えていたようだ。残りの二人はネクタイを外し上着を脱いでソフアに掛けていた。

 書斎の抽斗から書類が出てきて、犯人が特定できたと警部は胸を張る。

 奥さんをもう一度呼んで聞き取りをする事にした。佐藤刑事が呼びに行って、書斎で話を訊く。

ソフアに座ってもらい先ず書類をテーブルに置く。

「奥さん離婚届が用意されていますが?」

一気に顔が青ざめてゆく。俯いて返事をしない。

「ご主人が離婚しようとしていたことを知ってましたか?」

無言で頷く奥さん。

「了解したのですか?」

「はい」

「どうして?」

一瞬顔を上げたがモジモジして話そうとしない。

それでもう一つの書類をテーブルに載せる。

「これは探偵があなたの浮気を調査した報告書です。ご主人宛に作成されています。あなた、橘さんと不倫関係にありますね」

報告書に添付されていた写真を並べる。車の影でのキスシーン。ホテルから談笑しながら出てくるシーン。彼のマンションに入るところなど、言い訳できるはずもない。

「それで、ご主人を殺したんですか?」

はっと顔を上げて首を振る。

「してません、そんな恐ろしいこと、私じゃありません」

「じゃあ、橘さんですか?」

「いえ、彼にはアリバイが有ります」

佐藤刑事に事前に頼んだことの結果を耳打ちさせる。丘頭警部は頷いて。

「ご主人のパソコンに、原稿のバックアップが残っていました。彼らに渡したタイミングで取ったようです。保存した時間がそうなっています。それで、それとあなたが配布した原稿を合わせてもらったんですよ。」

妻の顔色が失せる。そして身体が小刻みに震え出す。

「合わないんですよ。最初のは10ページ、次からは数ページずつなんですけど。どういうことですか?」

もう何も言えずに目が空中を彷徨っている。

「奥さん」少し大きな声できっと奥さんを睨みつけて「午後8時まではご主人は原稿を書いていた。バックアップが有ります。その時におやつとお茶を出した。睡眠薬入りのね。だからその後は、あなたがよっこしていた原稿を少しずつ、あたかもご主人から渡すように言われてきたみたいに、3人にコピーして渡した。違いますか?」強くドスの効いた警部の声に泣き出す夫人。

「そして、10時のときにご主人が完全寝入っているのを確認し、10時半彼らがあちこち行ったりきたりしている間をみて、書斎のご主人を刺した。寝ているから抵抗なんか出来ませんものね。体重をかければ女にだってあそこまで刺すことも可能だったんでしょう?」

「違います。刺したのは私ではありません。書斎は毎回鍵を掛けているんですが、10時の時だけ掛けなかったんです。寝てる夫にナイフとジャンパーを載せただけです」

「その後は橘さんがやったんですね?」

またダンマリでもじもじしている。

「はっきり言わないとあなたが殺人犯ということになりますよ!」警部は強い口調で説得する。

囁くような声で「そうです。彼が刺したんです」

「ありがとうございます。あなたにはこれから警察へ出頭してもらいます。リビングで待っていてください」

佐藤刑事が夫人を立たせてリビングに行かせる。そして橘氏を書斎に呼ぶ。

「橘さん、もう一度午後10時以降の行動を教えて下さい」

「だから、10時過ぎて解答を奥さんに渡してから、サウナに入って半頃にでて、リビングで飲み物を貰って少し話をして、石井も途中で飲み物貰いにきて、11時前に客間に戻った」

「サウナに入る前か後かですか、神山新之助さんを刺し殺したのは」警部は容赦ない厳しい言い方をした。

どきりとし一瞬眉を顰めたが、すぐ自然を装う。

「俺は知らない。証拠もない。でしょう?」

警部はその言葉を待っていた。ニヤリとしてテーブルに探偵の調査書の写真を置く。

橘氏はそれを見て顔色を変える。

「たまたま、一回だけそういうことがあった。それだけだ」

「あれ〜奥さんは不倫関係を認めてますよ。嘘をつけばつくほど疑わしいということになるんですよ。早めに言ったほうが貴方の為だと思うんですが、私は証人とか証拠とか沢山集めたら裁判所も認めてくれるでしょうから、それでも良いんですが?」

「・・・不倫は認めますよ。でも、殺人は知らない。俺じゃない」

「あらあら?奥さんは、ご主人を午後8時に睡眠薬を飲ませて、以降の原稿はそれまで渡さなかったものを配ってたと証言したんですよ。そして10時の時に眠っているのを確認して、腹の上にナイフとジャンパーを置いて、後は貴方がやったと言ってるんですがねえ」

橘しは真っ青な顔色をして

「俺じゃない。嘘だ。俺を陥れようとしてるんだ。しょ、証拠なんてないじゃないか!」

「じゃあ、貴方のスーツ一式見せていただいてもよろしいですか?」

「なんでそんなもの必要ない!」

「そんな怒らないで下さい。確認するだけですから。何もなければすぐお返ししますから。それとも見られるとまずいですか?」

「そんな事はない」

佐藤刑事に持ってくるように指示する。

警部は持ってきたバッグを示す。

「これは貴方のものですね。間違いないですね」

橘氏が頷いたので、中身を出して広げる。

一見普通のワイシャツだ。

「あらっ、襟の左側の折返しのとこに赤いしみが付いてますよ。何でしょう橘さん?」

橘氏は無言で首をガクリと落とした。予想通りだ、返り血をジャンパーだけで受けるのは無理だと考えたのだ。多少、賭けではあったが。

「佐藤、これ鑑識。一応スーツも鑑識に回しといてね」

「だから俺は嫌だと言ったんだ。あれが昨日、離婚だと言われて、証拠があると言われて、来週には届くはずだって。それに不倫相手の俺にもう原稿は絶対に渡さないっていわれたって。くそ〜」

「だからやったのね」

項垂れる橘を佐藤刑事が腕を抱えて客間から連れ出して行った。

警部がリビングに行くと出版社の二人が原稿を必死に読んでいる。

「あっ、お宅らそこに最後までないよ。まだ、奥さんが隠していた原稿が書斎にありましたよ」

「え〜」叫んで二人が書斎へ行こうとする。

「ダメ、現場は入れません。待ってて、私が持ってきてあげる」

そう言って、丘頭警部は嬉しそうに書斎へ戻ってゆく。

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