第99話 スカイフィッシュ

 三学期──


 その日俺たちは、美術の授業中に校庭でスケッチをしていた。


「蓮人くん、もう描けた?」

「粗方な」

「どれどれ」


 信吾が覗き込んでくる。


「ちょっ、上手すぎない!? 蓮人くんってこんなに絵、上手だったっけ?」

「どれどれ~、アタシたちにも見せてよ?」


 俺たちを囲むよう座っていた諏藤ら四人組も俺の絵を覗き込む。


「ほんとだ、メッチャ上手い!」

「絵まで芸術家レベルなんて、さっすが蓮人!」

「馬鹿を言うな」


 四人に向かって俺は溜息を吐いた。


「写実は数学と物理だ。ある程度の技法をマスターすれば、この程度は誰にでも描ける」

「それ、僕の絵を見ても言えます~?」


 信吾が自分の絵を見せてくる。


「お前、風景がこう見えているのか?」


 俺は絶句した。


「もしそうなら、今すぐに眼科へ行け」

「ひ、ひどいよ~」


 俺の言い草に、信吾がしかめっ面になった。


「僕が絵が得意じゃないこと知ってるくせに……」

「ハハハ、冗談だ」


 可笑しくて、俺は笑った。


「だが、俺にその絵は描けないな。抽象画として世に出せば、芸術的な評価はお前の方が高いかもしれないぞ」

「えぇ~」

「……」


 ワイワイと喋っている俺たちの後ろで、アルベスタだけは黙々と作業を続けていた。


 彼女はすでに絵筆を手にしている。


「アルベスタさん、もう色を塗りはじめてんの? 早いね」

「ええ、私は下書きはしなかったから」

「マジで!? 直でイッた訳!?」


 戸口はそれを聞いて驚いた。


「でもそれ頭いいかも」

「確かに! 下書きめんどくさいもんね」

「どんな絵を描いてるの? 見せてよ」

「この国で独自に発展した芸術へのリスペクトを込めてみたわ」


 そう言うと、アルベスタがこちらに自分の絵を向けた。


 諏藤らも俺と信吾も驚いた。


「っ!?」

「ま、まさかの水墨画ッ!?!?」


 諏藤らや信吾が仰け反る。


 そうやって楽しく話している時、突然、校庭につむじ風が起きた。


 塵旋風じんせんぷうが空高く立ち昇る。


 校庭で体育を受けていた生徒たちが悲鳴を上げた。


 強い風に砂埃が舞い、みんな目を瞑っている。


 !!


 その様子を見やった時、俺の眼になにかが映った。一瞬だが、生徒たちの間を縫うように、何かが通り過ぎていったのだ。


 風に乗って漂っているというよりも、まるで生き物のように意思を持って動いているように感じた。

 そして、その生き物が、このつむじ風を巻き起こしているようにも見えた。


「……!?」


 俺は立ち上がり、校庭に目を凝らす。


 デバフされている今の動体視力では、捉えるのがやっとだった。今のは一体……。


「蓮人くん、どうしたの?」

「一瞬、つむじ風の中に何かが見えた」

「え?」


 驚いて、信吾も校庭に顔を向ける。


「見えたって、なにが?」

「心寧、なんか見えた?」

「いや、なんも」


 信吾や諏藤たちには見えなかったようだ。


「アルベスタ、お前は見えたか?」

「いえ、私はこっちを向いてたから」


 俺の問いかけに、彼女は校舎側を指差した。


「そうか……」

「それって、どんなのだった?」


 信吾が聞く。


「槍のように鋭い、棒状の生き物のように見えた。それ自身もドリルの様に回転しながら飛んでいたように思う。気のせいかも知れないがな」

「えっ、ほんと!?」


 信吾は立ち上がって目を輝かせた。


「すごいよ! もしかしたらスカイフィッシュを見たのかもよ!?」

「スカイフィッシュってなに?」


 諏藤が首を傾げる。


 スカイフィッシュとは未確認生物(UMA)に分類される都市伝説の一種である。90年代のメアリカで撮影されたのが、世に知られるきっかけだったらしい。


 空中を高速で移動し、体長も数センチから十メートル以上のものまで多種多様なものが目撃されているようだ。


 信吾が女子たちにそう説明する。


「そう言えば、この前の『やりこみ都市伝説』でもスカイフィッシュのことやってたよね」

「ああ。確かにそうだったな」


 ペルーのマチュピチュ遺跡、エジプトのピラミッド、トルコのギョペクリテペ遺跡。ほかにも中国や日本でも……。


 世界中に散らばる古代遺跡で、ここ最近、下半身が虫のような奇怪な人型とともに、細長い棒状の空を飛ぶ物体が描かれた新たな壁画や土器などが発見されている。


 その番組では、そう言われていた。


「古代の地球にやって来た宇宙人が残していったものがスカイフィッシュで、地球を何らかの目的で今も監視しているのかも」

「そんなことを言っていたな」


 当然、何の根拠もないが。


 しかも多くの遺跡はとっくに観光地化しており、人の目に留まる場所にある。発見されるのならばとっくの昔に見つかっていてもおかしくはないのだ。


 それがここ最近で多数発見されているのならば、世界規模での同時多発的なイタズラの可能性の方が高いかもしれない。


 だが少なくとも……。


 俺は黙って、校庭に目を向けた。


 今の物体が何にせよ、恐ろしく危険なものには違いない。


 目視出来ぬほどのスピードで、人の間を飛び回っていたのだ。もしも松本さんの身になにかあったら。


 危険は前もって排除すべきだな。


〈アルベスタ〉


 【伝心でんしん】で呼びかけた。


〈今日の戦技練成はお前の【亜空間】ではなく、久しぶりに外でやるか〉


 アルベスタを見やって笑う。


〈外で? 何をする気だ〉

〈スカイフィッシュの生け捕り、かな〉


 そう伝えると、アルベスタは怪訝そうな表情で俺を見上げた。




 放課後──


 俺はアルベスタと共に成層圏にいた。眼下には雲が広がっている。


「頼む」

「ったく」


 呆れつつも、アルベスタが俺へのデバフを解き、【狂戦神】の力を解放する。


 【王威】が漆黒のいかづちと紅い黄金色の焔となって迸る。


「お前、この前よりも強くなってないか?」


 アルベスタは苦々しくそう言うと、溜息を吐いた。


「【索敵クリアリング】」


 すぐにスカイフィッシュを捕捉する。


 見つけた。ヨーロッパ上空を蛇行しながら飛行している。


「移動しよう。正面から迎え撃つ」


 経路を予想し、俺たちは日本海上空へと移動した。


「来るぞ」

「何も見えないが……」

「いや、もうすぐだ」


 真っ直ぐにこっちへと飛んでくる。


 俺は身構えた。


 だが接触の瞬間に、スカイフィッシュは衝突を回避するように移動して俺を摺り抜けた。


「逃がさん!!」


 こちらも【空間転移】で、更にその前に回り込む。


 スカイフィッシュは目の前に急に俺が現れたことで、回避できなかった。


 俺と正面衝突する。


 高速回転する鋭利な先端を、俺は手の平で受け止めた。


 バシュンッッッッ!!!!!!


 轟音と共に、激しい衝撃波が起こる。


 逃げようと暴れ出すスカイフィッシュを、俺はもう片方の手で掴んだ。激しい火花を散らせながら、俺とスカイフィッシュは雲を突き抜けて下へ、そしてまた成層圏へと蛇行を繰り返していく。


 俺は秒速3,000キロほどで飛ばされていった。


 徐々にその速度は落ちていき、ようやく止まる頃には直線距離で10,000キロ以上移動していた。


 気が付けばあたりは真っ暗だった。青かった空には、今や星が瞬いている。


 スカイフィッシュは完全に停止すると、空中に固定されたように動かなくなった。柔軟に動いていた身体も真っ直ぐの棒状になってビクともしない。


 槍投げの槍の様に鋭く細長い形状で、全長約十メートルほどである。


 生き物と言うよりも、金属だ。


 動かなくなったスカイフィッシュの表面は鏡のように滑らかで、星空を映し、風景に溶けていた。




「これがスカイフィッシュか……」


 アルベスタが目を丸くする。因みに余談だが、彼女は【空間転移】で俺がここまで運んだ。


 彼女もこっちへ目がけて飛んで来ていたのだが、彼女の飛行能力では数時間かかるだろうからな。


「それにしてもお前、大丈夫だったか?」


 俺を見て、そう聞いてくる。


「ちょっと痛かった。いや、痛痒いって感じか」


 赤くなった手の平を、ぽりぽりと掻いた。


 その手で、スカイフィッシュの表面を触る。


 わずかに凹凸を感じた。


「これは……」

「どうした?」


 俺は指を凹凸に引っ掛けて、メリメリと剥がしていく。


「どうやら、ただの金属の棒ではないようだな」


 とても薄い金属プレートがまるで紙縒りの様に巻き付いている。


 様子を見ていたアルベスタも、俺を手伝おうとスカイフィッシュに指を引っ掛ける。


「くっ!! なんて硬さだ!?」


 アルベスタの力ではビクともしなかった。


「くそっ! 【神力解放】!!」


 【ステータス】を底上げして再び挑戦する。


 が、それでもプレートが剥がれることはなかった。


 アルベスタも現実世界で俺に次ぐ力を持っている。そんな彼女でもビクともしないのが、その硬さがどれほどのものかを物語っている。


「動いていた時には、蛇のようにくねくねと動いていたのに……、いったいどうなってるんだ?」


 諦めたアルベスタは額の汗を拭った。


「そもそも、コイツはどうやって動いてたんだ? 【魔法】、な訳はないか」


 紙縒りを剥がしている後ろで、アルベスタが呟く。


「動力源はやはり、現実世界こっちの科学技術によるものか……」

「いや、恐らくこいつはこの地球ほしで造られたものではないな」

「なんだと!?」


 とうの昔に鉱物学や金属工学は修めているが、こんなものを現代科学で作り出すのは不可能だ。


「こんなに硬質な金属を生き物のように動かす技術も、そして素材そのものも、地球以外からもたらされたものだろう」

「それじゃあまるで、信吾の言うオカルトじゃないか……」


 アルベスタの目の前で、俺は丸まっていた最後の一辺を引き伸ばした。


 今や棒状だったそれは、横長の長方形のプレートになっていた。


 ブゥゥン……!!


 起動音がして、プレートの表面が、淡い緑色に発光し始めた。


「おいおい、これはいったい……!」

「……」


 プレートの表面にびっしりと文字が浮かび上がる。その文字は、絶えず上下左右に流れていく。


 見知らぬ文字だった。


「何語なんだ?」

「この世界のどの文字にも似ていない。いや、類似性あるとすればシュメール文字か……」


 すでに言語学も習得している俺はそう答えた。


 この世界のほぼすべての言語は習得済みだ。古代から現代まで。


 だが、これに100%合致するものはない。


「本当にこの星以外の、何者かがこれを……?」

「ここまで来ると、その可能性がより濃厚だな」


 !!


 俺たちは気配を感知し、二人同時に空の彼方に顔を向けた。


 遠くから何かが接近してくる。かなりのスピードだ。


「なんだ?」

「メアリカ空軍だろう。この速さは戦闘機だろうな」

「どんどん近づいて来てるわね。逃げないとまずいかも」

「ああ」

「これ、どうする?」


 アルベスタがプレートを指差す。


「……」


 俺も巨大な金属プレートを見上げた。


 漆黒の闇に空いた窓の様に、薄緑色に輝いている。


 俺は流れる文字にじっと目を凝らした。


「取りあえず彼らに任せよう。少し世界の出方を待とうじゃないか」


 俺はこのまま放っておくことにした。


「もうじき俺たちもレーダーに引っ掛かる。帰るぞ」

「うん」


 俺たちは【空間転移】で、アルベスタの住むタワーマンションの一室へと戻った。

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