第33話 あの日の南
放課後の学園──静まり返った校舎は、部活の生徒たちが帰宅し始める頃には、更なる静寂に包まれていた。
だがその中で、二年三組の教室からは人の声が漏れ聞こえて来てくる。
「ホ、ホッ! ホ、ホッ!」
「う、うっ! う、あっ!」
リズミカルな掛け声に合わせて、くぐもった声が教室に響く。
「そりゃ!」
どこっ!
どさっ!
鈍い音がして、誰かが転んだ。
「ぅぐ!」
「ふーっ、いい汗掻いた~」
気分爽快といった感じで、少年が汗を拭う。
「勝手に倒れんなよ、チンゴ」
一部始終を見守っていた少年の一人が、呆れたように溜息を吐く。
このクラスの生徒、南──自称ウルフである。
「腹にそんだけ脂肪蓄えてんのに、見掛け倒しもいいとこだ」
「食えないデブなの? 寒がりデブなの?」
「僕のラビットパンチは軽量級よぉ? これでも、チョー手加減してあげたのにさ」
自称タイガーこと加賀、自称イーグルこと佐根川、自称ラビットこと兎井の三人が倒れ込んだ少年を、嘆息交じりに見下す。
「おい、デブチンゴ」
「はぁ、はぁ、はぁ……」
南に呼びかけられても、ずっと殴られていた少年、緑屋信吾は苦しそうに呼吸を繰り返すだけだった。
「返事しろよ、コラ!」と、加賀が怒鳴る。
「番長のウルフ様の前だよ?」
「ホラホラ、立って」
佐根川と兎井が、半ば強制的に信吾を立たせた。
「本番はこんくらいで倒れんじゃねぇぞ?」
信吾を透かし見て、南は容赦なく言った。
「へばっても無理矢理立たせてサンドバック、続けさせっからな?」
「サンドバックは逃げたりしないもんね~」
「邪魔だ」
加賀が信吾の身体を押す。
「うあ」
情けない声を上げて、再び信吾が尻もちをつく。
そんな彼のことなど構わずに、四人は楽し気に机を囲んだ。
「そんじゃあ予定通り、今度の興行は凡人とチンゴの二人体制でいくとしますか!」
「そうだな、サンドバックが二個あれば、儲けも二倍だ」
「お金はどうする? 前に言ってたみたいに一分100円で決まり? 俺はちょっと高いんじゃないかって思うけど」
「いや、100円でいいだろ。それでもう計算しちまったからよ」
「けどさ」
弾む会話の中に、その一言は暗めのトーンで投げ込まれた。
兎井だった。
三人が彼を見る。
「本当にいいのかね、コイツを参加させても……」
「どういう意味だよ、ラビット」
「いや、その。この前、凡野と約束したのにさ……」
一瞬の沈黙。
その間に、異様な空気が四人の間に流れた。
「あ? なんでアイツの話が出て来るんだよ?」
「ホラ、この前凡野が、虐めていいのは自分だけって──」
南が急に、兎井の胸ぐらを掴む。
「だから、なんでアイツの言いなりになる必要があるんだよ、オイ!?」
兎井の発言が気に食わなかったようだ。
顔を怒らせ、兎井を睨みつける。
「ご、ごめんって、けどさ……」
兎井は後ろめたそうに指で頬を掻いた。
兎井の懸念の正体──それは何を隠そう、不登校から戻って豹変した凡野蓮人が纏う圧倒的な雰囲気のせいであった。
そして、この少年の変貌を知っているのは当然兎井だけでは、無い。
一見すると姿かたちは何も変わってなどいなかった。今まで通りの凡野蓮人なのだ。
無視され、馬鹿にされ、蔑まれ……、どんなに酷い仕打ちをされても何も出来ない、無抵抗にただ震えるだけの弱虫。無能。最底辺。劣等生物。
およそこの学園のカースト最下位の奴隷。
南も幾度となくオーガが開催する大会に参加して、凡野蓮人を嬲ってきた。
加虐する存在と被虐される存在──南と凡野蓮人の立場の差は歴然としている、筈だった。
そんな凡野蓮人が不登校になって二週間後、突然、学校に舞い戻ったのだ。
教室に入って来た蓮人が最初に声を掛けたのが南であった。
「南」
そう声を掛けられた時に、南は彼の異変に気が付いた。
南もまた、凡野蓮人の豹変に気付いた最初の人物だったのである。
まず、表情が違った。
決して顔の作りが変わった訳ではない。
だが、その眼の奥には強い意思が感じられた。その表情からは、内に秘められた強さや覚悟や余裕が滲み出ていた。更にその深淵に、身も凍るほどの狂気さえも。
いつも泣きそうで、何かに怯え、俯いていた凡野蓮人の顔は、どこにも無かったのだ。
当然である。
目の前にいるのは、グラン・ヴァルデンという名の異世界ですべての種族をまとめ、すべての種族の、すべての国が唯一認めた統一王なのだから。
そんなすべての種族を率い、魔王の軍勢と渡り合いし覇王なのだから。
そして最後は単身魔王城に攻め入り、百万を超す魔族の死体の山を作った狂戦神なのだから。
更にはその圧倒的な力で邪神さえも屠った英雄なのだから。
その少年は不登校帰りではなく、異世界帰りだった。
彼の纏いし絶対的な王の覇気に、溢れ出る
兎井の発言に沈黙したほかの者たちも同様である。
だからこそ、二年の番長を自ら名乗る自称ウルフは、それに反発心を覚えるのだった。
「ヘッ! あんな奴隷の事なんてどーってことねぇ!」
吐き捨てるように、南は言った。
「そうだろ?」
「だ、だよね~」
「ああ、そうだぞ」
「だね、ゴメンゴメン」
四人がまた、笑い合う。
「そんじゃあ、いつにしよっか、日取りは?」
「夏休みももうすぐ始まるし、夏前にはやりたいよね~」
「ああ、元々は夏に遊ぶための金を稼ごうって話だったからな」
加賀が腕を組んで、南を見やる。
「一年を集めるのは、具体的にどうするね、南?」
「明日にでも、乗り込んでみるか」
「明日、ね。了解」
「頼りにしてるぜ、加賀」
「おう」
南の言葉に、加賀は決意を秘めた目になって、どこか一点を見つめた。静かに鼻息を荒くする。
加賀は図体がデカい。
一年生は加賀を目の前にしただけでビビるだろう。
と、南も加賀も踏んでいるのだった。
「一年坊主もたくさん参加させて、荒稼ぎしちゃいましょうか~」と、佐根川が背伸びする。
「いいね、僕たち夏前に大金持ちになっちゃったりして」
「一年の洟垂れなんて、ちょっと脅しゃあ全員200円くらい出すぜ?」
「ちょい強引に圧掛けてビビらすか?」
「お? いいね~」
南がノートを広げる。
「んじゃあ、興行のタイトルは……」
【一分100円 凡人とチンゴの殴り放題ツアー~人間サンドバック大会開催!!】
書き殴った字を、三人に見せる。
拍手が起こった。
「いいね~!」
「ハハハ! 凡人とチンゴ! 字面がウケる!」
「これでチケット作ろうぜ?」
「チケット?」
「前売りチケットよ! これを100円で売んの」
南の提案に、皆が驚く。
「前売りチケットか……、名案だな」
「だろ? これなら最悪、参加しない奴らからも100円取れんぞ」
「頭いいね~」
「じゃあさ」
兎井がノートに、縦横きれいに線を引いていく。
「こうやって、みんなでチケット作らない?」
「いいね、やろう!」
「デブチンゴ! ボサッとしてねぇで、お前も手伝え!」
四人が嬉々としてチケット作成に取り組む。
どうやら、準備は整ったようだ。
いよいよ明日、南たちが動き出す。
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