第97話 壊心

 ドーム状の巨大で透明な壁がゆっくりと狭まっていく。


 落とされた腕や足。


 肉片が浮かぶ血の海……。


 それらは壁の内側に掻き集められていった。


 壁が通った後には、一滴の血痕さえも残っていない。


 鼻が捥げそうなほどの臭気さえも、球体の中に閉じ込められていく。


 横たわり、息絶え絶えの男たちの頭上に、その球体は浮上した。


 俺はゆっくりと手を握り込んでいく。


 それに合わせて、球体は更に収縮していった。


 この球体は一切の熱を外に逃がさない構造だ。


 よって、圧を加えられた内側の血肉は──


 ポコ……ッ! ポコボコボコボコ!!


 グツグツと沸騰し始めた。


 俺は球体を更に、一気に収縮させる。


 その瞬間、球体は激しい光を放ち、発火した。


 ゴォォォォッ!!!!


 武断塾の男たちと伊谷味やマンタらは身動きが出来ぬままに、目を細めた。


 生気の宿らない顔で、黙ったまま、自らの血と肉と骨で出来た太陽を見上げている。


「そろそろ限界だろう……」


 アルベスタが、男たちに手をかざす。


「待て」


 俺は彼女を止めた。彼女が回復魔法で彼らを治癒しようとしたからだ。


「本気でこのまま殺す気か?」


 アルベスタが眉間に皺を寄せる。


「それも良いかもな」

「おい……!」


 彼女の慌てようが可笑しくて、俺は笑った。


「冗談だ。だが、殺すよりももっと良い方法がある」


 俺は男たちのすぐそばまで歩み出た。


「【肉体再生デフォルト】」

「お前、それは……」


 アルベスタはまた驚いたように目を丸くした。


 俺が手をかざすと、男たちの手足の切断面が蠢き出す。筋肉、脂肪、骨、神経、皮膚組織がゆっくりと成形され、初期化デフォルトされていく。


 彼らの顔に血の気が戻った。失われていた大量の血も増幅されたからだ。


「っは!? はぁ……!! はぁ……!!」


 一人また一人、息を吹き返したかのように呼吸を繰り返しはじめた。


 だが、誰も言葉を発することはなく、立ち上がると、生えてきた自分の手足を見ながら愕然としていた。


 そんな彼らの頭上には、燃え尽きつつある太陽が、今も弱々しい光を放っている。


 やがて燻っていた最後の火も消えた。


 極限にまで圧縮されたその球体を、俺は手の平に載せた。


「元はお前たちの血と肉と骨。そのなれの果て──」


 黒く艶やかな濁った玉を、奴らに放る。


「汚いブラックダイヤモンドだ」


 玉は床を転がって、三頭の足元で止まった。


「……なぜ、俺たちを助けた」


 息を呑むと、彼は低く小さな声で聞いてきた。


「助けた? なんだか、もう終わったような言い方だな……」


 そこまで言うと、じっと武断塾の男たちと伊谷味らを見つめる。


 奴らはたじろいだ。


「生かしはした。だが、助けるつもりはない」


 そう言うと、奴らが冷や汗を流す。


 俺は困ったように首を傾げた。


「ところでお前たち、なんだか随分と老け込んだんじゃないか?」

「え?」

「特に近蔵。お前は白髪が目立つな」

「は? 何を言っている?」


 訝しがるように近蔵が目を瞬かせる。


 だが、横にいる息子の騎琉斗は、父親の姿を見てギョッとしていた。


「と、父さん、髪が……」

「髪が、どうした?」


 近蔵が戸惑いがちに、自分の頭に触れる。


「なっ!?」


 手の平に大量の抜け毛が付着していて、近蔵の表情が固まった。その多くが白髪であった。


「こ、これは、いったい……!?」


 近蔵の様子に、武断塾の男たちもお互いを見比べる。


 極度の疲労などにより、どことなく老け込んで見える。そんな一時的な、見た目の印象などではなかった。


 顔に皺が出来たりシミが出来たりしている。白髪が多くなったり、禿げかけていたりと、誰もが本当に、老化していたのだ。


「どうなってんだよ!?」

「おい……。お前、俺たちに何をした……!」


 迫るように身を乗り出す。


「肉体の欠損部位を再生させる術式、【肉体再生デフォルト】──今、お前たちに使った術式だ」


 驚き慌てる彼らに向かって、俺は言った。


「【身体魔法術式】に属する、所謂【回復魔法】の一種だが、実を言うとこれは、五百年以上前の術式なのだ」

「ま、魔法術式……」

「回復魔法て、何を言って……」

「大事なのはそこじゃないんだよ」


 呆れたように俺は返す。


「【肉体再生】はまだ魔法が未発達だった時代のもの。今、グラン・ヴァルデンにおいて、この術式を使う者は誰もいない。代償無しで治癒できる術式が複数存在するのに、わざわざ身体に大きな負荷のかかる未熟で苔の生えた術式を使う意味なんてないからな」


 だからこそ、魔法使いであってもこの術式を知らぬ者さえ多い。


 知っているのは魔法の研究をしている学者くらいだろう。


 だが俺は、敢えてその旧式の魔法体系も身に着けていた。


 一つは、魔法術式の発達過程を辿っていくのが楽しかったからだ。魔法の発展の歴史は、俺の探求心を満たしてくれた。


 そしてその歴史を知ることは、魔法の術式を学ぶ上で大きな糧ともなった。


 時間を要したり、道具が必要だったり、術式が安定しなかったり……。そんなさまざまな代償が必要で不安定な旧式の魔法体系を学び始めてすぐ、俺はある考えに達する。


 魔法モノは使いよう。これらの代償が必要な古い術式も、大いに使えると。


 今回のような場合に……。


「お前たちの手足を再生させ、失われた血を増やしたのは、他でもないお前たち自身だ。本来なら、お前たちがこれから先の長い時間でゆっくりと消費するはずの生命力。それを代償にした」

「そ、それって……!」

「十年。いや、ざっと十五年かな。お前たちの寿命は確実に縮まった」

「そ、そんな……!!」

「嘘だろ!!」


 奴らは顔面を蒼白させて狼狽えた。


 伊谷味たちも絶望の表情で呆然としている。


「お前たちがこれまで犯してきた数々の罪、仮に刑務所に入るとしたら、それ以上の刑期になるはずだ。死刑になってもおかしくはない。それを考えると安いものだろ?」

「きっ、貴様っ!」

「よくもっ!!」

「凡野!」


 伊谷味が涙目で俺を睨む。マンタや安本も同じような表情で俺を見つめていた。


「返してくれ! 俺の寿命を! 頼む!」

「お前なら、出来るはずだ! なぁ、出来るんだろ!?」

「お願いだって! 怖ぇよ! オレ、早死にとかしたくねぇ!」


 必死に訴えてくる。


「大丈夫だ」


 俺は短く返した。


「だ、大丈夫って?」

「これからお前たちは、寿命が削れたことさえ、忘れるからな?」

「……え?」


 奴らは更に絶望した表情になった。


「さてと、仕上げとしよう」

「な、なにを……」

「これ以上、何しようってんだよ」


 【アイテムボックス】から一冊の本を取り出す。


 魔導書【ポコ=チャッカ】だ。


「……??」


 その本を目にした瞬間に、男たちの顔から表情が消え、目の色も消え失せた。


 二百人の武断塾の男たち、SSSランクの精鋭たち、伊谷味たち──その全員が、まるで吊るされた人形のように、手足をだらんとさせて立つ。


「お前たちはこれまで散々、拷問を繰り返し、多くの者を死に追いやってきた。そして、これから先もその生き方を変えることはないだろう」


 【ポコ=チャッカ】を開く。


「ならば、ここで殺すのではなく、今後はこの国のために、世のため人のために働いてもらおうじゃないか」


 横にいるアルベスタを見て、俺は笑った。


 彼女は呆れたように肩を竦める。


 俺は伊谷味たちに向き直る。


「お前たちも、これからの短い人生は改心し、心を入れ替えて生きてくれ。馬車馬の如く、雑巾のようにボロボロになるまでな。死ぬ、その瞬間まで」


 【ポコ=チャッカ】で、俺は奴らの脳を弄った。


 奴らは無表情のまま散り散りになっていく。


 彼らが今日のことを思い出すことは無いだろう。


 俺とアルベスタも、武断塾の施設を後にした。

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