第76話 ママに言いつけてやる!

「ビリになっても構わない」


 不安がっている一年生、佐々木優美にそう告げた。


「オイオイ、そんな冷たいこと言うなよ、凡野」

「そうだぜ、可哀そうだろ?」


 聞いていた二年が非難の声を上げる。


「そう言うことじゃない」


 首を横に振ると、俺は佐々木に顔を向けた。


「佐々木、ビリでも何の問題もない──それが、君が全力を出した結果ならばね」

「全力……」


 不安げな彼女に、俺は頷いてみせる。


 本気を出す。


 全力を尽くす。


 言葉では簡単だが、よく考えるととても抽象的な表現である。


 事実、【全力を出す】というのは案外、難しかったりする。


 その経験が無いのならば、尚更に。


 全力を尽くしすべてを出し切った者にしか、限界を超えた経験がある者にしか、それは体感出来ないからだ。


「それに君の身体能力だが、君が思っているほど低くはないよ」

「そ、そうでしょうか……」


 本当だ。


 身体能力ステータスは、本人が思うほど低くないのだ。


 自分の身体を使った力の出し方や効率の良い身体操作をただ、知らないだけ。


「自主トレ、ちゃんとやってたか?」

「そ、それはもちろんです!」


 佐々木は力強く頷いた。


「ならば、少なくとも【全力】は出せるはずだ」


 俺が異世界で体得した【スキル】──【パーフェクトボディコントロール】と【全力パンクラチオン


 ほんの初歩の初歩だが、彼女のように運動に自信のない仲間には個別にトレーニング方法を教えていた。


 地道に取り組めば全力を出すための身体の使い方が分かり、その人なりの全力は出せるようになる。


 真面目な彼女も、しっかりと自主トレはやっていたらしい。


「大丈夫だって、佐々木! 一緒に頑張ろうぜ?」

「そうそう! 仮に負けたからって死ぬわけじゃない、くらいに思ってさ!」


 障害物競走に参加するほかの生徒も、彼女を励ます。


「あんまり余計なこと考えずに、思いっ切りやってきなさい!」


 そう言ったのは、軍旗を握る応援団長だった。


 高塚たかつか香織かおり──三年の女子である。


 長ランと呼ばれる応援団用の丈の長い学生服を着ていた。額に鉢巻を巻き、ポニーテールの髪が特徴的な女子である。


「私たちは何があっても、精一杯応援してあげる!」


 応援団長の言葉に、ノースのみんなも頷いた。


「み、みんな……、わたし、頑張りますっ!」


 口をきゅっと結ぶと、佐々木は皆に向かってガッツポーズをして見せた。


「その調子だ! 行ってこい!」

「ほかのみんなも頑張って!」


 ノースの面々が佐々木たちにエールを送る。


「ヒュー! 今年は盛り上がってるじゃ~ん」


 ヘラヘラした笑い声が邪魔をしてくる。


 見ると、イースト軍と西ウエスト軍の生徒だった。


 同じく障害物競走に参加する選手のようだが、何故か、ノースの陣地にぞろぞろと集まってくる。


「頑張れ、頑張れ。俺も応援してるぞ、メガネちゃん♡」

「参加することに意義があるんだしさ。気軽にやれば良いんだよ」

「そうそう。負け確の最弱チームなんだから、だーれも怒らないって」


 完全に馬鹿にしている。


「あぁ? なんだテメェら、殺されてぇか?」


 不良の一人が、ドスの効いた声でそいつらを睨む。


「ヒッ……!」


 一人がビクッと怯んだ。


 だが、残りの奴らは妙に余裕そうだ。


 へらへら顔を止めない。


 怯んだ奴の肩をポンと叩く。


「そんなビビんなよ」

「そうそう、大丈夫だって」


 そう言うと、奴らは意味ありげにグラウンドに顔を向けた。


 あちこちに教師らが立っている。


 遠巻きに親も見ている。


 テントには議員やらPTAやら……。


 今日は、大人たちがいた。


「衆人環視のこの状況で、暴力振るったり恐喝したりしたらどーなるか、猿の脳みそでも分かるよね?」


 一人が指を頭に突きつけながら言った。


 コイツ確か、俺と同じ二年だったな。


 名前はごう万太郎まんたろう──マンタとか呼ばれている。ゼッケンはイースト軍のをつけていた。


「あ゛ぁっ!?」

「も一辺行ってみろ、ゴラァ!!」


 不良たちが思わず立ち上がる。


「うっは♡ 猿がキレた、猿がキレた♡」

「だと、テメェ!!」


 陣地の座席を蹴り上げた。


 コングの表情もだんだんと険しくなっていく。


 怒りが爆発しそうなのが手に取るように分かった。


「止めた方が良いよ? もし僕らに指一本でも触れたら、全部ママに言いつけることになるからさ」


 マンタは怯むことなくそう返した。


「マ、ママだぁ?」

「僕のママはPTA役員なんだ。僕に手を出したら、ママに全部、言いつけてやる!」

「っ!? んだよ、そりゃ」


 不良たちは半ば呆れていたが、それでも相手の根拠不明の自信に、威圧的トーンは落ちてしまった。


「なんの関係があるんだよ、マンタ!?」

「それに、挑発してきたの、そっちじゃんか!?」


 マンタの態度を見て、同じ二年が声を上げた。


 その声を、マンタはわざとらしく無視する。


「どっちにしろ、今日は大人しくしてた方が身のためだぜ、コング?」


 マンタの隣にいる奴がコングを見て笑った。


 コイツは三年のようだ。西ウエスト軍のゼッケンをつけている。


「お前らさ、最弱ノースの分際で優勝とか狙っちゃってんだろ? 負け犬軍団の団長が、これまた不良って名のマ・ケ・イ・ヌ──傑作だね!」

伊谷味いやみ、テメェ……!!」


 酷い言い草だが、不良たちは何故か怒りを堪えるように拳を握りしめただけだった。


 その様子に、マンタが口元を歪ませる。


「手、出せないよね~? 伊谷味先輩は議員の息子なんだもん。同じ三年の皆さんなら、よ~く知ってると思うけど?」


 肩を竦めて見せた。


「伊谷味先輩に手ぇ出したら、それこそアンタら、人生の破滅っすもんね?」

「……っ!!」


 不良たちは黙ってしまった。


 ざ……っ!


 ただ一人、コングがゆっくりと陣地から出てくる。


「オイ、伊谷味」

「あん、なんだよ?」


 伊谷味に近づいた。


 流石に伊谷味もマンタごくりと息を呑む。


「手っ、手ぇ出したら分かってるな!? みんなが見てんだぞっ!?」

「ほ、本当にママに言いつけるからな!?」


 二人ともビビりまくりだ。


「取り消せや」

「?」

「ノースのこと、コイツらのこと馬鹿にしたろ、今。取り消せ、今ここで!」


 一瞬、沈黙が流れる。


 マンタがちらと横を見た。


 伊谷味と目配せをする。


 伊谷味は何を思ったのか、コングに顔を近付けた。


「嫌なこった、バ~カ、バ~カ」


 それは小声だったが、俺たちにも聞こえた。


 頭に血が上り、コングが反射的に伊谷味の胸ぐらを掴んだ。


「ざけてんのか、ゴラッ!! この場でってやんぞ、あぁ!?」

「素人が調子乗ってんじゃねぇぞ、ゴラァ!!」


 不良たちも伊谷味とマンタに殴りかかろうと身を乗り出す。


 最悪の展開だ。


 止めに入らなければ、優勝を目指すどころではなくなる。


 勢いよく飛びかかっていく不良たち──その体操服の首元を俺は後ろから引っ張った。


「んなっ!?」

「うわっ!?」


 後ろに引き摺られて、二人とも尻もちを搗く。


 だが、コングはゆっくりとその拳を振り上げていた。


「止めてっ!!」


 鋭く声が飛ぶ。


 応援団長の高塚だった。


「これは喧嘩じゃないんだからっ!!」


 コングの腕に縋りついた。


「邪魔だ、どけっ!!」

「嫌よ! アンタ、こんな下らない挑発で、全部水の泡にする気!?」

「!!」


 黙って高塚の顔を見る。


 俺たちノースの生徒たちを見やると、ゆっくりと腕を降ろした。


 バッ!


 胸ぐらを掴まれていた伊谷味が、コングの手首を掴んだ。


 振りほどくのではなく、何故か自分に押し付ける。


 そして顔を横に向けた。


 真っ直ぐ上に手を上げる。


「あ、先生~!」

「知内先生、助けてくださ~い!」


 伊谷味とマンタが同時に声を上げた。


 二人の視線の先にいたのは、二年三組の担任──知内だった。


「ん~? どした?」と近づいてくる。


 コレコレ、と伊谷味が自分の胸ぐらを掴むコングの手を指差した。


「!?」


 知内の顔色が変わる。


「おい、お前ら。何してんだ!」


 不穏な空気を感じ取った様子だ。知内の表情が険しくなる。


「手を放さないか」


 伊谷味がコングの手首を放すと、マンタらと共に、俺たちから距離を取った。


「大丈夫か? 何があった?」

「俺ら、お互いに頑張ろうって言っただけなんです……」

「それなのに急に逆上して、いきなり殴りかかってきて……」


 二人が知内にそう説明する。


「ちょっと待てよ!」

「嘘ついてんじゃねぇぞ!!」


 不良たちだけでなく、ほかの生徒も思わず声を上げる。


「静かにしなさい!」


 知内が生徒たちに言い放った。


 コングや不良たちに軽蔑の視線を向ける。


「お前ら、今日は外部からお客さんもたくさん見に来てんだ。面倒起こすなよ?」


 そう言うと、ちらりと俺と目を合わせる。


「先生、もっとちゃんと言ってくださいよ」

「そうですよ。こんな奴らがいると思うと、委縮して体育祭に集中できないんですよ」

「僕らを脅して優勝しようとするとか、マジで勘弁してほしいんだけど……」

「ホント、不良が団長とか何の冗談だよ」


 マンタと伊谷味がそう言うと、東西軍の奴らも同意するように首を縦に振った。


「まったくだな」と知内も溜息交じりに呟く。


「お前ら、暴言や暴力は絶対に見逃さないからそのつもりでいろよ。そんな素振りが見られた場合は容赦なく、減点する」

「は!? なんだよ、そりゃ!?」

「なんで俺らの言い分は無視すんだ!」


 不良たちが反発する。


「ハイ、減点」


 生徒の一人が知内の背後からひょっこりと顔を出して、被せるようにそう言った。


「あ゛あっ!?」

「殺すぞ、ゴラ!」

「止めて!」

「止めないか」


 高塚と知内が同時にお互いを制する。


「障害物競走に、参加する皆さんは~、早くぅ、集合場所に、集まってくださーい」


 イラっとするほどに呑気なアナウンスがグラウンドに響く。


「ホラ、進行が遅れる。さっさと行け」


 知内も促した。


「それじゃあ、僕らは正々堂々と勝負したいんで、ヨロシク」

「お互いに、ベストを尽くそうな?」


 東西軍はそれらしいことを言うと、笑いながら去っていった。


 去り際に知内が、ぼそりと早口で吐き捨てる。


「学校の恥晒しが、不良は不良らしくしてろ、ボケッ!」

「!!」


 一歩前に踏み込むコングをまた、高塚が制する。


「ダメだって」

「ん、あ~~~!!」


 大欠伸をすると、気持ちよさそうに背伸びをする知内。


 俺たちなど気にも留めずに行ってしまった。

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