第52話 王は結ぶ

 空が白み始め、長い戦いの夜が明けた。


 百鬼を率いて戻ると、鏖殺隊の隊士たちは言葉少なめに俺たちを出迎えた。


 彼らが陣を移した丘を、百鬼がぐるりと取り囲む。その様を見て、多くの隊士が身構えた。


 だが、既に彼らの戦意は失せている。


 自分たちは小鬼にさえ勝てなかったのに、百鬼たちは一人の犠牲もなく禍つ神を殲滅したのだ。


 その戦いを見せつけられ、彼らの戦闘の意思は完全に挫けていた。


 その反面、熱狂から醒め、冷静さを取り戻せているようだった。ほとんどのものが、贄人の呪印も消している。


「お前ら、手当ての手伝いを頼む」


 俺がそう言うと、百鬼たちは隊士らの中に混じっていき、彼らの傷の手当てを始めた。


 何人かが木箱を抱えている。中には【ポーション】や【ホムスの軟膏】と言った回復薬が入れてある。


 【ホムスの軟膏】は塗り薬タイプのポーションのようなものだ。切り傷などの外傷や火傷に効く。


 隊士たちは、戸惑いつつも百鬼からの治療を受け入れていた。


「なんの真似だ……」


 しかめっ面で聞いてきたのは、桃斬太郎であった。


「何故、禍つ神と戦った!? なんで俺たちを助ける!?」


 怒りや悔しさの感情と共に、彼の心は惑い、混乱しているように思われた。


 なぜ敵である筈の鬼や妖怪が自分たちを助けてくれるのか、と言う疑問。


 そんな彼の顔を真っ直ぐに見て、俺は問い返す。


「鬼や妖怪を、まだ禍つ神と同類と思っているのか?」

「そうじゃないのか? その筈だろ!」

「お前、さっきまで何を見ていた? いや──」


 言葉を区切り、目を細めて言い直す。


「お前は、何を見ているのだ」

「くっ!!」

「答えはもう、お前自身が出している筈だ」


 俺はそう言うと、鏖殺隊を見渡した。


 今の発言は、彼一人に言った訳ではなく、ここに居る全員に突きつけたものなのだから。


「お前たちもそうじゃないのか?」


 隊士たち一人一人の顔をじっくりと見て、問う。


 彼らは視線を逸らした。


「受け入れ難いか?」

「な、何がだ……」

「自分たちがこれまで、その存在自体を理由にして捕らえ、封じ、殺戮してきた相手が純粋な魔でも人に仇なす化け物でもないと知った今……」


 もう一度、真顔で彼らを見据える。


「お前たちはこれからも、同じことを続けるか?」

「っ……!!」


 隊士たちが俯いて、黙り込む。


 百鬼たちはその周りで淡々と傷の手当てを続けていた。


「あの……」

「ん? おう、あんたか」


 両面宿儺に、一人の少女が声を掛ける。


 瑞浪叶だった。


「貴方も腕に怪我を……」


 遠慮がちに言う。


 宿儺の腕に切り傷があり血が滲んでいた。


「この程度なら平気さ」

「ダメですよ」


 瑞浪が眉を寄せ、やや語気を強めて言った。


「その、放っておくと化膿しますから。すぐに消毒しましょう」

「そうか?」


 瑞浪が宿儺の腕を引っ張る。


 座らせて傷口を消毒液で拭いはじめた。


「あんたの方が余程傷だらけに見えるがな」

「私はもう治療を済ませましたから、平気です」


 ペリ……。


 宿儺が、彼女の頬の絆創膏を剥がす。


「イタッ!」

「全然平気じゃねぇじゃねぇか」

「いきなり剥がしたら、そりゃ痛いですよ」


 瑞浪は戸惑って宿儺を見た。


 宿儺が木箱から【ホムスの軟膏】を取り出す。指先に付けて頬の傷口に塗り込む。


 ゆっくりと傷口が塞がっていった。


「す、すごい……」


 自分の頬を触り、瑞浪が驚く。


「だろ? 俺たちの大将の家に伝わる秘薬なんだとよ」

「凡野さんの」

「あ、いや。俺たちが作ったってことにするんだったっけ? まあいいか」


 宿儺が誰に言うでもなく呟いた。


 瑞浪が宿儺の腕に包帯を巻き、宿儺も瑞浪の傷に軟膏を塗る。


戦場いくさばで 敵馬が敵馬の 傷なめて、か……」


 その光景を見ていた誰かが呟く。


 退魔殿を案内し、陣も案内してくれた法師だった。


 感慨深げに周囲の光景を眺めている。


「なんだ、それは?」

「祖先が晩年に詠んだ和歌にございます」


 法師はそう言うと俺を見て微笑んだ。


「わたくしの祖先はそれはそれは勇猛な武将で、関ヶ原の戦いにも参加しておったそうです」


 少しずつ明るくなる空を見上げ、法師は語る。


「ですが、その戦場で敵同士の馬が互いの傷を舐め合っているのを目にし、その周囲で人同士が殺し合っている様を見て何もかもが嫌になり、関ヶ原の後に出家したとか……」

「だからお前も法師に?」

「ええ、それ以来わたくしの家はその家系でして」


 話していると、卑弥呼と大国主、九人の大将が姿を見せた。


「錯乱して禁呪を発動させはしないかと心配していたぞ?」

「誰がそのようなことをするか……」


 そう返すと卑弥呼は黙った。


 大国主たちも口を固く結び、皆黙っている。


「約束通り、俺は百鬼を率いて禍つ神を撃退した。鬼門も無事に閉じたようだ」


 そう言っても、誰も言葉を発さなかった。


「そちらも約束を果たしてもらうぞ」


 隊士たちにも聞こえるように俺は宣言する。


「お前たちがこれまでやって来た、百鬼に対する悪行の数々は水に流そう! その代わり、今後は百鬼を捕らえたり封じたり、まして殺すことなど断じて許さない! その一切を禁じる!!」


 そう言い放つと、大将たちは動揺を隠せないようだった。


「馬鹿な!!」

「あんまりだ!!」

其方そちにも、百鬼にも、感謝はしておる……」


 低い声で卑弥呼は言った。


 だが眼を見開き、すぐに非難するような顔をこちらに向ける。


「だが、だからと言って鬼や妖怪に人間が危害を加えられるのを、お前は黙って見ていろと申すかっ!!」


 そう吠えた。


「なんてな」


 鋭い言葉を、俺は軽く流して笑う。


 顔を強張らせた連中が呆気にとられる。


「最初はそれを誓約させるつもりだった。絶対に譲る気も曲げる気も無かった。だが、気が変わった」


 百鬼と隊士たちを眺めやる。


「それに、約束通り誰一人死なせはしなかったが、俺の到着が遅れたせいで、負傷したものも多い。だからしてやろう」

「譲歩じゃと?」

「ああ、特別だぞ?」


 卑弥呼を見て笑い返す。


「じきに彼らもそれぞれの故郷へと帰る。今までは俺が森の中で面倒を見ていたが、今後はお前たちがそれを引き継いでくれないか?」

「引き継ぐ?」

「ああ。人との関わり方や生活の仕方……。まだ教えてやらねばならないことは多い。それを、これからはお前たちが教えてやって欲しい」


 そう言うと、卑弥呼たちは戸惑ったように互いに顔を見合わせた。


「お前たちは人智を超える存在からこの国を裏で守護してきた。そうだろ?」

「そうじゃ」

「死霊や悪霊、怨霊の類はこれからも発生するだろう。それに、禍つ神のような存在がまた現れないとも限らない。ならば、それらに対抗するために今後は共闘したらどうだ?」

「百鬼と、手を組めと申すのか?」


 そう問われて俺は頷いた。


「彼らの戦いぶりを見ていただろ? 彼らが仲間になれば、かなりの戦力になると思うがね」

「そ、それはそうだが……」

「牛若丸が鞍馬天狗に学んだように、お前らも彼らから学ぶことは多いだろう。修行でもつけてもらえよ」

「くっ!」


 大将たちが悔しそうに顔を顰める。


 百鬼たちが集まって来た。


「わたくしの授業料は高いですよ?」


 酒呑童子が笑う。


「私で良かったら修行をつけて進ぜよう! 近頃の山伏は根性の無いのが多いと思っていたのだ! 一から鍛え直してくれようぞ!」


 大嶽丸も分厚い胸板を叩いてみせた。


「卑弥呼よ、退魔殿を解放せよ」

「な……っ!?」

「退魔殿は魑魅魍魎から京を守る我らが中枢だぞ!」

「化け物たちにその場所を明かせと言うのかっ!?」


 俺は無言で奴らを見た。


 百鬼=悪としか考えられない彼らの意識に対して、流石に怒りを覚える。


「俺の仲間への無礼な物言い、いい加減にしないと怒るぞ」 


 大将たちも周囲に居たものも、俺の変化に慄いた。

 

「良かろう……」


 卑弥呼が静かに頷く。


「分かってくれたんなら良かった」

「じゃが、鬼や妖怪が人に仇なした時は、容赦はせぬぞ」


 鋭く目を光らせ、俺を見た。


 その視線を捉え、すぐに切り返す。


「その逆もな」

「なに?」

「人に悪さをする鬼や妖怪を捕らえるだけでなく、今後は鬼や妖怪に悪さをする人間も取り締まるのだ」


 その考え自体が無かったのか、卑弥呼たちは小さく口を開けた。


 言葉の意味を、理解できていないようだ。


「俺たちが鬼や妖怪に?」

「ふっ、馬鹿な……」

「笑うな。かなり重要なところだぞ」


 俺は真面目に答えた。


「これは命令だ。どのような場合に捕縛し、どういう罪に問うのか……。そこは人も百鬼も同等にしなければならない。当たり前だろう」


 卑弥呼と大国主、大将、そして隊士たちの顔をゆっくりと見据える。


「鬼や妖怪を、その存在そのものを害悪とする考えは今日限り改めることだな。そうすれば、歩むべき道は自ずと見えて来よう」


 そう言って笑う。


「フェアさを忘れるなよ」


 今度は百鬼たちに向き直る。


「そう思うだろ、鬼と妖怪よ。いや……」


 言葉を区切り、彼らの顔を見やった。


「そろそろ本当の名で呼ぶか。荒ぶる神──荒神あらがみたちよ」


 そう言葉にした時、百鬼たちは黙していたが、その心が騒ぐのが見て取れた。


 空気がざわざわと揺らぐ。


「……知っていたのか」


 そう両面宿儺が問い返してくる。


「ああ。俺もいろいろと視えるからな」


 自分の眼を示して笑ってみせる。


「誰がどういう意図をもってお前たちのことを鬼や妖怪と呼び出したのかは知らん。だが、お前らは元々、神格を持つ存在だった。そうだろ?」

「荒神、じゃと……」


 驚いたように、卑弥呼もそう口にした。


「荒神ってなんだ?」と隊士の誰かが聞く。


「大昔に、日本の各地に居たっていう神だろ、確か」

「そうだ」


 隊士に向かって、大国主が頷いた。


「荒ぶる神、荒神とは遥か昔、この国の各地を治めていた神霊……。中央政権に恭順せず、駆逐された古き神々だよ」

「マジかよ……」

「古き神々、か」


 卑弥呼がゆっくりと歩み出る。


 荒神たちの前に、跪いた。


「そなたらを迎え入れようぞ、退魔殿に」

「卑弥呼様……」


 卑弥呼の言葉に異を唱えるものはいなかった。


 最初に高いの条件を提示し、そこから譲歩したと利を得る。こちらの思い描いた落としどころだった。


 俺が満足していると、それを見やって卑弥呼が溜息を漏らす。


「ほんに恐ろしい」

「そんなに彼らが怖いのか?」


 ぽつりと零した卑弥呼に聞くと、彼女は意味深に俺を見た。


「其方のことじゃ。お前が誰よりも恐ろしいわい」

「怖がることはない。俺は一介の中学生さ」

「馬鹿を言うな!」


 卑弥呼だけでなく、大国主や大将たちも口を揃える。


「巨大な水晶を消し飛ばす中学生がどこに居ますか!?」

「それにあの戦い方はなんだ!? まさにお前こそ【鬼神】と呼ぶに相応しいわ!」

「その通りだ……。俺は禍つ神なんかよりも、お前の方が余程恐ろしいよ」


 大将たちに口々にそう言われ、俺は肩を竦めた。


「人智を超える力を持つものを鬼神の如し、などと言うが、お前は【鬼神】そのものじゃよ」


 卑弥呼にもそう言われ、俺は溜息を吐いて首を横に振った。


「まあ、褒め言葉と受け取っておこう」


 彼らと別れ、俺たちは樹海から引き揚げた。




 そして数日後の夜──


 俺が切り開いた渓谷で、俺は荒神たちとささやかな祝宴を開いていた。


 明日、彼らは鏖殺隊と共に自分たちの故郷へと帰って行く。


 【アイテムボックス】から大きなテーブルを幾つも取り出し、その上には様々な異世界食材が並んでいた。


 俺たちは大いに飲み、そして食事を愉しんだ。


 少し離れた場所で、玉藻がいつになく静かに酒を飲んでいる。


「玉藻」

「あら、旦那」


 近づくと、笑って声を掛けてきた。


「お前の本当の名は何て言うんだ、玉藻よ? お前も、人々に慕われていた姫神だったんだろ?」

「ふふ、もう遠い昔で忘れてしまいましたわ。玉藻という名も気に入っていますし、別に良いのですけれどね」


 どこか寂し気に笑う。


「けれど、私が名を忘れたように、きっとクニでは私の存在も忘れ去られているのでしょうね」

「そうかな?」


 俺は首を傾げてそう返した。


「意外と憶えているかもしれないぞ。細々とかもしれないが、まだ人々の記憶の中で、お前は語り継がれているかもしれない」

「気を持たせますねえ、旦那」


 こちらを見て、悪戯に微笑む。


「もし誰も憶えていなかったら、責任を取ってくれますか?」

「まあ、その時は全国の稲荷神社巡りでもしたらどうだ?」

「旅ですか……。それも面白いかもしれませんね」

「おい」


 話していると両面宿儺が声を掛けてきた。


「いろいろと世話になったな」

「こちらこそ」


 そう返すと、宿儺が妙な顔をして黙る。


「どうしたのだ?」

「いや、さっきみんなで話していたんだが、禍つ神はどう考えても俺たちより格上だった。それを圧倒できたのはお前のお陰だ」

「俺の武器や防具、役に立っただろう?」


 グラン・ヴァルデンの伝説級の武具を与えていたからな。


 だが、宿儺は難しい顔をして首を捻る。


「う~ん、それもあるんだろうが、一番はお前だな」

「俺か?」

「ああ。お前の背中を見ていると負ける気がしなかった。それが大きいと思うぜ」

「わたしもだよ~!」


 雪娘が手を上げる。


「蓮人くんと一緒に戦ってると勇気が湧いてくるの!」

「そうか……」

「憶えておけよ、お前の背には力がある。もう、知っているかもしれんがな」


 気づけば、荒神たちが静かになっていた。皆こちらを見ている。


「俺たちが禍つ神の生け贄にならなかったのはお前のお陰だ。礼を言うぜ」


 宿儺の一言で、目の前で全ての荒神たちが跪く。


 懐かしい光景だった。


「地元に帰っても、達者でな」


 俺は一言だけそう言った。


「お前もな」

「離れ離れになっても、殿は我らの殿ですぞ!」


 大嶽丸が力強く頷く。


「蓮人様に何かあれば、この酒呑童子、一目散に駆け付けましょう」

「わたくしもですよ、連の旦那。寂しくなったらいつでも戻って来ますからね?」


 荒神たちが笑う。


 最後に、宿儺が言う。


「お前は、決して服従しない恭順しない俺たちが唯一認める【王】だ。どんなに離れても、それは変わらない」

「ああ」


 こうして俺は彼らと別れた。

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