第77話 メガネっ娘、渾身の走り

 誰も口を開かない。


 さっきの一件で、何となく重たい空気がノースの陣地に漂っている。


 パ──ン!


 突如、乾いた音が響き渡った。


 いよいよ、障害物競走が始まったのだ。


 この競技は各学年ごとに男女別でレースがおこなわれる。


 今走っているのは一年男子のようだ。


「行けー!!」


 ドン、ドン、ドン……!!


 ほかの三軍からは声援や太鼓の音が響き渡る。


 それを耳にして、応援団長の高塚香織は我に返ったように立ち上がった。


 俺たちに身体を向ける。


「さ、さあ、みんな! 選手たちは頑張ってるんだから、私たちも気を取り直して応援しよう!」

「そ、そうだよな」

「うん、この次は佐々木さんだし……」


 一人また一人、重い腰を上げて声援を送る。


 だが、声はあまり出ていなかった。


 さっきのことが吹っ切れていないのだ。


 パ──ン!


 佐々木優美の番だ。


「行けーっ!」

「優美、ファイトー!」


 佐々木が走っていく。


 自主トレの成果か、走り方はだいぶマシになっていた。ほかの生徒とも横並びだ。


 まずはネット潜り。


 ほかの選手はどうにか進んでいくが、佐々木はネットに眼鏡を絡め捕られてしまった。


 思わぬタイムロスだ。


「うわっ、眼鏡──」

「おい、抜かれてってんぞ……」

「もう眼鏡捨てて走れ!」

「馬鹿、眼鏡無きゃ、アイツ何も見えねぇだろ!?」

「そうだよ! 眼鏡は佐々木さんの本体まであるの!」


 そんなことを言っているうちに、どうにかネットを抜けた佐々木──慌てて次の平均台に登るが、ここでも足を滑らせ、派手に尻もちを搗く。


 最後のハードルでは、バーに足を取られて顔面から地面にダイブしてしまった。


 けれど転んでも、すぐに起き上がってゴールを目指す。


 お世辞にも速いとは言えなかったが、それでも佐々木優美は、がむしゃらに走っていた。


 結局、彼女は三位になった。


 少しして、ボロボロの佐々木が帰ってくる。


「う゛っ! う゛う゛……っ!」


 彼女は、泣いていた。


 肩を震わせている。


「佐々木さん」

「だいじょうぶ、優美?」


 心配そうに一年生たちが駆け寄る。


 だが佐々木は俯いたまま泣き続けている。


「う゛っ! ひぐっ!? わ゛、わ゛だし……!」

「優美……。悔しいんだね」


 一人がそう言うと、皆が頷く。


「体育祭の練習、頑張ってたもんな」

「さっきアイツらにあんなこと言われたから、余計にな」

「よくやったわ、佐々木さん!!」


 高塚が力強く佐々木の肩に手を置いた。


「悔しくていいのよ! その涙は、あなたが本気で頑張った証拠なんだから!」

「そうだぜ、佐々木! お前、よくやったよ!」

「アイツらのことも、気にすることはないさ!」

「ちっ、違うんです……!」


 皆で励ましていると、佐々木は首を小さく横に振った。


「違う?」

「違うって、なにが?」


 生徒たちが戸惑う。


「悔しくて、泣いているんでしょ?」


 高塚も問いかけた。


 すると、彼女はもう一度首を横に振った。


 くしゃくしゃになった顔を上げる。


「わ、わたし……っ、嬉しいんですぅ!!」

「えぇっ!?」


 予想外の言葉に、その場の全員が驚きの声を上げる。


「うっ、嬉しいの、佐々木さん?? さ、三位だったのに??」


 高塚がそう聞いたら、佐々木は何度も頷いた。


「わ、わたし……、運動音痴で幼稚園の頃から運動会でいっつもビリだったんですよ、ありとあらゆる種目で。本当に、壊滅的最下位で……」


 涙を拭う。


「もうスポーツとかそう言うのは向いてないんだって、一生絶対に勝てないんだって諦めてたから……。だから、三位でも、三位になっただけでも、わたしにとっては奇跡みたいで……、う゛うぅっ!」


 そう言うと、言葉を詰まらせる。


「うわーーん!! 三位なんて残念な結果なのに、嬉しくてすいませーん!!」


 やれやれ、どうやら悔し涙ではなく、うれし涙だったらしい。


 佐々木の様子があまりにおかしくて、思わず皆は笑ってしまった。


「なんだよ、心配したじゃんか!」

「佐々木さん、初勝利おめでとー!」


 呆れたように笑いながらも、拍手を送る。


「ワーン、ごめんなさーい! そしてありがとー!」


 佐々木は泣きながら謝り、そして泣きながら感謝の言葉を述べた。


 偶然の産物だが、どんよりとした空気は軽くなった。


 いや、偶然ではないか。


「佐々木」


 俺は彼女に声を掛けた。


「凡野先輩……」

「出せたか、自分なりの全力?」

「ハ、ハイ!」


 潤んだ瞳をキラキラさせて、佐々木が頷く。


「チームには貢献できなかったけど、でもわたし、こんなに必死になったの、人生で初めてです」

「そうか」

「ハイ!」

「だがな、チームにも十分に貢献できていると思うぞ」


 そう言うと、俺は活気の戻ったノースの陣地を見やった。


「今さっきまでの重たい雰囲気が、ガラリと変わった。これは君がもたらしたものだ」

「わたしが……?」

「ああ。何度転んでもすぐに立ちあがって、必死にゴールを目指す姿を、俺たちは見ていた。君が本気だったからこそ、全力を尽くしたからこそ、ここにいる皆の気持ちは大きく動かされたわけだ」


 彼女を見て笑う。


「俺も、良い走りだったと思う」

「あ、ありがとうございます、凡野先輩」


 そう言うと、佐々木は顔を赤らめた。


 チーム全体が、佐々木の初勝利を祝していた。


「おい」


 座席の奥から野太い声が飛んでくる。


「あ、団長さん」


 コングだ。


「イイもん貰ったぜ!」


 彼は自分の胸をドンと叩いた。


「おい、お前ら!」


 不良仲間を見やる。


 不良たちはまだ無愛想な顔をしたまま座り込んでいた。


「いつまで拗ねてんだ、気持ち切り替えろ!」


 そんな彼らにコングが呼びかける。


「余所の軍のヤツらがどう思おうが、教師オトナがなに言って来ようが知ったこっちゃねぇだろ! 最初に決めた通り、俺らは全員で優勝テッペン取りに行くぞ!!」


 コングがそう言うと、不良たちが顔を見合わせた。


「はぁ!?」

「何がテッペンだよ、恥ずかしいな!」

「君もぉ、鈴蘭??」


 ふざける不良たちを見て、コングは鼻で笑った。


「それでイイんだよ、湿気シケた顔してんじゃねぇぞ!?」


 そう言うと、ノースの全員に向き直る。


「戦いは始まったばかりだ。気合入れていくぞ、お前ら!!」

「おーっ!!」


 ノースの生徒たちがそれに応じた。


「次のプログラムは、玉入れです。参加する皆さんは──」


 アナウンスが入る。


「あ、次は俺たちだ」

「わたしも」


 選手たちが立ち上がる。


 各軍から選手がぞろぞろと移動を開始した。


「ファイト!」

「頑張って来いよ!!」


 ノース軍からも、声援に見送られて選手たちが集合場所へと向かっていった。


「今何位くらいなんだろうな、俺ら?」

「バ~カ、点数の発表はまだ先だよ」


 生徒らが、テントの方を見やりながら喋っている。


 テント横に大きなパネルがあり、各軍の点数がそこに記載されるのだ。


 だが点数は、リアルタイムで発表されない。まだそのパネルも真っ新だった。


 最初の発表は、昼食前──午前のプログラムを終えた時点だ。


 エールの送り合いは結果も点数配分はよく分からないが、障害物競走に関しては結果が明白なので分かりやすい。


 障害物競走で、ノース軍は三位につけていた。


 この後の玉入れでもノース軍は三位だった。その次の二人三脚では健闘し、二位となる。


 まだ序盤。まずまずだ。


「次のプログラムは、綱引きです。選手の皆さんは、集合場所に、集まってくださーい」


 いよいよか。


 過去の結果から見ても、参加人数が多い団体戦で、その内容からも特に盛り上がる種目は高い配点がされている。


 綱引きは、午前中のプログラムで最も高得点を狙える種目である。ここはきっちりと押さえておきたい。


「よっしゃ、頑張ろうね、あいな!」

「うん!」


 桜葉とともに松本さんも集合場所へと向かう。


 ほかにも多くのが移動を開始した。


 選手である俺も、席を立つ。


「凡野!」


 コングが背中に呼びかける。


「軍師の腕の見せ所だな。頼んだぜ?」


 にやりと笑った。


「きっちり決めて来いや」

「ああ」


 軽く頷くと、俺も女子たちの後に続いた。

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