第44話 生け贄

 陰陽少女の佐野姉妹と鬼鎮めの巫女、瑞浪叶の三名は、先遣隊としてほかの隊士たちと共に、青奇ヶ原樹海で今宵も死霊を狩っていた。


 彼女たちの本来の役目は消えた百鬼夜行の追跡と鬼門の調査であったが、百鬼夜行は凡野蓮人によって阻止されたことから、今では死霊たちの討伐が主な任務となっていた。


「おらーっ!!」


 佐野十和子が死霊を殴り飛ばす。


 手足に巻き付けた布には護符と同じ真言タントラが写されている。【護布】と呼ばれるもので、これを巻くことで霊への打撃が可能になるのだ。


「グゴー-ッ!!」


 十和子の前に新たな死霊が立ち塞がる。


 襤褸切れを纏った骸骨だった。


 口から青白い炎を噴きつけてくる。


「チッ!!」


 転がるように躱す。


「クソッ! キリがない!」


 吐き捨てるように言った。


 死霊たちの数もその強さも日に日に増しており、樹海の奥にはもう誰も立ち入れなくなっていた。


 ──鬼門が開くその時が、迫っている。


 先遣隊の誰しもが、そんな漠然とした不安を抱いていた。

 

「姉様、これ以上は危険かもしれないよ」


 妹の明里が言った。


「きゃあ!」


 と、同時に横から悲鳴が聞こえてくる。


「叶ちゃん!」

「大丈夫か!?」


 二人が振り向くと、叶が尻もちをついていた。


 彼女の足首に、髪の毛が巻き付いている。それに足を取られたのだ。その長い髪は地を這い、樹海の奥から伸びていた。


 ずる……っ!


「うっ!?」


 叶の身体が引き摺られる。巻き付いた髪の毛は、彼女を闇へと引き摺り込もうとしているようだった。


「いけない、早く助けなきゃ!」

「くっ! 瑞浪っ!!」


 助けようとするが──


 カチッ! カチッ! カチカチ……ッ!!


「!?」


 十和子と明里の周囲を鬼火を纏った髑髏しゃれこうべが取り囲む。噛みつくように歯を打ち鳴らした。


 ずりずりずりりぃぃっ!!


「あぁ、いやあっ!!」


 ものすごい勢いで叶が闇の中へ引き摺られていく。


「叶ちゃん!!」

「瑞浪っ!!」


 追い縋ろうとするが、どうしようもなかった。


 叶もこの二人も、連日の戦いですでに疲弊しきっていたのだ。


「でりゃーっ!!」


 諦めかけたその時、雄叫びと共に叶の前に誰かが飛び出してくる。


 巻き付いた髪の毛を、大太刀にて一刀両断した。


「大丈夫か!!」

「も、桃さん……!?」


 姿を見せたのは桃斬太郎とその仲間たちだった。


「はーっ、滅っっ!!」

纏刃てんじんっ!! でりゃっ!!」

「アタシの武器の錆になりなぁ、オラオラオラーッ!!」


 猿田、犬崎そして雉山によって、十和子たちを取り囲んでいた死霊も次々と倒されていった。 


「怪我は無いか!?」

「大丈夫です!」


 七人は背中合わせに円になった。


「けれど、桃さんたちは怪我で戦線を離脱してた筈じゃ!?」

「鬼門が開くかも知れねぇって聞いて戻って来たんだ」

「こんな時に寝てらんないもんね?」


 話している間にも、樹海の奥よりすぐに別の死霊が現れる。


 浮遊する火の玉やら、刀を手にした腐乱死体やら……。


 さまざまな死霊怨霊が次々に暗い森の奥から溢れ出す。


「ここは一旦退くぞ!」


 桃が叫んだ。


「けれど、少しでも数を減らさなければ」


 十和子はそう返した。


「いや、お前たちも一度、本陣と合流したほうがいい」

「本陣!?」

「まさか……」

「ああ、京から来たのは俺たちだけじゃねぇ!」


 十和子たちの問いかけに、桃は頷いた。


「九人の大将も、卑弥呼様と大国主様も到着された。退魔殿の精鋭が全員、青奇ヶ原樹海に集結したんだ!」


 その言葉に十和子たちの顔が明るくなる。


「皆と合流して立て直すぜ、いいな!」

「はい!!」


 皆が引き返そうとした時に、明里は視界の端に何かを捉えた。


「!?」


 それは白い服を着た少女だった。


 素足のまま、真っ直ぐに樹海の奥へと進んでいく。死霊たちは少女を襲うでもなく、まるで守っているかの如く周囲を飛び回っていた。


 あれは……、まさか闇の巫女!?


 明里は直感的にそう感じた。


「どうしたの、明里! 早く!」


 死霊たちを薙ぎ倒しながら、十和子が叫ぶ。


「今あそこ女の子が居た! 闇の巫女かもしれない!」

「なんだって!?」


 皆が明里の指差す方に顔を向けた。


 だが死霊たちの影に隠れ、もう姿を見ることは出来なかった。


 ぬあぁぁぁぁ。


 その瞬間だった。


 風が突如、止まる。


「っ!?」

「なんだ、この邪気は!?」


 樹海の奥から地を這うように、とてつもない邪気が溢れ出したのだ。


 その場に居た誰しもが、鳥肌が立った。


 そして──


 ごおおぉぉぉっ!


「!?」

「なんだ!?」


 死霊たちが、まるで統一された意志を持ったように同じ方向へと飛び始めた。


「これは一体……?」

「まるで、魚群のようですね」


 叶がぽつりと呟く。


 明らかに様子がおかしい。


「闇の巫女の件は、本陣に報告すればいい。ここは一度退く! いいな!?」

「わ、わかりました!」

「早く退避しないと、ちょいヤバ目かもネ~」

「急いで戻ろう!」


 こうして七人は、本陣へと帰還した。




 十和子たちが戻ると、樹海の外縁の一角に陣が敷かれていた。


 法師や巫女によって結界が張られた特別な野営地である。物見櫓も組まれており、常に誰かが樹海を監視している。


 本陣には、京都の退魔殿に居た鏖殺おうさつ隊の全隊士が集結していた。


 九人の大将も揃い踏みしており、そんな彼らの姿は、疲れ切った十和子たちを勇気づけた。


 だがそれは、鬼門が開くまでもう一刻の猶予も許されていないことを意味してもいる。


「卑弥呼様、大国主様! 桃たちが戻りました」

「よぉ戻った、桃よ」

「十和子隊も無事でなによりだ」

「はい! 隊長の十和子以下二名、無事に帰還しました!」


 十和子たちが卑弥呼と大国主の前に跪く。


「早速ですが、ご報告したいことがあります、卑弥呼様、大国主様!」


 十和子は先ほど見た死霊たちの奇妙な動きを卑弥呼たちに伝えた。


 それを聞き、卑弥呼が頷く。


「高台の見張りからも、同じような報告があったわい。死霊どもが渦を巻くように樹海の中を廻りはじめた、とな」

「鬼門が開くのは、もう時間の問題かもしれない」


 険しい顔をして大国主も言った。


「如何致します、卑弥呼様?」


 卑弥呼たちの傍に控えている大将の一人が尋ねる。戦国時代の鎧兜に身を包んだ男だった。


「至急、皆を集めよ」と卑弥呼が言う。


「見張りのものを残し、鏖殺隊の全隊士を呼ぶのじゃ!」


 卑弥呼の一言で、程なくして広場にすべての隊士たちが集った。


 卑弥呼と大国主を筆頭に、その左右に大将が座す。


 卑弥呼は目の前に並ぶ隊士たちの顔を見回した。


「邪気はここに極まれり……。死霊たちによって地獄の巨釜おおがまは掻き回され、その門が開こうとしておる」

「そんな……!」


 先遣隊を務めていたものは、どこかでそんな予感を抱いていたものの、はっきりとそう口にされるとやはり動揺を隠せなかった。


 卑弥呼は静かな口調で続ける。


「もしも禍つ神が青奇ヶ原を抜けてしまえば、山々を越え、いずれは人が暮らす町にも降り立つじゃろう。そうなれば被害は甚大。禍つ神によって数多の人々が犠牲となる……」


 ゆっくりと集いし隊士を眺めやった。


 皆は固唾を呑んで、卑弥呼の言葉に耳を傾ける。


「それだけは何としても避けねばならぬ。千年以上、この国の裏世界を守護してきた我らの誇りにかけてな」


 そこで言葉を区切ると、ふっと地に視線を落とした。


「じゃがもしも、力及ばず禍つ神を鬼門に押し留めることが叶わなかった場合に備え、お主たちには、これから伝える話を、しかと聞いてもらいたい」


 顔を上げると真っ直ぐに鏖殺隊の面々を見つめる。


「実は、禍つ神を確実に封じ、鬼門を閉じる策がたった一つだけ存在するのじゃ」


 その言葉に、十和子たちは驚いた。


 そんな秘策があるなど、誰も知らされていなかったからだ。だが大国主や大将たちは至って冷静だった。


 当然、事前にそのことを知っていたからに他ならない。


 そして知っているからこそ、その表情はどこか沈痛でさえあった。


「これはかつて、最初の卑弥呼様がここ邪馬台国の地にて禍つ神を封じた禁じ手じゃ」


 静かに卑弥呼は語りはじめた。


「遥か昔、初代卑弥呼様は【鬼道】と呼ばれる術を操っていた。それは皆も知っておろう。今の【陰陽道】にも通じるいにしえの術じゃ。卑弥呼の名を継ぐ我らは代々、その【鬼道】を受け継いでおる」


 言葉を区切ると、どこか遠くを睨みつける。


「その中には、決して他言できぬ禁呪も伝わっておるのじゃ。極めて危険な呪術じゃが、その究極に、初代の卑弥呼様が禍つ神を封じた術がある」


 それを聞いて、隊士たちはざわついた。


「そんな術が伝わっていたとは」

「だが良かった……。仮に鬼門が開いたとしても、どうにかなるって訳だな」

「馬鹿! 恐ろしい禁呪なんだぞ!?」

「けど、やっぱり保険は欲しいところだろ?」

「そうだけど……」

「卑弥呼様!」


 皆が思い思いに話をする中で、十和子が卑弥呼を真っ直ぐに見つめて言った。


「教えてください。その禁呪とは、一体どのようなものなんですか?」


 その問いかけに、卑弥呼は言葉ではなく、皆に向かって手を伸ばした。自らの手の平を見せる。


 そこには、奇怪な印が描かれていた。


 真言でも経文でも祝詞でもない。文字なのか絵なのかも定かではない印だった。


「これは呪印……。贄人ニエビトの呪印と呼ばれるものじゃ」

「贄人……?」

「この呪術は、人を生け贄とする。その名は、禁呪──【死縄血封しじょうけっぷう】……」


 山伏の一人が、思わず息を呑んだ。


 言葉を震わせて、問う。


「つまり我々に、その生け贄……、贄人になれと仰られるのですね」


 場が静まり返る。


 腕を降ろすと、卑弥呼は十和子や桃たちを見やった。


「鏖殺隊には若者も多い。未来ある若人に贄になれなど、口が裂けても言えぬ。じゃが、誰かがやらねばならぬことでもある」

「そう、誰かがな……」


 黙って話を聞いていた大国主が応じるようにそう言った。


 彼は何かを決意した表情で、突然腕を捲ってみせた。


「それは、同じ呪印!?」


 彼の腕の印を見て、隊士たちが驚く。


「俺たちもだ」


 九人の大将も服をはだけた。


 彼らもそれぞれ、胸元や首、腕や足に贄人の呪印を刻んでいた。


「私たちは皆、贄人になる覚悟は出来ています」


 大将の一人、巫女が落ち着き払った声で言った。


「そんな……」

「もしもの時は我らが贄となり、【死縄血封】にて禍つ神を封じ、鬼門を閉ざそう」


 卑弥呼はそう言ったが、直後──


「だが」


 と、続けた。


 その二文字が隊士たちの耳にやけに響いた。


「禍つ神の力があまりに強大だった場合、我らだけでは贄人の数が足りぬかもしれぬ……」


 卑弥呼の言葉が、隊士たちの胸にずしりと圧し掛かる。


「あくまで仮の話であり、絶対に犠牲になれとも言わぬ。それとは逆に、逃げてくれても構わぬとさえ思うておる」


 そう言うと、卑弥呼はゆっくりと膝を地面につけた。


 地に伏して、懇願するように鏖殺隊の面々を見上げる。


 卑弥呼のこのような姿を、彼らは見たことがなかった。


「鬼門が開き、禍つ神が復活してからでは遅い。そうなっては、もう悠長に話をしている暇もないじゃろう……、じゃから本当にすまぬ」


 言葉を詰まらせながらそう言うと、若者たちの顔を眺めやり、ゆっくりと頭を下げた。


「もしもの場合に備え、そなたらも贄人の呪印を入れてはくれまいか!? この通りじゃっ!!」


 額を地面に付けて、卑弥呼は叫んだ。


 一瞬、沈黙が流れる。


「私なら構いません」


 そう言ったのは佐野十和子だった。


「自分も……!」

「俺もです!」


 若者たちが次々と声を上げる。


「だから卑弥呼様、どうか顔を上げてください!」

「そうですよ! そんな卑弥呼様は見たくない!」

「お主たち……」


 顔を上げた卑弥呼の瞳は潤んでいた。


「僕らにも、日本を守って来た誇りがあるからね~」


 後頭部で腕組みし、犬崎が笑う。


「そうだな!」と、猿田が応じた。


「それにどの道、禍つ神を封じられなかったらこの世は終わりだ! だったら背水の陣で臨むよりほかはないだろ!」

「大将たちも水臭いぜ……」


 低い声でそう言ったのは桃斬太郎だった。


「俺たちは代々鬼を退治してきた。桃太郎の名に懸けて、俺らがきっちりと禍つ神を地獄に送り返してやるよ!」


 自分の胸に親指を突き付ける。


「最高のパーティーになりそうじゃナーイ!」


 雉山がクスクスと笑う。


「そ、そうさ。勝てばいいだけの話だ!」


 桃たちに勇気づけられて、鏖殺隊の隊士が一人また一人と声を上げる。


「ここには全国から猛者が集結しているんだ! 力を合わせりゃどうにかなる!」

「ああ! それに桃太郎の子孫や関ケ原を無双した可児才蔵の子孫だって居るんだ! 百人力だ!」

「そうだ! 俺たちの大将や、卑弥呼様、大国主様を犠牲にさせるな!」

「よっしゃ! 俺も覚悟を決めたぜ!!」


 隊士たちの、士気が高まる。


 その様子を、卑弥呼たち上層部は暗い気持ちで見ていた。


 初代の卑弥呼が【死縄血封】を使ったことで邪馬台国から住人が消失した。禍つ神を封じることと引き換えに、クニは滅んだのだ。それ程までに多くの犠牲──贄人が必要だったのだろう。


 正確な贄人の人数などは、どこにも残されていない。


 だが、卑弥呼と大国主、大将の十一人だけでは足りる筈もなかった。


 ほぼ間違いなく、鏖殺隊の多くの若者たちを贄人にしなければ、禍つ神は封じられぬ。


 盛り上がる隊士たちの顔を見て、卑弥呼たちは深い罪悪感を抱くのだった。


 だが、どうしようもない。


 微かな希望があるとすれば、百鬼夜行を止めた凡野蓮人という少年だが、かの少年は退魔殿を去って以降、行方知れずだった。


 もう五日前のことである。

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