第85話 もう遅い

 パラパラパラ……。


 ぱた。


 俺は手にしていた巨大な魔導書を閉じた。


 見るからに禍々しいこの書物の名は【ポコ=チャッカ】──グラン・ヴァルデンにて魔王軍の宰相だった魔導士ド・グラが所持していたものだ。


 女神ディアベルの話では深淵にて見出されたものらしい。


 古来からその存在は知られており、【最大禁忌の魔導書】【一大奇書】などと呼ばれていた。


 心弱き者はただ目にしただけで魅入られ、精神を支配されるという。


 並大抵の精神力では読んだら最後、精神を狂わされ、一生、廃人となってしまう。この本が創り出す狂気の世界に、死ぬまで閉じ込められるのだ。


 だからこの魔導書を扱うには、それ相応の【精神力】と【精神異常耐性】を要する。


 長らく眠らせてきたが、今の俺のであれば扱うことは容易かった。


 この【ポコ=チャッカ】を使って、俺は悪人たちを炙り出した。


 グラウンドの中央に、まるで演劇でもしているかのように、彼らは並び立っている。


 自分の立場を利用し圧力をかけた権力者たち。


 その圧力に屈し、権力におもねる教師たち。


 そして親の威を借る息子たち。


 復讐心から、そんな彼らと手を組む連中……。

 

 文字通りが顔を揃えた。全員悪役、ではあるがな。


 たった今彼らは、自分たちがしてきた悪事を、そしてこれからしようとしていた悪事を、その口で告白したのだ。


 この場にいるすべての者たちの前で、その罪は白日の下に晒された。


 だが当の本人たちは何が起こっているのか分からず、顔を強張らせたまま立ち尽くしている。


「学園長、教頭……、今の話は本当なんですか!?」


 教師たちが詰めかけて、問い質す。


 学園長たちは顔を見合わせた。


「はっ、話とは?」

「話とはって、今言っていたことですよ!」

「言ってい、た??」

「そうですよ。点数を不正に操作したって教頭も仰っていたでしょ!?」

「えっ!?」


 二人は分かりやすく動揺した。


「ま、まさか料亭での会話、アレ全部喋ってたのかっ!?」と、剛谷も頭を抱えて大きく仰け反った。


「料亭? 何を言っているんですか、剛谷先生!?」


 教師の一人が剛谷に詰め寄る。


「答えてください、剛谷先生! あなたはさっき、点数の変更は採点ミスが理由と、そう説明しましたよね!? 嘘だったんですね!?」

「いや、それはだね」

「それに一部の生徒による脅迫行為があったとも言っていましたが、本当はどうなんです!? そんなもの無かったんじゃないですか!?」

「それは、ええと。教頭……」


 剛谷が教頭を見やる。


「がっ、学園長……」


 教頭が学園長を見やる。


「……」

「やっぱり、全部嘘だったんですね……」


 教師たちは非難するような目を三人に向けた。


「伊谷味議員っ!」

「じ、自治会長……」


 隣では議員の伊谷味が老人に迫られている。


 伊谷味と同じく、来賓として招かれていた自治会長だった。


「あんた一体何を考えとるんだ!? 議員の立場を利用して、学校行事に介入するなんて許されると思っとるのか!」

「あなたもですよ、壕さん!!」


 壕に対しても、女性がすごい剣幕で詰め寄っている。


 壕は表情を強張らせた。


「会長……」

「私利私欲のために体育祭を利用するなんて、あなたはそれでもPTA役員ですか!?」

「それは……っ」


 どうやら、相手はPTA会長らしい。


 PTA会長は、壕の様子を見て呆れたように溜息を吐く。


「私の後任にはあなたを推そうと思っていたのに、残念ですよ、壕さん……」

「ちょ、待ってください、会長──っ!!」

「アンタもだ、伊谷味議員!」


 自治会長も伊谷味にしかめっ面を向けた。


「うちの自治会は長年アンタを支えてきたが、失望したよ」

「く……!!」


 伊谷味は一瞬、苦虫を嚙み潰したような顔をしたが、すぐに口をきっと結び直した。


 胸を反らして遠くを見やる。


「フン! なんのことですかな? 一っ切記憶にございませんっ!!」

「わっ、私もです! 知りません、不正なんて! 教師たちが勝手にやったことです!」

「なっ!?」


 二人は完全黙秘の姿勢を取った。


 それを見て、二人の会長は呆れた。


 そんな大人たちの様子を伊谷味やマンタが苦い顔をして見ていた。どう見ても不利な状況である。


「おい、ペテン師ども」

「!!」

「お前らも何か言ったらどうだよ?」


 生徒たちも怒っている。


 多くの者が彼らを睨み、冷ややかな目線を送っていた。


「親に頼んでイカサマするなんて最低!」

「そんなんで勝って嬉しいのかよ!」

「ちっ、違う! 僕ら──」

「待て」


 マンタの服を引っ張って、伊谷味が止めた。


 彼はマンタだけでなく、安本たちや自分の取り巻き連中も見やった。


 小さな声で、「余計なことを喋るんじゃない。周りをよく見ろ」と声を低めて伝える。


 意味ありげに目線を遠くへ投げた。


「!!」


 生徒たちの中にも、遠くで見守る保護者の中にも、スマホを自分たちへ向けている者がいる。


 動画を撮影されていたら、面倒なことになる。


 そう判断したのだろう。


 が、もう遅い。


「撮られんのが怖いのか?」と、伊谷味たちの心理を突いて誰かが言った。


 ノース軍の不良だった。


「お前らが先生オトナたちを脅したようによ」

「お、脅したって……、何のことかな? そんな証拠、どこにもないでしょ?」

「……はぁ??」


 マンタの言葉に、不良たちが互いを見やる。次の瞬間、大笑いが起こった。


 ほかの生徒たちも苦笑する。


「な、なんだよ! なんで笑ってんだよ!」

「なに寝ぼけたこと言ってんだよ!」


 キレ気味に不良が返す。


「お前さっき、自分からスマホ見せてたろ!」

「そうそう、自慢気に撮影した動画、俺たちに見せびらかしてよ?」

「え゛っ!?!?」


 マンタが自分の手を見やる。


 その手にはしっかりとスマホが握られていた。


「っは!?!?」


 そしてもう片方の手を見やって息を呑む。


 ザ──ッ!!


 ノース軍の陣地から少年が一人が出てきて、マンタたちの前に立ちはだかった。


「どう足掻いたって言い逃れは出来ねぇよなぁ? そんなもん手にしてたらよ?」


 コングだ。


 ポケットに手を突っ込んだまま、彼らを見て笑う。


 最後にその目を伊谷味に向けて問いかけた。


「なぁ、伊谷味?」

「?」


 そう言われても、伊谷味は何のことか分かっていない様子だった。


 首を傾げる。


「せ、先輩……これ」


 マンタが冷や汗をダラダラ流しながら、自分の手に握られたそれを伊谷味に見せた。


「っ゛!!」


 小型のスタンガンだ。


 ハッとして自分の右手を見やる。


 伊谷味の右手にも、それはしっかりと握られていた。


「俺や凡野コイツ喧嘩り合いてぇんだろ?」


 伊谷味とマンタ、そして元不良仲間を見やって聞く。


「俺たちは、いつでも相手んなるぜ──な?」


 首を後ろに巡らせて、俺にも聞いてくる。


「……俺は喧嘩などしない」


 俺が短く返すと、コングも短く笑った。


「兎も角、だ。これはお前らと俺らだけの問題で、別でやることだ。体育祭はそういう場じゃねぇ。違うかよ?」


 問われても、伊谷味は無言を貫く。


「自分たちの喧嘩に、関係無ぇ奴、巻き込むんじゃねぇよ」

「ヘン! 不良が偉そうに語んなっ!!」


 我慢できずに、マンタが吠えた。


「な~にが他人を巻き込むなだっ! 社会のゴミの分際で、生徒代表みたいな口利きやがってよ!!」


 コングに指を突き付けて吐き捨てる。


「言っとくけど脅迫行為も暴力を振るわれたのも本当のことだからな!?」


 周囲を見渡して訴える。


「自覚がないんなら教えてやるよ!? お前らは学園の嫌われ者なんだよ! みんなお前らなんていなくなればいいと思ってるのさっ! そうさ、だから力のある僕らがみんなのためにそれを実現しようとしただけさ!」


 無言を貫くコングに向かって、マンタはなおも罵った。


「屑! 糞ゴミ! 底辺っ!! みんなみんな、お前らには迷惑してんだよっ!! お前らが消えることを望んでんだよっっ!!」

「そんなことはない」


 マンタの下劣な叫び声が止んだ直後、すぐにその言葉は否定された。


 皆が声の主──俺を見やった。


 俺は心の中で戸惑っていた。


 くそ、何故だ……。黙ってやり過ごすつもりだったのに。


 だが、聞き捨てならなかった。


 目立つべきではない。目立ちたくはない。


 そう思いつつ、一歩また一歩前に出て、コングの横に並ぶ。


「俺たちノース軍は、彼の下に一丸となった。そして、優勝を目指し、今日まで皆で汗を流してきたんだ」


 まっすぐにマンタを見据える。


「少なくとも俺は、ノース軍団長の吉見よしみ猿彦さるひこを嫌ってはいない」

「私もよ!」


 応援団長の高塚香織が前に出てくる。


「私たちノース軍はみんな、団長の、実は真面目で熱い部分を知ってる。だから、そんな彼のことを屑だなんて呼ばせない!」

「わたしも!」

「僕もですっ!」


 一人また一人陣地から出て来て、ノース軍の全生徒たちがコングの左右に並んだ。


 俺の隣に、松本さんも立つ。


「……ぐぬ!!」


 歯痒そうにマンタが唇を歪める。


「中学生にもなって仲良しごっこでっか~? キヒヒヒッ!」


 安本が肩を竦める。


「ホンマきんもいわ~」

「仲が良いことは、素敵なことじゃないかしら、安本くん?」

「!?」


 その声に安本が目を丸くする。


 アルベスタだった。


 サウス軍の陣地から出てくる。


「私たちも、凡野くんたちと同じ意見だよ」

「自分もっす!」


 サウス軍の軍旗を肩に担いで、トールもやってきた。


「俺たちもだ!」

「わたしたちも!」


 一人また一人、生徒たちがグラウンドに集まってくる。


 それは伊谷味とマンタが所属する東西軍からも同様だった。


 気がつけば、四軍すべての団長と副団長、応援団長と副団長たちが、伊谷味とマンタたちを取り囲むように集結していた。


「おい、壕。俺ら誰も頼んでねぇぞ、不正に点数を操作することなんざ」

「俺たちもだぜ、伊谷味?」


 イースト軍とウエスト軍の団長が二人にそう言った。


「その通りだ。そうまでして勝ちたくねぇよ」

「そうだよ。てか、汚い手で勝ったって、それに何の価値もないよ」


 ほかの生徒たちも口を揃える。


 ド──ッ!!


 トールが軍旗を地面に突き下ろす。


「先輩」


 そう言うと、ふっと視線を地面に落とす。


「アンタらから見たら、喧嘩ばっかやってる俺らってどうしようもない屑にしか映ってないのかもしれないっすね。周りから見ても、怖かったり避けられんのも当然かもしれない。けど──」


 顔を上げ、伊谷味とマンタを真っ直ぐに見つめた。


「俺らは俺らで気合入れて生きてんすよ! 喧嘩は一対一タイマン、武器も一切使わねぇ! 恨みがあるからって、そんな下らねぇもん持ちはしない!」


 彼らが手にしているスタンガンに目を向ける。


「コングくんの下にはついても、アンタらみてぇなダセェ奴らと肩並べるなんて、死んでも御免っすよ、俺は」

「おい、お前ら」


 三年の不良たちも、元仲間に向かって言う。


「そこのお偉い坊ちゃんの奴隷になったんだってなぁ?」

「それでぇ? 番長にもしてもらって、俺らのアタマを張ろうってか?」

「舐めてんじゃねぇぞっ!!」


 本気の叫びがグラウンドに響き渡った。


「言っとくが、俺らはそう言うのが一番嫌いなんだよ! 根性も実力も無ぇ奴が頭張れると思うな!」

「その通りだぜ」


 今度は一年がそう言った。


 いつもトールと一緒にいる丸刈りの少年だ。


「アンタらさ、そんな奴らに媚びて番長になれるとでも思ってたんか?」


 伊谷味とマンタを見やって、侮蔑したように鼻で笑った。


「そんなタマ無しの馬鹿、誰が認めっかよ!」

「私もそう思う」


 その言葉を受け取りアルベスタが頷いた。


 そしてアルベスタは大人たちに顔を向けた。


「伊谷味議員、壕さん、そして先生方……。生徒たちの脅迫行為を捏造したあなた方も同様です」


 五人を真っ直ぐに見て続ける。


「少なくともあなたたちに、生徒を指導したり、人々の上に立って導く資格は無いのではないでしょうか」

「そうだ、そだ!」

「反省しろ!」


 遠くから見ている見学者たちが、口々にそう発する。


「これが、答えだな」


 俺は全員の顔をゆっくりと見て最後にそう言った。


 伊谷味が鼻筋に皺を寄せて、プルプル震えはじめる。


 その顔はみるみるどす黒く変色していった。


 過呼吸気味に鼻息を荒くし、白目を剥いた般若の形相で怒りを抑えている。


「ねぇ」

「あ……」


 目の前にやってきた少女を見て、マンタの顔が綻ぶ。


 諏藤がマンタの目の前に立っていたのだ。


 マンタが体操服の大きな膨らみに目を落とす。


 今度はだらけた顔つきになった。


「おっふ♡」

「で──りゃっっ!!」


 バチンッ!!


 ビンタを喰らって、マンタが盛大に吹っ飛んだ。


「な、なにすんの??」

「だ~れがお前みたいな奴にご奉仕するか、ば~かっ!!」

「あ、それも言っちゃってたのね」

「最低っ! 変態っ! 死ねっ!!」


 そう言うと、諏藤は怒りながら自陣に戻っていった。


「ホントきもい」

「マジ最低」


 女子たちから、マンタは蔑んだ冷たい視線を向けられていた。




 この後、会場が混乱したと言うことで、少しの間の待ち時間が設けられた。


 三十分ほど経ってから、午後の部は無事に再開される。


 各軍の点数は、元に戻された。

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