第72話 中学生芸人、安本の凋落

「そー言えば、安本。あんたさ──」


 昼休み、友人らと弁当を食べていた喜村菜乃葉が近くにいる安本に声を掛けた。


「んっ!?」


 ガタンと勢いよく、安本が立ち上がる。


 弾みで椅子が後ろの机に思いきり当たった。


 乗っていたペットボトルが倒れそうになり、生徒が慌てて手で押さえている。


 よっしゃ、チャンス来た────!!


 一方の安本は、そんなのお構いなしに心の中でガッツポーズをしていた。


「そう言えばぁ……??」


 菜乃葉に向かって身体ごと大きく首を傾げて見せる。


「そう言えば、総入れ歯ぁ♪」


 いきなり変なリズムで踊り出す。


 おもむろにポケットから、割と大きめの入れ歯のフィギュアを取り出した。


 本物ではないが、かなりリアルな代物である。


 それを菜乃葉たちに見せつける。


 顔色を曇らせて、菜乃葉が身を反らした。


 一緒に居た諏藤小鳩らもドン引きしている。


「そう言えば、総入れ歯ぁ♪ そう言えば、総入れババァ♬ そう言えば、総入れ歯ぁ♪ そう言えば、総入れババァ♬」


 安本はクネクネして踊り続ける。


 が、笑っている者は、皆無だった。


 安本もそれは頭の隅で認識しているものの、いつものように押し切っていく。


 芸人たるもの、この程度のスベリで心折れたりはしないのだ。


 それもそのはず、自らを【中学生芸人】だと自認する彼は、また【メンタル最強】をも自認していた。


 今までもこの鋼メンタルで、どんなに重い空気でも、どんなに真剣な場面でも、たとえどんなにスベッても、ゴリにゴリ押しまくって笑いに変えてきたのだ。


 入れ歯フィギュアをポケットに忍ばせて早一週間──中学生芸人、安本のハートは、砕けない!


「っせえぞ、安本!」


 一人の男子が、割と本気モードで怒鳴った。


「みんな飯食ってんのに、気持ち悪ぃもん出してんじゃねぇよ!」

「……にぱぁぁっ??」


 口を尖んがらせて拗ねて見せた。次の瞬間に、ひょっとこ面になる。


 手を顔の両サイドでヒラヒラさせた。


「何ソレ? 面白くないんだけど」


 女子生徒が切り捨てる。


 その顔は一切笑っていなかった。


 面白くない──安本にとってそれが、何よりも言われたくないショッキングなワードである。


「へっ!!」


 余裕をかましてした安本だったが、唾を吐くように、思わず吐き捨てた。


「な~によぉ? オレの新ギャグがタダで観れるの、期間限定の今だけなのにさー」


 肩を竦めると、顔を憎たらしく歪めて見せた。


「要らねぇよ」


 また即、誰かが切り返す。


「つまんねぇし、笑えねぇからさ」

「ああ。ギャーギャー騒がしいだけで、迷惑だ」

「金、払わねぇから一生やんなな?」

「……!!」


 口々に言われて、流石の安本も顔が真っ赤になった。


 周囲を見やると、みんな黙っている。


 冷ややかな視線が安本に集まっていた。


 違う。そうじゃない! オレが望んでいるのはこんな注目のされ方じゃない!


 爆笑と拍手──【中学生芸人】安本が求めているのはそれだった。


 一瞬シンとした教室で、隅の方から話し声が聞こえてくる。


 見やると、凡野蓮人と緑屋信吾だった。


 安本のことなど全く気にすることなく、二人で楽し気に弁当を食べている。


 凡野……!


 彼の後姿を目にして、彼はこの前のドッキリ大作戦で晒した醜態を思い出す。


 それを思い出すと、安本の心にムラッと怒りが湧いた。


「うーおっ!? コイツ……動くぞっ!?」


 急に手の平に乗せていた入れ歯を掴むと、身体を縦横無尽に動かして、入れ歯が暴れている【演技】をし始める。


 それとなく二人に近づいていくと、蓮人に狙いを定めた。


 この騒動に乗じて、彼を思いきり殴ってやろうと考えたのだ。


 だが、彼は狙いを信吾へと切り替える。


 凡野蓮人に対する周囲の評価は、今や様変わりしているからだ。


 菜乃葉らカースト上位の女子たちからも、ほかのクラスメイト達からも、別の学年の生徒たちからさえも、凡野蓮人は認められ慕われ始めていた。


 凡野は憎い。だがもう彼は、以前の彼ではなかった。


 だから、さほど注目されていない信吾へと攻撃の触手を向ける。


 つまり安本は、退いたのだ。


「おうぅ~!? チンゴくん、危なーい!」と慌てた声を上げつつ、信吾へ近づく。


 そして、驚き顔で自分を見上げている彼に向かって、勢いよく入れ歯を振り上げた。


「ヒッ……!!」


 信吾がびっくりして目を瞑る。


 なんとも間の抜けた馬鹿面に思えた。


 垂直に脳天に叩きつけて、痛がるコイツで一発逆転の大笑いを搔っ攫うぜ!! 凡野と違って、コイツならイケるはずだっ!!


 これでもかとばかりに、信吾の頭頂部に、入れ歯を叩きつける──


 グサッ!!


「っ゛ぐ!!!!」


 入れ歯が信吾の頭に触れる直前、安本の手首に激痛が走った。


 凡野蓮人だ。


 彼が安本の方など一切見ずに、自分の箸で安本の手首を突き、止めたのだ。


 安本は思わず、痛みで入れ歯を放してしまう。


 ポーン……。


 宙に投げ出された入れ歯は、窓の隙間から外へと落ちて行った。


「あ」


 安本もそれを見ていた生徒たちも、思わず口をポカンと開ける。


「ぎゃーーーーっ!?!?」


 下の方から野太い悲鳴が聞こえて、すぐに静かになった。


「痛ぇだろ、凡野。何すんだよ?」


 手首を押さえ、安本が蓮人を睨む。


 手首には血が滲み、ズキズキとした痛みで手は震えていた。


「俺の大事な小道具だぜ? 探して来いよな」

「お前、今信吾を叩こうとしたろ?」


 安本の命令を一切無視し、凡野蓮人はそう尋ねた。


「入れ歯が暴れ出しただけですけどねぇ??」


 肩を竦め、ひょっとこ顔をする安本。


 対して蓮人は座ったまま彼を睨むように見上げた。


「ふざけるなよ」

「芸人にふざけるなーなんて、アホなこと言うてんとチャウで~」


 時折見せる関西っぽい言葉で返すと、口笛を吹いた。


 因みにだが、彼は関西出身ではない。


 単にネットやテレビで見るお笑い芸人たちを真似てやっているだけであった。


「困った兄ちゃんやで、ほんまに~」


 蓮人の頭をはたこうとするも、彼はそれを躱した。


「安本」

「待って、凡野くん」


 凡野蓮人が立ち上がろうとすると、信吾がそれを止める。


 彼は蓮人を見て「大丈夫」と頷いた。


「や、安本くん」と信吾が立ち上がる。


 緊張気味に安本に向き合った。


 今までにない彼の行動に、安本はやや身を引いてしまう。


 蓮人ほどではないが、彼もまた、前まではおどおどとして、人と話す時も俯きがちだった。


 このような行動は、一学期ではあり得ない。


「なんで今、僕を叩こうとしたの?」


 真っ直ぐに安本を見つめて、信吾が問う。


「叩かれるようなこと、何もしてないよね?」

「……」

「もう、しないで欲しい」


 黙っている安本に、信吾はきっぱりと告げた。


「おーっ、信吾! 言うようになったじゃーん!」


 ニヤニヤしながら、男子の一人がそう言った。


 茶化すような口ぶりだったが、一方で信吾の変化を受け入れているような声色でもあった。


 ほかの生徒たちも、同意するように頷いたり笑ったりしている。


「て言うか、安本さ?」

「なんだよ?」

「チンゴとか、そう言うの止めなよ?」


 女子生徒も言う。


「その通りだぜ。お前、ちょっと調子に乗り過ぎなんだよ」


 男子生徒もそう続けた。


「勝手にお笑い芸人ぶってるけど、正直つまんねーしな」

「そうそう。言っとくけど、俺は今まで、笑ってだけだからな?」

「わたしも~」


 女子の一人が手を上げる。


「そろそろ、ウザいんだよね」

「安本? みんな引き気味に笑ってんの、そろそろ気付いたら?」


 その言葉には、普段は物静かな女子たちでさえも、思わず首を縦に振っていた。


「……っ!」


 一瞬、言葉に詰まる。


 芸人としてあるまじきことだった。


「じっ、自分らメチャクチャ言うや~ん?」


 何とか言葉を返した、その安本の顔面は引き攣りまくっている。


 どうにか次の言葉を考えている時──


 キーンコーンカーンコーン……!


 チャイムだ。


「?」


 ギギ────ン゛ン゛ッッ!!


 強烈なハウリングが響き渡る。


 思わず生徒たちは耳を塞いだ。


「今さっき、我が愛妻弁当に入れ歯を放り込んだ奴っっ!! 今すぐに職員室へ来ーーいっっ!!」


 耳障りな音を響かせながら、教師が爆発している。


「この声って!」

「体育の剛谷ごうやだろ!?」


 体育教師の剛谷。どうやら、先程の悲鳴の主は彼だったようだ。


「繰り返すっ!!」ともう一度来た。


「我が愛妻弁当に入れ歯を放り込んだ奴っっ!! 今すぐにっ!! 今すぐに職員室へ来ーーーーいっっ!!」

「ガチ切れしてんじゃん、ゴーヤ!」

「そう言や、剛谷先生、新婚だったね」


 耳を塞ぎながら生徒たちは喋った。


 その間も、剛谷は壊れた人形のように、ハウらせ続けている。


「オイ、安本!! さっさと職員室に行って来いよ!!」

「おめぇのせいだろ、コレ! 早く行って止めろよな!?」


 生徒たちに非難され、安本は舌打ち交じりに教室を飛び出した。


 しばらくして、剛谷ハウリングが収まる。


 学園にも二年三組の教室にも、穏やかなランチタイムが戻ってきた。


「ねぇ、菜乃葉」

「ん?」


 小鳩に聞かれて、菜乃葉はサンドイッチを咥えたまま小鳩を見やった。


「さっき、安本になに聞こうとしてたの?」

「ああ」


 思い出したかのように小さく頷く。


「あいつ、文化祭で出し物やるって言ってたからさ」

「あぁ、お笑い同好会だもんね。なんかやるんだ」


 文化祭は体育祭の練習と並列して準備が進められており、いよいよ来週が本番であった。


「うん。けど体育館の舞台って演目の数とか限りがあるじゃん? 押さえられたのかな~って」

「あ~、去年は出来なかったって言ってたもんね、確か」


 二人が話していると、少々戸惑い気味に戸口美遥が口を挟んでくる。


「もしかして、見に行くの?」

「いや、全然」

「んだよ、それ!」


 きっぱりと菜乃葉が返すと、今度は湖条心寧が思わずツッコミを入れた。


「まっっっったく興味無し!」


 菜乃葉の言いっぷりが可笑しくて、三人は手を叩いて笑うのだった。

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