第55話 翻弄される嘘コク女子~諏藤小鳩
凡野蓮人を罠に嵌める作戦は、始業式の当日から始まった。
まずは二学期の学級委員決めで、凡野蓮人を委員に選出するのだ。
これは特に怪しまれることなく上手くいった。
なぜなら、いつも彼には何かしらの委員を押し付けていたので、特別なことではなかったのだ。
凡野蓮人さえ委員にしておけば、日々の仕事はすべて、彼に押し付ければ済む。実際には何もせずに内申点だけ稼げるという訳だ。
多数決で凡野蓮人に票を集中投下し、無事に彼を風紀委員に仕立て上げることに成功した。
「委員になったものは今日の放課後、生徒会室に集合してくれ」
ホームルームで、学級委員長の柴原がそう告げた。
「生徒会の仕事があるから、その手伝いを頼む」
だがチャイムと同時に、委員たちはバッグを肩に掛けて、他の生徒らと共に教室を出ていく。
「凡野、俺の分も頼むぜ。部活で忙しいんだ」
「私のもお願い。実はおじいちゃんが急病で倒れちゃってさ」
逃げるように教室を後にする。クスクスと笑いながら。
「まったくアイツら……」
そんな連中を溜息交じりに見て言ったのは、喜村菜乃葉だった。
「人に仕事押し付けるなんて、ほんっとしょーがない連中だね」
諏藤小鳩も首を横に振る。
二人の少女がそれとなく凡野蓮人に近づいた。
その様子を少し怪訝そうに彼は眺める。
「一人じゃ大変でしょ、アタシたちにも手伝わせて? ね?」
小首を傾げると、小鳩が蓮人の顔を覗き込んだ。
彼は嫌そうに身を反らす。
「柴原くん、いいでしょ?」と小鳩が問うと、柴原は頷いた。
「こちらとしてもありがたい」
「凡野くんを手伝ってあげよ、菜乃葉?」
「ま、みんなでやった方が早く終わるしね」
小鳩の言葉に、菜乃葉も頷く。
「なら、あたしらも手伝おうか?」
寄って来たのは美遥と心寧だった。
「ほら、そこの男子ぃ! 暇ならアンタらも手伝いなさいよ~」
「え~、マイッタナァ」
こうして主役である菜乃葉と小鳩、そして彼女たちを助ける美遥らや盗撮役の男子生徒を引き連れて、柴原たちは生徒会室へと向かった。
二学期一番最初の仕事は、冊子の製本である。
部屋に入ると、それぞれの長机にプリントが山のように積まれていた。
これらをページ順に並べて綴じていくのだ。三百部以上の冊子を作る必要がある。
一年生と三年生も顔を揃え、全学年総出で作業をおこなっていく。
凡野蓮人の両隣には小鳩と菜乃葉がそれとなく座った。
和気あいあいと作業を進め、二人は積極的に蓮人に声を掛けるも、彼の返事は素っ気ない。彼を本当に手伝うために付いてきていた緑屋信吾とばかり喋っている。
警戒しているのか、あるいは女子に免疫が無くて戸惑っているのかもしれない。
どうやら、そう簡単には心を開いてくれないらしい。
そこでいよいよ、小鳩が仕掛ける。
「いけない。ちょっと忘れ物しちゃった」
呟くように言うと、小鳩は立ち上がった。
ごく自然な振る舞いで、周囲に教室に忘れ物を取りに行くことを伝えて部屋を出ていく。
作戦開始の合図だった。
まずは小鳩が蓮人に罠を仕掛けるのだ。嘘コクを成功させる第一歩である。
小鳩がさっと目配せをする。ドッキリのことを知っている二年三組の生徒たちは互いに頷き合い、凡野蓮人を盗み見た。
彼はそれに気づく事すらなく、緑屋と喋りながらも淡々と作業をしている。
数分後、頃合いを見て菜乃葉が動く。
凡野蓮人に声を掛けた。
「ねぇ、凡──」
「それじゃあ、俺たちは帰らせてもらうぞ」
だが彼はそう言って立ち上がってしまった。
「え?」
「沢山あるから自分の持ち分は終わらせて欲しいんだがね」
三年生が呼び止める。
「用事でもあるの?」
「ん? 自分の持ち分は終わらせたが」
「えっ?」
「マジかよ?」
生徒たちが驚く。
蓮人と菜乃葉の周囲に人が集まった。
「嘘……」
菜乃葉も思わず目を丸くした。
意識が別のところに行っており菜乃葉も全く気が付かなかった。
あれだけ積み上げられていたプリントの山が、消えている。
「は、早いな、君」
「けど、本当にちゃんと出来てんだろうな?」
三年生の一人が、怪訝な表情を凡野蓮人に向けた。
「好きなだけチェックしてくれて構わないよ、先輩?」
彼が自分の前に積み上がった冊子に手を向けた。
数人が冊子を手に取り、ぺらぺらとめくる。
「ほんとに終わってる……」
「しかも、ちゃんとしてる」
彼が製本した冊子は、ページ順も間違っておらず、まったく縒れず、寸分狂わずピッタリだった。
ほとんどの生徒たちはまだ半分以上残っているのに、である。
「皆ご苦労。行こうか、信吾」
「ちょ、ちょっと待て!」
今帰られては困るのだ。
盗撮役の男子が慌てて止めた。
「なんだ?」
「まだやることがあるぜ?」
「何をだ? もう自分の分は終わったはずだ。他になんの用があるのだ?」
「ええと……」
凡野蓮人の毅然とした態度を受けて、相手はしどろもどろになった。目を泳がせる。
「凡野」
静かに言葉を差し挟んだのは、柴原だった。
「定規とハサミを忘れてしまってね。すまないけれど、教室から取って来てくれないか? それが済んだら、帰っていいよ」
「……いいだろう」
一言そう言うと、彼は緑屋と共に部屋を出て行った。
蓮人の姿が見えなくなり、盗撮役の男子や美遥たちは一斉に溜息を漏らした。
「ふへ~ビビった」
「助かったぜ、柴原」
「まったく、やるのならしっかりやれ。それと手も動かしてくれよ?」
柴原が溜息を漏らす。
ドッキリ進行中など知る由もない一年生や三年生は、まだ蓮人の冊子を手に感心しきりだった。
「けど、凡野くん本当に仕事が早いわね」
「ああ。要領が良いんだろう」
三年生たちが口々に言い合う。
「あの子、一学期も委員してたよね?」
「うん、確か美化委員だったかな?」
「なんか、前と雰囲気が違うね」
一年生も話題にしている。
「すご~い。綴じ方も丁寧でカンペキだ」
「俺なんて、どんなに丁寧にやっても角がズレてんのに」
「あの先輩って、トールくんとも仲良いらしいね」
「ああ、なんかトールくん言ってたかも」
「凡野先輩、落ち着いてるしなんか大人って感じでちょっとカッコいいかも」
「それ私も思った!」
そんな会話を柴原はじっと聞いていた。整然と積み上げられた蓮人が捌いた冊子の山を黙って見ていた。
一年生や三年生が、凡野蓮人について二年の委員たちにも質問してくる。
だが二年生たちは言葉を濁すのだった。
一年生や三年生は知らない。同じ二年で凡野蓮人を褒める発言など、許されないことなのだ。
──行ったぞ!
「お! いよいよか」
ラインで連絡を受け取って、小鳩が笑う。
彼女はずっと教室で一人スタンバイしていた。
もうすぐ、何も知らない凡野蓮人が教室に入って来るだろう。
そして閉め切られたドアを開ける。
すると中では小鳩がお着替え中で、彼女の着替えを覗いてしまうハプニングに遭遇するという寸法である。
名付けて【第一の作戦:恋の始まりハプニング♡】であった。
上着を脱ぎかけのほぼ下着状態で待機する。
バカバカしいけどシンプルで、陰キャ童貞くんには一番効果バツグンのはず……。
小鳩は確信していた。
「イシシシ! 安心して鼻血吹いて倒れやがれ! ちゃーんと介抱してやっからさ」
そして五分が経過する。
「……遅せ」
凡野蓮人はいつまで経っても現れない。
「チッ! いつまでこんな姿で待たせんだよ、あのゴミカスが!」
苛立ってスマホでラインを送る。
──来ないじゃん!
どーなってんの!?
すぐに返事が返って来る。
──いや、行ったし
「はぁ!?」と思わず声に出てしまった。
「いや、だから来てないって!!」
声のままに、文字にして送る。
やや間があって、スマホが鳴る。
──凡野、戻ってきたけど
「は!?」
──教室から物取って来た
会ったろ?
そんな筈はなかった。
自分はずっと教室に居たのだ。誰も出入りしていない。この教室はおろか、廊下からも気配も物音もしなかった。
計画通りにいかずに、ムカムカしながら小鳩は服を着て皆と合流する。
彼が教室に行った来ていないで口論しつつ、彼を探したが、既に蓮人は緑屋と帰ってしまっていた。
こうして第一の作戦は失敗に終わる。
翌日から小鳩たちは次の作戦に打って出た。
その名も【第二の作戦:うっかりぶつかっちゃった♡】作戦である。
偶然を装って凡野蓮人とぶつかるのだ。当然、その時抱き着いてソフトタッチも忘れない。
「ちょっと強引だけど、二回三回と繰り返していけばアイツもその気になるはず」
『最近偶然が重なるよね? アタシたちって気が合うのかも』的な流れに持ち込んで急接近できるだろう。
何より身体の触れ合いの効果は絶大である。これで蓮人もイチコロだろう。
そう計画していた。
そして朝からさっそく実行に移す。
廊下をすれ違いざまに、体育の時に足が縺れたフリをして。図書館で出合い頭に……。
盗撮係を引き連れて、果敢にアタックするのだが、悉く避けられてしまうのだった。
「クソが! ほんの指一本でさえも触れられない!!」
苛立ちが頂点に達して、吐き捨てる。
そこで自分にハッとした。
「いや、なんでいつの間にかアタシがアイツに触りたいみたくなってる訳!? バカじゃん!!」
この美少女のアタシが触らせてあげるのよ! 一生モテない確定のあの凡人くんに!!
そして彼が階段を上がって来たところを死角から待ち伏せ、勢いよく飛び出した。
今だ、今度こそっ!!
ダッ!!
「あわわ~、足が滑ったぁ」
胸を押し付けるようにぶつかっていく。
だが、
スカ──
ちっ! またかよ!!
ずる……っ。
「へ?」
階段の縁で自分の言葉通り、本当につるんと足が滑ってしまった。
「あ──」
身体がゾクリとする。
小鳩は体勢を崩し、そのまま勢い余って、空中へと投げ出された。
嘘、これって、マジでヤバくない?
映像がスローモーションになる。
身動きが取れないまま、顔から真っ逆さまに落ちていく。
階段の角がどんどんと近づいてきた。
し、死ぬの、アタシ……!
思わず目を瞑る。
う!! ……あれ? 痛く、ない?
来るはずの激痛は、訪れなかった。
その反対に、彼女の身も心も、とても心地の良い大きな力に抱かれているような安心感で満たされていた。
なにこれ? もしかして、アタシ、死んだ?
「おい」
「え?」
ゆっくりと目を開ける。
死んではいなかった。
凡野蓮人の顔が近くにあって、自分を見下ろしている。
「大丈夫か?」
「えっ? えっ!?」
小鳩は我に返った。
階下の踊り場で、凡野蓮人に抱きかかえられている。所謂、お姫様抱っこ状態であった。
状況を把握し、一瞬嫌悪感が身体を支配する。
虫以下の存在としか思っていなかった彼に抱かれているのだ。本来であれば全身に鳥肌が立ち、紛れもなく嘔吐モノである。
けれど、そうならなかった。
コイツ、こんな顔してたんだ……。
ずっと無視していた凡野蓮人の顔をぽ~っと見ていた。
「平気か?」
「あ、うん」
ハッ!! いかんいかん、これチャンスじゃん!!
やっと【噓コクドッキリ大作戦!】を思い出す。
「……」
「?」
気が付くと、凡野蓮人の視線は自分の顔のやや下を凝視していた。
どこを見ているのかは明白であった。
うっわ、見てる見てる……。メッチャ胸見てんじゃん。やっぱコイツは、ムッツリスケベなただの陰キャだ。
この瞬間、小鳩の脳内には凡野蓮人を罠に嵌めるまでの計算が弾き出された。
強烈にカワイイ困り顔を作る。瞳を潤ませて上目遣いで彼を見つめた。
「あ、ありがとうね、蓮人くん」
「蓮人、くん?」
「助かったよ」
「まあ、怪我は無さそうでなによりだ」
「うん、君のお陰だよ?」
小さく首を傾げて見せた。
「あぁ、でもびっくりした。まだ胸がドキドキしちゃってるよ……」
小鳩が蓮人の手をそれとなく握る。
「ほら、触ってみて?」
自分の胸に押し当てようとする。
は~い、オチた~♡
「諏藤──」
「ん?」
「お前、背骨が歪んでいるぞ」
「……え?」
「矯正してやろう」
にやりと笑うと、小鳩は逆に手を取られる。
「え?? うご!?」
もう片方の手を顎に引っ掛けられて、背中に膝を当てられた。
思いっ切りエビ反りにさせられる。
「んぎょぉぉぉ!?!?」
自分でも信じられないくらいの恥ずかしい絶叫をしていた。
「ち゛ょ! れ、蓮人ぐん! 背骨折れる! 背骨折れぢゃう!!」
「問題ない、はずだ」
ボキボキボキ──ッ!!
背中がものすごい音が出て、捩れ引き伸ばされていく。
プロレス技でもかけられているかのように、小鳩は周囲にいる生徒たちの前で悶絶した。
「うごーーーっ!! ギブ! ギブギブギブゥゥッッッッ!!!!」
「まだだ、まだ矯正が足りない!」
「にょほ────っっ!?!?」
数分後、頭ぼっさぼさで汗だく。疲弊しきった諏藤小鳩の姿がそこにはあった。いつもの美少女の姿は掻き消えている。
「ひ、ひどいよ。蓮人くん、はぁはぁはぁ……」
おばあさんのように腰を曲げて、肩で息をする。
「あまり変な姿勢でスマホなど弄らんことだな」
蓮人がさっさと階段を上がって行く。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
「ん?」
階段の上から、踊り場を見下ろす。
「あ~、ええと……。助けてくれて、アリガト」
小鳩がそう言うと、彼は軽く鼻で笑った。
「いいさ。階段から落ちるのは痛いからな」
一言だけ言って、そのまま廊下に消えた。
一瞬だけ見えた蓮人の笑顔を見て、小鳩は胸の奥がドキンと疼いた。
初めての経験である。
え? あれあれ?? な、なにこの感じ……!?
小鳩は戸惑いを隠せなかった。
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