第67話 現実世界でも、魔法はやっぱり無詠唱

 学園の屋上で、アルベスタが俺に手をかざしていた。


 先程から、術式を発動させるために、長ったらしい呪文を詠唱中だ。


「……その憤怒は美しき鎖となりて魔人を呪縛する! 魔人封じの白き茨よ、ここに彼の者を拘束せよ! 今こそ、審判の時は来たれり! 出でよ、神々の怒り──【魔人封じの魔鎖ギガントマキア・チェイン】!!」


 アルベスタが叫ぶと、俺の足元の魔法陣が眩く発光した。


 白金色の鎖が無数に伸びて、全身に巻き付いてくる。


最上位戦姫神エクスキュリアの名の下に、狂戦神、凡野蓮人を拘束する!!」


 蛇が獲物を絞め殺すようにきつく絞めつけてきた。


 どうやら身体拘束の魔法のようだ。


 身体を動かしてみる。


 圧迫感があり、それと同時に重力が何白倍にもなったように全身が重たい。


 水中いや、まるで水飴の中で動いている感覚だ。


「どうだ、流石の貴様でもキツイだろう? もう少し緩めてやってもいいんだぞ?」


 くいっと眉を上げて、アルベスタは得意げに笑った。


「少々動きづらいが、この程度ならば問題はないな」

「フッフッフ、強がるなって」


 俺の肩に、ポンと手を置く。


「【魔人封じの魔鎖】は遥か昔、魔人と神々との戦があった際に作られた禁忌魔法のひとつなのだ。どんなに強大な魔人でも、この鎖の前には為す術もなかったと聞く」

「……」


 魔法の鎖がその効力はそのままに、光となって消えた。


 俺はゆっくりと拳を握り、また開いてを何回か繰り返す。


 体内の魔力の流れが著しく悪くなっている。これでは魔力の放出もかなり制限されるだろう。


「……単純な身体拘束だけでなく、魔力も抑制するって訳か」

「お、気が付いたか? その通りだ」


 アルベスタが頷く。


「捕縛した相手の身体能力を著しく低下させるだけでなく、魔力をも減殺する術式なのだ。魔人は腕力だけでなく強大な魔力も有しているからな。これはそんな、対魔人用の術式なのだ!」


 得意げに腰に手を当てて高笑いした。


 一方の俺も心の中で密かに笑っていた。


 ……このデバフは、使える。


 今まで俺が使用していたデバフ用のブレスレットは、力を吸い取ることで能力を一時的に減退させるものだった。


 装備すると力が抜けて、本来の能力を発揮できなくする系統のデバフである。


 一方【魔人封じの魔鎖】は力を奪い取るのではなく、それを遥かに上回る力で押さえつける系統のデバフだ。


 つまり、高負荷のトレーニングをしているのと同義という訳だ。


 日常的にこのデバフの中で活動することで、俺のステータスは更に強化されるだろう。


「何を笑っているのだ?」

「いや、何も」


 このデバフは俺を更に、強くする。


 それをアルベスタが知ったら、術式を解きかねない。暫く、こいつには黙っておくか。


「あ、そうだった! あとこれを貴様に……」


 アルベスタが俺の手の平に何か乗せた。


 小さなクマのキーホルダーだった。 


「なんだこれは?」

「中にGPSの発信機が入っている。貴様の監視はコイツでおこなう」


 ニッと笑うと、真っ赤なスマホをちらつかせた。


「離れていても、これで貴様を補足できる。何か悪さを働いたら、すぐに急行して貴様を捕縛してやるからな」

「気を付けるよ」

「フフ~ン、しかしこっちの世界は、いろいろと便利なもので溢れているな!」


 スマホを覗き込みながら、アルベスタが笑う。


「【魔法】や【スキル】を使わなくとも、こんなもので容易に貴様の居場所を特定できるのだからな」


 俺を見ると指をこちらに突きつけてきた。


「凡野蓮人! こっちの世界の便利アイテムと私の戦姫神の能力で、貴様をこれからも監視と制御してやるからな、覚悟しろよ!?」


 もう一度高笑いする。


 クマのキーホルダーに目を落とし、俺は思わず溜息が漏れた。


 二人で教室へ戻る途中、あちらこちらから無数の視線と話し声が耳に届く。


 すべて、俺とアルベスタに向けられたものだった。


 廊下ですれ違う生徒、のみならず先生までもが、思わずアルベスタを振り返る。


「うわぁ、きれ~……」

「あの人だよね、二年生の噂の転校生」

「きっとそうだよ、あんな人居なかったもん!」

「アルベスタって人でしょ?」

「マジかよ、噂以上の美人じゃん」


 二年生だけでなく、一年や三年まで詰めかけている。


 アルベスタの美貌はたった一日で瞬く間に知れ渡っており、既に彼女は有名人だった。


 明らかに現在、学園で一番注目を集めている人物に他ならない。


〈デバフも掛けたし、GPSも持たせたんだから今後は俺と距離を置いてくれ〉


 歩きながら、【伝心でんしん】を使ってアルベスタに告げる。


〈何故だ?〉

〈この前も言ったが、俺はあまり目立ちたくないんでね〉


 俺がそう言うと、アルベスタは周囲をさっと見やった。


 羨望や好奇の眼差しを向けられても、アルベスタは平然としている。


〈フフフ、どうしたのだ、この程度で。人の眼が気になる訳でもなるまい? 貴様もグラン・ヴァルデンの統一王としてすべての国、すべての種族の人心を一身に集めていただろ?〉

〈前はな。今は事情が異なる。俺はあまり目立たずに生活したいのだ〉

〈ふ~ん〉


 つまらなそうに、アルベスタは俺を見やった。


 廊下の奥で固まっている一年生の集団とわざと目を合わせる。


 一年生たちに向かって、にこりと微笑むと軽く会釈を返した。


「キャーッ! こっち見てくれた!」

「せっ、せんぱ~い♡」


 女子生徒が顔を赤らめて遠慮がちに手を振る。


「はぅ!? 俺今、目が合った!」

「ちげぇよ、俺を見たんだよ!」


 男子生徒もそう言い合っていた。


 アルベスタから視線を向けられる。ただそれだけで、生徒たちは興奮している。


〈お前は、まんざらでもなさそうだな……〉

〈注目されるのは当然だ〉


 当たり前だと言わんばかりに、胸を反らせる。


〈私を誰だと思っている? 戦姫神様だぞ!? 私は強く、そして美しい! 民の信仰が集まるのは、自然なことだ〉

〈……〉


 コイツとは極力関わらないようにしよう。


 俺はそう決めた。




「起~立、礼!」

「さようなら~!」


 帰りのホームルームが終わると、アルベスタが俺の横に並ぶように立つ。


「凡野くん」

「なんだ?」

「一緒に帰りましょう」


 わざとだな、コイツ……。


「君とは方向が違うんだけど」

「途中までだよ。少し付き合って欲しいところがあるの」

「……」


 周囲を見やると、クラスメイト達が俺に注目している。


〈なんのつもりだ〉

〈いいじゃないか、つれないな〉


「ね? 行こうよ」


 黙っていると、アルベスタがさっと俺の手を取る。


「お、おい……!」

「早くっ」


 俺を引っ張って教室を飛び出す。


「いい加減にしろよ、アルベスタ──」


 彼女の手を振りほどく。


「!?」


 そこで俺は異変に気が付いた。


 いつの間にか、何もない真っ白な空間に立っていたのだ。


 覚えのある現象だ。


「私が作り出した【亜空間】だよ」


 後ろを振り返ると、白を基調とした鎧に身を包んだアルベスタが立っていた。


 長い髪も結い上げてまとめている。


「お前の仕業だな」

「ああ。【亜空間】は神のみが使える【神級スキル】のひとつ。大きさや造形も自由自在なのだ。限度はあるがな」

「ほう」

「私の【亜空間】は東京をすっぽり包むくらいの広さがある」


 【アイテムボックス】と同様の原理らしいな。


 【アイテムボックス】は生命以外のモノをすべて収納でき、レベルが上がれば収納スペースも拡張されていく。


 【亜空間】はその上位スキルで、自分自身がその中に入ることが出来るようだ。


 俺が転生した際に連れて来られた場所も、ディアベルの亜空間だったのだろう。 


「で? こんな場所に連れ込んで、何をする気だ? 俺も忙しいんだがね」

「見て分からないか?」


 アルベスタが肩を竦める。


 自分の装備を見せつけるように手を広げた。


「外界と完全に遮断されたこの場所でなら、貴様と心行くまで戦うことが出来るからな」


 そう言うと、周囲を見渡して小さく溜息を漏らした。


「とは言え、少々殺風景だな。景色を変えるか」


 パチンと指を鳴らすと、一瞬にして景色が変わる。


 砂塵が舞うだだっ広い荒野に様変わりした。


 ところどころに地面から巨大な岩が突き出ている。


「私は負けた。完敗だ。……だが、戦姫神として、やはり貴様に負けたままでは気が済まない」

「そうか」

「それに、貴様はこの私の向上心に火を点けた」


 アルベスタの周囲に強い風が吹き荒れる。


 【神力解放】で本来の力を解き放ち、更に【神力強化】で能力を引き上げた。


「戦いの神として私は無双の強さを誇っていた。だが気がつけば、頂点の座に胡坐をかいてしまっていたようだ。貴様はそんな私に、強さへの渇望をもう一度思い起こさせてくれた! 感謝するぞ!!」


 両手を頭上に掲げる。


「今日は最初から、全力でぶつかっていく!!」

「昨日は自重していたのか?」

「当たり前だっ! 下界に被害が出ないようにセーブしていたからな!」


 アルベスタが空へと舞い上がる。


「闇に揺らめく火、風は歌い、水面は眠る──」


 素早く詠唱を始める。


 俺は黙ってそれを見上げていた。


「……灼熱の大地、狂風は叫び、激流は轟く!! 【三属性特大球トリ・グローブ】」


 巨大な火球と水球そして風の球が一斉に空から降って来る。


「【魔杖】──【紫曜しようの水晶杖】!」


 半透明な紫色の魔杖を手に、俺はそれを迎え撃った。


「どうだ!! 炎と水と風の三属性を速射する術式だ!! そう簡単には対処できまい!!」


 バシュ、バシュ、バシュッ!!


 アルベスタが放った魔法が弾け飛ぶ。


「なにっ!?」

「ふぅ……。魔力の流れが悪いと、放出力と放出量を上げるのに手間取るな」


 まあ、どうにか間に合ったが。


「今何をした!? 何の魔法を使ったのだっ!?」

「無属性の単なる魔丸だよ」


 いちいち騒がしい奴だな。


「圧縮した魔丸を、それぞれの魔球の中心で破裂させ、ついでに属性構造を無効化した」

「小賢しい真似をっ!!」


 アルベスタが再び呪文を詠唱し始める。


 俺も空へと飛んだ。


 俺が近付くと、アルベスタが距離を取る。


「……【四属性特大球クワトロ・グローブ】っ!!」


 今度は炎、水、氷、風の四属性の魔法の球を放ってきた。


「四つの属性を同時に出現させる術式、クワトロ!! それもこの巨大さとこのスピード!! これならば対応が出来まいて!!」


 バシュ、バシュ、バシュ、バシュッ!!


「ふぅ」

「なっ!?!?」


 やはり、アルベスタのデバフは、魔力練成にちょうど良い負荷だな。


「どうかしたか?」


 唖然とするアルベスタを見て、俺は笑った。


「ここは外界には影響しないんだろ? だったらいい加減に本気を出してくれ。戦姫神の本気は、こんなものじゃないんだろ?」


 俺の言葉にアルベスタは悔しそうに歯を噛みしめた。


「死が望みならばくれてやろうぞ!!」


 猛スピードで俺の周囲を飛び回る。


 飛びながら詠唱を始めた。


 彼女の詠唱スピードは極めて速い。これだけの規模の魔法術式を展開するために、かなり洗練され無駄もそぎ落とされている。


 そんな彼女が詠唱の時間を稼ぎ、術式発動を邪魔されないように飛び回っているのだから、いよいよ本気の魔法を撃ってこようとしているらしい。


「……世界を司りし七王よ、ここへ集へ! 我こそはお前たちを統べし者! 我が前に首を垂れよ!! 【全属性超球オール・グローブ】っっ!!!!」


 炎、水、氷、風、雷、草木、土──七つの属性魔法が一気に放出された。


 巨大な属性魔法の球が次々と襲ってくる。


 確かに、これを外界で放ったら町に被害も出てくるだろう。


 ドドドドドドド────ンンンッッッッ!!!!


「はぁ! はぁ! はぁ……! 今度こそ、やったか!?」


 肩で息をして、アルベスタが汗を拭った。


「随分お疲れの様子だな」

「ひやぁ!?」


 後ろから声を掛けると、アルベスタが慌てふためいて変な動きをみせた。


「ほら、上級ソーンだ。一個くれてやろう」


 MP回復薬を投げ渡す。


「きっ、貴様……、どうやって抜け出した!?」

「無効化しただけだ」

「あの規模とあの威力の魔法を!?」


 魔法が霧散した中空を、彼女は見やった。


「馬鹿な! ステータスを弱体化された今のお前が捌けるはずはないだろう!? 貴様、まだ何か隠しているな!?」

「別になにも隠しちゃいないさ」


 溜息を吐くと、彼女に手の平を向ける。


 七つの属性の小さな魔玉を作り出した。


 やはり、少々時間がかかる。


「ところで、アルベスタ」と言いつつ、風の玉を彼女の顔に当てた。


「うわ!? 何をする?」

「お前、昨日から大きくて派手な魔法ばかり撃っているが、魔法の神髄ってもんが分かっちゃいないな」

「なに!? って冷たっ、止めろ!」


 今度は氷玉を当てられて、アルベスタが怒る。


「魔法ってのは放出力と放出量がものを言うんだ。下手に術式の複雑なものを使う必要も──」


 俺がつい熱が入り魔法理論の講釈を垂れていると、アルベスタの顔から表情が消えた。


「どうした?」

「お、おい、貴様……。さっきからお前は魔法を使っていたんだよな?」

「そうだが?」

「き、貴様……。いつ詠唱していた? 今もそうだ。小さいとはいえ全属性の魔法を出現させている。お前、いつ術式を起こしたのだ??」

「詠唱なんて、そんな無駄なことをする必要はない」


 そう言うと、アルベスタの顔が真っ青になった。


「そっ、それじゃあ──無詠唱!?!?」

「そこは驚くところじゃない。いいか? だから魔法と言うのは──」

「驚かずにいられるかっ!!」


 噛みつかんばかりに叫ぶ。


「無詠唱っっ!? 聞いたことが無いぞ、そんな奴は!? 妖精族ならまだしも、人族でそこまで魔法に長けたものが居るなんてっ!?」

「そうかい」

「貴様は、一体どの規模の術式まで詠唱を省略できるのだ!? せいぜい火球程度だろ!?」

「いや、すべて」

「なんだって────っっ!?!?」


 アルベスタが突然頭を抱える。


「どこまで人外なんだよ、貴様はっ!! ていうか、神のレベルさえ超えているとかあり得ないだろ!!」


 喚き立てている。


「アルベスタ……」

「なんだよ、畜生っ!」

「お前、今【ファイアボール】を馬鹿にしたが、魔法の神髄を極めれば【ファイアボール】だけで事足りるのだ」

「な、なんだと……!?」


 アルベスタの表情が可笑しくて思わず笑ってしまった。


「いいだろう。お前に魔法の稽古をつけてやろうじゃないか。特別な待遇、感謝しろよ?」


 この【亜空間】は戦闘訓練には持って来いだ。彼女も、いい訓練相手になる。一段とレベルアップが出来そうだな。

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