第74話 完全に心を折られるエセ芸人

「蓮人く~ん、居るん知ってるんやでぇ? ホレホレ、みんな待っとるんやから早ぉ出といでぇ」


 安本が双眼鏡を覗く仕草をしながら客席を見渡す。


「皆さんも一緒にご唱和ください! ぼっんっ、のっ♪ ぼっんっ、のっ♪」


 リズムを刻みながら手を叩く。


「ぼっんっ、のっ♪ ぼっんっ、のっ♪」と生徒役のお笑い同好会の面々もそれに続いた。


 客を乗せていく。


 お調子者の男子生徒を中心に、手拍子の輪が広がる。


「おら、凡野って奴! 早く舞台に上がれよ~!」


 誰かが笑いながらそう言った。


 会場が見守る中、一人の少年がゆっくりと舞台へ近づいていく。


 階段に、足を掛けた。


 運が良かったぜ……。


 それを見ながら、安本は心の中で嗤った。


 昼一のこの時間、生徒会と学級委員の連中はメイン会場である体育館に集合する。風紀委員のお前も、この時間はここに居るって訳だ!


 舞台端の暗がりから、凡野蓮人がスポットライトの下へと出てきた。


「よっ! 蓮人くん、調子どやねんっ!?」

「別に」

「はぁ!?」


 安本は大げさに【聞こえない】とジェスチャーで示す。


「困んで、もっと声張らんと? お客さんになんも聞こえへんからな」と客席に顔を巡らせた。


「はーい、もう一辺言おか? 元気良く皆さんに自己紹介、どうぞ!!」

「……凡野蓮人だ」


 ぼそりと呟くように蓮人は言った。


「も~……!」


 困ったように笑い、安本はうな垂れた。


「だ・か・ら! それじゃあ聞こえへんて? ホンマ、敵わんわ~!」


 頭を掻き掻きする。


 そして、ごそりとマイクを取り出すと、蓮人の横にすっ飛んできた。


「ホイ、名前っ!!」

「……凡野蓮人」


 抑揚のない声がマイクに拾われ、会場に重たく広がる。


「は~い、よく出来ました!」


 バーンと蓮人の肩を叩いた。


「本日の特別ゲスト、凡野蓮人くんデース! はい、皆さん、拍手拍手~!!」


 安本が囃し立てる。


 舞台上の四人も笑顔で手を打ち鳴らした。


 さざ波のように拍手が広がっていく。


「ほな折角やし、まずは、オモロい一発ギャグでもやってもらおかな? これはお笑い教室やからね?」


 客席を見ながら、満面の笑みでうんうんと頷く。


 ニヤッっと最後、蓮人を見た。


「んじゃ、いくで? 蓮人くん渾身の一発ギャグ、3! 2! 1! ハイ!!」

「……」

「ん? ど~したん?」


 何も言わない蓮人の顔を不思議そうに覗き込む。


「も一回いくで? 3! 2! 1! ハイ、一発ギャグ! ハイッ!!」

「……」


 蓮人は沈黙を貫き、舞台の中央で突っ立ったままだ。


「ちょい、自分~!?」と、安本が肩を落として溜息を漏らす。


「これマジに放送事故モンやで? なんでもエエから、何か喋らな?」


 肩を竦めた。


「安本先生」


 生徒役の一人が手を上げる。


「ん?」

「いきなり一発ギャグとか、ハードル高いっすよ」

「そうっすよ。シロウトですから。僕らと違って」

「ハハハ、まぁ、そやなぁ!」


 腕組みすると困ったように唸った。


「しゃーないな? やもんな?」


 やれやれと溜息交じりに言う。


「お笑い教室、その1や。カメラ回ってる時にダンマリはアカンのやで?」


 そう言うと蓮人の前に躍り出る。


「たとえば、僕ならぁ~」


 妙な踊りを始める。


「そう言えば、総入れ歯ぁ♪ そう言えば、総入れババァ♬ そう言えば、総入れ歯ぁ♪ そう言えば、総入れババァ♬」


 失笑が広がっていく。


「まったく面白くないが」


 蓮人がぽつりとそう言うと、会場はドッと沸いた。


「おーっ! 分かってるやーん!!」


 安本が大声を張り上げて、その笑い声を掻き消す。


「そない自信があるんやったら、自分。早速【すべらない話】やってもらおやないかい」


 安本は舌をペロッと出して、唇を舐めた。


 握っていたマイクを蓮人に突き出す。


 蓮人は身を反らした。


「ほら【すべらない話】ぃ!!」

「断る」

「ここまで来といて、それは無いわ。ほら、【すべらない話】して? 喋らな、いつまで経っても終わへんでぇ!?」


 グイッと更にマイクを突き出した。


「それ、ぼっんっ、のっ♪ ぼっんっ、のっ♪ それ、ぼっんっ、のっ♪ ぼっんっ、のっ♪」


 蓮人を追い立てる。


「それ、ぼっんっ、のっ♪ ぼっんっ、のっ♪」


 囃し立てる安本から、蓮人が静かにマイクを奪い取った。


「おっ♡」


 大物が掛かった釣り師のように、安本は嬉々とした。


 だが何を思ったのか、蓮人はマイクのスイッチを、切る。


 ポイと後ろに放った。


「っと!?」


 慌てて生徒役の一人がそれを受け取る。


「そこまで言うのならば、話そうか……」


 彼のその声にさほどの声量は無かった。


 しかし不思議と彼の声は、体育館の隅々までよく通った。


 次の演目まで暇を潰していた生徒たちも、思い思いにお喋りをしていた生徒たちも、思わず舞台を──蓮人を見上げる。


 それはまるで、身も心も凍る極寒の冬に、天から不意に降り注いだ春の陽光……。


 【王威】の宿る声に、民は顔を、上げる。


「これは俺のクラスに居る少々困った者の話だ」


 ちらと安本を見て、蓮人が続ける。


「その者はクラスでおこなわれる様々な学級活動で、率先して司会などを買って出てくれている。それ自体は何の問題もなく、ありがたいことでもあるのだが──」


 そこで区切ると、蓮人は鼻から息を吐いた。


「実際は目立ちたいだけで、面白くもない【ギャグ】を飛ばしたり、面白くもない【すべらない話】を垂れ流す始末なのだ、安本」


 そう言って、もう一度安本を見た。


 この時点で、蓮人が何を言わんとしているのか安本は察した。


「司会として進行をしてくれたらまだ良いのだが、それはなおざりで結局、他人任せにしている。その者がやっていることと言えば、議題とはまったく関係の無いつまらぬ話を繰り返し進行を妨げるだけなのだ」


 安本を見て、もう一度問う。


「どう思う、安本?」

「なに~ぃ? それまさか僕のこと言うてんの~ぉ?」


 内心イラっとした安本だったが、なんとか平静を装った。


 これまでの蓮人の言動からして、この程度の反撃は想定内だったのだ。


 一方の客席の反応は、その思わぬ反撃に少々、沸いていた。


「彼の言っているのって……」

「ハハハ、あの安本って奴のことだろ?」

「へぇ、ただの陰キャくんかと思ったら、言うじゃん!」


 話している生徒たちに、別の生徒も声を掛ける。


「知らないの? あの子確か、今度の体育祭で二年の団長もやってる子だよ」

「そうなんだ、意外だな」


 生徒たちは感心している様子だ。


「冗談キッツいわ、自分~!!」


 そんな生徒たちの声を消すように、ひと際大声で安本が言い放った。


「メチャクチャ感じ悪いでぇ? スベり散らかしてるしぃ」

「安本」


 だが蓮人は静かに、いつもの調子で返した。


「俺は一切、冗談は言っていないぞ」


 安本に向き直る。


「実のところ、クラスメイトからどうにかして欲しいと頼まれてもいたんだ」

「は?」

「俺は、風紀委員だろ?」


 困惑する安本を見て、蓮人が笑う。


「いい機会だから、この場で伝えておくぞ? 進行も碌に果たせないのならば、【司会】の役は二度とやらないでくれ、安本」

「なんの根拠があって言うとんねんっ!!」


 言葉を被せるように、安本が鋭く放つ。


「誰が言うとんねん、聞かせてみぃや!?」


 そう言うと顎を突き出し、目を細めた。


 飛び切りの舐め切った顔を蓮人に見せつける。


「それって、あなたの感想ですよねぇ~??」


 近頃流行のパワーワードを突き付けた。


「生徒から頼まれたと今言っただろ? 人の話はしっかりと聞け、阿呆」


 静かに蓮人は返した。


「確かに」と会場から笑いが漏れる。


「まあ、俺自身の感想でもあるがな。だが、そんなに根拠が欲しいのならば言ってやろう」


 頷くと、薄ら笑顔の安本を真顔で見つめた。


「お前は【司会】などと言って段上に立っては、会話があまり得意ではない生徒を名指しし、うろたえたり言葉に詰まるその様を【ツッコミ】などと称して嘲笑してきただろう。苦情が出て当然だ」


 蓮人の言葉に生徒たちはざわついた。


「マジかよ」

「じゃあ日常リアルでも今みたいなことやってだ。最悪だな」

「芸人の真似事とか、質が悪いぜ」


 それを見やって、「ハッ!!」と安本が吐き捨てた。


「風紀委員とか、マジでキショいわ!!」


 蓮人を睨んだ。


「最近よく居るコンプライアンス馬鹿か、お前はっ!? 風紀と書いて風紀コンプライアンスとでも読ませたいんか!? ああ゛っ!?」

「何を言っているのだ、俺は──」

「っせぇ!! あれもダメ、これもダメ。うっさいんじゃ、ボケッ!!」


 安本が言葉を爆発さ、蓮人の言葉を遮る。


「お前みたいな連中のせいで、どんだけ芸人が苦しめられてると思ってんだよっ!! 何も出来ねぇ、何も言えねぇじゃねぇか。コンプライアンス塵糞がっ!!」

「だから、俺は世に居る芸人の話などなにも──」

「囀るなっ!!」


 またも言葉を被せる。


「陰キャが顔真っ赤の涙目でなんか、キレてる~♡ ウケる~♡ ぷぷぷ~」


 突然、ギャル口調になる安本。お尻を突き出すと、蓮人を指差して笑う。


 だが生徒たちは騙されなかった。


 蓮人は興奮もしていなければ涙目でもないのだ。


 どちらかと言うと、それは安本本人。


「この陰キャくんがイキってますよ~! ハイ、皆さんご一緒にっ!!」


 舞台の真ん前まで躍り出ると、頭の上で手拍子を始めた。


「凡野がイキってる♪」

「おっ? オイオイオイ♪」

「凡野がイキってる♪」

「おっ? オイオイオイ♪」


 生徒たちにも、自分のリズムに乗るように全身を使って要求する。


 一学期、まだオーガが居た時代によく蓮人を小馬鹿にしていた彼なりの【ギャグ】である。


 事実、これは多くの生徒たちにウケが良かった。


「はい、凡野がイキってる♪」

「おっ? オイオイオイ♪」

「凡野がイキってる♪」

「おっ? オイオイオイ♪」

「凡野が……あれ?」


 誰も乗ってこないし笑ってもいない。


 そしてそれは、背後に居るお笑い同好会の四人も同様だった。


 いつの間にか「何やってんだ、コイツ」と言った表情で安本を見ている。


「お前ら何やってんだよ!? 乗れよ!! 俺のノリにっ!!」


 追い詰められたのか、いつの間にかエセ関西弁でもなくなっていた。


 安本の様子を見て、蓮人が溜息を漏らす。


「今この場に居るすべての者が、俺が話しているクラスの困りごとを体験した訳だ、安本」

「ハハ、確かにそうだわ」

「!?」


 そう言ったのは、舞台に居る部員だった。


「マジで、ウザぇな」

「同情しますよ、凡野先輩」


 口々に蓮人に賛同する。


 その様子を、安本は困惑して見ていた。


「俺は風紀委員として、お前に向けて言ったのだ。司会の真似事も、人を嘲笑うような行為もするな、とな? お前の好きなお笑いの用語で言うところの【ダメ出し】ってところかな」

「お前が、俺に【ダメ出し】だと!?」

「ああ。だから所謂、芸人のことや、昨今のお笑いについて色々と言うつもりも無い。ただ──」


 言葉を区切ると、安本に一歩踏み寄った。


 その迫力に安本が後退る。


「コンプライアンスで芸人が悲鳴を上げていると言うのならば、その原因を作っているのはお前ではないのか、安本?」

「な、なんだと!?」

「彼らは【お笑い芸人】として舞台に上がっているのだ。いわば喜劇の役者だな。本当の舞台であれ、テレビと言う場であれな」


 真顔のままで、安本に問う。


「彼らが日常生活でも他人の行動や容姿を皮肉ったり侮蔑していると本気で思っているのか? 詳しくは知らないが、どちらかと言うと芸人の多くはとても繊細であったり臆病であったり優しかったりするとも聞くがね」


 そこまで言うと、蓮人は遠くの空を見つめるように視線を外した。


「喜劇王タサカ・ホ・ノア曰く──喜劇に登場する道化の言動に怒りを覚えるようになったのなら、それは貴方の心が病んでいる証拠である」

「だ、誰だよそれ? 喜劇王?」

「お前の言わんとするところも理解はできる」

「だがお前のやっている行動こそがコンプライアンス馬鹿とやらに餌を与え、芸人の首を絞める手助けをしていることに気付くべきだな」


 安本の肩をポンと叩いて、困ったように蓮人は笑った。


「お笑いの、良い勉強になっただろ?」

「!?」


 悔しそうに顔を歪める安本。


 だが次の言葉は出てこなかった。


「結論を言えば──」


 そんな様子を見ながら、蓮人は言葉を続ける。


「自分に話芸があると思い込んでいる、だが実際は、だた騒がしいだけで、人を嘲り不快にさせるだけの、気の利いたことは一切言えない質の悪い【自称芸人シロウト】中学生──それがお前だ、安本」


 向き直ると、安本に最後通告を突きつける。


「まったく始末に負えない。皆、辟易しているのだ。分かるか? お前は、笑えない。場をわきまえられないのならば、お笑い芸人の【真似事】は二度とやらないことだな」

「……っ!!!!」


 安本の顔がいよいよ真っ赤になった。


 鼻息荒く、舞台に突っ立っている。


 ここに、自称【中学生芸人】の心は完全に、挫かれた。


 ブ────ッ!!


 まるで映画の上映開始のような音が鳴る。


「なんだ?」

「あれ……!」


 生徒たちが舞台の上を指差す。


 天井から大きなスクリーンが降りてきた。


 映像が映し出される。


「っあ??」


 安本が妙な声を発した。


 それは隠し撮りされていた【嘘コクドッキリ大作戦!】の映像であった。


 それらを編集して、安本のシーンのみを切り取ってある。


 更には普段の迷惑司会者っぷりや女子に下ネタをゴリ押す様なども付け加えられていた。


 いかに安本が調子に乗り、TPOを欠いて、蓮人を小馬鹿にしていたのかが一目瞭然となっている。


 そんな他人を笑いものにして来た安本だが、最後の最後は、地面に叩きつけられて失神する例のシーンだった。


 【オチ】である。


 急に小気味良いリズムが流れて、その部分が何度もリピート──繰り返された。


 BGMと白目を剥いた間抜け面の安本に生徒たちは、一人また一人と我慢できずに吹き出して笑いはじめる。


「よっ! 安本部長!」

「いいですね~、メッチャ、ウケてますや~ん??」


 部員たちが安本を見て、手を叩きながら爆笑した。


「お、お前ら、まさか……!!」

「以上、お笑い同好会の皆さんによるコント【バラエティ学園~安本先生のお笑い教室】でした。ありがとうございました」


 放送部員が、何の感情もなく淡々とそう言った。


 ゆっくりと幕が閉じていく。


 こうして安本の一日は、終わった。


 安本も、終わった。




 ……上映された動画だが、実は安本から日々イジリと言う名で馬鹿にされ嗤われてきた部員たちの下剋上だったりする。

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