第58話 気が変わった

 クラスメイトの様子や隠れて交わされる会話から、俺は瞬時に、クラスの半数以上が加担した罠に気がついた。


 どうやら俺に蜜の罠ハニートラップを仕掛けるつもりらしい。


 心の中で俺は笑った。


 異世界あっちでも、そう言った連中は居たからだ。


 グラン・ヴァルデンでのそれと比べると稚拙で幼稚極まりないがな。


 喜村きむら菜乃葉なのは諏藤すどう小鳩こばと──この二人が妙に俺に話しかけて来る。一学期は俺を目に入れるのも不快極まりない態度であったのに。


 この二人が俺に近づいて親密な関係になり、愛の告白をする。その後、甘い恋人気分を十分に味合わせたところで、すべてが嘘だったと突きつけて嘲笑する。


 そんな計画らしい。


 所謂ドッキリと言うものだ。彼女たちは【噓コクドッキリ大作戦!】などと呼んでいた。


 この二人と戸口とぐち美遥みはる湖条こじょう心寧ここねの四人が、ドッキリの発案者のようだな。


 クラスメイト達も仕掛け人として俺を二人とくっ付けようと、躍起になっている。


 自然な演技をしているつもりらしいが、バレバレだ。


 学級委員の投票で俺を当選させたのも、その一環らしい。


 生徒会の仕事で、皆で冊子を製本していると、諏藤がおもむろに退室した。


 三組の生徒らが目配せをする。


 まずは諏藤が俺を嵌める計画のようだ。


 わざわざ罠に嵌まる気は無いので、さっさと仕事を終わらせて帰ろうとするが、柴原たちが止めてきた。


「定規とハサミを忘れてしまってね。すまないけれど、教室から取って来てくれないか?」


 余程教室に言かせたいと見える。


 平静を装う柴原たちの顔を見ていると、思わず笑いが零れそうになった。


 俺は興味本位で教室に寄ってみることにした。


「信吾、先に行っておいてくれないか?」

「うん、なら校門のところで待ってるね」

「ああ、すぐに追いつく」


 ドアも窓も不自然に締め切られた教室──【熱探知】で確認すると、諏藤が一人室内に居た。


 しかも上半身を露にした状態で俺のことを待ち構えている。


 どんな罠を張っているのか少々期待していたが、幼稚な色仕掛けか。


 興醒めだ。


 俺は【隠形おんぎょう】を使った。


 【偽装】と似通った【妖術スキル】である【隠形】──それを習得する意味はあまりないと思っていた。


 だが【偽装】が周辺環境と自分を同化させるカモフラージュ能力であるのに対して、【隠形】は相手の意識に直接働きかけて、完全にこちらの存在を消し去ってしまう。


 【偽装】のように【スキル】や【魔法】などの隠蔽は出来ないが、こと【気配を消す】ことに関しては完全なる上位スキルだった。


 今のような、しんと静まり返った場では幾らカモフラージュしても物音などで気づかれる可能性が高い。【隠形】を使えば、その心配もなくなる。


 俺はあえて見つかりやすい前側から教室に入った。


 俺が視界に入っても、諏藤はこちらに気付けない。透明人間にでもなった気分だ。


「チッ! いつまでこんな姿で待たせんだよ、あのゴミカスが!」


 俺の目の前で、彼女が舌打ちする。スマホを弄りながら悪態をついた。


 俺はさっさと生徒会室に戻って柴原に定規とハサミを渡し、そのまま帰った。


 次の日からも諏藤は事あるごとに俺の視界に入って来た。


 目障りでしょうがない。


 教室のドアを出た瞬間や廊下や図書室でも、何度もぶつかられそうになった。


 今度はどんな罠なんだ? 単純にタックルを仕掛けてきているようにしか思えんが……。


 階段を上っていたら、壁の奥に身を潜ませていた諏藤が、またまた飛び出してくる。


 躱したら、勝手に足を滑らせて空中に放り出された。


 階下へと落ちていく。


 やれやれ、世話が焼ける。本当に何がしたいのだ、コイツは……。


 仕方なく、即座に飛んで、空中で彼女を抱きかかえ踊り場に降り立つ。


「大丈夫か?」

「えっ? えっ!?」


 呼びかけると、諏藤は目を開けてキョトンとして周囲を見やった。


 口をぽかんと開けると、俺をぼーっと眺める。


 怪我はしていないようだ。それにしてもコイツ、背骨が相当歪んでいるな。


 良いことを思いついた……。


 実は最近、整体やカイロプラクティックなどの技術も習得中なのだ。


 だが、手技と言うものは実践を重ねなければ座学だけでは身につかない技術でもある。


 この機会に、コイツの身体で練習してやろう。


 俺は彼女の首をロックして、背骨を牽引した。


 ボキボキボキ──ッ!!


「んぎょぉぉぉ!?!?」


 諏藤が妙ちくりんな声を上げる。


「背骨の歪みは下腹部のインナーマッスルの凝りが原因らしいぞ」


 臍辺りに手を置いて、ぐっと押し込む。


「おふっ♡ ちょ、そこダメ」

「こりゃ、相当凝り固まっているな」

「え?」


 グリグリグリグリ!!


「イダダダダッ!? なにすんの、ちょ!? あ痛ぁぁぁっ!!」


 痛みでジタバタするが押さえつけてストレッチを強行する。


「中学生でこれじゃあ将来が思いやられるぞ、諏藤! ちょっとは運動を、しろ──!!」

「うごーーーっ!! ギブギブギブゥゥッッッッ!!!!」


 校舎内に諏藤の絶叫が木霊した。


「ひ、ひどいよ。蓮人くん、はぁはぁはぁ……」


 施術が終わり、諏藤が肩で息をする。


「うむ。最初にしてはなかなかうまくいった」


 だが生活態度を改めない限り、また同じことを繰り返すだろう。しばらくの間、コイツを使って練習するのも良いかもしれない。


 そう思いつつ、俺はその場を後にした。


「ちょ、ちょっと待ってよ!」

「ん?」

「あ~、ええと……。助けてくれて、アリガト」

「いいさ。階段から落ちるのは痛いからな」


 これでこいつも懲りただろう。


 ……と思ったら、余計に絡んでくるようになった。何故だ?


 今日もトールたちと掲示物の貼り替えをおこなっているのだが隙あらば腕を絡ませてきて鬱陶しくて仕方がない。


 一方の喜村に関しては、諏藤ほど積極的に仕掛けてこないので捨て置いている。


「ここはもう終わりだよね」


 俺を見て、喜村が微笑んでくる。


 俺は相手にすることなくトールたちと次の場所へと向かった。


 喜村については、歯牙にもかけるつもりはない。




 すると放課後──


「ちょっと凡野くん!」


 非難するような声色が俺を呼んだ。戸口だ。


 横には湖条も居て、ムッとした様子で俺を見ている。


「どうして菜乃葉のこと無視すんの!?」

「そうだよ、菜乃葉が可哀そうだよ!」


 教室中に聞こえるように、二人はそう言った。


「ええっ!? 凡野くんが喜村さんのことを無視しているってぇ!?」

「まじで? それってイジメじゃない!?」


 聞いていた生徒たちが同じように俺を非難の眼で見つめてきた。


 よろしくない注目が俺に集まり、信吾が慌てている。


 手をパタパタと振って、何かの誤解だと訴えた。だが誰も信吾に見向きもしなかった。


 生徒らの奥で、泣きそうな表情で俯き、喜村が立っている。


 俺と目が合うと、どす黒い感情をその相貌に現わして、笑った。


「……」

「ねぇ、なんでって聞いてるの!」

「どうして菜乃葉にだけ冷たくするの!?」


 戸口と湖条が俺に詰め寄る。


「別に、冷たくはしてないが……?」

「嘘!」


 湖条が言葉を被せた。


「菜乃葉、すっごく傷ついてるんだよ?」

「そうだよ、酷いよ……!」


 戸口が顔を手で覆う。


 見え透いたを始めた。


「あ~あ、凡野くんが戸口さん泣かせちゃったよぉ!」

「可哀そう、戸口さん……」

「大丈夫?」

「大丈夫、戸口さん?」


 女子たちが戸口に寄っていく。


 湖条が慰めるように戸口の頭を撫でた。


 そして涙目で俺を睨んでくる。


「菜乃葉はね、私たちの大切な親友なんだよ!」

「そ、そうだよ。そんな親友を傷つけられて、悲しいよ。うっ! うっ!」


 戸口も言葉を震わせる。


「凡野くんさ~ぁ!」


 男子生徒の一人が、困ったように大きく溜息を漏らした。


 俺の肩に手を置こうとした、のでするりと躱す。


 相手は調子を崩され、芝居がかった態度から怒りの素顔が覗いた。舌打ちする。


「お前よぉ、喜村さんに優しくされて、本当は嬉しいんだろ!?」


 腰に手を当てて、とんでもないことを言い出す。


「いや、まったく」

「おいおい、好きな女の子に敢えて冷たくするとか小学生かよ……」


 別の生徒が呆れたように言う。


「そう言うの、陰キャの悪いとこだぞ? 素直になれって」

「お前さ、自分がコミュ障なの自覚してんだろ?」

「コミュ障?」


 俺は首を傾げる。


 そんなつもりはないが。


 相手はお構いなしに言葉を続ける。


「お前はコミュ障を言い訳にして、女子にそう言う冷たい態度を何気な~く取ってるかもしれねぇけどよ、それ相手の事メチャクチャ傷つけてんだからな!?」

「そうだよ、それに人として単純にすっごく失礼だよ!」


 女子たちも加勢に入る。


「凡野く~ん? 学年一の美人と言っても良い喜村さんと、メチャクチャ巨にゅ──超絶カワイイ美少女の諏藤さんの二人から猛烈アタックされてんだぞ?」


 安本が俺の顔を覗き込んでくる。


「この状況がなんなのか、理解できてるかぁ? お前の人生至上最大のビッグチャンスが来てんだぞ!?」


 そう言うと、俺に指を突き付けた。


「男子は全っっっ員羨ましがってんだかんな、橋〇環~奈っ!!」

「?」


 ちょっと言っている意味が分からない。


 今度は腕組みして、黙ったまま虎のように俺を睨んでいた奴が、ムスッとしたまま問うてくる。


「あんなに美人な喜村さんがお前にだけ優しくしてくれてんだ。嬉しいの? 嬉しくないの? どっち?」

「別に──」

「謙虚になれよっっっっ!!!!」


 急に顔面崩壊で吠えた。


「陰キャとかコミュ障とか言っとくけど、言い訳にならないよ」


 悲し気に女子が言う。


 皆が同意するように頷いた。


「無視したり冷たくしたり、相手はメッチャ傷つくんだから」

「そうそう。どんなに好きだって言ってくれる女の子も、そんな態度続けてると嫌われちゃうよ?」

「て言うか、周りから人、居なくなると思うな」

「だよね」


 言いたいことを全て言い終えると、生徒たちがは示し合わせたように皆、教室から出ていった。


「行こ、喜村さん」

「だいじょうぶだからね? わたしたちがついてる」

「ありがとう、みんな……」


 最後に、戸口がドアの前で振り返る。


「これ以上、菜乃葉を傷つけないであげて」


 神妙な顔してそう言うと、出て行った。


「たたた、大変なことになっちゃったね、蓮人くん……」


 信吾が泣きそうな顔で俺を見つめる。


「罪悪感を利用してきたか……」

「えっ? れっ、蓮人くん?」


 俺が笑っていたからか、信吾が驚いている。


 うん、なかなか上手いことやるじゃないか。


 それにしても、無視されると傷つく……か。


 諏藤、戸口、湖条そして喜村。


 彼女たち四人の中で──いや、すべての女子の中で、喜村菜乃葉が最も俺のことを嫌悪し、無視していた。


 声を掛けても挨拶でさえも言葉が返ってくることはなく、視界に入ったらまるで不快害虫かのように忌避されていた。


 存在そのものを否定され抹殺されていた日々を思うと、そんな人間を相手にする理由など一切、ありはしない。


 噓コクなど、すっぱりと拒絶してそこで終わりにしようと考えていたが、今の一件で、俺は気が変わった。


 傷つく? どの口が言っているのだ?


 それらの言動に関しては大いに、思うところがある。


 いや、端的に言って腹に据えかねている。


 ドッキリのネタばらしのために、看板やら俺に投げつけるパイも準備をしているらしいからな。折角用意したそれらを使わせないのも可哀そうだ。少しの間、付き合ってやるとしよう。

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