第66話 狂気と執念

 六本木に聳え立つ新築のタワーマンション、最上階──


「ただいま」


 自宅に帰りついたアルベスタは元気なくそう言うと、靴を脱いで室内へと向かった。


 よく磨かれた大理石の通路を進む。


 この豪邸にはいくつもの部屋があり、外にはプールまで備え付けられていた。家具はどれも高級なものばかりだ。


 リビングも広々としており、その中央には巨大なソファが置いてあった。


 アルベスタがそのソファにドッと倒れ込む。


「凡野蓮人……。まさかあれほどの強さとは」


 天井を仰いで溜息を漏らした。


「しかし、転生してたった数カ月で、どうやって……」

「知りたいか?」


 【隠形おんぎょう】を解き、俺はそう返した。


「!?」


 アルベスタが飛び起きる。

 

「ななななっ、なんで貴様がここにっ! うわっ!?」


 ドタッ!


 俺が目に入ると、慌てふためきながらソファから転げ落ちた。


 目をパチクリさせて俺を見つめる。


 ソファには可愛らしいクッションやぬいぐるみが所狭しと置かれていた。


「戦姫神にしては随分と可愛らしい趣味じゃないか」


 そう言うと、アルベスタの顔がみるみる赤くなっていく。


「な、なんなんだよ貴様はっ!! 勝手に人ん家に入って何のつもりだっ!?」


 何故か胸を手で隠し、アルベスタがクッションやらぬいぐるみやらを放り投げてくる。


 俺はそれらを躱しながら、窓へと近づいた。


 巨大な窓ガラスからはどこまでも広がる東京の景色が望める。


 遮るものは何もない。


 夜になったら、光り輝く美しい夜景を独り占めできるだろう。


 俺は呆れて溜息が漏れた。


「何の伝手もなく転生して、一体どんな生活をしているのかと思ったが、まさかこんな摩天楼に住んでいようとはな……」

「べっ、別にいいだろうが!」


 アルベスタが俺の背に向かって言い放つ。


「そんなことを知るためにコソコソと付けてきたのか!? 女子中学生につきまといなど、【事案】だ! これは【事案】だぞ!」

「正々堂々とお前の横を歩いてここまで来たぞ? ちゃんと『お邪魔します』も言った」


 俺は肩を竦めてみせた。


「まあ、【隠形】は使っていたがな?」

「っ! 私に何の用だ!? 本当に私の住まいに興味があった訳ではあるまい!」


 アルベスタはそう言うと、俺から身を守るように大きなクマのぬいぐるみを抱きしめた。


「聞きたいことを、まだ聞けていなかったからな」

「き、聞きたいことだと?」

「ああ。お前がこの世界へと来た目的だ。人が居る場所では話しづらいし、ここならば、周囲を気にせずに済むだろ? お互いにな」


 アルベスタに向き直り、彼女に問う。


「ディアベルに命じられたと言っていたが、本当にお前は【俺を討伐するため】にこの世界へと転生してきたのか?」


 ディアベルがどういう意図でこいつを寄越したのかが分からない。


 もともと、俺を現実世界へ帰そうとしていたのはあの女神の方だった。


 グラン・ヴァルデンでの記憶や知識、【スキル】や【魔法】などの保持も、合意の上で転生したはずだ。


 それを今更、何故ディアベルは現実世界へ干渉してくるのか。


 どちらにせよ……。


「この俺を屠る──それが本気ならば、アルベスタ。お前は俺にとっての敵となる」


 俺が現実世界へと戻ってきたのは大切な人を……、信吾と松本さんを護るためだ。


 信吾の死は防いだ。だが、松本さんを死の運命が襲うのはこれからだ。


 三年生で死ぬことになる松本さんを、救う。


 その邪魔は何人にもさせはしない。


 俺はアルベスタの顔を見据え、はっきりと伝える。


「今すぐにグラン・ヴァルデンへと帰るのだ。さもなくば、お前を排除せねばならない」


 アルベスタの顔が引き攣った。


 首元から汗が流れる。


 そして、観念したかのように肩を落とすと溜息を吐く。


「【討伐】は少々語弊があったな。いや、完全な嘘でもないが……」とアルベスタは答えた。


「この世界にとって脅威となりつつある貴様の監視と能力ちからの制御。それがディアベル様から与えられた、私の任務だ」

「監視と制御だと?」


 あの女神め、余計なことを……。


 ディアベルの他人を見下したような笑顔を思い出すと、少々虫唾が走った。


「そして凡野蓮人……」


 暗いトーンになって、アルベスタが話を続ける。


「もし貴様が私の監視から逃れようとしたり制御を拒んだりした場合、または貴様が異世界で身に着けた能力やアイテムを使ってこの世界に害悪を及ぼす場合は、私は最上位戦姫神エクスキュリアの名の下に、貴様の排除も辞さない!」

「そうか」

「ああ。あくまでも、最終手段だがな」

「それがお前が転生してきた理由なのだな?」

「そうだ。グラン・ヴァルデン創世の女神、我が敬愛するディアベル様の命だ」


 あの女神、自分の世界の機構が別の世界に影響を及ぼすことを本気で心配していたのか。意外だったな。


「私も、聞いていいか?」と今度はアルベスタが質問してくる。


「なんだ」

「お前はこっちへ転生してまだ三か月ほどしか経っていないはずだ」

「そうだな」

「なのに、どうしてそこまで強くなれたのだ? いや、もっと異質なのは、レベル帯とステータスが全く合っていないことだ」


 訳が分からないと、アルベスタが首を横に振る。


「お前も知っていようが、種族にはレベルにも能力値や根源値にも限界がある」


 その通りだ。


 肉体的に優れた獣人族や魔力に優れた妖精族……、能力値や根源値にもその差が現れてくる。そして成長の度合い──レベルにも、ある程度の【種族の限界】と言うものが存在していた。


「貴様はレベル5000にして、既にヴァレタスの最終ステータスを上回っている。ヴァレタスのレベルは37564だったのだぞ? そのヴァレタスよりも上回っているなど、異常どころの話ではない。あり得ないことだ。一体、どういうカラクリなんだ?」


 真剣な表情で俺に問う。


「教えてくれ、凡野蓮人よ。戦いの神として、武を司るものとして聞いてみたいのだ。貴様のその力の根源を」


 そう言われて、俺は【アイテムボックス】からを取り出した。


「ほら」と、アルベスタに放る。


 液体の入った青色の小瓶だった。


「こっ、これは……!」

「アムリタだ」

「!!」


 アルベスタが目を丸くして驚いている。


「根源値を底上げする霊薬アムリタ。こんなものまで手に入れていたのか」

「ああ、200個くらいな」

「にっ、200個!?」

「既に90個近く消費したが」

「なっ!?」


 転生してから毎日、アムリタは欠かしたことが無い。


「製法も素材も手に入れているから、今後も生成出来るがね」


 どこか悔しそうに、アルベスタが小瓶を睨む。


「こんなもので、貴様は強くなった訳か……」

「フン! 霊薬を飲んだ程度で、ここまで【飛躍的な成長】は出来ないさ」


 俺は鼻で息を吐いた。


「さまざまな要因があるが、一番大きいのはやはり、レベルを1に戻したことだろうな」

「レベルを1にしたことが? それがどう関係してくるのだ? 弱体化することに何の意味がある?」


 眉間に皺を寄せ、アルベスタが聞き返す。


「ヴァレタスだった俺は、一定程度まで成長しきっていた。魔力に関しては、既に成長限界を迎えていたのだ」


 俺は自分の手を見つめた。


「幼少から励んできた体力練成や魔力練成は、今思えば無駄も多かった。己を鍛えるために必要だったとは言え、試行錯誤に多くの時間も費やしてきた……。だが、今の俺はその経験や知識をすべて蓄積している」


 ゆっくりと拳を握りしめる。


「これがどういう意味か理解出来るか、アルベスタ?」


 彼女を見やった。


「単に何もない状態からもう一度鍛えるのとは訳が違うのだ」


 アルベスタは無言のままに、ごくりと息を呑んだ。


「アムリタや異世界食材を用いたステータス強化。【追憶】を使った戦闘訓練。そして、グラン・ヴァルデンには無かった最新科学に基づく、最短で最も効果が出るトレーニング……」


 そして、【スキル】を維持していたからこそ叶う【飛躍的な成長】。


「それらによる効率的で最短ルートの成長レベルアップは、俺の持つ【スキル】──【経験値倍化】と【限界突破】の効果で更に何百倍何千倍と、跳ね上がる」

「貴様、まさか初めからそれを狙っていたと言うのか……!!」


 俺は笑うことで、その問いへの解とした。


「そこまでして、お前は一体何を望む? 本当にこの世界の邪神にでもなる気か?」

「それも良いかもしれんな」

「き、貴様……!」

「冗談だ」


 笑って返した。


 だが笑顔を引っ込めると、真顔でアルベスタに向き直った。


「俺には、やるべきことがある」

「やるべきことだと?」

「ああ。そのために、すべてを捧げると誓った」

「それで、そんなふざけた強さを手に入れた訳か?」

「アルベスタ……」


 抑揚なく、彼女に言葉を返す。


「な、なんだよ」とアルベスタが身を反らせた。


「昼間も言ったが、俺はふざけてなどいない。一切な」


 彼女は黙って俺を見つめた。


「ヴァレタス・ガストレットだった時も、そして今も」


 アルベスタを見据えて、はっきりと告げる。


「もう何も失わないように、護りたい人を護れるように、俺はすべてを超越する存在となる。そのために、俺は帰って来たのだ」

「お前……」


 何かを察したように、アルベスタは小さく言った。 


「はっきりと言っておく。俺は【この世界の頂点に立ち、万物を超越する存在になる】と誓った。その言葉に嘘偽りは無い」

「狂戦神……」


 ぽつりと言葉を零す。


 彼女は何かを諦めたように笑った。


「何たる狂気と執念……。私の負けだよ」


 クマのぬいぐるみをソファに置く。


「強き者よ、それだけ聞ければ本望だ」と俺に向かって両手を広げた。


「なんだ?」

「命乞いなどはすまい。さあ、ひと思いに殺せ!」


 やれやれ、そう来たか。


「素直にグラン・ヴァルデンに帰ってくれれば、こちらとしてはありがたいがね」


 溜息交じりに、俺は返した。


「死体を残さずにお前を消す方法など幾らでも思いつく。だが手を下すだけ面倒だ」

「くっ!」

「さっさとグラン・ヴァルデンに帰るのだな」

「こ、断る!」


 目を怒らせてアルベスタが叫ぶ。


「私にも戦姫神としての矜持がある! 第一、敬愛するディアベル様の命に背き、尻尾を巻いて、おめおめと帰れるか! それは戦姫神の恥だ!」

「俺の知ったことではないな」

「いいから、早く殺せっ!」


 まったく面倒な……。


「お前は俺を監視し制御するために来たんだったな?」

「だ、だったらなんだ?」

「それは、俺にデバフが掛けられると言うことか?」


 そう聞き返すと、戸惑いがちにアルベスタは頷いた。


「そうだが」

「ならばアルベスタ。今日からお前をデバフアイテムとして使ってやろう」

「なにっ!?」


 眉を怒らせてアルベスタが詰め寄る。


「無礼者っ! この私をモノとして扱おうと言うのかっ!?」

「まあ、そうなるな」

「なんたる屈辱! そんな扱いを受けるくらいならば死んだ方がマシだ!」

「お前、元々そのために来たのだろう?」

「そっ、それは……!」


 アルベスタが口を迷わせる。


「い、いいから早く殺せ!」

「断る。第一、生殺与奪の権利はお前にはないぞ、アルベスタ」

「っ!!」


 アルベスタの肩を軽く押すと、彼女は真後ろにソファに倒れ込んだ。


 俺は膝立ちになって、彼女に跨る。


「ちょ、お前何を……!」


 アルベスタが顔を紅潮させた。


「なななっ、何をする気なのだ、貴様っ! たっ、嗜む気か!? 嗜む気なのだな、この私をっ!?」

「黙れ」


 真顔のまま、彼女を見下す。


「お前は今日から、俺のデバフアイテムだ。良いな?」

「あ、ああ……」

「監視も好きなだけするが良い。だが、邪魔だけはしてくれるなよ」

「分かったよ」


 アルベスタが頷く。


 俺はソファから立ち上がった。


「それじゃあ、お邪魔したな」


 リビングから出て行こうとして、足を止める。


 アルベスタを振り返った。


「それから、俺は一介の中学生として大人しく生活しているのだ。あまり派手な行動は慎んでくれたまえ」

「歩いて帰るのか?」


 俺の背に、彼女はそんな馬鹿な質問をして来た。


「【空間転移】で帰ればいいだろう?」

「そうするつもりだ。だが、玄関に靴を置いている」

「あー……」

「それじゃあ、また明日、学校でな」


 その場にアルベスタを残し、俺は帰った。

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