第82話 忖度

 パラスコ、パララ、パラスコ……♪


 グラウンドに音楽が鳴り響く。


 午後の部スタートの合図だった。


「ただいまより! 悠ヶ丘学園体育祭、午後の部を──」


 放送部員の張り切った声が急に途切れる。


「え!? あ、そうなんですか……?」


 マイクがそんな戸惑った声を拾っていた。


「なんだ?」

「何かあったのかな?」


 生徒たちが何事かと顔を上げる。


「え~、午後の部開催の前に、重要なお知らせがあります!」

「この声って」

「体育の剛谷ゴーヤじゃねぇか」

「実は午前のプログラムで採点ミスが見つかりました」

「えぇ────っ!?」


 その言葉で、生徒たちが一斉に騒ぎ出した。


「マジかよ」

「何やってんだよ……」

「えっ? じゃあ、順位とかどうなるんだろ?」

「は~い、静かに! 静かに聞く!」


 剛谷が誰よりも耳障りなハウリングを響かせつつ、静粛を求める。


「大変申し訳ないが、再集計の結果、各軍の点数が入れ替わります。そによって順位も多少前後する」

「はぁ!?!?」

「うおぉい!!」


 今度は各陣地が騒然となった。


 そんな生徒たちを余所に、テント横の点数パネルが次々と張り替えられていく。


【イースト軍200点。ウエスト軍290点。サウス軍320点。ノース軍290点】だったのが、

【イースト軍260点。ウエスト軍340点。サウス軍320点。ノース軍180点】に変更される。


 驚きや怒り、喜びや嘆きなど──さまざまな感情の入り混じる声がグラウンドを包んだ。


「嘘でしょ!?」

「いや、おかしいよ……!」


 当然ながらノース軍の陣地からはそんな声が上がった。


「オイ、どーなってんだよ!?」

「知るかよ、なんだよこりゃ!?」


 皆不満そうだ。


 当たり前である。


 二位に着けていたのに、気がつけば最下位。290点あった点数も180点に下がっている。


 一気に一位に躍り出たウエスト軍との差は160点──優勝を目指すには絶望的な点数だ。


「ブゥ────ッ!!」


 一位だったサウス軍からは大ブーイングが起こる。


 二位に転落してしまったのが不満らしい。


 生徒たちが思い思いに騒がしくする中、俺は一人、黙って本部テントを見つめていた。


 これは本当に採点ミスに因るものなのだろうか?


 各プログラムの詳細な配点は分からないが、一位から順に高得点が得られるはずだ。


 午前中のすべての結果を順位別に集計しても、こんな順位にはならない。


 考えられるとすれば、配点が明確でない【エールの送り合い】での誤差だが、そこを考慮してもあり得ないことだ。


 明らかにおかしい……。


「やったぜ!」

「なんか知らんけど、ラッキー!」

「いや、ラッキーではなくない? これが正しい順位なんだからさ」


 釈然としないサウス軍、嘆きのノース軍に代わって、一位になったウエスト軍は驚きとともに喜びの声で溢れ返っていた。


「てか勘弁してほしいんだけど? 危うく最下位だったじゃん?」

「だよね」


 三位に繰り上がったイースト軍からも、そんな声が聞こえてくる。


「俺は最弱ノースが二位とか、初めからおかしいと思ってたんだ」

「俺も! 危うく騙されるところだったよな?」

「万年最下位のノースに、イーストが負ける訳ねぇんだよ」

「まだ続けるか~? 夜になっちゃうぞ~?」


 騒然とする中、剛谷が教師然とした言葉を放ち、そのまま黙りこくる。


 無言の圧力で、グラウンドを静かにさせた。


「え~では最後に、体育祭を再開するにあたって皆さんに注意事項があります」


 しんと静まり返るまで待ってから、剛谷は続けた。


「実は午前の部で、許し難いことが起こりました──」


 声のトーンを落として、急にそんなことを言い出す。


 わざと言葉を途切れさせ、十分に間を置いた。


「一部生徒による脅迫まがいの行為が発覚してしまったんです」


 その一言は、生徒たちを別の意味でざわつかせた。


 テントに座る大人たちやグラウンドの周囲で見守っている家族たちにも動揺が広がる。


 空気全体が揺らいだ。


 剛谷はグラウンドを見渡すと、その視線をノース軍で止めた。


「多くの生徒たちから、苦情も届いています。脅迫したり、暴力をちらつかせて相手を委縮させ、実力を発揮できなくするような、そんな卑怯で卑劣な真似は、先生たち、絶対に許しません!」


 強い口調で明言する。


 じっとノース軍だけを見やって言葉を続ける。


「当たり前だが脅迫も暴力も、断じて許さない! よって、午後からは多くの教員を配置します! もし、そのような行為を見つけた場合は、容赦なく失格にする!」


 そう言い切ると、彼は咳払いをした。


 生徒たちを見渡す。


「体育祭が始まる前、みんなは宣誓したはずだな? 先生、聞いてましたよ? 【我々、生徒一同は、スポーツマンシップに則り、正々堂々と戦うことを誓います】、ね? そのことを一人一人もう一度しっかりと思い出して欲しい! 先生たちは失格者が出ないことを祈っています、以上っ!!」


 そう言い終えると、ノース軍を見やる。


「ノース軍も、いいな?」


 何故か名指して、最後の最後にそう付け加えるのだった。


「……んだ、そりゃ」

「まるで俺たちのこと言ってるみたいじゃねぇか」

「馬鹿言うな! 誰が誰を脅したってんだよ!?」


 ノースの不良たちが不満を漏らす。


 ほかの生徒たちも同じだった。


 先ほど言われたような脅迫や暴力をちらつかせるような行為、誰もしていないからだ。


 ノース軍の生徒たちは、誰からともなくコングを見やった。


「おい、コング! 俺らどーすりゃいいんだよ!?」

「俺たち、なんもしてねぇだろ!?」

「……アイツかもな」


 コングは、どこかを見ながら静かに答えた。


「え……?」


 つられるように皆もコングの視線の先へ顔を向ける。


「っ!? 伊谷味!!」

「まさか──アイツ、本当に……っ!?」


 三年の伊谷味……。午前中、マンタと共にノース軍に絡んできた奴だ。


 議員の息子だとか言われていたな。


 伊谷味はこちらからの視線に気づいていながら、気づかぬフリをして涼しい顔で座っていた。


 だが、午前中も奴と一緒にいた連中はニタニタと意味深な笑顔でコングたちを見ている。


「……」


 ウエストには安本もいた。


 向こうもこちらを見ていて、俺と目が合うと、血走った眼で笑顔を痙攣させた。


 俺は逆サイドのイーストにも目を向けた。


 マンタが先ほどから、並々ならぬ憎悪を俺たちに向けている。


 更には二年の不良数人も、俺やコングを睨んでいた。


 元はコングが率いる悠ヶ丘の不良グループにいたが、今は外れた連中である。


 オーガが俺を誘き出すために信吾を拉致した時、信吾に暴力を振るい嘲笑っていた奴らだ。


 コングたちにも、彼らなりの流儀がある。


 信吾に対して奴らがおこなったことをコングも許さなかった。


 と言っても、追放させられたわけではないのだが、オーガが学校を辞めて以降、連中も不良グループから遠ざかり、今ではコングやトールたちの仲間ではないらしい。


 俺たちが昼食を食べていた時に、二年の教室から感じた悪意の視線……。あの場にいたのは、恐らくこいつらだ。


 俺はもう一度、教師や議員、PTAなどがいる本部テントを見やった。


 議員である伊谷味の父親も、PTA役員のマンタの母親も、あそこか。


 なるほど……、だいたい理解できた。


「なんで」


 一年の佐々木優美が悲し気に言葉を零した。


「せっかく、せっかくみんなで頑張って、二位になってたのに……」

「佐々木さん」


 高塚が声を掛ける。


「大丈夫! まだこれからよ! 後半できっと巻き返せる!」

「けど……」


 佐々木は悔しさの余りに泣き出してしまった。


「本当に伊谷味って先輩が裏で手を回したのかな? 親の権力を使って。それかマンタがママに言いつけたんかな?」

「わからないよ」


 桜葉が問うと、松本さんは首を横に振った。


「けど、それならヤダな。こんな変な体育祭……。わたしたちだけじゃなくて、ほかのチームも今日までたくさん練習してきたのに」

「だね~。てか、ぶっちゃけこの点差じゃ優勝はもう無理かなぁ~」


 桜葉が空を仰いで、溜息を漏らした。


「あ~れ? なんか、あたしも泣けてきたんだけどぉ??」

「雫……?」


 松本さんに笑顔を向けた桜葉だったが、その瞳の淵は濡れていた。


「あ、あたし、体育祭なんてどーでもいいって思ってたのになぁ? なんで??」

「雫──」


 松本さんが桜葉を抱きしめる。


 桜葉も、ほかの皆と同様に今日まで競技練習に汗を流してきた。それなりの想いがあったのだろう。


「ちっくしょう!!」


 男子生徒の一人が、思いきり拳を自分の膝に叩きつける。


「こんな、こんなやり方ってありかよ……!」

「面白くねぇな」


 ぽつりとコングは言った。


「勝っても負けても、これじゃあ、なんも面白くねぇ」


 俺は黙って立ち上がった。


 一人、陣地を離れる。


「凡野、くん?」

「おい、凡野! どこ行くんだよ?」

「ちょっと手を洗いに」


 そう言うと、俺はサウス軍へと向かった。


〈アルベスタ〉

〈なんだ?〉


 【伝心でんしん】にて呼びかけると、アルベスタは不機嫌そうに返した。


〈今は私に話しかけるな、虫の居所が悪いのだ〉

〈お前も気づいているんだろ? これが点数操作で、であることに〉

〈当たり前だ……〉


 ゆらっと金髪が逆立つ。


 その碧眼からは鋭い殺意が迸っていた。


 周囲の生徒もそれを察して、思わず息を呑む。


「な、なんか寒気がしない?」

「うん。わかんないけど、身体の震えが止まらない……」


 力を抑えていても、流石は戦の神と言ったところか。


〈明らかに我らがサウス軍が圧勝していた。なのになんだこれは!?〉


 そう言うと、どこか非難めいた顔を俺に向けた。


〈これは大いなる戦祭のはず。そうだろう、ヴァレタス・ガストレット。それなのに浅はかな連中によってこんなにも簡単に捻じ曲げられるものなのか? これはそんな陳腐な祭なのか!?〉

〈いや、本来は違う〉

〈どちらにしてもふざけ切っている〉


 アルベスタが吐き捨てる。


〈ディアベル様の命が無ければ、もしもここがグラン・ヴァルデンならば、あんな連中の首、即座に斬り落としてくれようものを……!!〉

〈ほう、ならば話が早い〉


 俺はアルベスタを見て笑った。


〈なあ、アルベスタ。一時、手を組まないか?〉

〈……手を組むだと?〉

〈ああ。敵を、炙り出すために〉

〈策はあるのか?〉


 そう問われて、俺は黙って頷いた。


〈そのためにまず、俺の力を解放してくれ〉


 アルベスタがすっと立ち上がる。


〈いいだろう。私も戦姫神の力を解放するとしよう……〉


 本部テントを見やる。


〈神聖なる戦祭を穢した者どもに、相応の報いを受けさせてやる〉

〈ああ。そうしよう〉


 コングらも高塚や佐々木たちも、そして松本さんも、今日の日のために頑張ってきた。


 敵とは言え、ほかの三軍もそうだろう。


 このような暴挙、許しはしない。

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