第88話 武断塾

「糞がぁぁぁっっ!!!!」


 バコ──ンッ!!


 絶叫と共に、ダビデ像の股間が砕け散った。


 少年が一人、ゴルフバット片手に大暴れしている。


「「おろおろおろ……」」


 家政婦たちは遠巻きに狼狽えるばかりだ。


 我が物顔の少年は顔をどす黒く変色させたまま、その後も、大型テレビやカッシーナのテーブルなどを次々に破壊して回った。


「なるほど、誰の迎えもないと思ったらこう言うことか……」

「だっ、旦那様!?」


 家政婦が初老の男を振り返って声を揃えた。


「「お出迎えできず、申し訳ありませんでした」」

「ぼっ、坊ちゃまが! 騎琉斗キルト坊ちゃまが……!」


 家政婦たちが一斉に頭を下げて謝る。


 だが家の主の帰還に、皆どこかほっとしている様子でもあった。


「荒れてるな」

「お昼にお戻りになってから、ずっとあの調子で……」

「すみません、私どももどうすることも出来ず……」


 奇声を上げる息子、騎琉斗の様子を見やって、彼の父、伊谷味いやみ近蔵こんぞうは嘆息した。


「騎琉斗!」

「はぁ! はぁ! はぁ!」


 騎琉斗は荒い呼吸のまま、鋭い視線を父親へと向けた。


 そんな息子を見て、ネクタイを緩めながら笑いかける。


「たまには二人で、ドライブにでも行くか」

「……?」

「お前たち。片づけを頼むぞ」

「はい」

「畏まりました」


 近蔵が玄関へ引き返していく。


「ホラ、騎琉斗! 行くぞ!」


 そう言うと、さっさと出ていってしまった。




 黒塗りの高級車が夜の首都高を走る。


 ブラックダイヤモンドのような光沢の、存在感のあるボディに街路灯の光が光線となって流れていく。


 近蔵が運転するその横で、息子の騎琉斗は半ば放心状態で、夜景を眺めていた。


「気分は落ち着いたか?」

「僕は、もう終わりです」

「ハッハッハ! あの程度で終わりなどと言っていたら、政治家は務まらんぞ? お前もいずれ、私の跡を継いで政治家になるのだからな」


 小さな頃から言われてきたことであった。


 何も返さない息子に、父が問いかける。


「憎いか?」

「え?」

「あの不良どもが憎いかと、聞いている」

「それは」


 声を低める息子を、近蔵はちらと見た。


 握りしめた拳が震えている。


「押し殺すな! 吐き出せ!」

「あのゴミ虫どもの頭をカチ割って、一人残らず、ブチ殺したいです!!」


 目をぎらつかせて父親を見やり、そう言った。


「はー……。息子よ」

「ごめんなさい」

「なぜに、謝る」

「えっ?」

「よくぞ言ったっ!!」

「!?」

「それはパワーだ! 今日、自分がしたことを思い出してみろ!」


 父親の発言に、騎琉斗は戸惑った。


「怒りや憎しみに任せて、家じゅうのものを破壊したろう? 怒りや憎しみはな、パワーなんだ。そのマインドがお前を上へと進ませてくれる」

「……父さんは、どうなの?」


 一瞬沈黙すると、騎琉斗は問い返した。


「どうって?」

「憎くないの、アイツらが? 議員なのにあんな底辺の不良に、ゴミ虫どもに大勢の前で恥をかかされてさ」

「ハッハッハッハ……」


 高笑いする父を怪訝に思い、運転席を見やる。


 そして騎琉斗は身体が硬直した。


 前を見たまま、父親が見たこともない鬼の形相をしていたからだ。


 眼球だけをゆっっっくりと息子に向ける。


 目が合って、騎琉斗は心まで凍り付いた。


 ギリギリギリ……ッ!!!!


 強く握られて、革ハンドルが悲鳴を上げる。


「悔、し、い、に……っ!!!! 決まっている!!!!」


 血を搾り出すようにそう言った。


 恐怖さえ感じて、騎琉斗が唾を呑み込む。


「じ、じゃあ、父さんならこんな時、どうするの?」


 怯えたようにそう聞かれると、近蔵はさっきまでの表情に戻った。


 しばらく黙る。


 しばらく考えた後、近蔵はおもむろに口に開いた。


「息子よ。お前もいずれ、私の【地位】と【権威】を継承していかねばならない。私の、このチカラを」


 そこまで言うと鼻から息を吐いた。


「だからこそ、これから私がおこなうをよく憶えておきなさい」

「裏の、やり方……!?」

「ああ、我らチカラを有する、特権階級のみが使えるやり方だ」


 そう言うと、息子を見て続けた。


「人はな、騎琉斗。飼えるんだ」

「人を買う? なに? あいつらを奴隷にしろってこと?」

「違う、そうじゃない。買うんじゃなくて飼う、だ。飼育だよ。飼育うんだ」

「飼育う……」

「ところで話は変わるが、騎琉斗。お前、暴対法って知ってるか?」


 本当に話が逸れた。


 何のことだろうと首を傾げつつ、騎琉斗は答える。


「暴力団対策法でしょ?」

「正確には、『暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律』──近年、暴力団への締め付けはますます強まっている。暴力団に入ってしまうと、普通の、当たり前の、最低限度の生活を送ることさえ厳しくなるんだ」

「それがなんだって言うの……」


 騎琉斗は溜息交じりに返した。


「だからこそ、街に溢れたのが半グレだ。素人以上、暴力団以下の集団のことだな」

「半グレ、ね。あのゴミ虫どものなれの果てか」

「ああ。そして、そのゴミ虫たちを飼うのが、我々だ」

「え?」


 ギョッとして、騎琉斗は父を見やった。


「飼うって、半グレを?」

「ああ。手懐けるには、コツがいるがな」


 至極、引き締まった表情のまま、息子を見やる。


 悪い冗談を言っている訳ではなかった。


「ゆっくりと教えてやろう。我らが飼っている半グレ集団──武断塾ぶだんじゅくの使い方を」

「武断塾……? それって確か」


 どこかで聞いたことがある名称だった。


 近蔵はゆっくりと語る。


武断塾ぶだんじゅく──十代の少年少女や若者の支援団体だ。非行少年の更生や前科のある若者の支援をしている。就職先の斡旋とかな」

「聞いたことがあります。父さんも、支援者の一人だったね」

「ああ。れっきとした法人格も有した団体で、国や都からも助成金を貰い、企業などからの支援金で運営されている団体だ。名前の由来は、更正の主軸として武術や格闘技を通じて、健全で強い精神と身体を育むという目的だから」

「……まさか、その武断塾って!?」


 騎琉斗が目を見開く。


 その様子を見て、近蔵は嬉しそうにうなずいてみせた。


「流石は我が息子だ。察しが良いな」


 そう言って続ける。


「若者、子ども……弱者支援は隠れ蓑。社会正義の盾で裏の活動を隠すためのな。武断塾の真の活動目的は、半グレ集団の武装強化。統率の取れた戦闘集団として訓練し、我らの駒として役立てるためのな」

「や、役立てるって、何にです?」


 声を震わせて騎琉斗は聞き返した。


 これ以上立ち入らない方が身のためではないか、聞いたらヤバいことになる。


 そんな思いとは裏腹に聞きたいとも思った。


 なぜなら今聞いているこの話は、自分自身の将来に直結するものなのだから。


 こんなにもどす黒くドロドロとした裏の、陰の、闇のチカラを恐らく自分も手に出来るという、確信。


 息子に問われ、近蔵は短く答える。


「邪魔になるものを、消すため」

「……」

「まあ、ほかにも色々だがな。政治家をやってると、色んな妨害に遭うんだよ。それを、半グレと言う脅威を使って排除するのが目的だ。権威者たちの裏の仕事を請け負う暴力集団」

「それが武断塾なんですね」


 ごくりと騎琉斗は息を呑んだ。


「驚いたか? 大人の世界に、ようこそ」


 黙ったまま、騎琉斗はうなずく。


「しかも本当に一握りの、チカラを持つもののみの世界だ。本物の権力チカラ、をな?」


 カッチ、カッチ、カッチ……。


 ハザードランプがリズムを刻む。


 近蔵は車を端に寄せ一時停止させた。


「騎琉斗よ、よく聞きなさい」


 身体ごと息子に向き直る。


「これはお前がいずれ引き継ぐことになる、権力チカラでもあるんだ」

権力チカラ……」

「知れ。あんな低俗なゴミ虫ごときに自分の手を汚す必要はないと言うことをな」


 そう言うと、近蔵は暗く笑った。


「ゴミ虫は、別のゴミ虫を放って喰わせる。ただそれだけだ」

「武断塾を使って、アイツらを潰すんですね?」


 ぎらりと目を輝かせ、騎琉斗も笑う。


「傍で勉強させてください! 権力の使い方を!」

「良いだろう、しっかりと学びなさい!」

「ハイ、父さん!」


 気持ちの良い返事に、近蔵はポンと息子の肩を叩いた。


「飯でも食って帰るか、腹が減ったろ! 何が良い?」

「肉が喰いたいです! 前に言っていた高級焼肉店、利休に行ってみたいです」


 GinTHEギン・ザ 利休りきゅう──完全予約制、全室個室の高級焼肉店である。


「子どもの癖に……」と近蔵は呆れたように首を横に振る。


「良いではないですか!? 腹が減っては戦は出来ぬ、です!」

「よし! じゃあ行くか! 戦の前の腹ごしらえだ!」


 黒塗りの高級車は、銀座へと向かい再び走り出した。

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