第32話 ウルフ

「うひゃぁ!?」


 教室に、女子生徒の調子はずれの悲鳴が木霊した。


 クラスで一番派手なグループの一人だった。


 悲鳴と同時に、男子生徒たちの笑い声も起こる。


 見ると、南とその取り巻き三人衆──加賀かが佐根川さねかわ兎井うさいであった。


「ちょ、南!? 急になにすんのよ、セクハラだし!」と、声を上げた女子が南を軽く叩く。


「だってお前、隙あり過ぎ」


 南が笑う。


「それに脇腹突っついただけじゃん、そんな怒んなって」

「マジやめてよね~、あれ?」


 彼女がキョトンとして南の頭を指差す。


「アンタもしかして、髪型変えた?」

「お、気づいた? 合格!」


 今度は南が、その女子を指差した。


「ウルフカットって奴なんだけど、似合ってる?」


 ほかの女子たちにも毛先をいじりながら頭を見せつける。


「イメチェン? いいんじゃね?」

「うん、イケてんよ」


 女子生徒らが頷く。 


「おう、そうだ。セクハラで思い出したんだが──」


 お付きの加賀が突然口を開く。


「いや、セクハラで何を思い出したっての!」


 女子の一人がすかさず言い返した。


「ハハ、まあ聞けって。お前ら、街で他校の奴らにナンパされたりしてねぇか?」

「え?」

「なんで?」


 加賀の問いかけに、女子たちは互いに顔を見合わせた。


「他校の連中に絡まれたり、ナンパとかされそうになったら俺らに言えよ? な、南?」

「うん? ああ」


 どこか透かしている南を見て、女子がくすりと笑う。


「フフッ! な~に、もしかして南、二年の番気取ってる?」

「べっつに興味ねーよ」


 腕組みすると、南は困った顔をして口を尖らせた。


「でもイイじゃん! オーガより頼りになりそうだし」

「だね」

「おいおい、俺をあの猿と一緒にすんなし!」


 心外そうに南が眉を寄せた。


「だよね~」と、お付きの佐根川も頷く。


「偉そうにふんぞり返ってただけのアイツらと違って、俺ら超フランクだからさ~」


 そう言うと、佐根川は突然、近くの女子の首に手を回した。


「ちょ、フランク過ぎぃ!」


 腕から抜け出ると、その女子が佐根川の尻に蹴りを入れる。


「あだっ!?」


 その様子を見てクラスの皆が笑った。


 ここのところ、南たちは常にクラスの中心にいる。


「けど、俺らも南が番になってくれたらありがたいよ」と、一人の男子が声を掛けた。


「だよね、オーガに比べて親しみやすいって言うかさ」

「わたし、ぶっちゃけオーガ苦手だったんだよね~」

「俺も」

「その点、南なら俺らも大歓迎だぜ」

「頼りにしてるよ、南!」


 そんな声を受けて、南がまんざらでもなさそうな表情をする。


 加賀たちもどこか誇らしげにしていた。




 ──翌朝、ホームルーム前。


「おーし、全員聞いてくれ!」


 南が教壇に立った。


「ホラ、注目だー!」

「そこ、静かにしてくれな~」


 取り巻き三人衆も教壇へと上がると、クラスの連中に静粛にするように求める。


 興味のない俺は、窓に顔を向けた。


 外の景色を眺めている方が、百倍役に立つ。


 【超視野】や【超聴野】、【熱探知】など諸々のスキルを鍛えられるからだ。


「なに、どうしたっての?」


 教室があらかた静かになり注目が南たちに向くと、誰かが尋ねた。


「俺らの大将から話がある。ちょっと聞いてくれ」


 落ち着いているが、有無を言わさぬ口調で加賀はそう言った。


「時間を取らせてすまない」と、南が切り出す。


「この前も話してたけど、他校の連中に喧嘩売られたり、危険な目に遭いそうになったら俺らに言って欲しいんだ。そんで──」


 一旦、言葉を区切るとクラスメイト達に言い放つ。


「俺のことは、今日からウルフと呼んでくれてイイぜ!」


 呼んでくれても良いとは、どういう了見だ!?


 ビックリした俺は、思わず教壇の四人を見やった。


 俺はそう思ったのだが、南はウルフカットとやらを撫でつけるように頭を掻いて見せていた。


「通り名なんて、正直どうでもいいと思ってるけどさ。まあ、舐められないようにするには仕方ねぇからなぁ……」


 溜息を吐く。


 そして取り巻き連中を見やった。


「同じ理由で、この三人もこれからは通り名で頼む!」


 南に紹介されて、三人が少し前に出る。


「タイガーだ、よろしく頼む」


 加賀がむっつりとした表情でそう言った。


「俺はイーグルだよ、よろしくね~」


 佐根川が女子たちにウインクを飛ばす。


「僕はラビット。ヨロシク!」


 兎井はみんなに手を振った。


 オーガ、コング、ラッシー……。


 これまでもあまり洗練されていないネーミングを耳にしてきたのだが、なんだろう。何故だかこいつらの方が、何千倍もダサいと思ってしまっている自分がいる。


「あ、それから凡野と緑屋」


 南が突然、俺と信吾の名前を呼んだ。


「今日の放課後、ちょっと話があっから残っとけ」


 反論を許さぬような態度で、素っ気なくそう言った。


 無視して帰ってもよかったのだが、信吾が心配だ。


 俺は信吾と共に教室に残った。


「俺も信吾も暇じゃないのだ、用があるなら早くしろ」


 四人と向き合って、俺はそう言った。


 南が舌打ちする。


「今度の興行から、お前とチンゴの二人体制で行くからな?」

「興行? なんのことだ?」


 南は取り巻きと顔を見合わせると、脅すように笑った。


「人間サンドバック大会に決まってんだろ? 俺は二年の番だぜ?」


 ……サンドバッ


「なんだよ? あぁ?」

「いや、なにも」

「お前も覚悟しとけよ、チンゴ?」


 そう言われて、信吾が顔を真っ青にする。


「あの大会も、俺はオーガから、ちゃーんと引き継ぐからよ?」

「だが、俺たちはただ殴らせるような馬鹿な真似はしない」


 冷静に加賀が言う。


「金を取るって訳だ」

「【凡人とチンゴの殴り放題ツアー】だよ?」


 兎井が信吾に笑顔を近づける。


「だから本番を前に、ちょっとテストしたいんだよね~」と佐根川が言う。


「チンゴ」

「……え?」

「これからお前を、軽く殴る。ちゃんと立っとけよ?」


 南が手首を回し始める。


「え? えっ!?」

「お前は初参加だからな」

「耐久性をチェックする。重要なことだ」


 南が信吾の全身を眺めやった。


「凡野と比べて脂肪がついてて殴り甲斐ありそうじゃねぇか」

「あとは、どんだけ持つかだね~」

「ちょっとやそっとで倒れんじゃねぇぞ?」

「や、あの、僕……」


 怯える信吾を前に、南が近づく。


「やめろ」


 俺は二人の間に割って入った。


 南を見て、言う。


「前に言った筈だ。俺とお前たちの関係性は今後も何も変わらないとな」

「あ?」

「だったらどうしたよ?」

「お前たちのイジメの対象は、この俺の筈だ。今後も、俺を虐めるのだ」

「ちょ、ちょっと蓮人くん……」


 縋りつくように、信吾が止めに入った。


 目と手で、信吾を軽く制する。


「分かりやすいように言い換えてやろうか?」


 俺は四人の顔をしっかりと見た。


「お前たちがイジメの対象にしてよいのは、ただ唯一、この俺だけだ。それを肝に銘じておくことだな」


 そう告げると、佐根川と兎井が互いの顔を見て、馬鹿にしたように口笛を吹いた。


「凡ちゃんカッコい~い」


 加賀は口を曲げ、黙ったまま眉を怒らせた。


「お前のその舐めた態度、いつか教育し直す必要があると俺は思っていた」


 加賀が腕組みして、南を見やる。


「いい機会だ、ウルフ? こいつはクラス、学年カーストワースト一位固定の存在。そんな奴隷にいつまでもこの態度を取らせていては、示しがつかないと俺は思うが?」

「だな」


 南が拳を叩く。


「お前ならいくらイジメても良いって訳だな、凡野?」

「ああ、今まで通り。なにも変わりなく、な?」

「いいねぇ。じゃあ新しい二年の番長、このウルフ様が最初に開くサンドバック大会の、お前はサンドバック係だ」

「好きにするがいい」

「ちょ、ダメだよ……!」


 信吾が服を引っ張ってくる。


 顔を向けると、信吾は頬の肉をプルプルさせて首を激しく横に振っていた。


「トールくんとのことで蓮人くんが本当は強いのはわかったけど、サンドバッグなんて無茶だよ。ずっと殴られ続けるなんて、死んじゃうよ!」


 小声で訴えた。


「黙っとけ、デブチンゴ!!」


 南が恫喝する。


「南、信吾を馬鹿にしたようなその呼び名も、止めるのだ」


 そう言うと、南は何も答えずにフンと鼻を鳴らした。


「調子に乗りすぎた奴隷、凡人……。このウルフ様に舐めた態度取ったこと、後悔させてやるぜ」


 南がどこか芝居がかって両手を広げて見せる。


「凡野蓮人の殴り放題サンドバックツアー、ここに開催決定を宣言するっ!」


 だが意味ありげに天井を仰ぐと、困ったように眉を寄せた。


「あちゃ~! そうそう、言い忘れてたぜ……」


 視線を俺に戻すと、恫喝するように付け加える。


「俺らは二年だけじゃなくて、一年も集めるからな? つまり、お前は今までの倍以上殴られる。覚悟……、しておけよ?」


 そんな南の言葉に、ほかの三人も顔を歪ませて笑うのだった。

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