第45話 思考停止そして、総崩れ

 卑弥呼や大将たちを禁呪の犠牲にはさせない。


 そして自分たちも生け贄になど、ならない。


 禍つ神など返り討ちにしてくれる。


 そんな熱狂が広場を包んでいた。


「あのぅ……」


 その中に、遠慮がちな言葉が投げられる。


 佐野明里だった。


「どうした、明里? 私たちならなんとかなる! そんな暗い顔をするなよ!」


 姉の十和子が笑いながら明里の肩に手を置く。


「いや、そうじゃなくてね。ちょっと気になることがあって……」


 明里はそう答えた。


「何が気になるのじゃ?」


 卑弥呼が問う。


贄人ニエビトの呪印なのですが、似たようなものを見たんです」

「見たじゃと? どこでじゃ?」


 卑弥呼は眉間に皺を寄せた。


 明里が口を迷わせながら答える。


「樹海の奥に居た少女です。あまりよく見えなかったのですが、彼女の額にも同じような印があったような……」

「なんじゃと!?」


 それを聞き、卑弥呼が目を見開く。


 卑弥呼の驚きように、明里は戸惑った。


 だが明里の想像以上に、卑弥呼はそのことを深刻に考えていた。


 呪印自体が大変危険なものであり、みだりに使ってよいものではないからだ。第一、これは卑弥呼が代々、先代から受け継ぐ秘伝でもある。


 【鬼道】の術は誰にも口外してはならない。それが禁呪ならばなおのことである。


 それを自分の知らぬうちに誰かが使っていたとなると、その秘伝が漏れたことになる。


 卑弥呼は動揺していた。


「さ、最初は彼女が闇の巫女かと思っていたのですが、魔を封じるための印を自分に施しているのなら、彼女は味方なのかもしれません、よね」


 明里はどこか希望的観測でそう口にした。それは、言い知れぬ不安を覆い隠すための願望でもあった。


「卑弥呼様ぁーーっ!! 大国主様ぁーーっ!!」


 高台の見張りが突然、声を張り上げる。


 その声に、誰もが物見櫓を見やった。


 見張りの法師が、樹海の奥を指差している。


「空をっ!! 空を見て下さい!!」


 そう言われたのだが、木々が邪魔して下からでは何も見えなかった。


「どうしたのじゃ!?」

「何があった!? 報告をせよ!!」


 卑弥呼と大国主が叫ぶ。


「何かが天に昇っていきます! 白い何かが!」

「何かとは何じゃ!?」


 法師が身を乗り出して目を凝らす。


「あれは白い服を着た……女、の子??」


 半信半疑に、彼はそう言った。


「それって……」

「まさか、闇の巫女!?」


 卑弥呼と大国主は物見櫓へと急いだ。大将たちもそれに従う。


 ほかの隊士たちも、物見櫓が立つ丘へと登り、空を見やった。


 確かにそれは、目を凝らすと人のように見えた。


 まるで天から糸で吊り上げられるように、するすると空へ登っていく。そして、ある一点でぴたりと静止した。


「何が起こってるんだ」

「ここからじゃあよく見えないな」

「俺に任せろ!」


 そう言ったのは、大将の一人で山伏の姿をした男だった。


「【遠見とおみ】!!」


 【遠見】を使えば、まるで高性能の望遠鏡のように、遠くにあるものもはっきりと視認が可能になる。山伏や陰陽師の技であった。


 隊士たちの中にも【遠見】を使えるものがいて、それぞれその技を使った。


「私たちはこれで!」


 巫女たちが水晶玉を取り出す。その水晶に空に浮いた少女が映った。


 水晶を覗き込み、明里が息を呑む。


「やっぱり! さっき見た女の子です!!」


 物見櫓に向かって叫んだ。


「それじゃあ、あれが闇の巫女か!?」

「何をするつもりだ!?」

「よく分からんが、止めた方がいいんじゃないか!?」


 隊士たちは口々に言い合った。


「ちょっと待て。額にあるのは、呪印……!?」


 明里の言った通り、少女の額には呪印が刻まれているようだった。ただ、まったく同じかというとそうではなく、どことなく形が違っているようにも見えた。


「止めるのじゃーーーっ!!!!」


 突然、卑弥呼が叫んだ。


 目を剥き出した物凄い形相で、空を見ながら叫喚する。


「あれは我らと同じ贄人じゃ!!」


 物見櫓から隊士たちを見下ろし、卑弥呼が言う。


「ただし、鬼門を封じるのではなく開く方のな!! 闇の巫女の正体は、鬼門を開く禍つ神の贄人だったのじゃっ!!」


 その発言に、場が騒然となった。


 だが、時すでに遅し。


 生け贄の少女が、ゆっくりと横になっていく。


 完全に仰向けになると、服がバタバタとはためきはじめた。


 次の瞬間、両手足をビンと伸ばす。


 藻掻くように痙攣し……。


「あ゛え゛え゛あ゛ぎあ゛────っっ!!!!」


 絶叫する。


「!!」


 それは少女から発せられているとは思えない、悍ましい叫び声だった。


 百戦錬磨の山伏や陰陽師でさえも、思わず全身に鳥肌が立つ。


 そして、鏖殺隊が固唾を呑んで見守る中で少女の身体は、破裂した。


「!!!!」


 一瞬にして弾け飛び、血飛沫と化す。


 予想だにしないことだった。


 あまりに信じがたく身の毛もよだつ光景に、誰しもが言葉を失う。


「っ!!」

「う゛ぅっ!!」


 思わず目を背けたり、苦し気に口に手を当てるものさえも居た。


 ほんの今まで少女だった血の塊……。それが頭、両手足の方向へと、赤黒い縄のように伸びていく。


 樹海の上空に、少女の血肉で作られた五本の縄が伸び、ゆっくりと地へと降りていく。


 そして大地に、五本の亀裂が走った。


 渦を巻いていた死霊たちが、その亀裂に雪崩れ込み、大地を抉じ開ける。


 まるで果物の皮が剥けるように、樹海が引き剝がされていく。


 捲れ上がった樹海の下にあったのは大地ではなく、血のような色に煮えたぎる溶岩だった。黒煙が噴き上がる。


 ここに、闇の巫女を生け贄として隣り合わせの世界が、交差した。


 青奇ヶ原樹海に今宵再び、鬼門という名の特異点シンギュラリティが生じた瞬間だった。


「あれが、鬼門」

「そうじゃ」


 誰かの呟く声に、卑弥呼が頷く。


「遂に……。遂に鬼門が開いてしまった!!」


 まるで血肉でも煮詰めているような赤い溶岩の中から、異形のものたちが次々に溢れ出す。


 山のような体躯の赤鬼や青鬼。身体のあちこちに鬼面が蠢く巨大ムカデ。八岐大蛇。巨大骸骨がしゃどくろ……。


 姿形は多種多様だが、いずれも人を恐怖させるものに違いなかった。災厄の化身そのものである。


 そんな異形が一体や二体ではなく吐いて捨てるように湧き出して来る。


 八百万の神々の対極。鬼門より生じたるは無数の災厄の神々──八十やその禍つ神、ここに顕現す。


「で、でかい」

「伝説の八岐大蛇に、がしゃどくろまで居る」

「それに、一体何匹出て来るんだよ……」


 百鬼夜行の比ではなかった。


 遠く離れた場所からでも伝わる悍ましいほどの邪気と圧力に、誰もが立ち竦む。


 そしてそんな無数の禍つ神の中心に、それは聳えていた。


 肉塊で出来た楕円形の卵のようで、表面に無数の口が蠢いている。


 その卵に向かって、死霊たちが吸い寄せられるように集まっていく。そして自ら生け贄になるように、口の中へと吸い込まれていくのだった。


 ごりん! ぼり……!


 死霊を噛み砕く音が、鏖殺隊のいる外縁まで響いた。


「死霊を、喰ってる!」

「あれが禍つ神の親玉、闇吐禍冥日ヤミトノマガクラヒじゃ」


 卑弥呼の声も、恐怖に震えていた。


「魂魄を喰らい更なる力を得て復活を遂げるつもりじゃ」

「どうやって封じればいいんだ、あんなの……」


 無数の禍つ神たちが鬼門から這い出し、ゆっくりとこちらへと迫っている。


 青奇ヶ原樹海はとても広大で、鬼門はここからまだ遥か遠い場所だった。


 禍つ神たちも、まだまだ遠い場所に居る。


 だからこそ、今のうちに呪印を施し、鬼門へ向けてここを発つべきなのだ。禁呪によって禍つ神たちを鬼門に封じるのならば、彼らを鬼門から離すべきではない。


 やるべきことは山のようにある筈だった。


 最悪の事態は、既に現実となった。


 状況は明らかに切迫している。


 だが彼らは、動けなかった。


 黙ってその光景を眺める。


 隊士たちの心に、様々な感情が押し寄せていた。


 目の前の禍つ神の姿と共に、今しがた目にした少女の姿が、隊士たちに言い知れぬ恐怖を与えていた。


 あれが贄人の最期ならば、そう遠くない未来に、自分たちも同じ運命を辿ることになる。


 隊士たちの顔は蒼ざめ、多くのものが無意識に後退りする。


 彼らは完全に、怖気ていた。


 そしてそれは、隊士らを率いる筈の大将にしても皆、同じであった。


 また、この隙に一番後ろに立っていた数名が、こっそりと姿を消す。


 遁走である。


「ど、どうしましょう……。卑弥呼様、大国主様」


 やっと誰かがそう口にする。


「ど、どうやって倒せばいいんだあんなの!?」

「大将! 俺たちはどうすれば……っ!?」


 堰を切ったように口々にそう言って、指示を仰ぐ。


 それで皆はハッとした。


「と、取りあえず大将の元へと集い、各陣に別れて集まるのだ!」


 大国主がそう言った。


「その前に、呪印を施さねばならぬぞっ!!」


 卑弥呼が喚くように短く叫ぶ。


「呪印の正確な紋様を教える! 広場に集まり、すぐに身体に印を入れよ!」

「どうしても入れないといけないんですか!?」


 誰かがそう言った。


 その声色には恐怖と非難の色が見え隠れしている。


「さっきは逃げても良いと言った筈です!」

「逃げてもよい! じゃが、今入れておかねば、もう手遅れになる!」

「いいから広場に戻るぞ!!」


 急いで広場に取って返す。


 その途中で更に数名が、逃げた。


 視界が遮られ、迫り来る禍つ神たちが一旦見えなくなるとより一層の恐怖が襲った。


 鏖殺隊は九つの陣があり、そこに複数の隊が所属している。


 大将の元に集った隊士たちが、筆を手に取り、墨にて互いの身体に贄人の呪印を施していく。


 筆を持つその手は、震えていた。


 少女の絶叫が今も耳に残り、脳裏には弾け飛んだ映像がこびりついていた。


「呪印を施したものから、すぐに鬼門に向かって進むのじゃ!」

「ダメだ! ある程度纏まって行動しなければ危険すぎる!」


 卑弥呼の命に、腰に刀と脇差を差した侍大将が反論する。


「大将を筆頭に、陣で纏まって行動せねばならぬ!」

「ならば早くせいっ!!」


 卑弥呼が喚く。


「【死縄血封しじょうけっぷう】にて鬼門を閉ざすには、鬼門のすぐ近くに居らねばならぬっ! 一人でも多くの贄人が必要なのじゃっ!! 絶対に鬼門まで辿り着かねばならぬぞっ!!」


 呪印を施した鏖殺隊の面々が大将を筆頭に本陣を後にする。


 横に広く展開し、樹海を進んでいった。


 樹海の中は不気味なほどに静かだった。死霊たちが完全に姿を消したからだ。


 虫の音や鳥や獣の気配さえも掻き消えている。


 奥へと進むにつれて邪気が強まった。そして遠くから木々を薙ぎ倒す音が響いて来る。禍つ神もこちらへと迫っているのだ。


 その圧迫感で、隊士たちは息をしている心地さえしなかった。


 ざっ……!


 先頭の大将たちが一斉に立ち止まる。


 隊士たちも、何かを感じ取った。


 こちらへと気配が迫って来る。


「ぎぃ!!」

「ぎぎぃ!!」


 現れたのは膝丈ほどの小鬼だった。


 禍つ神の一種、魘鬼えんきと呼ばれる鬼だった。手に鉈やら包丁やらを手にしていた。小さくはあるがなんとも醜悪な姿をしている。


 鏖殺隊を見つけるや、武器を振り上げ、跳ねるように襲ってきた。


「あ、姉様……」


 杖を手に構え、明里が怯えるようにそう言った。


 隣では水晶の付いた縄を手にし、瑞浪叶も顔を強張らせている。


「だ、大丈夫だ、明里、瑞浪。皆で力を合わせればどうにかなる」

「う、うん……」

「やるしか、ないですよね」


 その頃、桃たちも別の場所で魘鬼と対峙していた。


「俺は桃太郎の子孫、桃斬太郎だ! こんなところで、くたばりはしねぇ!!」


 大太刀、鬼切弥一を抜き放つ。


「鬼哭九兵衛よ、どうか俺に力を貸してくれっ!!」

「霊力全開っ! いっくぞぉ!!」

「ふふっ……。楽しい夜に、しようじゃないの!」


 仲間たちもそれぞれに身構えた。


「いくぞ、てめぇら!!」

「うああぁ──っ!!」


 十和子たちが、桃たちが、ほかの隊士たちが、大将ともども小鬼に突撃していった。


 禍つ神の侵攻を止めるべく、鏖殺隊の面々がほぼ同時刻、まずは魘鬼との戦闘を開始する。


 それからおよそ十分後、九つの陣すべての鏖殺隊が、一匹の小鬼も倒せずに敗走した。

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