第56話 翻弄される嘘コク女子~喜村菜乃葉
二学期早々、委員の仕事を丸投げされた凡野蓮人──だがそれは、菜乃葉と小鳩が彼に接近するための最初の罠にすぎなかった。
生徒会室にて菜乃葉は今、蓮人の隣に腰掛けて冊子の製本を手伝っている。
何をやらせても無能な蓮人のことだ。きっとこんな簡単な作業さえも満足に出来ずにミスするだろう。
菜乃葉はそう思っていた。
その時、自分たちが手を差し伸べるのだ。
話ながらも、菜乃葉はその機を狙っていた。
彼女が蓮人を落とす作戦はこうである。
普段はクールで素っ気ない菜乃葉だが、蓮人にだけは笑顔を見せ、砕けた態度で接するのだ。
ツンデレと言う奴である。
ほかの男子には決して見せない、蓮人にだけ見せる素顔──この特別感。これに転ばない男は、まず居ない。
その名も【陰キャに優しいギャル、ここに居た作戦】である。
これで凡野蓮人を簡単に手玉に取れると、菜乃葉は確信していた。
だがアクシデントが重なり、初日の作戦は失敗に終わる。
菜乃葉が手伝う必要がないほど完璧に、手伝う隙さえ与えることなく、蓮人はすべての仕事を終わらせて、さっさと帰ってしまったのだ。
小鳩も揺さぶりをかける計画だったが、それも何かの手違いで実行できずに終わった。
予期せぬことではある。しかし菜乃葉はまずまずの手応えを感じていた。
あの陰キャ、小鳩やワタシが折角話しかけてやってるのに、こちらを見向きもしなかった……。
彼は終始、緑屋信吾とばかり話していたのだ。
それでは何故、彼女は手応えを感じているのだろうか。それは彼の反応が、心とは裏腹のものだ手に取るように
菜乃葉くらいの女子ならば、
奴は本当は、嬉しがっている。恥ずかしくて素直に表現できないだけだ。
モテない男がよく見せるパターンである。
つまり──一定の成果はあったと言うこと。あとは地道に、繰り返し
……そして、自分が菜乃葉と対等な存在であると勘違いし始める。
更にこちらが優しくして持ち上げ続ければ、今度は調子に乗りはじめる。動画で噓コクされていた男子がそうだったように。
好きな女子の前では虚勢を張り、自分を大きく見せようとする……。男子とは妙にプライドの高い生き物なのだ。
菜乃葉はそう考えている。
それは凡野蓮人とて同類──彼女は彼を、徹底的に煽てて勘違いさせ、図に乗らせるつもりでいた。
奴が隠し持つプライドを擽って、煽てて煽ててチヤホヤして、たっぷりと自信をつけさせてやろう。
だが憶えてろよ。お前がこのワタシと対等な訳ねぇだろ、バーカ! 少しの間は我慢してやるが、その後は一気に地獄へと叩き落してやる。
鏡の前に立ち、菜乃葉は首に香水を振った。鏡の中の自分を見て、不敵に笑う。
スクールカースト最底辺のゴミ虫めが。陰キャに優しいギャルなんて、この世に存在しないと言う現実を突き付けて精神崩壊させてやっから覚悟してろよ!?
こうして次の日からも、菜乃葉は積極的に蓮人にアプローチしていった。
休み時間や移動教室の際、掃除の時間など。だが蓮人の態度は、まさに暖簾に腕押しで素っ気ないものだった。
なかなかガードが堅ぇじゃねぇか。
菜乃葉には目もくれずに歩き去る蓮人の背中を睨み、菜乃葉は舌舐め摺りする。
そして最初の計画から数日後──
お昼に、菜乃葉はいつもの三人と机をくっ付けて弁当を食べていた。
目の前の小鳩をちらと見る。
ここの所、小鳩の様子がおかしい。
「なんかご機嫌じゃん……」
鼻歌交じりに弁当を広げる小鳩に、菜乃葉は呆れたように言った。
「ちょっとね~」
ニコニコしながら、小鳩はそう返すだけだ。
美遥と心寧も気になっている様子だ。
「なになに、小鳩。何があったっての?」
「ダチだろ、隠すなよな~」
「別にぃ。ただここんトコ、身体が軽くってさ~」
座ったまま、腕を上げ下げして見せる。
「……」
ルンルン顔で玉子焼きを頬張る小鳩を見て、三人は言葉なく顔を見交わした。
小鳩は近頃、髪型や服装を変えている。何よりも表情が違う。
それはほんの些細な変化だったが、菜乃葉たちはとうの昔に気付いていた。
そして今、確信に至る。
──こいつ、好きな男が出来たな。
それを見抜いて、思わず溜息を漏らした。
ドッキリの最中に何してくれてんだ、ったく! そう言うのは、このお楽しみの後に取っとけっての!
帰りのホームルームが終わるや否や、小鳩が蓮人の元に駆け寄っていく。
「蓮人くん、一緒に
蓮人の腕に抱き着こうとする。
が、躱された。
「何故、お前と帰らねばならんのだ」
「いいじゃん、いいじゃん」
小鳩は拒まれても、何度も果敢に飛び掛かり、埒が明かないと見た蓮人をようやく捕まえた。
「だきっ♡」
小鳩が彼の腕をぎゅっと抱きしめる。
「熱いねぇお二人さん!」
「羨ましすぎんぞ凡野、そこ代われ!」
仕掛け人たちも囃し立てる。
胸が思いっ切り腕に当たっている、などと言う表現は相応しくない。小鳩は最早、彼の腕を胸に埋めていた。
その様子を離れて見ていた菜乃葉は、目を丸くする。
「オイオイオイ……、そこまでするかよ!?」
恋にうつつを抜かして、ドッキリを疎かにするんじないかと思っていたが、どうやらドッキリはしっかりとやる気のようだ。
しかし、自分ならあそこまでは出来ない。
蓮人に身体を摺り寄せる小鳩を見やって、菜乃葉はそう思った。
だって相手はただの男子ではない。最底辺のゴミ虫、凡野蓮人なのだ。
自分が凡野蓮人に腕を絡ませるのを想像する。
菜乃葉は全身に鳥肌が立つだけではなく、思わず吐きそうになった。
凡野蓮人は多くの女子たちから無視され、害虫のように扱われてきた。目に入れるのも嫌悪される不快害虫だと思われてきた──それはあくまでも彼が受けている印象であった。
だが、それは紛れもない真実だ。
少なくとも菜乃葉たちは、彼のことを害虫同然の存在としか見做してはいなかったのだから。
「離せ。怒るぞ、諏藤」
「ちょ、ちょっと蓮人くん!? 諏藤さんの首が折れちゃう……!」
蓮人が彼女の頭を鷲掴みにして引き剥がそうとする。小鳩の首を捥げんばかりに押しやっていた。
それを見た緑屋信吾が、慌てた様子で止めに入る。
「イテテテ……♡ これも整体かな?」
だが、涙目になりながらも小鳩は嬉しそうだった。
「……」
呆れてまた、溜息が漏れる。
やれやれ、あそこまでは出来ないけど、ワタシも加わっとくか。
バッグを手に立ち上がる。
それにしても、
菜乃葉は戦慄し、立ち尽くした。
「────!!!!」
こっ、こっ、小鳩が好きになった相手ってまさか、
あり得ない! 嘘コクする相手に、ガチ恋するなんて!! しかも相手は、スクールカースト最底辺のゴミだぞっっ!?!?
蓮人を追いかけて教室を出ていく小鳩を、菜乃葉は思考停止で目で追っていた。
菜乃葉たちの【噓コクドッキリ大作戦!】と並行して、その裏では仕掛け人たちも【ドッキリ大成功!】の看板を準備したり、ネタばらし時に凡野蓮人の顔面に投げつけるパイを用意するなど余念がなかった。
嘘コクとその後の盛大なネタばらしと言う罠ハメは着々と進行中なのだ。
だが小鳩にガチ恋されても、凡野蓮人は噓コク動画の男子のように調子に乗ることは無かった。
今日も昼休みを潰して、菜乃葉は蓮人の生徒会の仕事──掲示物の貼り替えを手伝っている。
彼の周りには委員の一年女子が纏わりついていた。その中に、小鳩も混じる。
「凡野先輩は、部活とか入ってないんですか?」
「ああ」
「わたし、テニス部なんですよ」
「そうか」
「今度試合があるので、応援に来てくださいっ!」
「嫌だ」
蓮人は気の無い言葉を返すだけなのに、みんな笑顔で楽しそうである。
「チッ! ウザってぇ!」
少し離れた場所を言いことに、菜乃葉は【陰キャに優しいギャル、ここに居た作戦】を忘れ、思わず吐き捨てた。
「お~ぅ、蓮人くんじゃなーい」
「クケケケケ! ここ、三年の廊下だぜ~?」
ガラの悪い生徒が二人、声を掛けてきた。
オーガから聞いたことがある。一人はラッシーとか言って恐ろしく喧嘩が強いらしい。番長のコングの右腕だとか。
不良の登場で、女子たちが笑顔を引き攣らせる。お互いに固まって隅に寄った。
「お前らか」
そんな不良を見ても、特に怯えることなく蓮人は普段通りに返した。
「な~にやってんだぁ?」
「見て分からないか? 掲示物の貼り替えだ」
「クケケケケ! 相変わらず口のなってない
蓮人の言葉に、ラッシーが怪鳥のような声で笑う。
「はっはっは、一般学生も大変だなぁ」
笑いながら通り過ぎようとして、二人ははたと足を止めた。
「あ、先輩! ちわーす!!」
「っあ!?」
突然トールが挨拶してきて、二人が驚いて仰け反る。
「トールッ!?」
「お、おま、こんなところで何やってんだ!?」
「なにって、委員の仕事っすよ」
「……は?」
二人は顔を見合わせた。
「い、委員てオメー」
「まさか……」
「自分、二学期の学級委員になったっす」
二人がもう一度顔を見合わせる。
そして爆笑した。
「クケ──ケケケケッ!! 傑作だな、こりゃ!!」
「学級委員やってる不良なんて聞いたことねぇぞ!」
そう言われて、トールが顔を赤くする。
「言わないでください! ダチにハメられたスよ!」
その言い分に不良たちがまた爆笑する。
「でも別にいいんす! 委員になったお陰で、こうして蓮人くんとも
トールが蓮人を見やって笑う。
「ならオメェ、一体何委員になったんだよ?」
「蓮人くんと同じ、風紀委員っすよ!」
問われたトールが胸を張って答えた。
不良たち、三度爆笑。
「不良が風紀委員っっ!?」
「笑い殺す気か、てめぇ!!」
「ちょ! 酷いっすよ、先輩!」
金髪にイヤーカフス、足には赤いアンクレット──
菜乃葉が言えた義理ではないが、トールも風紀委員に似つかわしい格好とは思えなかった。
ラッシーたちはトールや蓮人と軽く駄弁ってその場を後にする。
そう言えば一学期も、トールが蓮人にタイマンを申し込んでいた。二人はあれがきっかけで仲良くなったのだろうか?
三年とのやり取りで、まるで蓮人が一目置かれているような存在に見えてきた。当然、そんな訳はないのだが。
菜乃葉はタイミングを見て、すかさず蓮人に擦り寄る。
「凡野くんって不良とも仲が良いんだね」
「……」
「なんかカッコ良かったなぁ、全然ビビってないし」
にこりと微笑みを向けた。
「あ、ここはもう終わりだよね」
「っしゃ! 終わりっすね!」
「ああ」
トールの言葉に蓮人が頷く。
「後一ヵ所っすよ。昼休み中に終わらせましょう」
「そうだな」
「放課後までかかると思ったけど終わりそうだね」
「うん! 凡野先輩のお陰かも」
一年の女子たちもお互いに言い合う。
蓮人を取り囲む一年生たちを押しのけるように、小鳩が彼と腕を組んだ。
蓮人が菜乃葉を見向きもせずに行ってしまう。
「行こ? アタシの神カレ」
「変な呼び方をするな。そしてくっ付くな」
「蓮人くん、まさか彼女さんすか?」
「違う、ストーカーだ」
「……」
菜乃葉を置いて、みんなは蓮人を囲みワイワイと行ってしまった。
彼女は一人、笑顔をピクピクと痙攣させてその場で突っ立っていた。
菜乃葉は今はっきりと自覚したのだった。
これまでは自分が優位の立場で蓮人を無視していた。害虫のように扱っていた。存在を軽視し、まるでその場に居ないかのように振舞ってきた。
だが──
いつの間にか無視しているのではなく、無視されている。立場が逆転している。
ワタシは凡野蓮人から無視されている。存在を、否定されている。
彼女の顔は、怒りでどす黒く染まっていった。
スクールカースト最底辺のゴミ虫の分際でぇぇ!! 最上位の存在の、このワタシを無視している!!!! まるでこの場所に居ないかのように!!!!
無視されている。
被害妄想に陥った彼女はそう思い込んでいるが、それは正確ではなかった。
今日外でたまたますれ違った人の顔を憶えている人間がどれ程いるだろうか?
人でなければ道ばたの石ころでも良い。
それを憶えているもの、そこに意識を向けたものがどれ程いるだろうか?
無視と言う行為は、悪意や敵愾心を伴った行為である。
だが、道ばたの石ころを気に留めなかったとしても、それを無視した、とは言わない。
何故ならば、そもそもそこには悪意などなく、良くも悪くも【意識が伴っていない】のだから。
完全なる無興味、無関心──ただ、それだけである。
凡野蓮人の菜乃葉に対する態度は、まさにそれだった。
彼は菜乃葉に関心がまったく、無い。
興味が、無い。
道端の石ころ同様に、凡野蓮人は喜村菜乃葉のことをまるで相手にして、いなかった。
菜乃葉も本当はそこに気が付いているのだ。
だがそれは許しがたいことだった。到底、受け入れられない。
それは自分よりも全てにおいて劣っている存在がしてよいことではない。
「いやぁ、なかなか手強いな」
「アイツ、マジで喜村さんに興味がねぇのかな?」
隠れて盗撮していた仕掛け人たちがぞろぞろ出て来てそう言った。
「……!!」
「喜村、さん?」
菜乃葉は無言で掲示物をひっぺがしていた。力任せに握り潰す。
屈辱に全身がぷるぷると震えていた。
菜乃葉の精神崩壊を以て、ここに【陰キャに優しいギャル、ここに居た作戦】は、粉砕された。
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