第101話 The Second Kind
「うあぁああぁぁああぁあ!!!!」
AJの絶叫は、唸る風によって掻き消された。
高度72,000フィートの成層圏──そこでは常に50ノット(メートル換算、風速25m/s)の風が吹いており、気温はマイナス50℃を下回る。
まさに、過酷な環境だった。
50ノット自体が何かに掴まっていなければ立っていられないような強い風なのだが、この時、【スカイウインドウ】で作業をしていた隊員たちを襲ったのは、それを上回る激しい突風であった。
彼らは皆、防寒用の特殊ジャケットを身に着け、頭には酸素マスク付きヘルメットを着用していた。フェイスシールド部分は凍結防止とUV対策は当然のこととして、電子モニターにもなっており様々な情報が表示される。
そんな隊員たちのフェイスシールドには今、赤い警告ランプが点灯し【風速95
ほんの十数秒前まで、隊員たちは持ち場について作業をおこなっていた。
サンプル採取班は掘削工具を用いて【スカイウインドウ】の表面を削り取っていたのだが、その硬さは尋常ではなかった。軍事用の掘削工具でも歯が立たず、一向にサンプルが採取できない。
苛立った隊員の一人がむやみにドリルを圧しつけ、先端が欠けてしまった。
その欠けた刃が弾け飛び、AJが背負っているパラシュート袋を引き裂いてしまったのだ。風で穴が広がり、風圧をまともに喰らうAJ。
周囲の隊員たちが助けようとするも、袋はどんどんと裂けて、次の瞬間にはパラシュートが開いてしまった。
万が一滑落した時に備えたパラシュートだったが、当然、風が穏やかな状態でなければ逆に命取りになる。
パラシュートが膨らみ、真横に吹き飛んでいく。その強い力になす術もなく、AJも一瞬で【スカイウインドウ】から引き剝がされた。
隊員たちは皆、腰のハーネスに
真空状態を作り出すことでその場に固定できる吸盤
500キロの荷重にも耐えられるそのアタッチメントが今、悲鳴を上げていた。
AJのワイヤーが全隊員の命綱を絡めて、真横に引っ張っているためだ。
「パラシュートを切り離せ! 早くっ!!」
「っ!! ダメだっ!!」
背中に手を伸ばすも、それどころではない。
パラシュートが強風を受けて彼の身体を激しく揺さぶる。それと共に、ほかの隊員たちも更にずるずると引っ張られていく。
アタッチメントが、ずりっずりっと少しずつ【スカイウインドウ】の端へと移動し、その吸着力は徐々に弱まりつつあった。
ヒュゴォォ────!!!!
追い打ちをかけるように、風が鋭さを増す。
『警告! 最大風速120kt。直ちに作業を中止し、船内に退避してください』
『握力が低下しています。現環境下では滑落の恐れがあります』
『警告! アタッチメント、荷重オーバー。吸着率が低下しています』
フェイスシールドに搭載されたAIが矢継ぎ早に警告アナウンスを伝える。
「ワイヤーを切れっ!!!!」
隊員の一人が真横にいる人物に叫んだ。
「そんな、それでは彼がっ!!」
そう返したのは、船内でAJがエアーモミモミをした女性隊員であった。彼女はAJの次に末端におり、彼女の身体も【スカイウインドウ】から投げ出されようとしていた。
「死にたいのか!? 早くしろっ!!」
「どの道、奴は助からない!!」
「このままじゃあ、私たちみんな道連れよ! 早くして!」
「っ!!」
ゴォオォ────!!!!
風は強くなる一方である。
彼女はパラシュートに弄ばれるAJを見やった。
彼と目が合うと、首を横に振る。
「悪く思わないで」
「……!!」
ギュイイン!!
持っていた工具のスイッチを押し、
「はっ!!!!」
その時だった。彼女の頭上から影が飛び出した。
「!?」
彼女が見たのは、大きくジャンプしたイーサンの姿だった。しかも彼は自らの命綱を外していた。
隊員たちが悲鳴にも似た驚嘆の声を上げる。
AJに飛びつこうとしているようだが、距離が足りない。
無意味に落ちていくだけ、と思われたイーサンだったが、真横に伸びるAJのワイヤーに触れるとそこにぶら下がった。彼の手にはカラビナが握られており、イーサンはそれをAJのワイヤーに引っ掛けたのだ。
「イ、イーサン!」
「ナイフを借りるぞ!!」
AJにしがみつくと、彼の腰からナイフを引き抜く。
彼の背中に回ると縺れたパラシュートのコードを切り裂いた。
パラシュートが離脱し、吹き飛ばされていく。
一方のAJとイーサンの身体は、パラシュートから解放されて振り子のように下へと落下していった。
ちょうど真下へ来た時に、そのエネルギーは最大となる。下へと引っ張る力が、二人にも、【スカイウインドウ】にへばりつく隊員たちにも伝わった。
全員がアタッチメントごと真下に引き摺られる。
ブチブチッ!!!!
イーサンが指を引っ掛けていたAJのパラシュート袋が裂け、彼の身体が下へとずり落ちた。
反動で思わず片手が離れてしまう。イーサンは腕一本で、どうにかAJにしがみついている状態だ。
「!!」
「イーサン!!」
イーサンを支えようとするが、下手に動くと、その振動でイーサンは落ちてしまうだろう。
「アタッチメントがもう限界です!!」
「そんなことは分かってる!!」
「どうすれば!? このままじゃあ、みんな死ぬぞ!!」
上の方もやや混乱していた。パラシュートは装備しているものの、高度72,000フィートからの降下など命の保証はどこにもないのだ。
だがイーサンだけは冷静だった。周囲を確認し、下方に何かを見つける。そんなイーサンの視線の先をAJも見やった。
そこには作業を見守るザマァワンの姿があった。
「何を考えてる、イーサン……!?」
「
「馬鹿なことはよせ! 無駄死にだぞ!!」
焦るAJを見て、イーサンはクールに笑った。次の瞬間、その身を虚空へ投げ出す。
猛スピードで落下していくイーサンの身体──AJもほかの隊員たちも、固唾を呑んで彼を見守った。
イーサンが数百メートル下に飛んでいるザマァワンへ、あっという間に近づいていく。
するとザマァワンも船体を大きく傾けた。やや頭を下げると、後方ハッチを開く。どうやらイーサンを拾い上げようとしているらしい。
だが、そううまくはいかない。
高速落下するイーサンをピックアップできず、彼はザマァワンの横を通り過ぎてしまった。
しかし次の瞬間、イーサンは自らのパラシュートを開いた。風を受け、身体が急激に上昇する。彼の足元には、開いたハッチ。
イーサンは躊躇することなくパラシュートを切り離した。コンマ数秒でも躊躇えば、命はなかっただろう。
そのままハッチにダイブする。受け身を取り、中へと転がっていった。
恐らくそれは、十秒にも満たない短い時間だった。だが見守る隊員たちには時が止まったような、とても長い時間に感じられた。
大きく息を吐き安堵するイーサンだったが、ハッチへ流れ込む風が船体を大きく揺らした。
ハッチ内に風が吹き荒れ、色々な物が外へと吸い出されていく。それはイーサンの身体も同様だった。
「!?」
再び蒼穹へと投げ出されそうになるのを、床にへばりつくようにして耐える。
だが外へ投げ出されるのは時間の問題だった。
バチッ!!
ついに床から手が離れる。万事休すだ。
「はぁああ!!!!」
その瞬間、筋肉スキンヘッドは飛んでいた。
ガッ!!
イーサンの腕を掴む。
「大佐!?」
「まったくお前は、いつもいつも、ムチャばかり──」
ハッチの縁に足を引っ掛け、腕っぷしの力だけでイーサンを引き戻す。
「しやがる……!! だあぁっっ!!!!」
イーサンを船内へと投げ入れる。
と同時に、ハッチは閉じた。こうして、イーサンは事なきを得た。すぐにザマァワンは浮上し、残りの隊員たちも全員無事に生還を果たした。
「っはあぁ!!」
無事に船内に戻ると、AJは膝の力が抜けてその場に座り込んでしまった。
「死ぬところだった……」
真っ青な顔をしながらそう言うと、顔を左右に振る。
「きっと、さっき彼女にセクハラをしたせいだ。ああいう奴は、次の場面で死ぬって相場は決まってる。ハリウッド映画のお決まりさ」
そんな独り言をブツブツと言っている。
「だが、ちゃんと生きてる」
「イーサン」
AJが顔を上げると、イーサンが手を差し伸べていた。
「きっとこの肌のお陰だ」
イーサンの手を握り、AJが立ち上がる。
「今どき、ハリウッドでは黒人はそう簡単に殺せないからな。だから助かった」
胸をなでおろすと、首元から十字架のペンダントを引っ張り出す。ペンダントに口づけし、十字を切ると天を仰いだ。
その様子を見てイーサンは笑った。
だが、不意に何かを感じ取り、彼は船尾に首を巡らせる。
「どうした、イーサン?」
「今何か、感じなかったか?」
「何かって?」
「音と言うか、振動の様な……」
「いや、なにも?」
AJは首を傾げた。
「……」
イーサンの目は飛行船の上部、【スカイウインドウ】の方角を見やっていた。
その視線の遥か先、誰もいなくなった高度72,000フィートでは、人知れず、ある変化が起きていた。
【スカイウインドウ】から突如、不気味な音が鳴り響きはじめたのだ。
ブゥゥン……! ブゥゥン……!
見えない波が、どこまでも広がっていく。
常人離れした感覚によってその変化に気が付いたイーサンだったが、それを明確なものとしてキャッチしたのは、また別の人物だった。
その人物はコーヒーブレイクから仕事に戻ると、自分の目を疑った。
「これはいったい」
グリフィス天文台で働くクレア・ロビンソンは、思わずコーヒーカップを落としそうになる。
いつものように宇宙電波の観測をおこなっていたところ、今までに計測されたことのない電波を受信していたのだ。
「どうしたんだい、クレア?」
「これを見て!」
同僚に声を掛けられ、クレアが画面を指差す。
「これは……! お~い、みんな来てくれ! クレアが面白いものを見つけたみたいだ!」
職員たちが集まってくる。
観測された謎の電波は最初は機器の異常かと思われた。しかし、観測機器のどこにも異常は見当たらない。そして、クレアは発信されている未知の電波が一つではないことも突き止めた。
クレアもそしてほかの職員たちも興奮を抑えきれなかった。
「いったい何が起こってるって言うの!?」
「宇宙人からのラブコールかな?」
「まさか!」
「よーし! 皆で手分けして解析するぞ!」
研究者の顔になると、クレアたちは笑顔で解析を始める。
それら複数の電波は、単体では何の意味もなさなかった。だが、それらを組み合わせることをクレアは思いつく。
クレアのアイデアによって、それらの電波はあるデータとして復元できた。
翌日──
グリフィス天文台は騒然となっていた。
電波はあれから途切れることなく、新しいデータを送ってきている。そのすべてを解析出来てはいないが、その一部はすでに復元が終わっていた。
それは、画像と音の複合データであった。
「信じられない」
「こりゃ、本当に宇宙人からの……!」
クレアたちは衝撃を受けた。
「皆、ちょっといいか?」
興奮する職員たちに冷静な声で呼びかけたのは天文台の所長だった。
「クレア、君にお客さんだ」
職員たちが顔を上げると、所長は彼女を見てそう言った。
「私に、ですか?」
所長の後ろから複数の黒服サングラスの男たちが次々と部屋に入って来て、クレアたちを取り囲む。
「あなたがクレア・ロビンソン教授ですね?」
「え、ええ。そうですけど」
「はじめまして、私はDoD職員です」
「DoD?」
名前も名乗らない男を見て、クレアは眉をひそめる。
「失礼」と言って、男がサングラスを外す。
「メアリカ国防総省の
「どうも」
「昨日からメアリカ各地で観測され始めた電波を最初に発見し、解析されたのがあなただと伺ってます」
ウィルはそう言った。
「最初かどうかは分からないですが……」
「その実力を見込んで、是非、我々に力を貸していただきたい」
そう言うと、ウィルは意味深に職員たちを眺めやる。
「もうお気づきだとは思いますが、これはメアリカを、いや地球全土を揺るがしかねない問題なのです」
「えっ!?」
「解析した情報も、複数の謎の電波を受信した事実も、とある事象に関する【高度国家機密情報】として我々の管理下に置かれる。申し訳ないが、ここにいる君たちもね」
そう言われて、職員たちはたじろいだ。不安そうに、互いの顔を見やる。
「ま、そういう訳だ。仕方ないな」
所長は面倒くさそうに溜息を漏らした。
「ちょっと待って!」
クレアは戸惑いつつも反論した。
「急にやって来て、なんなの? ちゃんと説明しなさいよ!?」
クレアに詰め寄られ、今度はウィルが眉を上げる。
「国家機密に関わることなので、ここで詳細な説明は出来ない。だが、君はClose Encounters of the Second Kind──第二種接近遭遇に関わった最重要人物なんだ」
ウィルはクレアを見てそう告げた。
「詳しく知りたいんなら、俺たちと一緒に来てもらおう。そんなに喧嘩腰にならなくても、我々DoDは君たちを歓迎しよう」
ウィルは肩を竦めてそう返した。
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